内山家は、450年続く豪農の家。神通川河口近くの宮尾の土地を新田開発し、越中一千石地主といわれた。
門構えも、実に厳しいが、この門は昭和16年までは茅葺だったそうだ。その頃は、大分雰囲気も柔らかかったに違いない。
正面が切妻造りで、玄関脇から延びる塀が、内庭と前庭を隔てている事など、信州安曇野の民家を思い出させる所がある。現在の建物は、殆どが慶応4年に建てられたものである。
この家には、徳富蘇峰や若槻礼次郎などの多数の文人や政治家が、来遊したという。彼らはおそらく、書や茶を楽しんだのだろう。家の裏手にも、いくつもの茶室が建てられている。
素晴らしいアクセントとなる月見台。書院の前の廊下から、斜めに突き出した形だ。
内山邸も非常に軒庇が深い。写真は表座敷の前。
この月見台で、庭を眺めながら夕方から宴を開き、月が出るのを待つ、なんて事ができたらそれは、最高にいい気分だろう。夏場に気楽に浴衣で。多少の演奏なども付いたら、それこそ言うこと無しだ。
昔の人は、贅沢のやりかたを良く知っていたな、と感じる。
門構えも、実に厳しいが、この門は昭和16年までは茅葺だったそうだ。その頃は、大分雰囲気も柔らかかったに違いない。
正面が切妻造りで、玄関脇から延びる塀が、内庭と前庭を隔てている事など、信州安曇野の民家を思い出させる所がある。現在の建物は、殆どが慶応4年に建てられたものである。
この家には、徳富蘇峰や若槻礼次郎などの多数の文人や政治家が、来遊したという。彼らはおそらく、書や茶を楽しんだのだろう。家の裏手にも、いくつもの茶室が建てられている。
素晴らしいアクセントとなる月見台。書院の前の廊下から、斜めに突き出した形だ。
内山邸も非常に軒庇が深い。写真は表座敷の前。
この月見台で、庭を眺めながら夕方から宴を開き、月が出るのを待つ、なんて事ができたらそれは、最高にいい気分だろう。夏場に気楽に浴衣で。多少の演奏なども付いたら、それこそ言うこと無しだ。
昔の人は、贅沢のやりかたを良く知っていたな、と感じる。
少人数で月見の宴をしたのでしょうね、そこに当主の感性が見えます。
蹲のある濡れ縁の大きく張り出した庇受けの丸太の止まりの下に柱が無いのにビックリです。
雪国ですから不思議でなりません、これで慶応年間から持っているのですものね!
富山にもこんな良い造りの建物が残っているとは、楽しく拝見させて頂きました。
雪国の建物で、大きく張り出した庇にかかる荷重は、半端なものでは無いことは、ご指摘の通りですね。よくもったものだ、と思います。
屋根は、二重構造にはなっているようですけれども、庇部分の加重だけでも、大変なものに思われます。
これは、冬場にも、様子を見に行きたくウズウズしております。