信州須坂は蔵の町として名高い。明治以前からの大笹街道に沿って、時代の付いた土壁の蔵が立ち並ぶ。
そのなかで、図抜けて大きく目立つのが、田中本家。江戸中期にこの場所で商売を始め、次々に手を広げ、幕末には士分として藩の財政にも関わる(用立てたのですね)こととなる。
その財力は須坂藩をも上回る、北信濃屈指の豪商である。敷地内には20もの土蔵があり、江戸以来の生活用具がみごとな状態で保存されている。蔵の建物を展示室として、代々の文物だけで展示会が開けるのだ。今回は、雛人形の展示。大名家に匹敵する、人形が並んでいたが、展示室内は当然ながら、撮影禁止。
展示室を出ると、冬枯れの裏庭。蔵の立ち並ぶ脇の通路をぬけ、大庭へ出る。
18世紀後半作庭の大庭。
冬枯れなので、石組みと松が目立つ。
須坂は菅平のふもとにあり、水が豊かだ。
写真では分りにくいが、左手奥の石組みは大変に見事。須坂藩主は、それを山に見立て、右奥の建物(こちらは非常に格が高い建物である)に上がったらしい。
開き戸の先には、藩主お忍び用の入口がある。
内庭。ここでも水がうまく使われている。
須坂にしては、大変に暖かな日だった。
そのなかで、図抜けて大きく目立つのが、田中本家。江戸中期にこの場所で商売を始め、次々に手を広げ、幕末には士分として藩の財政にも関わる(用立てたのですね)こととなる。
その財力は須坂藩をも上回る、北信濃屈指の豪商である。敷地内には20もの土蔵があり、江戸以来の生活用具がみごとな状態で保存されている。蔵の建物を展示室として、代々の文物だけで展示会が開けるのだ。今回は、雛人形の展示。大名家に匹敵する、人形が並んでいたが、展示室内は当然ながら、撮影禁止。
展示室を出ると、冬枯れの裏庭。蔵の立ち並ぶ脇の通路をぬけ、大庭へ出る。
18世紀後半作庭の大庭。
冬枯れなので、石組みと松が目立つ。
須坂は菅平のふもとにあり、水が豊かだ。
写真では分りにくいが、左手奥の石組みは大変に見事。須坂藩主は、それを山に見立て、右奥の建物(こちらは非常に格が高い建物である)に上がったらしい。
開き戸の先には、藩主お忍び用の入口がある。
内庭。ここでも水がうまく使われている。
須坂にしては、大変に暖かな日だった。
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