風まかせ放浪記

バイクといろいろ日記帳

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

松江道草日記

2012年11月29日 21時47分39秒 | 読書感想文
今朝は、早朝に広島を出発して、松江に向かった。車窓から、どんよりとした、山陰の空を見ながら、うとうとしているうちに到着。1件のご挨拶を済ませたあと、お昼タイムはいつもの「出張道草」だ。前回は、山口方面出張のついでに、笠戸島で美しい海を見た。今回は、宍道湖のしじみ漁船を横目にみながら、松江城から小泉八雲記念館を案内してもらった。小泉八雲といえば、ギリシャから日本に帰化した、新聞記者であり、随筆家、小説家、日本研究家だ。東洋と西洋の両方に生きたのだとか。現地で知ったのは、俳優の佐野史郎さんが、松江が故郷だそうで、彼のHPに書かれていた「拝啓、小泉八雲様」 http://www.kisseido.co.jp/column/yakumo.html という手紙には八雲の作品「日本人の微笑」や「神国の首都―松江」にも言及されたいた。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1890年に来日、その後1896年日本に帰化し、小泉八雲の名で『怪談』などを著した。『日本の面影』とは海外の雑誌に発表された文章をまとめたものである。つまりラフカディオ・ハーンが目にした日本人とは、今から百年前の日本人のことなのだ。『日本人の微笑』の中で彼は、欧米人にとって不可解な日本人の微笑について、いくつかの例を引いている。以下は引用だが、我々、日本人が失ってしまった大切なものを垣間見た気がした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「自分の夫が亡くなったので1日ひまをいただきたい」と微笑みながら雇い主の英国夫人に告げ、その晩骨壺を持って戻ってきて「これが私の夫です」と笑い声を立てすらしながら話す日本人の女中。また、走ってくる馬に気づかず、道を遮るように車を止めてしまった人力車の車夫が、梶棒が馬の肩に当たってしまったため逆上した騎乗の英国人に、鞭でしたたかに殴りつけられたとき見せた礼儀正しい微笑。あげくは雇い主の英国人から不当な怒りをぶつけられた老侍が、ののしられ、殴られながらも終始くずさず見せ続けた微笑とその後の彼の自刃。

これらの事例を読んでいるうちから、私は瞼の奥に熱いものがこみあげてきてこらえることができなかった。理由は明快、この事例の日本人たちの心中があまりにもリアルに迫ってきたからである。とくに夫の死を告げる女中の心中やあまりある。自分の身内のこと、とくに身内の不幸などを公にしなければならないとき、きまって微笑む人たちがいる。これは伝える内容が深刻であればあるほどその度合いは強くなる。これは『相手に不快感を与えまい』とする最大限の努力の表れだ。できるなら言わずに済ませたい身内の不幸をどうしても伝えねばならない。身を切られる思いで微笑しただろう女中の心中を思うと今でも目頭が熱くなる。日本人はこんなにまで相手を慮る民族なのだ。

そして私にもその日本人の血が流れているのだとも強く思った。人力車の車夫についてもそうだ。全面的に自分に非があると認めたとき、相手の態度に対して全く無抵抗であるばかりでなく、さらにその相手の心証を害さぬよう痛みをこらえて微笑む人たちがいたはずだ。老侍にしてもそうだ。例の中では述べなかったが、彼は以前に雇い主に対して借りがあった。むろん借りは返したものの、いったんは恩義を受けた相手に対して手を挙げる、ましてや刀を使うなどということは言語道断だったはず。しかし理不尽な恥辱を受けてはおめおめと生きてはゆけぬ、そういう意味での自刃であったのだろう。

こうして考えてゆくと百年前の日本人は『お互いを察しあう』ということに優れた人たちだったのだと思う。目上の人間は下の者の状況を思いやり、目下の人間は相手の心証を害さぬように努める。俗に『人様に迷惑をかけないように』という教えは、その字句通り相手を害さぬことだけでなく、相手の立場や心証までを慮るというところまで行き届いていたのだと思う。私の子供の頃まではこういう感じが身の周りにあった。深刻な話をするときでも、感情を露わにせず友好的に接する術を心得ている大人たちがいた。

翻って今の日本の風景を見ると、自分以外の人間はいないも同然、というより自分にとって都合のいい人間以外はいないほうがいい、と思っているふうな言動をしている、自己主張ばかり強い若者の姿が浮かぶ。あの、お互い同士が相手の立場を思いやって、ときに自分の感情を押し殺してまで見せた微笑はもう存在しないのだろうか 確かに今の世の中では、自己犠牲がすぎると嫌みであるばかりでなく、本人にとっても決していいことではないとは思う。しかし周りの人の感情を推し量りつつ、軋轢が生じないように察しあって生きることも必要なのではないか そういう精神性を持ち続けたいと願った一日であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

自炊

2012年11月27日 22時39分17秒 | 読書感想文
ブログ更新サボり続けているのに、いつも覗いてくださる皆様心より感謝申し上げます。
別に投稿が面倒になったわけでもなく、あちこち道草喰ってるのでいろんな事に興味が
ありすぎて、面白いことがいっぱいあって停滞しております(これって言い訳!(^^)!)


管理人的には、広島で単身赴任生活していれば、当然の如く身につけねばならない「自炊」の
スキルは、ご飯を炊いて・・・味噌汁をつくり・・・一汁一菜で、華やかならずとも、栄養の
偏りなく調理し、塩コショウを微妙に使い分ける術を習得せねばと思っていたのですが
なんだか違う「自炊」もあったのですね

市販の本を裁断・スキャンして電子書籍をつくるという行為を「自炊」と呼ぶことを知りました
これって、すごく合理的だと思うし、裁断機を購入して真似してみようかなあなんて思ってたら
なんと、これを違法だとして作家・漫画家ら7人が27日、業者7社とその代表者を相手に
自炊代行の差し止めと計147万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしたという記事・・・

訴えたのは浅田次郎、大沢在昌、永井豪、林真理子、東野圭吾、弘兼憲史、武論尊の各氏で、彼らの主張は
「無断スキャンが著作権侵害にあたるという確たる判決を得たい」というものであり、 著作権法では
著作物を複製する権利は著作者だけが持ち、私的使用のための複製の場合は例外的に認められるっちゅうことで

自炊代行は「私的複製」にはあたらず作者の複製権を侵害しているというのが原告側の主張で原告らは
自炊、業者約100社に「無断スキャンは認められない」ことを通知し、質問書を送付したのですが
被告となった業者7社は「原告らの作品はスキャンしない」などと回答したのに、その後も
受注し続けているため、提訴したようですね。損害賠償を求めるのは今回が初めてのようですが

自炊代行は今年約20社が始めるなど新規参入がやまないため、原告側は「無断スキャンが
著作権侵害にあたるという確たる判決を得たい」ということのようです。著作権法では、著作物を
複製する権利は著作者だけが持ち、私的使用のための複製の場合は例外的に認められるとあり
自炊代行は「私的複製」にはあたらず作者の複製権を侵害しているというのが原告側の主張とのこと

わかったような、わからないような、まあ、いっか!(^^)!

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

帝釈峡へ

2012年10月21日 21時23分34秒 | 読書感想文
先週に引き続き、今日も初秋の中国ロードを楽しんできました

昨日は、米子出張したあと、日本酒を飲みすぎて帰りの車では
ぐうぐうと寝てしまい、今朝はちょっと二日酔い気味かなあ・・・
ちょっと寝坊したけど(^^)気合を入れて、ツーリングウエアに
着替えて、いざ出発!

広島高速から山陽道に乗り、河内icを出た後、広島空港出口手前から
フライトロードで世羅に向かうと山並みはもう紅葉が始まっていて
あちこちに、ちょっとづつ、色づいた楓がちらほらと見えてくる
いい調子で追い越しを繰り返して、峠を越えた途端に忽然とパンダくんが・・・
危なく捕獲されるとこでした。うわあ~ビックラこいた(^^ゞ

そのあとは「トトロメロディ」ロード♪のフラワーロードから、「森のクマさん」メロディ
ロード♪のふれあいロードを抜けたあと、(メロディロードとは道路に
カッター刻みが入っていて、この刻みスリットのピッチで音階が変化するのを
利用して、車が走ると楽しい音楽が聞こえてきます!(^^)!)
http://www.youtube.com/watch?v=PWHIJa_4VeY&feature=fvwrel
(コピペしてyoutubeで森のクマさん聞いてみてください)


世羅から高速コーナーの続く25号(去年、大阪バイク仲間と軽トラックにアタック
されそうになり、後続のRRレディと一巻の終わりかと肝を冷やした「心中ロード」!(^^)!で
帝釈峡に向かう。色づき始めた渓谷はまだ観光客もまばらだけど湖面に紅葉が映って綺麗です
渓谷のレストランで食事を済ませたあとは、近くにある東城icから山陽道に乗り、ひたすら西へ

途中、中国道に乗り継いで、吉和icで降りると標高も高いせいか
ちょっと早すぎるかなと迷った冬ジャケットが正解なくらい冷えてきた
吉和から羅漢高原に向かう途中、今日は、先週利用した「魅惑の里」の
手前にある「潮原温泉」に行こう。

こじんまりとした、旅館の立ち寄り湯には大きなリュックを背負った
山歩き帰りの先客たちが寛いでいた。薄く白濁したような柔らかくて
よく温まる温泉はなかなかでした

温泉をを後にして、道の駅「スパ羅漢」で缶コーヒーしていると、前輪の
タイヤがパンクしてしまったというGS乗りに出会う、こんな時の「参った感」は
同じバイク乗りとしてはよくわかるのでJAFの到着までお付き合いすることにした

ほどなく愛想の良いJAFスタッフが到着して、コンプレッサーで空気を入れて
空気圧を上げて、石鹸水をまんべんなく塗るも、シャボンは出てこない・・・
これは釘踏みとかではなく、自然に抜けてしまったのかも?

偶然、同じ広島方面だったので、途中で空気圧をチェックしてあげながら
無事、広島市内に到着して再会の挨拶を交わしてGS乗りと別れた
あと2週間もすれば、高原の山は燃えるような紅葉になるだろうなあ




コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

初秋つー

2012年10月14日 19時11分33秒 | 読書感想文
今日はソロツーリングで「風のマイロード広島」左巻きを走ってきました
広島駅にある、「シェラトンホテル」の地下が何故か?バイク置き場!(^^)!

広島駅北口を出発してから、横河駅前を通り、高速4号線でトンネルを抜け
中広から沼田へ。アストラムラインをくぐって西風新都から71~77
~433~湯来温泉~41~168から吉和方面へ

途中、以前から一度寄ってみようと思ってたハーブカフェ「ミントハウス」
で、美味しいハーブカレーを頂いたあと、186魅惑の里の「水神の湯」で
露天風呂から紅葉の始まった景色を見ながらマッタリと過ごす

ここは、森林が見渡せる露天風呂や打たせ、ジェット水流、美肌・健康に
優れた効果のあるイベント湯があり、 泉質は単純放射能冷鉱泉で、ラドン
含有量は高めで、リピートスポットにノミネートしとこ

その後は、道の駅「スパ羅漢」で一休みしたあと、30経由で廿日市方面へ
2号線線のバイパスをカッ飛びすり抜けして(これ、そろそろやめないといけないと
思うんだが・・・)2号線に出たあと、マリーナホップに向かい、ナップスで
「プレクサス」と「フクピカ」をゲットして帰宅

その帰宅前に渋滞混雑する車の隙間を2回すり抜けましたが、2回ともパトカーと
白バイがいるのに「アッ!」と気付いて、ABSフル急制動・・・(+_+)
Kサツの方々はミラーで後ろを見てるのでこちらに気付いていますが、追い越す前に気付けば
ほぼ、なんとか見逃してくれます。しか~し追い越してしまったら、危険行為違反で
ほぼ、間違いなく捕獲されます

帰宅後はバイクをキレイキレイしてあげます「プレクサス」これは本当にバイクの
(車でも)クリーニングは最高の優れものです。バイクをサッと洗って表面の埃を
落としたあとたあと、濡れたままのバイクにプレクサスをスプレーして約2分後に
ゆっくりと拭き取っていくと、こびり付いた虫とかタールとかの汚れが本当に
気持ちいいくらい、見る見るうちに綺麗に落ちていくんですよ

そして、最後に柔らかい乾いた布でサッと拭き取るとほんとにピッカピカになります
金属面、プラスチック、ガラス、塗装面これ1本ですごく簡単に綺麗になるのがすごい
大切にしているものがピッカピカに綺麗になっていくのって、最高にいいなあ!(*^_^*)
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

LoveとLike

2012年09月19日 22時39分45秒 | 読書感想文
テレビを見てたら新聞のCMでコラムに「LOVE」と「LIKE」の
違いについて書かれた記事のことが出ていたのでチェックしてみたら
以下の内容の記事でした。

『「LOVE」は異質なものを、「LIKE」は同質のものを
求めることで、そこが違うのだという。
神への愛であれ、異性への愛であれ、「愛」には不安定
な激しさが感じられる。それは、自分と異質なもの、対極に
あるものに立ち向かうために起こる燃焼のせいかもしれぬ。
これに対し「好きだ」ということには、何かしら安定感がある。
自分と同質なもの、共通するもの、同一線上にあるものを
知る歓びであるためのような気がする。
いいかえれば、「LOVE」は、異質な相手と合体することに
よってはじめて自分が完全になれるという欲求だとすれば、
「LIKE」は、自分と同じものを相手の中に確認したい願望
だといえようか。』

「LIKE」で全ての人と関われれば、こんな素敵なことはないですよね。
でも現実には、自分と合わない人、嫌いな人は沢山います。
その人たちとの「LOVE」の関わり方を知らないと、「なんで私は
こんなに人に恵まれないんだろう」と悩み苦しみストレスとなって
しまいます。

夫婦関係も、恋愛・新婚時代はお互い「LIKE」でしょうが、
時と共にお互いに異質なものを感じられてきます。
その時に「LIKE」を維持しようとしたら離婚しかなくなります。
結婚生活はお互いの関係を「LIKE」から「LOVE」に昇華
させるプロセスではないでしょうか。
そのプロセスの中で、お互いに成長していくのではないでしょうか。
親子の関係も同じですね。子どもの成長に伴い、「LIKE」から
「LOVE」に昇華させていく努力が必要なのだと思います。
その結果が幸福な家族を創っていくのではないでしょうか。


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

繰出鉛筆

2012年08月28日 12時30分14秒 | 読書感想文
出勤前に、テレビを見ていたら、台湾のホンハイに翻弄されつづける、
電器メーカー「シャープ」の凋落ぶりが解説されていた。世界の市場を
席捲したソニーやシャープのような企業を誇りに思っていただけに、
その凋落ぶりは、日本の高度成長期を知る一人の日本人としても忸怩
たる思いがある。

創業者の経営理念は「よそが真似をするような良いを作れ」というもの
だったのを聞いて「よそが真似を出来ないようなものを作れ」であったなら、
少し違っていたのかもしれないなと思った。

それはそうとして、これは、まったくの初耳だったのだが「シャープペンシル」
の名前の由来は、先が尖っているのでシャープなペンシルなのでシャープペンシル
だとばかり思っていたのだが・・・あのシャープの創設者が発明者という、
冗談のようなホントの話に驚いた。

その創業者、早川徳次は明治生まれの金属細工職人で『早川式繰出鉛筆』と
名づけて特許申請したが、最初は非常に不評で、全く売れなかったらしい。
ところが、落胆していた徳次の元に、突如大量の注文が入るようになった。

なんと、アメリカやヨーロッパなど、海外からの注文が殺到し、国内より
先に海外に認められてしまったというわけだ。ちなみに「シャープペンシル」
は和製英語だそうで、正しくは「メカニカルペンシル」や、「プロペリング
ペンシル」と呼ぶらしい。

ヒット商品は、独創的なアイデアのもとに、他社に先駆けて生産発売し、
売れているうちに、その利益をR&Dに注ぎ込み、また新しい商品開発をする。
他社が類似製品を出すころには、稼ぎ終えて、次の新製品を世の中に送り
出すという、エンドレスのサイクルが短くなってきた昨今、ひとつ読み
間違え、歯車を狂わすとドミノ倒しのように大企業すら一気に瓦解して
しまうという、厳しい世の中である
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

お買い物

2012年08月25日 11時55分51秒 | 読書感想文
広島は、蝉の鳴き声が聞こえなくなり、少し涼しくなるかなと期待しましたが毎日暑い日が続いて、
夕方になってもなかなか気温が下がりません。まあ、まだ八月だ、夏なんだからしょうがないかな
そのうち涼しくなるでしょう

ところで出張の多い管理人は、出先で社内メールを受け取り電子承認を行う必要があるため
モバイルPCを持ち歩いていましたが、その重さと、1時間しかもたないバッテリーの容量不足が
不便なため、会社の事務方に頼んでこの春に軽くてバッテリー10時間もつiPadに変えてもらいました
不都合はかなり改善されたのですが、逆にモバイル時代には問題のなかったことがあれこれ・・・

まずは会社のイントラに入るのにポケットクラウドを利用して、会社のパソコンを見に
行ってるシステムのため、メールの打ち返しの入力や添付ファイルの閲覧が超重たくて
エクセルやワードのスクロールがままならない。そしてiPadは基本的にパソコンでiTunes
を介して処理ができないと、いろいろ不便なのですが、会社のパソコンでで私的な情報処理を
するのもまずい・・・

そこで、やはり自宅にパソコンを置こうということになり、街の電器屋さんに出かけました
まず、高機能のものは要らないし、デスクトップなら10万以下で買えるだろうと
パソコン売り場に行くと、安いものは5~6万のものがあり、よしよし!そしてさらによく
見ると光◯レッツに入れば5万円バック??つまり、パソコンがタダになるつうこと?

携帯電話と同じで、そのかわり、回線の契約をして2年間は回線料金を払い続ける必要があるけど
パソコンがタダで手に入るならメリットありと購入することにしましたが、久々のパソコン購入で
驚いたことが色々ありましたねえ。まず、ウィンドウズはセブンというレベルにありVistaなんか
骨董品になっていたことや、リカバリーディスクはついてないし、取り扱い説明書もペラペラ・・・
「どういうことだ?」と聞くと店員は「メーカーのコストダウンです」と涼しい顔で言う

「じゃあパソコンをリカバリーするのに困るじゃない?」と聞くと
「お客さんが自分でディスクを5~6枚買って、自分で作るんですよ。時間がかかりますが」
世の中はまさに日進月歩で、しばらく遠ざかっていたものは常識そのものが変化を遂げています
そしてこれも知ってるひとは常識なのでしょうが、この類の商品販売は複数の企業の共同作業で
行われており、店員がどんどんリレーして行きます。ー

どういうことかというと、電器店にパソコンを売る店員しかいないと思ってたのですが、
間違いでした。今回はノートパソコンを買い、回線接続をしましたが、パソコンを売る店員
、電話回線を売る店員、プロバイダを売る店員初期設定やリカバリーディスクの代行を売る店員
という四人の店員が五月雨式に入れ替わり、立ち替わりで結局、4つの買い物をしたというのが
実情でした。それぞれに精通した店員が言葉巧みに説明して、書類をいっぱい書かせて、
ハイ次!ハイ次!とリレーして行くのです

彼らは同じような服を着てるので、一見、同じ会社の社員に見えますが、おそらくそれぞれの
メーカーや企業から派遣された社員であり、一貫した責任を負ってものを売るという古来の商売では
ないのですね。最初はN◯Tの店員に回線を利用するなら、パソコンをタダであげますと説明されるの
だけど、その条件説明は後回しで、プロバイダのオプションをすべてつけた状態でないと
タダパソコは手に入らないという事が、買う気になったあとにわかります。これを先に
言われたら、半分のお客は商談そこで止まるのだそうで、売る側にすればずるいのだけど
かなり重要なことなんですね。

そして、その押し売りオプション15個の全てを支払うと回線使用料のほかに
毎月14,700円かかることがわかります。そして詐欺か?という表情でN◯Tの女性店員を睨みつけると
店員はすかさず、資料を差し出し、声を潜めてチラチラとわざとらしく左右を見て「私が言ったと
言ってはいけませんが、課金が始まるサービス期間中に解約すれば良いのです。ではプロバイダの
y◯hoo担当者に代わります。解約の話は私が言ったと言わないでくださいね」
「ん?・・・」

そして今度は、y◯hooの店員が現れ、ウンザリするような長々とオプションの説明をしたあと
「さて、お客様、どのオプションご希望ですか?」すかさず「どれも要らない!」キッパリ!というと
ちょっとムッとした顔で「バッサリ!ですね・・・では値引き対象の条件オプションの手続きを・・・」
と、先ほどの14,700円の契約書にサインを求めるが、解約の説明はしてくれない。

そして、それが終わると4人目の店員が現れパソコンの設定に関する内容の、くどい、もとい、
丁寧な説明が始まり、松竹梅のコースメニューが出てきて、先ほどのリカバリーディスク作成の
代行でいくら、ウイルス対策ソフトインストールいくらと最大、4万円くらいの
代行費用提示があり、再び、「さて、お客様、どのコースをご希望ですか?」またしてもすかさず
「どれも要らない!」キッパリ!

ということでタダほど高い買い物はなという亡き父の教えに納得した。そして回線担当の女性店員
をもう一度呼んでもらってプロバイダオプションの押し売りを断わり、初期設定の押し売りを
断わったことを告げると彼女は再び、声を潜めて「正解です。さらにプロバイダオプション解約は
タイミングを見計らって一気に、全部やるの望ましいので回線開通後30日待ってください。
そうしないとオプションの時期ズレあるの解約漏れが出て課金され続ける可能性があります
それと、初期設定なんかお金のむだでず。自分でやれるし、時間がかかるだけで簡単なことです。
今のパソコンは余程でないとリカバリーディスクなん実際に使いませんしそんな状態なら
普通は買い替える時期なんですから、お金をかけるのは無駄です」とメモに書いて説明してくれた

最後に彼女に「最初にそれを全部言ってくれればいいのに?」とちょっと皮肉混じりに言うと
彼女はちょっと不服そうな顔で「それは無理です、彼らはそれで商売してるんですから。私は
お客さんに聞かれない限り商売の邪魔をしていけないことになってるし。皆さんがお客さんみたいに
質問されるわけではありません。」何が親切で、何が不親切といえばよいのかよくわかりませんが、
どんな商売にも裏表があるもんなんですねえ!



コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

しあわせに生きるために その2

2012年06月22日 19時11分34秒 | 読書感想文
だいぶ間延びしてしまったけど、前回の続きです。「平常心のレッスン」は、どこまでやれるのか、あるいはどこまで効果があるのかはよく判らないけれど、日常のストレスを溜め込まずに、上手く捌いて、マイナススパイラルに陥らないためには有効な手段ではないかと思います。どういうわけか、怠けているつもりはないのだけど、物事がうまく回っていかない時ってあるんですよね。焦って必死になればなるほど、空まわりする感じで、ゆらゆらと揺れている気持ちをどうすれば、自分ひとりで、うまくコントロールできるものなのか・・・

第1章「なぜ平常心でいられないのか?」

ここの要旨を整理してみると、平常心を保つには「反応しない」「物事に過剰反応しない」もあるが、何か物事が起きたときにそれをすぐに拾いにいかずに、仏道でいうところの「捨」でとりあえず「捨てておく」のだという。そして、その「捨」の対極にあるのが「執着」であり、ひとは自分が執着していることに対してひとから、褒められたり、けなされたりすると、それを「捨てておく」ことが出来ないらしい。

それを裏返すと、自分が執着していないことについては確かに「人の評価」はさほど気にならない。これを仕事の面からみると、一生懸命仕事をして労力を投入すればするほど回りからも認められるようになり「仕事が出来る自分への執着」が生まれることになる。仕事がうまくいってるときには有頂天になったり、傲慢になったり、生意気になったりする。そうやって「仕事が出来る自分」に執着してしまうから、反対にちょっとでもうまく行ってないときの落ち込みはひどくなる。このことを「成功に執着することはある意味で、落ち込むための準備をしているようなもの」という例えで書かれていて、なるほど、そうかもしれない。

また、他人を見ておかしいなあ、と思う気持ちは普通にあることだけれど、一転して、そのような評価が「自分」とうものに向かうときに、平常心は壊滅的に破壊されてしまう。なぜそうなるのか?「自分の・・」という形容詞がついたとたんに平常心はかき乱される(ここが胆なんだろうなあ、たぶん)。だから物事が「自分」により近づいてくると平常心を保つのは難しくなるわけで、自我に関する評価に七転八倒することになるわけだ。

また、平常心の対極にあるのが「プライド」であり、前回の記事にあるとおり、まじめで責任感の強いひとほど、うつ病になりやすいようで、それは「自分はここまで出来るはず」という過剰なプライドのなせる業であり、そのプライドの高さが「現実には出来ない自分」を許してくれないのだという。その結果で、自分の心が自分自身を許してくれず、ヨレヨレになってしまうと書かれていた。

文中ではこのプライドを「慢」とよび、この「慢」の根源的な意味は「比較する」という行為を指す。自我のイメージは何かといえば膨大な「過去の記憶の集積」であり、人は自分を他人とも比較するが、それよりも頻繁に行われるのが今の自分を「過去の自分、過去の記憶」と比較すること。なぜ、それがなされるかというと自分が優れているか、劣っているかに関わらず「そのように感じる自分が確かにここにいる」という自分の存在感を確認したくなるというからで、心は「確かに自分はいる」といことを確認したい衝動を根源的にもっている。これは、その目的のために他人や過去と比べるのだという考えが、西洋的な考えである「アイデンティティ=自己同一性」なのだが、仏道では、それこそが間違いなのだという(アイデンテティを持つことが間違いだなんて・・・)。

過去は過ぎ去ったものでありもはや存在しないという考え方。だからその刹那の一瞬だけが実際に体感できるもので過去は頭の中に刷り込まれた幻なのだという定義なので、そのような過去から積み重なって記憶に刷り込まれてきた感情の持つエネルギーを業(カルマ)と呼ぶ。「自分」なんてものはないんだというような、剥き出しの真理を認めたくないから心にたくさんの刺激をうけて「確かに自分はここに存在すると錯覚するようにプログラムされており、ありもしない「自我=慢」の幻覚を肥大させるべく、強烈な刺激ばかりを求めているのでは平常心などとても覚束ないことになる。自分で作り上げた幻想に振り回されて、一喜一憂し、喜んだり、苦しんでいる状態そのものが「慢」なのである。

前回の「4つのポイント」をもう少しわかり易く書くと

①心のエネルギーは勝手に上がり、下がりすることを認識して受け入れる
ではそのようにして既に出来上がってしまっている「業」からの脱却を目指すのだが、心が揺れ動かないようにするのではなく、心は勝手に揺れ動いてしまうものだと受け入れることで、過去の自分と比較して落ち込んだり、今の自分はすごいと浮かれたりすることを防ぐことが出来ることになる。そして、その受け入れることは「自分自身を愛しなさい」というようなナルシスティックな、自己愛ではなく「心というものは浮き沈みするものなんだと」認識して調子に乗らず、落ち込まず「そういうものだと」受け入れてやらないと、心の居場所がなくなり彷徨ってしまう。

②周りの状況を「いい、悪い」と判断「しない
自分の心の浮き沈みとの受容と同様に大事なことは周りの状況もいちいち、いい、悪いと判断しないこと。会話をしないまでも、見えることや聞こえることなど、常に判断をしていては、心も、腹を立てたり、喜んだりしていては浮き沈みを繰り返してしまうので、平常心とは程遠い状態になってしまう。ではどうすればよいか?というと「そのようである」とだけ状況を判断し、○×をつけない。判断を繰り返すだけで心は疲れてしまうからこの判断を捨ておくことで心はホッとできる

③あるがままの心の状態を受け容れる
もう少し判りやすくいうと、自分の心に対する態度を自分の「こども」と同じように接する。子育てで大事なことは、「在るがままの子供を受容する」そうすることで子供は家庭の中に自分の居場所をみつけてホッとすることが出来る。特に思い通りにいかず、に落ち込み、心が苦しいときこそそのことを思い出して、自分を叱るのではなく、このあるがままの心の状態を受け入れようとする。「いま、うまくいってないんだね」と心でつぶやいて受け入れてみる「いまはそのようである」と

④心をモニタリングする
①~③を前提としたうえで、そうは言いいながらも、どうしても生じてしまう、自分の心の「揺れ動き」を、他人事のようにモニタリングする。「私は上司に褒められると疲れも吹き飛んでやる気まんまんになるんだな」とか「逆にちょっと指摘されるととことん落ち込むんだな」とか、自分から離脱して離れたところから自分を見つめることで、自分の反応パターンを認知してやる。こういうパターンだと自分は落ち込むから、「そんなことでどうするんだ」と叱るのでなく、それもみんなひっくるめて、自分なのだ受け入れてそっとしといてやる。そのうちまた元気になる。モニタリングすることでジタバタすることが少しづつ減っていく。自分の肉体から精神だけが幽体離脱してじっと自分を眺めているようなイメージ?

自分の経験から言えば、自分をモニタリングするということは簡単なようでなかなか難しいが、これは言い換えれば「自分の陥っているモードに気づく」ことが出来るということに繋がるのではないかと思う。これは私が過去に、バイクでとんでもない違反をして2日に及ぶ免停講習を受けてもまださらに30日の免停と、簡易裁判所つきの罰金を科されるという悪さをして・・・捕獲されたときに高い授業料のお陰で開眼でき、今でも実践できていることがある

講習の最終日に受けた「運転適正検査」なるクレペリン検査みたいなやつの判定結果シートがそれぞれに配布されたあと、白衣の美人講師が言った言葉を思い出した「皆さんは、今お返しした適性判定結果におそらく、思い当たるところが在るはずです。そして、もしかしたら、これを機会に治さないといけないと思っているかもしれませんね。でも、はっきり言って、それは治りません(キッパリ!)。治さなくていいんです。それは治そうと努力するのではなくて、自分にはこのような傾向があるんだなあということを認識して、これから運転するときに、自分がそのようなモードになりそうなときに、「あ、いまだな!」気づくことが出来ればよいのです」

まさに「目から鱗」とはこのことだと思った。「そうかあ!気づくことが出来ればいいんだあ」これこそ「平常心の極意」なのではないかと思う。

つづく

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

幸せに生きるために その1

2012年06月08日 17時23分50秒 | 読書感想文
毎週、毎週、バイクで走り回って、子供のように遊び呆けていた去年の夏、
ツーリングの帰りに立ち寄った本屋で、何気に手にした一冊の文庫本に
目がとまった。小池龍之介和尚著の「平常心のレッスン」がそれ。そのときは、
こんなことをわざわざレッスンしないと出来ないもんかいな?とは思ったが、
現実には、平常心を維持し続けるというのはそう簡単なことではない

プライベートにおいては、家族もみんな元気だし、家庭内の悩みもなく、
余暇は自分の好きなことが出来て、良い仲間がいてくださり、かなり高い
満足度で幸せに生きていると思っているが、仕事については、日々、一喜一憂
して喜怒哀楽を繰り返し、瑣末なことに囚われて忙しい日々を送っている。

「忙」という字は心を亡くすと書くとおり、ウィークディは出張疲れや、
なんだかんだで、帰って寝るだけの毎日を繰り返しているが、若いころと
違ってこの年齢になってくると、そんなことに残り少ない貴重な時間を
費やしているのって、なんだかもったないない気もするが、まだのんびり
余生を過ごすという時期ではないのだから、当分は会社人間でがんばる
しかないんだろうなあと思っている。

その本には「ちいさなプライドを捨てて喜怒哀楽の揺れに振り回されず平常心で
いると楽になれる」とあった。逆境に立たされてもイライラしたり、凹んだり
しないこと。あるいは何かを成し遂げたり、手に入れたりしても過剰に喜んだり、
興奮したりしないこと。心の振れ幅はあるにしても怒っても、喜んでも再び
ニュートラルで凪いだ心へと戻れる心の柔軟性が大切で、平常心がすこしづつでも、
身についてくるなら苦しみは減り、穏やかで幸せな淡々とした日々が自然に
訪れるのだとある。

最初はペラペラめくって要旨だけ斜め読みで立ち読みしようと思ったが、
目次のあちこち気になるフレーズが目にとまり、店先で読み入ってしまった。
日常の苦しみを減らして幸せに生きるために、もっとも大事なものが平常心
であり、そのためには、プライドや、支配欲、快楽への欲求など心を苦しめる
ものの正体を知って、自分のあるがままの心を受け入れていけばよいという
ようなことが書かれていた。苦しめるものの正体を知るって・・・?自分を
苦しめているように見えるものは仮の姿なんだろうか?何が自分を苦しめて
いるのか判っているつもりで、実はよく判っていないってことか?

その苦しみの正体を知ることで、「どんなときでも平常心でいられたら、
生きるのが楽になるのだ」というお坊さんの考えに辿りつけそうな気もして
700円の文庫本を購入し、レッスンなるものを開始してみた。
その結果は?といえば、残念ながら半年が経った現在においても、ほとんど
身についていない。だから、理屈がわかっても簡単にできることでは
ないんだろうなと思う。この手の仏道に関する本はいくつも読んでいるので、
途中からフレームや落とし処が同じだなあと思うのだが、理解できたような
気になっても、いつものことだが実際にはなかなか身についていない。
しばらくはその気になってトレーニングに励むのだが、すぐに忘れてしまい、
いつもの自分に戻ってしまうけど、最近「あ・・今かな?」と気づくように
はなってきたかもしれない

この本を読み終えた直後に、これはまったくの偶然なのだが、定期健康診断の
再検査を知らせる召集令状が届いた。3日間検査入院の結果、ドクターからは
「今すぐにどうにかなるということはありません。でも、このまま治療せずに放置
すると「死」に至る可能性があります。手術が必要です」という宣告を受け
「え゛・・・」一瞬、言葉が出なかった。(これは既に入院手術で治癒済みなのだが)
頭の中が真っ白になって悪い夢を見ている気分だった。

しかし、まるで、神様がそんな事を受け入れるために、心の準備として
学習すべく渡された1冊の本だったような・・・他人事のように(他人事なのだが)
話すドクターの前で「あるがままを受け入れる」という言葉が頭をよぎった。
でも、そんなことは修行を積んだお坊さんだから出来ることで、我々凡人には
難しいことかもしれない

それにしてもこのお坊さん、34歳と若い年齢で、よくもここまで達観できる
ものだと、プロフィールをチェックしてみたら、『考えない練習』などが
ベストセラーになっていて、浄土真宗のお寺に生まれながらも、宗派仏教に
疑問をいだいてインディペンデントで座禅を教えたり執筆活動しているようだ

仏道の専門家からすれば小池言説に異論はあるのかどうか知らないけれど、
著書の中には興味深いものがいくつもある。大阪府の中学校教諭の家に生まれた
小池和尚は、11歳のときに父が寺の住職として働くことになった山口県山口市に
転居。東大の教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科を卒業し、
卒業後は寺院に勤務。東大時代、学生結婚をしていたが離婚。著書『坊主失格』
においては、自らの奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、
恋人の自殺未遂を告白している。この本は、自分がいかに酷いヤツだったか
という半生をカミングアウトして振り返りつつも、仏道で「変われた」という
自らの体験を書いたものだ。

書によれば「平常心」の対極に在るものといえば、それは「執着」であり
「執着」とは、特定の反応様式へと「心がパターン化」することでもあるのだという。
例えば、「仕事ができる自分」への執着があるとすれば、自分のイメージ以下の
仕事パフォーマンスしかできなかったとき、自己否定に陥り…。
繰り返すうちにどんどん、執着しているはずの「仕事のできる自分」から
遠ざかってしまう。あるいは「やせて美しい自分」に執着している人は、
進まないダイエットから自己否定、ストレス、過食、太ってしまう自分、
さらなる自己否定と、悪循環へと陥っていく。そして「平常心」の一番の
敵は慢心するの「慢」(プライド)と説く

「慢」には根源的には「比較する」という意味があって、真面目で責任感が
強い人ほどうつ状態に陥りやすいといわれる。「自分はここまでできるはずだ」
という過剰なプライドのなせる業と捉えることもできるのだ。仏道の立場に立てば、
過去は過ぎ去って、もはや存在しないもの。その過去は頭のなかに刷り込まれた
幻に過ぎないのだが、過去から積み重なってきて記憶に刷り込まれた感情の持つ
エネルギー「業=カルマ」により、今、この瞬間を味わうことを、妨げられて
しまうのだ。

また、「自分を無条件で愛して欲しい」という「慢」は絶望的に実現が
不可能なもので、その実現不可能なものを望み、当然手に入れられないから、
人間関係で疲れるはめになる。こんなふうに考えると、多くのことに合点がいく。
金メダリストなど頂点を極めた人が、そののち多く苦しんだり、会社のトップが、
とげとげしく、攻撃的になるのも、家に帰ると家族に対してつい腹を立てて
しまうのも、みんな、傷ついた「慢」のせいなのだということ 

次回は、本に書かれた内容を引用して、もう少し深堀りしてみようと思う
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加