風まかせ放浪記

バイクといろいろ日記帳

断崖絶壁の町 ロンダ

2006年07月30日 10時31分43秒 | 旅の思い出
スペインの旅はコルドバ・セビリアをさらに南下してロンダへ到着
ここは人口3万人の小さな町でタホ谷によって旧市街と新市街が分かれている

谷はものすごく深い断崖絶壁で、深いところでは300mにも達するという
二つの街を繋ぐのが、ヌエボ橋(新橋)、ローマ橋とアラブ橋の三つの橋で
ヌエボ橋は高さが100mもあって渓谷を見下ろす景色はまさに壮観であった

ヌエボ橋から見ると、この写真のようにタホ谷両岸の断崖絶壁の 上には
白い家(カーサ・ブランカ)がびっしり建ち並んでおり、その中の一軒の住宅を
見せてもらった。建て込んだ住宅の内には、パティオ(中庭)があり
この空間構成の日本のホテルなどにも取り入れられていてパティオという
空間表現は日本の建築設計用語としては比較的馴染んでいる

このちいさな中庭のお蔭で南スペインの明るい陽がさし込み
明るくて、家族全員の憩いの場となるのだろう
タホ谷の方にはバルコニーを張り出して庭園にしており、
そこからの眺めはすばらしく、世界有数の別荘という感じであった
景観としては美しいけれども何も好き好んでこんな絶壁の縁に作らなくても・・・

驚きだったのはヌエボ橋から谷を見下ろすと、断崖絶壁の谷の途中に
テラス状になっている狭い場所にも、家が建っているのだ
その下にも絶壁は続き、谷の一番奥底が見えないほどの深い谷
しかし、谷の途中の家に住んでいる人の生活のための上り下りはいったい
どうやって暮らしているのだろうと思うほど現実離れした生活空間に
驚きながら、その景観の美しさに目を奪われてしまった


ふたたびイタリア

2006年07月28日 23時50分46秒 | 旅の思い出
イタリアは水の都ヴェネツィアは無数の島々で構成される
ラグーンの中の都市。無数のカナル(運河)が通じ、現在のように
橋が架けられるまでは、交通の手段はゴンドラや水上バスのみであったらしい

大運河カナル・グランデは全長が3キロメートルを越えるにもかかわらず
今日でも3つの橋しか架けられていない。その3つの橋のうち
真中の橋がこのリアルト橋。この橋は現在でも歩行者のためだけの
橋でありながら、モニュメンタルな橋として知られている

それまで運河に架かる橋はそのほとんどが、橋の下を船が航行できるように
するために木製の跳ね橋が架けられていたらしいが、耐久性の面から
石橋にすることが様々に提言されてはいたものの、それらの計画案も
実施されるに至らなかったらしい。

一般公募により選ばれた橋の設計案は橋下を多くの船が通ることを考えて
単一アーチでそりの大きい太鼓橋であったという
橋上にはアーケードが作られ商店が並んでいるが、これも架橋当初から
構築されていたので、乱雑にならず整然としている

さらにヨーロッパの橋には珍しく運河を見晴らす欄干と花瓶型の
手摺が付いて、橋の中央部は前後を開放した憩いの場となっていた

暑い・・

アルハンブラの思い出

2006年07月26日 23時14分41秒 | 旅の思い出
休暇をとって一月くらいもう一度行きたいと思ってる海外旅行だが
現実はそれどころではない。まあ、当分は金があっても
時間を作ることは無理かもしれない

そう思うとあちこちで写真を見たりテレビの特集をみたりすると
懐かしい旅の思い出にしばし浸ってしまう。なかでも
6年前の冬に行ったスペインは印象的であった

7世紀にイベリア半島に進出したイスラム勢力は瞬く間に
半島を制圧し、コルドバなどの都市では西ヨーロッパより遙かに
高いレベルのイスラム文化が花開いた

しかしキリスト教勢力がこれを徐々に押し戻し、14世紀にはついに
イスラム最後の砦であるグラナダが陥落し、イベリア半島は
再びキリスト教勢力のものとなる

アルハンブラ宮殿はそのグラナダを見下ろす丘の上に築かれた
城塞・宮殿・離宮から成り、アルハンブラとは「赤い城」という意味で
ナスル朝ララマール王が宮殿の建設に着手し、以後21人の王達の手に
よって増改築が重ねられていった

王達はアルハンブラ宮殿の造営を通して、ただひたすらにイスラムの美を
追求し続けたという。その姿はまるでレコンキスタ(イスラムに対する
キリスト教勢力の大攻勢)という現実から逃れようとしているかのよう

グラナダ陥落後、街のモスクは破壊されカテドラル(大聖堂)が
建設された。しかし、このアルハンブラ宮殿が完全に
破壊されることはなかったことから実に優美で美しい姿を見せていた


浪花のグルメ散歩 「イカ焼き」

2006年07月23日 20時51分38秒 | Weblog
昨夜のテレビのニュースで鹿児島が大雨洪水だという
かおちゃんの大学がある鹿児島の川内川が増水して
キャンパスへ避難騒ぎだという連絡にびっくりしてメールを
送ったが元気な返信でホッとした。なんでもなくて良かった!良かった!

今日は午後から裾野の姉さまに教わった大阪名物の「いか焼き」
なるものを食してみたいと調べてみたら阪神デパチカが有名なのだという

東京でいか焼きといえば「イカの姿焼き」だが、大阪の「いか焼き」
というのは小麦粉の生地と調味料少々、いかを混ぜて、
特製の鉄板でできた圧縮機・プレスマシンみたいなもので
で薄く焼き上げ、圧縮焼きをするというシンプルなお好み焼きみたいなもの

昭和30年代から阪神百貨店地1階のスナッックパーク内にある
大阪名物「いか焼き」の店は、いつも長い行列ができるほどの
人気なのだ。確かに今日もすごい行列であった

美味しいのにとっても安くて一枚が170円前後のリーズナブル価格
カウンター越しに、つくり方を観察してみると
高温・高圧でプレスしながらジューっという音とともに
次から次へと焼き上がる。この焼きたてに、ソースをささっ!
と塗ってできあがる。いかの香ばしさとソースの香りが
鼻孔をくすぐり食欲をそそる

口に入れると、いかのコリコリ感と小麦のフワッとした感じ
が絶妙。この焼き加減、食感と味は、お好み焼きやタコ焼きなどと違い
家庭では絶対に出せない独特のものらしい
なんでも安いうえにおいしい大阪が気に入ってきたぞ(^^)


ポン・テ・ベッキオ

2006年07月22日 22時07分09秒 | 旅の思い出
もう10年くらい前になるが家族と行ったイタリアで
とりわけ美しく印象的だったのはフィレンツェの街並みである

ウフィッツィ美術館経由で市街を歩き回って到着した
ベッキオ橋の眺めはは本当に美しいと思った
この橋は富豪メディチ家の人たちが、雨の日でも傘をささずに
対岸の教会まで行けるように架けたという贅沢な橋なのだという

橋は2層になっていて、上の階は両岸をつなぐ回廊と
下の階は、橋の建設費や維持管理費を負担した
宝石商たちが軒を並べたのだ。つまり、最初から
店舗と住宅がある橋として計画されたという

3つのアーチが美しいこのベッキオ橋は、14世紀中ごろ
アルノ川に架けられた。昔は肉屋などが並んでいたらしいが
臭いを嫌がったフェルナンデス1世が店を撤去してしまい
代わりに宮殿の周辺としてふさわしく、宝石店を並べるようにしたという

そういえば、その名残が残っていて、橋には宝石店や
金銀細工の店が軒を連ねていた。階上はウッフィツイ宮と
ピッテイ宮殿をつなぐ通路となっているのだ

戦時中、唯一この橋が破壊を免れ、フィレンツェの街の歴史を
現在に伝えているという。橋の中央から見る夕暮れ時の
アルノ川の景色は美しく、旅情をかき立てられる

写真はまたしても通勤途中の梅田の地下街にあるバックライト式の壁面写真である


ビリケンさん

2006年07月17日 22時06分40秒 | Weblog
堺筋線の恵比須駅を降り、地上に上がるといきなり見える
通天閣の塔の側面に付いている日立の看板はなにか
懐かしい気がしていろいろ思い出してみた

定かではないが家にテレビのないころ近所に
見に行った白黒テレビ時代のプロレスのコマーシャルで
あたのではないかと思う

その通天閣に登ってみると大阪の街が一望できた
展望台を回ってるうちにお目当てのビリケン(Billiken)さんに
逢えた。この像は幸運の神の像だという
日本では大阪の二代目通天閣にあるものが有名で

尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている
元々は、1908年にアメリカの芸術家フローレンス・プリッツ
が制作した像で、彼女が夢の中で見た神がモデルになっているという
これをモデルにした像が、「幸福の神様」として世界中に流行したらしい

日本においては、特に足を掻いてあげるとご利益があると
されている。お賽銭を上げて足を掻いてあげたら
ビリケンさんはなんだか嬉しそうに笑ってるように見えた

大阪の新世界に遊園地ルナパークがオープンする際、当時流行していた
ビリケン像が置かれ、新世界の名物となったが、ルナパークの閉鎖とともに
ビリケン像は行方不明となったという

そして通天閣に「通天閣ふれあい広場」を作る際
かつて新世界の名物であったビリケン像を復活させることになり
伊丹市在住の安藤新平氏の彫刻により、戦前のビリケン像が木彫で
復元され、以来通天閣の名物となっているらしい

足の裏を掻いてあげたらビリケンさんが愛嬌のあるお顔で
「慣れん土地で苦労してはりますやろがまあ頑張んなはれ」と
優しいお声が聞こえた様な気がした(^^)



梅田の地下街

2006年07月15日 23時41分35秒 | Weblog
地理にうといせいもあるだろうが
網の目のように繋がっている
大阪梅田の地下街はまるで迷路だ(><)

案内標示があるのにもう何度も迷子になってしまった
そのたびに地上に上がってランドマークのビルや施設の
方位で確認したほうが間違いがない

地下通路の方向標示は連続性がなくなんともわかりづらいのだ
もう少し要所に現在地を示す地図を掲示して
細やかに案内標示を出してくれるといいのにな・・・

でも、その地下街で阪神からJRに向かう地下通路の壁には
リアルで楽しい外国の街並みの風景描写が描かれていて楽しい

写真はクローズしたお店のドアを開けて
中の様子をうかがうご婦人だが、これも壁画だ
リアルに描かれていて一瞬、絵とは思えないような
生き生きとしたタッチに驚かされる

西成区や尼崎あたりの猥雑な街並みがあるかと思うと
地下道にこんな楽しい壁画が描かれていたりして
大阪人の感性は多種多様なのだろうか

遊びで来るのなら・・・・おいしくて、面白い街だそれはいいけど
この暑さはもう・・・東京のほうがまだ凌ぎやすいと思う

通勤は(^^)

2006年07月14日 00時20分07秒 | Weblog
阪神電鉄の通勤では年配ご夫婦が黄色と黒のおそろいで
こんな光景が普通に見られる
東京では西武線通勤でライオンズファンの
こんな光景を見たことはなかったけど

ここは熱烈なタイガースファンが楽しそうだ
にわか阪神ファン?(^^)それにしても藤川はすごい

彼のストレートはわかっていても打てないという。
99年にドラフト1位で入団したあとは
さほど振るわなかったようだが、彼を進化させたのは
清原との対戦だ。昨日のワイルドピッチで無失点記録が
消えたがあの自信に満ちたひたむきなピッチングに
全力投球のすごさを感じて頑張らねばと元気付けられる

「球児」という名前がまたいいな

日曜日は

2006年07月12日 01時35分08秒 | Weblog
先週末の土曜の夜東京に帰ろうと思ったけれど
毎日、々、歓迎会に明け暮れて(^^)ず~っと
誘そぉわれてぇ♪誘われてぇ♪ふ~らふぅら~!

調子に乗って呑んだくれててるうちに
おじさんはとても疲れてしまい
土曜の夜就寝して15時間ほど目覚めませんでしたぁ!

で、日曜の午後に目覚めて大阪探訪の旅に・・・
まずは道頓堀で有名な「大たこ」でたこ焼きを食べたけど
なんか物足りなくて再び明石焼きの「くくる」を訪れて
タレで食べたたこ焼きの旨かったのなんのって(^^)

姉さまのたこ焼きはまだ頂いておりませぬが明石焼きですよね
タレに鰹節とミツバをまぶしてたこ焼きをつけて頂き
その後もタレを残すのがもったいなくて一滴残らず綺麗に食いつくし
お店のおにいいちゃんに喜んでいただきましたあ(^^)

その帰りに見つけた「重はり」のすき焼きも、カレーも
カツサンドも美味しそうだったなあ~~~~(^^)
大阪はおいしいずぉ~!

(写真は道頓堀の名物たこ焼きの「大たこ」こんなに並んでる
のにな隣の店はだ~れもおれへんのですよ!)

ネット復活

2006年07月08日 23時59分45秒 | Weblog
本日めでたくPCネットが復活致しました

さてさて大阪暮らしもはや1週間が経過

良かったことその1
阪神電鉄で通う単身赴任寮のある西淀区から
梅田までの所要時間はドアツードアで40分
東京では約1時間30分かかっていただけに
朝の1時間の余裕は有難い
寮から駅も近いし梅田から会社のある堂島まで
地下街が続いていて雨の日も傘の心配はない

良かったことその2
たこ焼き・お好み焼き美味しいものがいっぱい(^^)
T和尚が教えてくれた串揚げの店もgoo!

よくなかったことその1
もう平気になったけれど、旅行に行くときと同じで
寝床が変わると寝付かれずに、3日目までは、夜中に何度も
目が覚める状態が続き慣れない昼間の緊張感で疲れているはずなのに
何度も目が覚めては、そのたびに「あ、ここは大阪なんだ・・」

よくなかったことその2
東京の解りやすくセンスある案内表示に比較して
迷路のような梅田の地下街は超複雑でおまけに案内サインは
平気で途中で途切れてしまい非常にわかりずらい

よくなかったことその3
単身寮の駐車場がスカスカと通りに面しており
過去にバイクが持っていかれたらしい
う~ん東京から持って来ようと思ったのに・・・

まあ、初めての大阪ではありますが
なんとかそれなりに慣れてきましたよ
しかし・・・この暑さは・・・
8月になったらいったいどうなるんだろう・・・

(写真は南港にそびえるWTCから見下ろすべイエリアの夜景)