土岐家は18世紀半ばからの沼田藩藩主。
この洋館は、土岐家が大正13年に渋谷に建てた邸宅の、洋館部分のようだ。元々は渋谷に建てられたようなのだが、平成二年に沼田城址公園に移築された。
丸アーチの窓の上の石工細工は優れ物と感じた。この舘の施主が、音楽が七人のミューズの中の重要メンバーであるという想いを伝える伝統的文化の良き理解者であったことを現わしている。
玄関左わきのステンドグラス。具象的なモチーフが全く使われていないので、イスラム建築のようである。しかし、見事な色彩のハーモニーである。
一階の洋室部分。カーテンのフリルは光を受けてなかなか美しい。
置かれている家具は、その時代のものとは程遠いように推察されるが・・・
一階の和室は、縁側から全く和風の様式に切り替わる。
洋舘建築の一つの見せ場である階段を上がれば、二階の洋室はカーテンの姿が更に美しい。
二階の和室は格式が高く、上段の間のしつらえがある。
大正末期の洋風建築となると、ライトの影響の大家石や貼りだしたポーチ、ドイツしたみ貼りとか、様々な建築要素がてんこ盛りに使われた舘である。
この洋館は、土岐家が大正13年に渋谷に建てた邸宅の、洋館部分のようだ。元々は渋谷に建てられたようなのだが、平成二年に沼田城址公園に移築された。
丸アーチの窓の上の石工細工は優れ物と感じた。この舘の施主が、音楽が七人のミューズの中の重要メンバーであるという想いを伝える伝統的文化の良き理解者であったことを現わしている。
玄関左わきのステンドグラス。具象的なモチーフが全く使われていないので、イスラム建築のようである。しかし、見事な色彩のハーモニーである。
一階の洋室部分。カーテンのフリルは光を受けてなかなか美しい。
置かれている家具は、その時代のものとは程遠いように推察されるが・・・
一階の和室は、縁側から全く和風の様式に切り替わる。
洋舘建築の一つの見せ場である階段を上がれば、二階の洋室はカーテンの姿が更に美しい。
二階の和室は格式が高く、上段の間のしつらえがある。
大正末期の洋風建築となると、ライトの影響の大家石や貼りだしたポーチ、ドイツしたみ貼りとか、様々な建築要素がてんこ盛りに使われた舘である。
見た目和風のような造りだし、
板の間だけではなく、
畳部屋もある。
この時代、
生活スタイルはまだまだ和式が主だったんでしょうね。
こういう和洋折衷、
何とも言えない味わいがあります。
限られた時代の、独特の様式ですから希少価値はありそうです。
しかし、明治以和舘に洋館を併設した建築家は全員、どこで和洋を見切るかで苦労したように感じます。
池の端の岩崎家を設計したコンドルさんでさえも例外的に天井の高い渡り廊下を設けて、和洋の様式が、実際に訪ねて来た来客に違和感を抱かせないように工夫したような印象があります。
それに較べるとこの舘の二階の座敷は仕掛けが無いですね。上段の間まで構えながら、照明は蛍光灯。廊下に設けられた窓は腰高か。コンクリート造の中の和室ですね。