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越後の国の中でも山深い、もう目と鼻の先が会津の入広瀬という地域がある。かつては冬場の出稼ぎで有名だったところで、今でも雪の深さは変わらない。その地に安土桃山時代に帰農したのが目黒家である。
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茅葺の入母屋造りの正面は、威厳を保ちつつも独特の柔らかい味わいがある。
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梅雨の中休みの大変な晴れ間が見えた日であったが、茅葺の屋根は高く、家の中は囲炉裏の火が恋しくなるほど冷やっとした。
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座敷の奥の庭は江戸後期築庭といわれる回遊式庭園がある。かつて見た時はもう少し整っていたような印象があるのだが、季節のせいかいささか草茫々の姿である。
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庭に出てみれば、もう少しそれらしい姿が見られる。
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家の裏側には、明治34年に建て増された奥座敷と茶室がある。山からの清冽な流れを取り入れた、不思議に浮世離れしたような空間である。厳しい越後の山中の生活の重みがすっかりそのまま残っているような台所とは、まるで違う世界のようだ。
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茅葺の入母屋造りの正面は、威厳を保ちつつも独特の柔らかい味わいがある。
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梅雨の中休みの大変な晴れ間が見えた日であったが、茅葺の屋根は高く、家の中は囲炉裏の火が恋しくなるほど冷やっとした。
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座敷の奥の庭は江戸後期築庭といわれる回遊式庭園がある。かつて見た時はもう少し整っていたような印象があるのだが、季節のせいかいささか草茫々の姿である。
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庭に出てみれば、もう少しそれらしい姿が見られる。
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家の裏側には、明治34年に建て増された奥座敷と茶室がある。山からの清冽な流れを取り入れた、不思議に浮世離れしたような空間である。厳しい越後の山中の生活の重みがすっかりそのまま残っているような台所とは、まるで違う世界のようだ。
さすが豪農、
個人のものとは思えない広さです。
内容はともかくちゃんと庭園もあって、
文化を取り入れようとした姿勢が窺えます。
一言で決めるのは難しいのですが、目黒家には現状をきちんと認識しようという意識が強く、それで飢饉の時にも大きな被害を出さずに済んだような印象があります。その後に関してもアイディアは豊富に思います。
そのバランス感覚の中で、明治の中ごろには京都から庭師に来てもらって、それをひたすら維持してきたような感じです。
真面目、かつ奇特なのでしょうか?