二宮家は相当に規模の大きい豪農の館であるが、いまだに当主が住まい、基本的には公開されていない。
5月下旬から6月にかけて庭のみが公開される。
母屋の規模をみると、玄関は簡易な形に造りなおされたような感じもするが、奥座敷までを見通し、この家の庭の一部であった弁天潟までもが一望される。
母屋は天井も高く、格の高さを感じさせる。
家屋の中は公開されていないので、望遠の一コマで雰囲気を想像していただきたい。
母屋の反対側、奥座敷の奥の庭から。
座敷の床の間の横、手水鉢の石組が実に豪華である。
座敷の縁側から庭を望む。
弁天潟がみごとな遠景となっている。
この庭は相当に石に力の入った庭とみた。
この庭はなかなか規模が大きく、座敷からは見通せない所までも造り込まれている。
弁天潟に張り出す茶室。新発田市の清水園の茶室を連想させる。
築地を盛り上げた脇にも、このような石が置かれている。おそらく、東屋があったのだろうと思われる。
蔵の周りの裏庭に、ローズガーデンまで造られていたのには驚いた。
5月下旬から6月にかけて庭のみが公開される。
母屋の規模をみると、玄関は簡易な形に造りなおされたような感じもするが、奥座敷までを見通し、この家の庭の一部であった弁天潟までもが一望される。
母屋は天井も高く、格の高さを感じさせる。
家屋の中は公開されていないので、望遠の一コマで雰囲気を想像していただきたい。
母屋の反対側、奥座敷の奥の庭から。
座敷の床の間の横、手水鉢の石組が実に豪華である。
座敷の縁側から庭を望む。
弁天潟がみごとな遠景となっている。
この庭は相当に石に力の入った庭とみた。
この庭はなかなか規模が大きく、座敷からは見通せない所までも造り込まれている。
弁天潟に張り出す茶室。新発田市の清水園の茶室を連想させる。
築地を盛り上げた脇にも、このような石が置かれている。おそらく、東屋があったのだろうと思われる。
蔵の周りの裏庭に、ローズガーデンまで造られていたのには驚いた。
米所新潟ならではの風景
この屋敷がまだ個人所有というのは素晴らしい
本当はこういう家屋が全国各地に残っていてほしいものですが
日本人は皆で叩いて平らに小さくが基本
飛び出す隙間も与えませんからね
皆で叩いて平に小さく、これは耳が痛い話ですね。
江戸末から明治初期にかけて、ちょっと雨が降れば陸も池も区別がつかなかった新潟平野に、治水干拓事業による生産性の驚くべき向上とともに、大規模な新田開発が行われたようです。
その頃の新潟の豪農は驚くべき規模の土地を所有し、大変な館を建てました。
珍しく、突出する富の蓄積が当たり前のように行われたようです。
そういう物が残されている新潟県は、旅行するのにうってつけのように感じています。
それに合わせて、
手間の庭も低くなってしまったようです。
個人的には、
もう少し造り込んでもよかったのかなあ、
という印象です。
でも、
回遊式のようなので、
実際に歩くと、
印象が変わるんでしょうね。
この庭を回遊して感じたのは、実に贅沢な石の庭という印象でした。その割に、母屋から潟を望むシーンに、それ程力が入っている訳ではなさそうなツツジが中心になってしまうのは、バランスの悪さを感じました。
個人所有の邸宅の庭ですから、庭の持ち主の事情のような事もあるのでしょう。一来訪者には窺い知れない事柄です。