この週末、姫路の書写山(しょしゃざん)圓教寺に行って参りました
声に出して読んでみると「ショシャジャン」って読みにくいじゃん(^^)
兵庫県姫路市にある寺院ですが、天台宗の別格本山です
標高370mの市内で一番高い山で山上にある円教寺は
大阪へ単身赴任した年に車で行った比叡山と雰囲気は
よく似てると思いました
偶然ですがそのとおり「西の比叡山」とよばれるほど寺格は
高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに
天台の三大道場と並び称された巨刹なんですね。
京都から遠い土地柄でありながら皇族や貴族の信仰も篤く
訪れる天皇・法皇も多かったのだそうです
円教寺には京都の清水寺に似た舞台を持つ摩尼殿、性空上人をまつっている
開山堂、別名弁慶の学問所と呼ばれている護法堂拝殿、そして荘厳な
甍(いらか)を競う三つの堂(大講堂、食堂、常行堂)など
次から次へと、素晴らしい重要文化財の出現に感動しきりでした
姫路といえば姫路城ですが、この書写山円教寺も一度は訪れておきたい
スポットのようです。ロープウェイを降りるとそこはもう書写山
空中散歩の途中で田んぼに描かれた実物大の姫路城が見えました
しばらく歩いて山門まできた頃には身も心も洗われていくような
心地になります。
磨尼殿の先には三つの堂と呼ばれる大講堂、食堂(じきどう)
常行堂の三つの建物があり雄大にして静寂の世界がそこにはありますが
四駆の車しか上がって来れないこの場所にどうやってこんな凄いものを
建築できたんでしょうね
映画「ラストサムライ」はまだ見てないんですが、ロケ地としてこの三つの
堂が登場したと聞きました「ラストサムライ」のスタッフが最初は
観光のつもりだったのが姫路市の職員につれられて訪れた際に感激して
ロケ地に決まったんだそうです。姫路市の職員はしてやったり顔だったろなあ
食堂からほど入ったところに奥の院があり、そこに開山堂がありました
この開山堂の屋根の四隅の軒下には奈良の法隆寺の金堂と同様に
邪鬼が屋根を支えています。でも、ここの邪鬼は左甚五郎が手がけた物で
四隅に「邪鬼」が配置され、軒先で屋根瓦を担いで支えていたのですが
ある日屋根の重さに耐えかねた一匹の邪鬼が逃げ出したという伝説がありました
建物の四隅に廻って屋根裏を見上げてみると確かに北西を除く三隅には
ものすごい形相で苦しそうに屋根を支えている邪鬼の彫り物が
軒の間に居ました。でも北西の角には邪鬼は居なくて直接木組みされています
その伝説を聞いているうちに、これはいま、関西の地で会社の一隅を支えて
いる自分が、仕事の辛さや責任の重さに耐え兼ねてある日突然、逃げ出したら
どうなるんだろうなあと思っていただけに、僕をここに連れてきて
くださった方はそんな現実派ご存知ないのに「北西の邪鬼」にはなっては
いけないよ、という有り難い教えだったのかと恐れ入りました
今を乗り越えたらもう一度この邪鬼達に会いに来たいと合掌
声に出して読んでみると「ショシャジャン」って読みにくいじゃん(^^)
兵庫県姫路市にある寺院ですが、天台宗の別格本山です
標高370mの市内で一番高い山で山上にある円教寺は
大阪へ単身赴任した年に車で行った比叡山と雰囲気は
よく似てると思いました
偶然ですがそのとおり「西の比叡山」とよばれるほど寺格は
高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに
天台の三大道場と並び称された巨刹なんですね。
京都から遠い土地柄でありながら皇族や貴族の信仰も篤く
訪れる天皇・法皇も多かったのだそうです
円教寺には京都の清水寺に似た舞台を持つ摩尼殿、性空上人をまつっている
開山堂、別名弁慶の学問所と呼ばれている護法堂拝殿、そして荘厳な
甍(いらか)を競う三つの堂(大講堂、食堂、常行堂)など
次から次へと、素晴らしい重要文化財の出現に感動しきりでした
姫路といえば姫路城ですが、この書写山円教寺も一度は訪れておきたい
スポットのようです。ロープウェイを降りるとそこはもう書写山
空中散歩の途中で田んぼに描かれた実物大の姫路城が見えました
しばらく歩いて山門まできた頃には身も心も洗われていくような
心地になります。
磨尼殿の先には三つの堂と呼ばれる大講堂、食堂(じきどう)
常行堂の三つの建物があり雄大にして静寂の世界がそこにはありますが
四駆の車しか上がって来れないこの場所にどうやってこんな凄いものを
建築できたんでしょうね
映画「ラストサムライ」はまだ見てないんですが、ロケ地としてこの三つの
堂が登場したと聞きました「ラストサムライ」のスタッフが最初は
観光のつもりだったのが姫路市の職員につれられて訪れた際に感激して
ロケ地に決まったんだそうです。姫路市の職員はしてやったり顔だったろなあ
食堂からほど入ったところに奥の院があり、そこに開山堂がありました
この開山堂の屋根の四隅の軒下には奈良の法隆寺の金堂と同様に
邪鬼が屋根を支えています。でも、ここの邪鬼は左甚五郎が手がけた物で
四隅に「邪鬼」が配置され、軒先で屋根瓦を担いで支えていたのですが
ある日屋根の重さに耐えかねた一匹の邪鬼が逃げ出したという伝説がありました
建物の四隅に廻って屋根裏を見上げてみると確かに北西を除く三隅には
ものすごい形相で苦しそうに屋根を支えている邪鬼の彫り物が
軒の間に居ました。でも北西の角には邪鬼は居なくて直接木組みされています
その伝説を聞いているうちに、これはいま、関西の地で会社の一隅を支えて
いる自分が、仕事の辛さや責任の重さに耐え兼ねてある日突然、逃げ出したら
どうなるんだろうなあと思っていただけに、僕をここに連れてきて
くださった方はそんな現実派ご存知ないのに「北西の邪鬼」にはなっては
いけないよ、という有り難い教えだったのかと恐れ入りました
今を乗り越えたらもう一度この邪鬼達に会いに来たいと合掌