荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

ミニマリストの巻、拾壱たび。

2016年01月29日 | 華麗な生活に極めたシンプルを




過去の記事。
ミニマリストの巻。
ミニマリストの巻、ふたたび。
ミニマリストの巻、みたび。
ミニマリストの巻、よたび。
ミニマリストの巻、いつたび。
ミニマリストの巻、むたび。
ミニマリストの巻、ななたび。
ミニマリストの巻、やたび。
ミニマリストの巻、ここたび。
ミニマリストの巻、とたび。



昨年は【ミニマリスト】という言葉をよく目にしました。

なんでも流行語候補にもなったそうで。

かくいう僕も、ミニマリストを目指して結構な日々が経ちました。

元々、ガキの頃からキレイ好きで、整理整頓を自分から率先してやるコでした。

一方で、モノを集めたりするのは好きで、本やフィギュアなどをキレイに整然と並べていたものです。

そんな僕が『モノを持たない生活』に目覚めたのは、東日本大震災がきっかけ。

家が流される・命が流される…。

あの悪夢の惨事を目の当たりにして以来、モノを持つ意味・モノに依存や執着する意味に強烈に疑問を持つ様になりました。

ネットを見ますと、同じ考えを持つヒトが結構多い。

みずからを【捨て変態】と称し、捨てまくるお話を見聞きすると、俄然僕もモノを処分したくなりました。

当初はこまごましたモノに手をつけていたものです。

やがて、その【モノ】が入っていた【棚】や【タンス】という外側を処分する喜びを知る様になりました。

【棚】や【タンス】といった大物を処分しますと、一気に部屋が広くなります。

その快感を知ってから、さらにモノの処分に拍車がかかりました。

とはいえ、物事には限界があります。

減量だって限界を超えれば、待っているのは【死】ですから。

最近はちょこちょこモノを買う事も増えて来ました。

これも減量におけるリバウンドに当たる現象でしょう。

あまり神経質になってもよろしくないので、モノを買うのも気にしない様にしています。

もちろん『ひとつ買ったら、ひとつ処分する』という法則はなるべく遵守しております。



とまぁ、以前にも記した気もする内容のブログ。

なぜ、改めて記したかと申しますと、ある本を読み出したから。

それは…

『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』です。



まだ、たったの46ページしか読んでおりませんが。

読了したら、今一度レビューしたいな、と思っております。

ちなみに、この本、図書館で借りたんですが半年も待ちました。



『気に入らないものは、棄てておくか、あるいは改善するかである』ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(ドイツの詩人・1749~1832)


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