風まかせ放浪記

バイクといろいろ日記帳

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真夏のオアシス

2012年07月26日 22時25分41秒 | 美術館
広島は朝からせみちゃんがシャカシャカ!ミンミン!ワンワン!にぎやかです
仕事の途中で、ちょこっとサボってひろしま美術館であーとしてきました
出展は、20世紀初頭に活躍したフランスの画家アンリ・ル・シダネルの、
日本初の本格的な個展です

ル・シダネルは、「薔薇の花、庭、木漏れ日、ガーデンテーブル、ベンチ、
夜の森、夕暮れの家々の窓から漏れる光」など、身近な題材を描き続けた画家で
その画風は、淡い色調を用い、どこか内省的でありながら穏やかな空気感を
漂わせる情緒的なものです

また、印象主義を目の当たりにした最後の世代にあたり、モネなどの印象派と同じく
光を描いた画家としても知られていて、水面に映る景色や印影などはため息が
でそうなくらいステキな絵ばかりです

また、月明かりや黄昏時の微妙な光も絶妙なタッチで描いています。なんでも存命中は
人気を博し、フランス国内はもちろん、ヨーロッパの近隣諸国、アメリカ、あるいは日本の
重要な美術館にその作品が所蔵されているそうで、各国に熱心な愛好者がいるとありました

ところが、その穏やかな画風がわざわいして、モダニズムの流れのなかで、忘れられて
いたようです。今回の個展は、代表作を含む約70点あまりの作品展は真夏のオアシスでした
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オルセーの思ひで

2010年06月04日 22時11分06秒 | 美術館
乃木坂にある新国立美術館で開催中のオルセー美術館展に行ってきました
「ポスト印象派」というくくりが、よくわからなかったけど
解説を読むと、「後期印象派」のことらしい

画家によって画風が大きく異なることから分かるように
何らかのグループでもなく、特定の手法や理論を掲げた運動でもない
ここに含まれる画家たちは、印象派への対抗という一面的な理解では
捉えきれない、多様な個性を備えているのだとあった

記憶が定かでないが、15年くらい前に訪れたパリでバトームーシュ
が行き交うセーヌの対岸からみたオルセー美術館は
確かルーブル美術館の反対側にあったと思う

建物自体はパリ万国博覧会のときに建てられた、旧国鉄オルセー駅の
駅舎を改造したもので、時期的には、19世紀前半までのコレクションを
誇るルーブル美術館と20世紀の現代美術を対象とするポンピドー・センター
との中間の時期の絵画・彫刻・写真などの芸術作品が収集展示されていた

元の駅舎の構造や装飾を生かす方針で作られているのがわかるのは
館内の大時計などが「ああ、この建物は駅舎だったんだな」とわかる
当時のおもかげが内外装に残されていた


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六本木へ

2010年04月21日 23時51分20秒 | 美術館
六本木ヒルズにいる得意先を訪ねるついでに、地下鉄のポスターでが
気になっていた「ボストン美術館展」行ってきました
いや、美術館に行くついでに得意先を訪ねたといったほうが正しいかな(^^)

先週の土曜日からの開催だったので、週末の混雑を避けたつもりが、
平日だというのに、53階の美術館に上がるエレベーターは長蛇の列・・・
会場も人が多くて、ゆっくりとは見れなかったけれど
お目当ての作品はじっくりと観賞させていただきました

「多彩なる肖像画」ゾーンは、興味ないのですーっと通り過ぎて
「宗教画の運命」ゾーンではちょっと色っぽい「改悛のマグダラのマリア」を
ちらっとみながら、同じくすーっと通り過ぎる

「描かれた日常」ゾーンあたりから、あちこち立ち止まる時間が長くなり
コローの「鎌を持つ草刈り人」、ルノワールの「ガーンジー島の海岸の子どもたち」
あたりはよかった

「風景画の系譜」ゾーンではライスダールの「森林の眺め」
そして、そして「モネの冒険」ゾーンではお目当ての
「ルーアン大聖堂の正面とアルバーヌ塔」にはたっぷりと時間を
かけて堪能させていただきました
光の魔術師「モネ」の薄いぼんやりとした色調にしばし心和む
http://www.asahi.com/boston/intro/
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渦潮の鳴門へ

2009年07月11日 22時34分03秒 | 美術館
先週末ETC千円割引を利用して、前から一度行こうと思いながら
四国出張のたびに仕事が詰まってしまい、結局、立ち寄ることのできなかった
鳴門にある大塚国際美術館に行ってきました。入館料金は「え”っ!」と
息を呑むほどのお値段で3150円・・・でも、まあそれなりに元は取れたと思います

展示されている作品の多くは、あのボンカレーで有名な大塚グループの
陶板メーカーの大塚オーミ陶業が開発した特殊技術によって、世界中の
名画を陶器の板に原寸で焼き付けたものがなんと1000点以上も展示されていました

実物を見るまでは、所詮はイミテーションなのだからあまり期待しても
しょうがないなだろうなと思っていたのですが・・・ところがどっこい!
これは、想像を絶する迫力でした。確かにオリジナルを収集しようと
すれば限られた展示になってしまいますが、自社技術を用いてふんだんに
作品を複製、展示するという構想は見事な出来栄えでした

パンフレットには、美術教育に資するべく、作品は古代から現代に至るまで
極めて著名、重要なものばかりを展示してあり、かつ、これらを原寸で
鑑賞することでその色とスケール感を理解し、将来実物を現地で鑑賞して
欲しい、との願いが込められているとありました

陶板複製画は風水害や火災などの災害や光による色彩の退行に非常に強い
そうで、展示室の中には写真撮影を禁じていない所とか、屋外にも
作品が展示されていました。屋外の庭園に展示されたモネの『睡蓮』などは
池に睡蓮を浮かべ、まるであのジベルニーの庭園そのもの・・・そして壁画は
パリのオランジェリー美術館で見た感動を呼び起こすには十分でした

幅60センチの陶板を組み合わせることで大型化にも対応できて
原寸大のナポレオンの「ジョセフィーヌの載冠」や「最後の晩餐」もすごかったし
中でも展示環境全体を再現したシスティーナ・ホール(タイトル画像は内観です)は圧巻でした

イタリアを訪れたときに見た、システィーナ礼拝堂はサン・ピエトロ大聖堂に
隣接して、バチカン宮殿内に建てられた礼拝堂で、ミケランジェロが
描いた創世記などの大天井フレスコ画に感動したものですが、ほぼ同じ
大きさのホールのダイナミックで緻密な再現には圧倒されてしまいました
レストランも併設だし、次回は丸一日かけて観てみようかな
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ロートレック展

2007年09月17日 19時27分40秒 | 美術館
3連休の初日と2日目はツーリングに、そして3日目はお天気が良くても
バイクはお休みして、サントリーミュージアムの「ロートレック展」に
行こうと決めていた。先月の暑いお盆明けに駅のチケットコーナーで
ちょっとだけ割引の前売りを購入しといたのでスムースで良かった

パリの美術館から集めたものと聞いていたので、もしかしたら、
10年以上も前にパリのオルセー美術館で絵の前で釘付けになって
しまった、あの「踊るジャンヌ・アヴリル」が見れるのではないかと
密かに期待していったのだが残念ながら今回は出展されていなかった

でも好きな印象派の絵画はどの画家の絵を何度見ても飽きないから不思議だ
南仏アルビ生まれでその生家は由緒正しい伯爵家に生まれながら
モンマルトルの娼婦や酒場に生きる人々を描いたロートレックは
最初期のグラフィック・アーティストといえる。

パリに出て、当初はレオン・ボナの画塾で学んだが、まもなくして
画塾が閉鎖されたため、モンマルトルにあったフェルナン・コルモンの
画塾に移り、以後は晩年まで同地で活動するようになり、コルモンの
画塾ではファン・ゴッホ、エミール・ベルナールらと出会っている。

彼には生涯二つの大きなコンプレックスが彼自身を占めており
一つは、幼年期の二度の骨折によって上半身は成長するが、下半身は
発育不良のままという異常な容姿であったこと。もうひとつは変わり者の
父親の存在であったという。

その影響もあってか身障害者として差別を受けていたこともあって、
娼婦、踊り子のような夜の世界の女たちに共感したのだろうか
パリの「ムーラン・ルージュ」をはじめとした劇場、娼館、
酒場など19世紀末パリの歓楽の世界に入り浸って、そこに暮らす
人々の姿を卓越したデッサン力で彼女らを描き出している

大胆で斬新な画面構成を特徴とする彼の作品世界は、描かれた対象への
愛情と、鋭く社会を観察する辛辣な視線によって支えられているのかも
しれない。その主要な仕事は、37年に満たない短い生涯の、早すぎた
晩年の10数年間に集中している

このあたりの自分の好きな画風としてモーリス・ユトリロがあがるのだが
ロートレックのひところの愛人は、そのユトリロの母親で後に画家に
なるシュザンヌ・ヴァラドンだった。当時絵画モデルであった。シュザンヌ・
ヴァラドンのデッサンの才能を高く評価して、彼女が画家となるきっかけを
ロートレックが作ったのだという。彼女をシュザンヌと呼び始めたのも
ロートレックだったらしい。以前にこのブログでユトリロの異常な性格に
ついて記した記憶があるが、まさに素晴らしい芸術と狂気は紙一重なのだろう

同じ時期にセザンヌやルノアールらの「印象派」の人々や、一匹狼の
ドガのような画家がいたが、彼らに共通していることは、貧乏であると
いうことで、生活費を稼ぐ必要があり、ルノアールは、そのために毎日
小さな油絵を1枚仕上げていたが、裕福なロートレックは全く違ったのだが
満たされない、精神的な飢餓感は同じだったのかもしれない

ロートレックの日本通は有名で広重の浮世絵などに傾倒していたようだ
驚いたのは美術館でも比較したものがあったが浮世絵の表現や対象が
遊郭であったり、その描写や陰影の表現など驚くほど同じ感覚で
描かれていた。次回は夏に麻衣ちゃんと見逃してしまい、その後京都に
用事があって行く度に休館日の月曜を繰り返している京都市立美術館へ
フィラデルフィア美術館展が閉展になる前に是非とも足を運ばねば






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カフェにて

2006年04月21日 18時58分15秒 | 美術館
いま東京国立近代美術館で藤田嗣治展が開催されている。「私の体は日本で成長し、私の絵はフランスで成長した」そういう言い方をした嗣治の心の底には「私の絵は」というより「私の心」はという気持ちがあったのではないかとと思った

フランスへと渡ったころ、モディリアニやスーチンなど、多くの異邦人の芸術家たちがパリに集まっていて、彼らは「エコール・ド・パリ」と呼ばれるようになり、嗣治はこの画家たちと交流しながら、独自の画風を作り上げていった

とりわけ嗣治のトレードマークともなった、細く優美な線とやわらかな「乳白色の肌」を持つ裸婦像は高く評価されたが大戦中、日本ではは戦争画も描いていたというのに驚いた

巨大な戦闘描写の壁面画に制作期間を記入するなど当時は求められるものと自分がやりたいこととのギャップに悩まされていたのでないかと思う。ちょっと今の自分の仕事がダブったりして

まあ、「カフェにて」の画風から推察しても国内で描いた、いや、描かされていた戦争画というジャンルは本意ではなかったのだろうと思う。大戦が終わるとフランスに戻り、やがて帰化して、再び日本の土を踏むことはなかったというから「故郷は帰るところにあるまじや」的心境だったのかもしれない

そのうえ驚いたのは、嗣治が撮ったという映画まであったとは知らなかったが「風俗日本 子供篇」という映画を撮っている。当時の外務省が日本の文化を海外に紹介しようと企画したシリーズのうちの一本として制作されたらしいが、チャンバラごっこや切腹のまねをして遊ぶ子どもたちの姿が日本文化に対する誤解を招きかねない、と議論を呼び、結局公開されなかったというからこれまた不本意だったのだろう

実際の画面を見たがその描写に嗣治のらしさというか、感性は感じられなかった。
嗣治はその生涯を通じて、日常生活の小物や器や、衣類に至るまでを自分でこまめに手作りしていたという。ダヴィンチの画家としての才能を見ても驚きだし、多才なひとはなんでも器用にこなすものなのだろう


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放浪記

2006年02月04日 22時03分00秒 | 美術館
今日はK1200S乗りとcoppa乗りの3人で伊豆の温泉ツーに
行く予定だったのだが朝のネットチェックの結果、熱海市は
昨夜は雪が降り朝の気温は零度・・・日中も5度以下だという。
お二人の了解を頂き中止とさせてもらった

その寒さのお蔭で再び熟睡したあと午後から久々の現地調査に出かけた
現地調査とは建築工事の見積りにあたって周辺の状況調査を
行うものであり、敷地周辺の環境や道路の状況、隣接する家屋やインフラ
など設計図には表れない状況を目で見て確認するものだ

いつもは報告を聞くだけなのだが、この中井4の坂にある案件は
10年ほど以前にお世話になった設計事務所の先生から連絡があり
一緒に取り組んでくれないかという物件なのである

この手の案件は一般案件とは思い入れが違ってしまう
会社としての繋がりではなく自分の人の繋がりで、かつ
ご指名として進んでいく仕事というものは嬉しいし
労をもいとわないものなのだ

敷地周辺を歩いているうちに「林芙美子記念館」という案内を発見
『放浪記』や『浮雲』などの代表作で知られる作家林芙美子が
47歳の生涯を閉じるまで住んでいた家らしく新宿区生涯学習財団が
管理する施設である。150円の入場料を払って入ってみた

下関から上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、
新居建設当時、建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と
画家であった夫・緑敏名義のアトリエ棟をそれぞれ建て
その後すぐにつなぎ合わせるという手法で建てたという
今で言う建築基準法の抜け道を知っていたのだろうか

彼女は新居の建設のために、建築について200冊くらいの参考書を
勉強をし設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり
材木を見に行くなどその思い入れは格別であったらしい

そのため、当時の著名な建築家である山口文象設計によるこの家は
数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と
彼女の意向を汲んだらしく民家風のおおらかさをあわせもつ
落ち着きのある住まいになっていた

芙美子は客間よりも茶の間や風呂や厠や台所に十二分に金をかけるように
考え、そのこだわりはこの家のあちらこちらに見ることができた
見学者が少なかったせいか区のボランティアの女性が林芙美子の
パリの生活や、記念館にまつわる話など丁寧に教えてくださった
「庭園に春の花が咲くころにまた訪れてください。土日は林芙美子の
文学にも詳しいのボランティアの話も聞けると思います」
とのお勧めであった

ボランティアの彼女は林芙美子が1年ほど生活したときの経験で書いた
日記を読んで他の林芙美子の作品を読みたくなったのだという。
「林芙美子 巴里の恋―巴里の小遣ひ帳、
一九三二年の日記、夫への手紙 中公文庫」

記念館というより生活臭のある美術館のような満足感があった
<写真は林芙美子一家が団欒した居間>
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プーシキン美術館展

2005年11月23日 20時11分22秒 | 美術館
モスクワのプーシキン美術館の印象派を中心とする名画の数々が
ついに日本にやってきた。短期間に、2人のロシア人実業家がパリで精力的に
フランス近代絵画を集めたもので、マティスやピカソなど当時はまだ評価の
浅い芸術家たちの作品も購入するなど、優れた審美眼により質の高いコレクション
を成したという。

今回はセザンヌの「池にかかる橋」やマティスの「金魚」などが人目を
引くなかで、今回「セーブル橋とクラマールの丘、サン=クルーとベルヴュの
眺め」が出展されているアンリルソーの作品もいいと思う。

貼り付けた画像は今回出展されている作品ではなく私の個人的な好みの
「眠れるジプシー女」だ。幻想的でとてもいいと思う。
彼は印象派時代に活躍した素朴派を代表する画家でその作風は西欧の
伝統的な美術知識の乏しさゆえの素朴な作風を意味しているという。

見るものに訴えかけてくる良さというものは、技術などよく解ってないほうが
かえっていいのだろう。彼は人柄も素朴で、純真、無邪気であったらしい。
だから、描く絵も無邪気なファンタジーに満ちている。
注目を集めるルソーの絵に登場する人物は大概、真正面向きか真横向きで
目鼻立ちは類型化しているのが特徴だ。また、風景には遠近感がほとんど
ないのも技巧を労さず、思うが侭に描かれているのがいい。

樹木や草花は葉の1枚1枚が几帳面に描かれている。このような一見稚拙に
見える技法を用いながらも、彼の作品は完成度と芸術性の高いもので、
キュビスムやシュルレアリスムを先取りしたとも言える独創的な絵画世界を
創造したというのだからすごいと思う。

彼の作品には熱帯のジャングルを舞台にしたものが多く、こうした
南国風景を、ナポレオン3世とともにメキシコ従軍した時の思い出を
もとに描いたと称していたが、実際には彼は南国へ行ったことはなく、
パリの植物園でスケッチしたさまざまな植物を組み合わせて、幻想的な風景を
作り上げたのが真相だというからこれまたいい加減で面白い。

ひとの魅力というものは飾ることなく、包み隠すことなく、
あるがままの自分を晒すのがいちばんいいのだ。
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3月28日からゴッホ展

2005年02月18日 21時39分36秒 | 美術館
ゴッホの「夜のカフェテラス」など油彩に、
ミレー、セザンヌ、モネ、ゴーギャンなど関連する作家の油彩、
そして宗教的な版画や、日本の浮世絵にも興味を持っていたから面白い。

なんでもゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館という、オランダが
世界に誇るファン・ゴッホ作品の二大コレクションから、
初期から晩年までの各時代の代表作を含んで作品をセレクションできたからだそうな。

宗教から芸術へと向かったゴッホが、印象派や浮世絵の体験からその絵画世界を変容させ、
ユートピアを夢想し、その後、模写を通して宗教的なものへと立ち戻りつつ
最後の風景を求めるようになるまでを見れるのだ。

どこか狂気じみた絵でもあるが見ていて飽きない。私も狂ってるせいかな。
あれは耳をちょん切ったころの絵だっのだろうか。
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