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この前テレビを見ていて、画面に出ている老女をどこかで見たことがあると気に
なり、チェックすると川崎あかねさんでした。
テレビでは実際の年齢より上の役をやっていたようで、彼女は昭和23年(1948)
生れですから今年で66歳の筈です。とにかく元気で仕事をしている・・・と一寸ば
かり嬉しい気持ちになりました。
川崎あかねさんは、大映が倒産する最後まで在籍していた一人で、いつも同じ
言い方をしますが戦友の一人なのです。
彼女は京都出身で、お父さんは大映にも長く在籍したカメラマンの川崎新太郎
さんです、そんな具合ですから撮影所の面々も幼少のころから彼女をよく知って
いたし、大映に入ってからも皆からとても可愛がられた彼女でした。しかし映画
界のことに詳しい父親は、娘の大映入りを当初は大反対だったそうですが、彼
女自身が強く望んだこともあり無事入社、人一倍まけん気の強さと、ひたむきさ
が撮影所内で評判でした。芸名は彼女を小さい時から知っていた伊藤大輔監督
の命名です。
デビュー作はチョイ役で「陸軍中野学校・開戦前夜」ですが、まともな役は次作
の「妖怪大戦争」と言えましょう。
折角大映に入っても会社自体が衰退期に入っていたため、話題作の出演は少
なく大映では20本ぐらいだったと記憶しています。
細身の身体なのにバストが見事で、末期の大映ではそんな彼女の肢体を話題
にするような作品が多く、昭和46年(1971)の「蜘蛛の湯女」で彼女はセミヌードで
主演して頑張ったのに、これが大映最後の作品になってしまいました。
もし大映が存続していれば、かなりいい線の女優に育ったと思いますが、とても
残念に思います。
大映後は松竹・東映・日活作品やテレビ出演に活躍の場を移し、ごく最近までは
京都太秦の東映撮影所前で居酒屋をやっていたそうです。私も彼女が元気で
過ごされていることを心から祈る一人です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/1b/34c239009626cc57196dea1629e5afc5.jpg)
先週お話の出ていた川崎さんですね。大映映画(でしたか?)制作の「金環蝕」に、川崎さん・笠原さん・安田さん(現大楠さん)が出演されていました。倒産・再スタート後の大映作品では、「君よ憤怒の河を渉れ」の夏木さん、「黄金の犬」の藤巻さん等、旧大映の俳優さんがちらほら出演されていて、嬉しく見ました。
川崎さんは京都撮影所の所属だと思いますが、主役級のスターさんを除いて、脇役の俳優さんが東西の撮影所を行ったり来たりということはあったのでしょうか。夏木さん・橋本さん・北城さんが京都作品に出演したのは見ていますが、京都の俳優さんが東京の作品に出演したという例があったでしょうか。伊達さんが「犬シリーズ」に出演されたのがその例でしょうか。
それでも、彼女の出演作で忘れられない作品があります。大映倒産後、松竹で撮った「女生きてます 盛り場渡り鳥」という作品です。
森崎東監督の「女生きてます」シリーズの一作で、確か彼女は男性恐怖症の女性を演じ、事実上主演であったと思います。
もう40年以上前に見たきりなので記憶がほとんどなくなっているのですが、そんな彼女が記憶喪失になった山崎努演じる男と最後に結ばれる話は感動的で、森崎監督の演出も冴え、見終わった後に何とも言えない幸福感に浸ったことを憶えています。
キネマ旬報などでも好意的な批評が載り、これをきっかけにブレイクするかと期待していたのですが、その後はあまり役に恵まれたとは言えず、ただ残念でなりません。
しかし今でも女優を続けていることに敬意を表するとともに、大変嬉しく思います。
いつまでも、お元気でいて欲しいです。
また、前述の「盛り場渡り鳥」という作品、DVD化されているのか不明ですが、何とかもう一度見たいと思っています。
そろそろ川崎あかねさんの事を書こうと思っていたところでした。
とにかく熱心な女優さんでしたから、もっと大成すると思ったのですが、
残念ながら中途半端で終わったようですね。
東京と京都の俳優交流は会社にも俳優さんにもいいことなので、積極的に
行っていました。
詳しいことは覚えていませんが、京都の市田ひろみが東京に出るとか、
色々あったと思います。
どちらも熱心な子でしたから、大映がああならなければ・・・としか残念ながら言えません。
私はDVDは原則として見ないことにしているので、そのあたりの事情に疎く、済みません。
その内に大映会にも出てくるでしょうから、それを楽しみにしています。
嵯峨嵐山に二泊して、帰った来ましたが、
京都太秦の東映撮影所前で居酒屋をやっていたそうです
年頃も似ていますし、花園で一日過ごしたばかりで、、
京都は落ち着きます。沙羅の寺の東林寺、、、お坊さんのお話を聴いて、お抹茶、和菓子を頂いて、、、
来月は祇園祭り、いけたらいいなぁぁと
京都の旅、お疲れさまでした。良かったですね。
京都には私随分行っていません。以前は毎月のように行っていた京都でしたから、
お話を聞くだけでも嬉しいです。
川崎あかねさん……私の永遠の女神です。
小三太夫氏と
「いつか太秦の割烹にお邪魔しよう」
と話しています。
小三太夫さんとは以前から仲良くさせていただいています。
川崎あかねファンは初めてですが嬉しいですね。彼女がやっていた割烹店は
閉めたようで残念です。
それからFBの友達申請をさせていただきますので、宜しくお願いします。
残念です。
川崎あかねさんの映画ポスターを二つ持っています。
「蜘蛛の湯女」「おんなの四畳半」です。
ネットで探し、購入いたしました。
共に額に入れて大切にしています。
そこまで川崎あかねさんの事を思ってくれて、彼女は幸せ者ですね。
お店はやめましたが、本人はとても元気の様子ですから、いつかどこかで
会えると思いますよ。