映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

永田雅一氏のこと、その4

2011年06月17日 | 日記

          
                 永田社長と文子夫人です。
      
     永田社長の話になるとラッパという言葉が必ず出てきます。これについては
     本人が否定も反発もしていませんので、私が今さら書くこともないのですが、
     巷間で思われていることととは一寸違います・・・。

     永田雅一氏は昭和9年まで日活にいたのてせすが、当時の中谷社長と衝突して
     退社、第一映画社を旗上げしています。
     その時に駆けつけたのが川口松太郎を筆頭に溝口健二・伊藤大輔・犬塚稔・
     森一生・依田義賢などの監督・脚本家や多くのキャメラマンや俳優が集まりました。
     この第一映画社は2年間に20本の映画を作ったのですが結局は経済的に行き
     詰まり解散します。
     この20本の中に名作と言われる「浪華悲歌」「祇園の姉妹」(どちらも溝口健二
     監督作品)があるのです。

     当時、第一映画時代の創立に馳せ参じた同志を前にして、永田社長は毎日の
     ように激励演説をやっては「人生の進軍ラッパとして、永田は高らかに吹きならす
     であろう・・・」とやっていたそうです。それ以来、関西のジャーナリストや業者仲間
     にこの話が広まり永田ラッパは語り草になつたのです。

     ラッパといえばホラ吹きとか大風呂敷を意味するのが世間の通念なのですが、
     永田氏のラッパはそうでなく、人に爽快な気分を与え、士気を鼓舞する文字通り
     の進軍ラッパなのだから、本人はこの呼名を甘受し時には自らも口にしていました。
     永田社長は人に迷惑をかけないことを日常のモットーとしており、人生を楽しむ
     べし・・・としていて、このラッパで迷惑を受けたという人はいないと思います。

     私は昭和40年から、毎月のように永田社長が出席する会議に出ていました。
     社員の中には永田社長に出会うと直立不動になり緊張する人もいましたが、
     私は社長に会ったり話を聞くのがとても楽しみでした。話は上手だし数字的な
     裏づけもあって説得力がありましたしね・・・。
     どうゆう訳か、永田社長が仲人された帝国ホテルの披露宴で私が司会をやら
     されたことも忘れられない思い出の一つです。

     昭和47年に大映は終末を迎えるのですが、かなり前から社長は「最後は俺が
     責任を持つから、お前たちは俺の名前を利用して思う存分仕事をやれ! まだ俺
     の名前は使えるから・・・」と言ってました。
     もうその時に社長は後の展開が読めていたのだと私は推測しています。
        (続く)


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4 コメント

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はじめまして (hayamin)
2011-06-20 23:54:22
40代の大映ファンです。残念ながら私が物心ついたのは大映の末期だったので、直接劇場で見られたのはガメラシリーズだけでしたが。
当時の大映のこと、永田雅一社長のことにもとても興味があります。続きを楽しみに拝読させていただきます。
返信する
ありがとうございます。 (けん)
2011-06-21 07:03:50
hayaminさん

コメントいただいてとても嬉しかったです。
現在私は、当時副社長だった永田秀雅氏(雅一氏長男)とも
連絡を取りながら色々と動いています。
どうかこれからも宜しくお付き合いください。

返信する
Unknown (げんた)
2014-07-23 23:59:05
大映と言えば1に京マチ子、2に山本富士子。
一時は乙羽信子もいた女優の宝庫。
是非、京マチ子さんの事も書いて下さい。

倒産後、市川和子、八潮裕子、阿井三千子、それに泉鏡花物で光った川崎敬三さんたちはどうされたのですか?
返信する
Unknown (中島けん)
2014-07-24 09:12:56
げんたさん
はじめまして。ブログにお立ち寄りいただき有難うございます。
大映のことを忘れないでいただきたいの思いで、このブログを立ち上げました。

京さんはアメリカ暮らしですが、ただ今は帰国中で東京に滞在されて友人宅にいます。
今年、ピーターのブログに京さんとピーターのツーショットが載っていますが、
とても90歳には見えない若さです。
八潮悠子もアメリカで幸せに暮らしています。市川はこの前に遠い親戚の方に
会いましたが、詳しい消息は不明です。阿井さんも判りません。
川崎敬三は今年の5月19日に当ブログに書きましたので、良かったらご覧ください。
これからもよろしくお願いします。
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