所謂事件名「光市母子殺害事件」広島高裁差し戻し審判決文 -1-主文 理由 (平成20年4月22日)

2016-02-08 | 死刑/重刑/生命犯

所謂事件名「光市母子殺害事件」広島高裁差し戻し審判決文

事件番号 平成18(う)161
事件名 殺人,強姦致死,窃盗被告事件
裁判年月日 平成20年04月22日
裁判所名・部 広島高等裁判所 第1部
結果 破棄自判
原審裁判所名 山口地方裁判所
原審事件番号 平成11(わ)89
原審結果
 判示事項の要旨
 被告人を無期懲役に処した第一審判決を是認した差戻前控訴審判決(平成14年3月14日広島高等裁判所 平成12年(う)第66号)について,最高裁判所が,刑の量定が甚だしく不当であるとして,同判決を破棄し,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無について更に慎重な審理を尽くさせるため当裁判所に差し戻した事案(平成18年6月20日 最高裁判所 平成14年(あ)第730号)について,12回の公判を開いて審理を尽くしたものの,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情は認められないなどとして,第一審判決を破棄して死刑を宣告した事例

所謂事件名「光市事件」広島高裁差戻し審判決文
-1- 主文 理由
-2- (4) 被害者に対する殺害行為について
-3- (5) 被害者に対する強姦行為について
-4- (6) 被害児に対する殺害行為について
-5- (7) 窃盗について
-6-  5  そこで,量刑不当の主張について判断する。

事件番号 平成18(う)161 事件名 殺人,強姦致死,窃盗被告事件
-1-
主 文
  第一審判決を破棄する。被告人を死刑に処する。
理 由
  本件控訴の趣意は,検察官渋谷勇治提出の検察官都甲雅俊作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は,差戻前の控訴審(以下「差戻前控訴審」という)弁護人定者吉人作成の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。検察官の論旨は,第一審判決の量刑が著しく軽きに失して甚だしく不当であるというのである。
  なお,本件は上告審から差し戻された事件であり,当審において,検察官および弁護人は,公判手続の更新の際,検察官井越正人および同仁田良行連名作成の「公判手続の更新に関する意見書」ならびに弁護人安田好弘(主任),同本田兆司,同足立修一,同井上明彦,同大河内秀明,同河井匡秀,同小林修,同新川登茂宣,同新谷桂,同中道武美,同松井武,同村上満宏,同山崎吉男,同山田延廣および解任前の弁護人今枝仁連名作成の更新意見書記載のとおりそれぞれ意見を述べたほか,検察官加藤敏員および同仁田良行連名作成の弁論要旨ならびに今枝仁を除いた上記弁護人14名および弁護人岩井信,同石塚伸一,同岡田基志,同北潟谷仁,同田上剛,同舟木友比古,同湯山孝弘連名作成の弁論要旨記載のとおりそれぞれ弁論を行った。そこで,これらの主張をも合わせて検討することとする。
1 本件の審理経過等は以下のとおりである。
(1) 平成11年4月14日夜,原判示の方(以下「被害者方」という)居間の押入および天袋の中から,同人の妻である(以下「被害者」という)および両名の長女である(以下「被害児」という)の死体が発見され,母子殺害事件として本件の捜査が開始された。被疑者として浮上した被告人は,同月18日,任意同行された山口県警察署において,被害者および被害児を殺害したことを認め,これら殺人の被疑事実により逮捕された。そして,被告人は,引き続き勾留されて取調べを受け,少年であったことから,同年5月9日,殺人,強姦致死,窃盗保護事件として山口家庭裁判所に送致された。同裁判所は,被告人につき観護措置をとった上,同年6月4日,少年法20条により事件を検察官に送致する旨の決定をし,同月11日,山口地方裁判所に本件公訴が提起された。
(2) 第一審の山口地方裁判所は,被告人が,同年4月14日午後,美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたいと思い,原判示のアパートを10棟から7棟にかけて,順番に排水検査を装って各室の呼び鈴を押して回り,同日午後2時20分ころ,同アパート7棟の被害者方を訪ね,排水検査を装ったところ,被害者に招じ入れられたことなどから,被害者方において,同日午後2時30分ころ,被害者を強姦しようと企て,同女の背後から抱きつき,同女を仰向けに引き倒して馬乗りになるなどの暴行を加えたが,同女が大声を出して激しく抵抗したため,同女を殺害した上で姦淫の目的を遂げようと決意し,仰向けに倒れている同女に馬乗りになった状態で,その頚部を両手で強く絞めつけ,同女を窒息死させて殺害した上,強いて同女を姦淫し(原判示第1),同日午後3時ころ,被害児が激しく泣き続けたため,これを聞きつけた付近住民が駆け付けるなどして上記犯行が発覚することを恐れるとともに,泣き止まない同児に激昂して,その殺害を決意し,同児を床に叩きつけるなどした上,同児の首に所携の紐を巻き,その両端を強く引っ張って絞めつけ,同児を窒息死させて殺害し(同第2),同日午後3時ころ,被害者管理の現金約300円および地域振興券約6枚(額面合計約6000円相当)等在中の財布1個(物品時価合計約1万7700円相当)を窃取した(同第3)旨,本件公訴事実と同旨の事実を認定した。そして,本件の罪質,身勝手かつ短絡的な動機,残忍かつ冷酷な犯行態様,結果の重大性,遺族の峻烈な被害感情,社会的影響の大きさ等を併せ考慮すると,被告人の刑事責任は極めて重大であり,死刑を選択することも十分検討されるべきであるとしながらも①各殺害行為は事前に周到に計画されたものとはいえないこと,②被告人は,犯罪的傾向が顕著であるとはいえないこと③犯行当時18歳と30日の少年であり内面の未熟さが顕著であること,④家庭環境が不遇で生育環境において同情すべきものがあること,⑤被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至ったものと評価できること,⑥矯正教育による改善更生の可能性がないとはいい難いことなどを酌量すべき事情として摘示し,過去の裁判例との比較検討をも踏まえ,極刑がやむを得ないとまではいえないとして,被告人を無期懲役に処した。
(3) 第一審判決に対し,検察官が,量刑不当を理由に控訴を申し立てたところ,差戻前控訴審裁判所は,被告人の刑事責任には極めて重大なものがあり,本件は,被告人を極刑に処することの当否を慎重に検討すべき事案であるとしながら,第一審判決が摘示した上記1(2)①ないし⑥の酌量すべき事情についての判断を含め,第一審判決の量刑を是認して,検察官の控訴を棄却した。
(4) これに対し,検察官が上告を申し立て,最高裁判所は,概要以下のとおり説示して,被告人を無期懲役に処した第一審判決の量刑を是認した差戻前控訴審判決は,刑の量定が甚だしく不当であり,これを破棄しなければ著しく正義に反するとして,差戻前控訴審判決を破棄し,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかにつき更に慎重な審理を尽くさせるため,本件を当裁判所に差し戻した。
ア 死刑制度を存置する現行法制の下では,犯行の罪質,動機,態様殊に殺害の手段方法の執拗性・残虐性,結果の重大性殊に殺害された被害者の数,遺族の被害感情,社会的影響,犯人の年齢,前科,犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき,その罪責がまことに重大であって,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合には,死刑の選択をするほかないものといわなければならない。被告人の罪責はまことに重大であって,特に酌量すべき事情がない限り,死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない。
イ 差戻前控訴審およびその是認する第一審判決が酌量すべき事情として掲げる事情のうち,上記1(2)①②④⑤については,死刑回避を相当とするような特に酌むべき事情と評価することはできない。
  結局のところ,斟酌するに値する事情といえるのは,被告人が犯行当時18歳になって間もない少年であり,その可塑性から,改善更生の可能性が否定されていないということに帰着すると思われるところ,少年法(平成12年法律第142号による改正前のもの。以下同じ)51条の趣旨に徴すれば,この点は,死刑を選択すべきかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが,死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず,総合的に判断する上で考慮すべき一事情にとどまる。差戻前控訴審判決およびその是認する第一審判決が酌量すべき事情として述べるところは,これを個々的にみても,また,これらを総合してみても,いまだ被告人につき死刑を選択しない事由として十分な理由に当たると認めることはできず,差戻前控訴審判決が判示する理由だけでは,その量刑判断を維持することは困難である。
ウ 以上によれば,差戻前控訴審判決は,量刑に当たって考慮すべき事実の評価を誤った結果,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の存否について審理を尽くすことなく,被告人を無期懲役に処した第一審判決の量刑を是認したものであって,その量刑は甚だしく不当であ り,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
2 そこで,当裁判所は,上告審判決を受け,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無について慎重な審理を尽くすべく,12回の公判を開いて事実の取調べ等をした。
  ところで,被告人は,捜査段階の当初を除いて,第一審公判終了まで,強姦および殺人の計画性を争ったほかは,一貫して,本件公訴事実を全面的に認めていた。そして,差戻前控訴審においては,6期日にわたり被告人質問が行われたにもかかわらず,犯行自体については全く質問がされなかった。また,上告審においても,公判期日が指定される以前は,裁判所や弁護人に対し,本件公訴事実を争うような主張や供述をしていなかったことが窺われる(以下,被告人の捜査段階,第一審公判および差戻前控訴審公判における各供述を総称して「被告人の旧供述」ともいう)。
  ところが,被告人は,当審公判で,本件各犯行に至る経緯,被害者および被害児に対する各殺害行為の態様殺意強姦および窃盗の犯意等について旧供述を一変させ,以下のとおり,本件公訴事実を全面的に争う内容の供述をした(以下「被告人の新供述」ともいう)。すなわち,被告人が,被害者方を訪れる前にアパートの10棟から7棟にかけて戸別訪問をしたのは人との会話を通じて寂しさを紛らわせるなどのためであり,強姦を目的とした物色行為ではなかった,被害者を見て,同女を通して亡くなった実母を見ており,母親に甘えたいなどという気持ちから,被害者に背後から抱きついた,同女の頚部を両手で絞めつけたことはなく,仰向けの状態の同女の上になり,その右胸に自分の右頬をつけた状態で,同女の右腕を自分の左手で押さえ,自分の頭より上に伸ばした右手で同女の身体を押さえていたところ,同女が動かなくなり,見ると,右手が逆手の状態で同女の首を押さえている状態であった,混乱した状態の中,被害児の母親である被害者を殺めてしまったなどという自責の念から,右ポケット内に入れていたこての紐を自分の左の手首と指に絡めるようにし,右手で引っ張って締め,自傷行為をしていたところ,被害児が動かない状態になっているのに気が付いた,被害児の首を絞めたという認識はない,被害者に生き返って欲しいという思いから姦淫行為に及んだ,被害者方に持っていった布テープ(本件記録中には「ガムテープ」という表示と「布テープ」という表示が混在しているが,以下すべて「布テープ」と表示する)と間違えて,被害者の財布を被害者方から持ち出した被害者および被害児に対する殺意も強姦および窃盗の犯意もなかったというのである。
  以上のとおり,被告人の新供述は,旧供述とは全く異なる内容であるところ,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情の有無を検討するに当たり,被告人が,本件各犯行をどのように受け止め,本件各犯行とどのように向き合い,自己のした行為についてどのように考えているのかということが,極めて重要であることは多言を要しない。そこで,当裁判所は,被告人の新供述の信用性を判断するための証人尋問や,被告人の精神状態および心理状態に関する証人尋問等も行った。本判決においても,まず被告人の供述を概観した上で,その信用性について検討する(以下,証拠に付したかっこ内の甲乙または当審検の数字は第一審または当審の検察官請求証拠番号,当審弁の数字は当審の弁護人請求証拠番号である。なお,証拠については,謄本,写しの表示を省略する。)。
3 被告人の新供述に至るまでの供述経過は,概略以下のとおりである。
(1) 被告人が本件で逮捕された当日である平成11年4月14日付けの被告人の警察官調書(乙1)には,被告人が,被害者方で,被害児を抱かせてもらっていて,同児を床に落としたところ,被害者が,わざと落としたのだろう,警察に通報すると言って,電話の方に行こうとしたので,これを阻止しようと同女を倒して上に乗り,左手で首を絞め続けた,その際,作業服に入れていたカッターナイフが床に落ち,それを同女が取ったので,「やられるかも分からん」と思って同女の首を力一杯絞め続けたところ同女が息をしなくなった,その時,被害児は死んでいたようだったので,大人がやったようにみせようと思い,ベランダ近くにあった紐で同児の首を絞めて結んだ,大人の犯行のようにしようと思って,被害者の服を切ったり,ズボンやパンツを脱がしたり,同女の陰部に自分の陰茎を入れようとして陰部に当てたら射精したなどと記載されている。
  ところがその翌日に作成された被告人の同月19日付け検察官調書(乙,15)には,被害者をレイプしようとしたところ,激しく抵抗されたことから,黙らせるために同女の首を手で絞めて殺し,その後,レイプして射精した,被害児が激しく泣き続けたので,このままでは近所の人が来ると思い,黙らせるために同児の首を紐で絞めて殺した,昨日刑事の前で話したときは,レイプ目的という卑劣な理由で殺したということは,人間としてどうしても言えず,また,レイプ目的ということを言うと,罪がとても重くなるという気持ちがあり,殺した本当の理由が言えなかった,本当のことを早く話して罪の償いをしたいという気持ちがあり,検事(検察官 のことである)からも,正直に話すことが本当の償いであると言われたこともあって,本当のことを話そうと決心したなどと記載され,被告人の同月20日付け警察官調書(乙3)には,警察官調書(乙1)に記載された供述は嘘であり,美人の奥さんと話したい,顔を見たい,レイプしたいというのが本当だった昨日の朝から本当のことを話そうと思っていたが昼から山口に行くことになり,初めて検事(検察官)の前に座って,検事から「亡くなった2人のためには本当のことを話すことが2人への報いになるよ」と言われ,レイプ目的でアパートへ行き,殺してしまったことを話した,刑事にも本当のことを話しておかなければいけないので,今からあの時のことを話すと前置きした上で,本件公訴事実を認める内容の供述が記載されている。そして,それ以降作成された被告人の捜査段階の供述調書には,供述のニュアンスや細かな点について多少の変遷はあるものの,本件公訴事実自体については一貫して認める供述が記載されている。
  なお,強姦が計画的なものであったか否かについて,家庭裁判所から検察官に事件送致された後に作成された被告人の同年6月10日付け検察官調書(乙32)には,本件当日昼過ぎころ自宅を出た後,アパートの3棟に向かう途中,セックスしたい,近所のアパートを回って美人の奥さんでもいれば話をしてみたい,セックスができるかもしれない,作業着を着ているので,工事か何かを装えば,知らない家を訪ねても怪しまれないだろう,押さえつければ無理矢理セックスができるかもしれない,布テープを使って縛れば抵抗されずにセックスができる,カッターナイフを見せれば怖がるだろうと考え始めたが,まだ,本当にそんなにうまくセックスなんてできるだろうかという半信半疑のような状態であった,その後,排水検査を装って回っているうち誰も怪しまなかったため,段々と,これはいける,本当に強姦できるかもしれないと思うようになった,被害者を強姦しようという思いが抑えきれないほどに強くなったのは,同女に部屋の中に入れてもらってからであるなどという供述が記載されている。
(2) 被告人は,山口家庭裁判所での審判期日において,本件殺人,強姦致死,窃盗の各事実は間違いない旨述べた。
(3) 被告人は,第一審において,本件公訴事実を全面的に認める供述をした。すなわち,罪状認否において,本件公訴事実について「いずれも間違いありません。ご家族の方と遺族の方に大変申し訳ないことをしたと思っています」と陳述し,被告人質問において,殺害および強姦の計画性は否認したものの,本件公訴事実自体は認める供述をし,検察官による死刑求刑後の最終陳述においてもさん宅に作業員になりすまし侵入しさんを殺してしまい,強姦してしまったこと,また,1歳にもなってないのに,はいはいして自分のお母さんのところに(中略)行こうとしていたちゃんを床に叩きつけたり,押入に入れたり,作業着のポケットに入っていた紐で首を・・・再婚して自分の本当の弟と認められないとだぶってしまい,強く絞めてしまい,しかも癖とはいえ,蝶々結びしてしまい,申し訳ないと思います「母を亡くしたことにより,人が死ぬ悲し」みを知っていたはずですが,欲望の方が勝ってしまい,後先を考えずに行動した」などと陳述し,遺族に対する謝罪の言葉を述べた。しかも,被告人は,逮捕の2日後に全面的に自白した経緯や心境等について,被告人質問において「逮捕された当初嘘をついていたときには,真実を隠しているので重苦しかった話すことによって自分が苦しいのがどんどん,どんどん苦しくなくなってきて(中略)刑事さんのさんやさんとか,すごく優しくしてくださったので,この人たちなら信じてもいいやというふうに思えてきまして話すようになりました「三席検事」(検察官のこと)から,言わんにゃあ楽にならんぞというふうな感じで言われ,三席検事の方に,事件の内容的には半分くらいしゃべり始めて,その次の日辺りから,やっぱり人を信じなければ始まらないし,やっぱりしゃべる気になったというのが本当です」(第一審第4回公判調書中の被告人供述調書136,278,279,289,290項。以下,公判調書と一体となる被告人供述調書等の該当箇所を第一審第4回被告人136, 278, 279,289,290項」のように略記する)などと供述したほか,最終陳述においても,最初,4月18日に逮捕されたころ,まだ検事や刑事に反発して,嘘まで作って言ったり,反抗的態度を見せていたが,三席検事から,被害者の立場になるようにと言われ,本当のことを言えば楽になると言われ,その日から被害者のために少しでもなるのならと思って努力したなどと陳述した。
(4) 被告人は,差戻前控訴審においては,本件各犯行について供述していない。しかし,弁護人作成の答弁書および弁論要旨をみる限り,強姦の計画性の点を争うものの,第一審判決が認定した罪となるべき事実自体については争っていない。
(5) 上告審においても平成16年1月5日に提出された弁護人定者吉人同山口格之および同井上明彦連名作成の答弁書をみる限り,第一審判決が認定した罪となるべき事実について争っていなかった。しかし,平成17年12月6日,公判期日が平成18年3月14日午後1時30分に指定された後同年2月28日弁護士安田好弘を弁護人に選任した旨の届出が同年3月3日,弁護士足立修一を弁護人に選任した旨の届出がそれぞれなされ,同月6日,弁護人定者および同井上から,弁護人を辞任する旨の届出がなされた(弁護人山口については,既に弁護人でなくなっていたことが窺われる)ところ,弁護人安田および同足立連名作成の同月7日付け弁論期日延期申請書には,被告人から,強姦の意思が生じたのは被害者を殺害した後であり,捜査段階および第一審の各供述は真実と異なるという申立てがあった旨記載されまた同弁護人らはその作成に係る弁論要旨弁論要旨補充書「弁論要旨補充書その2」および「弁論要旨補充書その3」と題する各書面において,被害者および被害児に対する各殺害行為の態様は,第一審判決および差戻前控訴審判決が認定した事実と異なり,被告人には殺意も強姦の故意もないなどとして,差戻前控訴審判決には著しく正義に反する事実誤認がある旨主張した。そして,上告審に提出された被告人作成の同年6月15日付け上申書(当審検3。以下「本件上申書」という)にも被害者および被害児に対する各殺害行為の態様等についてこれら弁護人の主張と同趣旨の記載がある。
4 そこで,被告人の新供述の信用性について,以下検討する。
  なお,弁護人は,第一審判決の事実認定を種々論難しているところ,これは結局のところ,同判決が事実を認定するに当たり依拠した被告人の旧供述の信用性を批判し,ひいては被告人の新供述の方が信用できる旨を主張しているものと解されるので,これらの弁護人の主張についても本項で判断を示すこととする。
(1) 上記3で概観したとおり,被告人は,逮捕の2日後に本件公訴事実を認める内容の供述をしてから,実に7年近くが経過して初めて,旧供述が真実ではないという供述をするに至ったのであり特に第一審においては殺人および強姦の計画性を争いつつも,本件公訴事実を全面的に認め,本件を自白した経緯や心境等についても,上記検察官調書(乙15)および警察官調書(乙3)と同趣旨の内容を公判廷で任意に供述していたものである。そして,被告人は,差戻前控訴審においても,強姦の計画性の点を除き,第一審判決が認定した罪となるべき事実を争わなかったところ,旧供述を翻し,弁護人に対し新供述と同旨の供述を始めたのは,上告審が公判期日を指定した後のことである。
(2) 被告人は,当審公判において,旧供述が記載された供述調書の作成に応じた理由,第一審公判で真実を供述できなかった理由,旧供述を翻して新供述をするに至った理由等について,詳細に供述しているところ,その核心部分は,以下のとおり要約することができる。
ア 平成11年4月19日の検察官による取調べにおいて,被害者とセックスしたことを,自分はレイプと表現せず,エッチな行為をしたと話していたところ,同検察官から,被害者が,抱きつかれて抵抗したということは,被告人とセックスをしたくなかったわけだから,死後にセックスしているのはレイプであると決めつけられ言い合いになったがレイプ目的がなかったと余りにも言い張るようであれば,自分にはそのつもりはないけれども,上と協議した結果,死刑という公算が高まってしまう,生きて償いなさいと言われて涙を流し,同検察官が作成した供述調書に署名した(当審第8回被告人21ないし23,151ないし157項)。検察官から,本当のことを話すことが被害者らへの報いになると言われ,本当のことを話すというのは,検察官の言い分を認めることだと認識していた(同第8回被告人59ないし61,161ないし163項)。供述調書の重要性について認識しきれていな
 かったし,細かい事実関係の持つ意味も分からないままに取調べが行われた(同第8回被告人30,31項)。また,検事から,供述調書には,被告人が話した内容がそのまま記載されるものではなく,取調官の印象や感想が記載されるものだと教えられ,不服や言い足りない部分については,後で供述調書を作成してもらえると約束した。そのような約束があったので,殺すつもりがあった,強姦するつもりがあったという供述調書の作成に応じた(同第8回被告人34,35項,同第9回被告人504ないし507項)。捜査段階の供述調書には事実と異なる内容が記載されているが,レイプ目的でないのにレイプ目的だとねじ曲げられたところから,自分が見えない状況となり,取調官が,威圧的で,自分のことを理解しようという気持ちがなく,自分の言っていることを受け止めてくれるという感覚が抱けなかった(同第9回被告人165ないし168項)。そして,捜査官に押しつけられたり誘導されたりして捜査段階の供述調書が作成されたことを種々供述している。
イ 第一審で真実を話すことができなかったのは,自分自身が事件を受け止めるだけのものができ上がっていなかったし,裁判は自分を素直に表現しにくい場であり,言い足りない部分もあったと思うし,自分自身をどこまで言い表していいかも分かっていなかったからである(当審第8回被告人295,297,320項)。結果的に人を殺めてしまっている事実や,姦淫している事実は,自分自身がしたことであり揺るぎがないので,公訴事実を認めているところもあり,殺害や強姦の態様等が裁判の結果に影響するという認識は全くなく,それらの事実の重要性にまで考えが及ばなかった(同第8回被告人259,260項)。また,初めて裁判所というものに臨むに当たって,緊張状態が大変高まっており,すごく不安な状態であったし,弁護人との事前の打合せが十分になされておらず,被告人質問で具体的に何を聞き何を答えるかについての打合せはなかった(同,第8回被告人220ないし223,257,258項)。弁護人に対し強姦するつもりはなかったと話したが,結果的にセックスしているわけだから,争うと逆に不利になるなどと言われしっかりとは争ってもらえなかった(同,第9回被告人191ないし196項)。弁護人から,通常この事件は無期懲役だから,死刑になるようなリスクがある争い方はしない方がいいと言われた(同第8回被告人245,246項)。罪状認否については,その意味合いを全く聞いていなかったし説明が不十分であった(同第8回被告人236,237項)。結果的に2人を殺めてしまっていることに変わりがないという認識を持っていたので,言い逃れのような気がして,弁護人に対し,殺すつもりがなかったという言葉を用いることができなかった。法律的な知識がなく殺すつもりがあったかどうかが大切なことだということは全く分かっていなかった(同第9回被告人186ないし190項)。姦淫した理由が性欲を満たすためと述べたのは,生き返らせようと思って姦淫したと言うと,ばかにされると思ったからである(同第8回被告人310ないし313項,同第9回被告人565ないし570項)。
ウ 差戻前控訴審の弁護人に対し事実関係特に犯行態様や計画性等が第一審判決で書かれている事実とは違うことを伝えた(当審第8回被告人344項)。その中身全体ではなく,強姦するつもりはなかったというところを,どうにかしてもらえないかということを伝えた。同弁護人に対し,被害者方に入った後や被害者を殺害した後の時点でも,当初から一貫して強姦するつもりはなかったことを伝えた(同第9回被告人946ないし949項)。
エ 平成16年2月から教誨を受けるようになり,教誨師に対し事件の真相を話した。そして,平成18年2月に安田弁護士および足立弁護士と初めて接見した際,安田弁護士から,事件のことをもう一度自分の口から教えて欲しいと言われ,被害者に甘えたいという衝動が出て抱きついてしまったこと,殺すつもりも強姦するつもりもなかったこと,右片手で押さえたこと,被害者にスリーパーホールドをしたことなどを話し,被害児に紐を巻いたことは覚えていないことなどを話した(当審第8回被告人395ないし428項)。安田弁護士から自分の供述調書を差し入れてもらい,事件記録を初めて読んで,余りにも自分を見てもらえていないことに憤りを覚えた(同第9回被告人443項)。
  そして,同年3月ころから,事実と向き合い,細かい経過を思い出して紙に書き表し,勘違いや見落としをその都度修正するという作業をし,同年6月から,本件上申書の作成を始めた(同第8回被告人435ないし446項)。
(3) しかし,旧供述を翻して新供述をするに至った理由等に関する被告人の当審公判供述は,以下に説示するとおり,不自然不合理である。
ア 被告人の新供述と旧供述とは,事実の経過が著しく異なっており,被害者および被害児の各殺害行為の態様,殺意,強姦の犯意の有無等についても全く異なっている。したがって,本件各犯行についての被告人の新供述が真実であるとすれば,被告人は,自分の供述調書に記載された内容が,真に自分の体験したこととは似ても似つかぬものになっていることを熟知していたはずであり自分の供述調書を差し入れてもらって初めて,その記載された内容が自分の経験と違っていることに気付くというようなことはあり得ない。しかるに,本件公訴が提起されてから安田弁護士らが上告審弁護人に選任されるまでの6年半以上もの間,第一審弁護人,差戻前控訴審弁護人および上告審弁護人に対し,強姦するつもりがなかったということを除いて,新供述のような内容の話を1回もしたことがないというのは,余りにも不自然である。被告人は,第一審弁護人と接見した際,供述調書を見せられ,ここが違う,ここが正しいという確認をされた旨供述しており(当審第8回被告人251項),しかも,検察官から,供述調書の不服な部分等について,後で供述調書を作成すると約束されたというのであるから,上記のように供述調書の内容を確認された機会に,旧供述が記載された供述調書の誤りを指摘し,新供述で述べているような内容の話をしなかったということは考えられない。
  この点について,被告人は,教誨師と接触するまで人間不信のような状態であった,弁護人に真相を話して良いという権利の存在自体を知らなかった,上告審段階まで弁護人が非常に頼りない存在であると認識しており,相談したいことがあっても相談できない状態であったなどと供述している(当審第8回被告人430項,同第9回被告人943,945項)。
  しかし,被告人は,第一審判決および差戻前控訴審判決の言渡しを受けた際,朗読される判決書の内容を聞いているほか,これらの判決書ならびに検察官作成の控訴趣意書および上告趣意書を読んで,犯行態様や動機について全く違うことが書かれているのは分かった旨供述している(当審第9回被告人939ないし942項)ことに照らすと,弁護人に対し,上記各判決で認定された事実が真実とは異なるなどとして,その心情を伝えたり,新供述で述べるような内容を話したりすることもなく,死刑を免れたとはいえ,無期懲役という極めて重い刑罰を甘受するということは到底考え難い。特に,定者弁護士は平成12年5月26日に,山口弁護士は同年9月18日に,それぞれ差戻前控訴審の国選弁護人に選任され,さらに上告審においては,定者弁護士が平成14年4月8日,山口弁護士が同月22日,井上弁護士が同年11月27日に,それぞれ私選弁護人に選任されているところ,差戻前控訴審において国選弁護人であった弁護士2名が,いずれも上告審において被告人により私選弁護人として選任されていることに照らすと,被告人は,差戻前控訴審における定者弁護士および山口弁護士の弁護活動を通じて両弁護士を信頼したからこそ,上告審においても私選弁護人として選任したものと解される。そして広島拘置所長作成の捜査関係事項照会書に係る回答についてと題する書面(当審検7)によれば,定者弁護士が差戻前控訴審の国選弁護人に選任された後の平成12年6月30日から平成17年12月6日に上告審で公判期日が指定されてその旨弁護人に通知された翌7日までの間,弁護人であった定者弁護士,山口弁護士または井上弁護士は,被告人と296回もの接見をしていることが認められる。しかも,被告人は,当審公判で,父親との文通が途絶え,差戻前控訴審および上告審の弁護人であった定者弁護士が,衣服,現金,生活必需品の差入れをしてくれるなど,親代わりになったような感覚であった旨供述しており(同第9回被告人222項),多数回の接見を重ねた同弁護士に対し,強姦するつもりはなかったという点を除いて,新供述で述べるような内容の話をしなかったというのは,まことに不自然である。また,被告人は,差戻前控訴審の弁護人に対し,被害者を殺害した後の時点も含めて,当初から一貫して強姦するつもりがなかったことを伝えたというのであるが,そのような説明を受けた弁護人が,死刑の可否が争われている重大事件において,強姦の犯意を争わないということは,通常考えにくいことである。同弁護人作成の答弁書および弁論要旨をみても,強姦の計画性を争うのみであり,むしろ,強姦の犯意を生じたのは犯行現場においてであるという趣旨の主張が記載されているところ,そのような記載がされた理由について,被告人は,分からないと述べるにとどまっている(同第9回被告人950項)。
  なお,被告人は,差戻前控訴審において,定者弁護人に対し,強姦するつもりはなかったと言ってはいないとも供述している(当審第9回被告人200,201項)ところ,このように供述が変遷すること自体不自然である。
  さらに,被告人が,公訴提起後6年半以上もの間,多数回にわたる接見にもかかわらず,弁護人に対し,新供述で述べるような内容の話をしたことがなかったのに,初めて接見した安田弁護士らから,事件のことを話すように言われるや新供述を話し始めたというのも不自然である。この点について,被告人は,当審公判で,法律的な知識に乏しかったがために,これまで真相を語ることができなかったかのような供述もしている。
  しかし,いかに法律的な知識に乏しかったとしても,第一審および差戻前控訴審の各判決書,控訴趣意書等に記載された事実は,被告人が当審で真実であるとして供述する内容と余りにも異なっていることに照らすと,公訴提起後6年半以上の長期にわたり,1回も弁護人に相談しなかった理由として,納得できるものとはいえない。
  このような被告人の供述経過および弁護人との接見状況等にかんがみると,被告人が,上告審の公判期日が指定されるまで維持していた旧供述を翻したのは,まことに不自然である。
イ 被告人は,生きて償いなさいと言ってくれた検察官がいたのに,第一審で検察官が死刑を求刑するのを聞いて,大変裏切られた感が否めず,ショックを受けた旨当審公判で供述している(当審第8回被告人334ないし336項)。
  被告人が,検察官から,生きて償うように言われて,事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じたというのが真実であれば,死刑求刑は検察官の重大な裏切り行為であり,被告人が,事実とは異なる内容の旧供述を維持する必要は全くない上,弁護人に対し,検察官に裏切られたとして,事案の真相を告げ,その後の対応策等について相談するはずである。しかるに,弁護人は,弁論において,本件公訴事実を争わなかったし,被告人も,最終陳述において,本件公訴事実を認めて,遺族に対する謝罪の気持ちを述べたのであり,検察官に対する不満も何ら述べていない。しかも,被告人は,供述調書の内容について,不服や言い足りない部分については,後で訂正してもらえるという約束があったというのであるから,旧供述を撤回して新供述に訂正する供述調書の作成を求めたり,その旨弁護人に相談したりするなどの行動を取ってもよさそうであるのに,そのような行動に出た形跡もない。生きて償うように言われて,事実とは異なる内容の供述調書の作成に応じた旨の被告人の上記供述は,たやすく信用することができない。
ウ 被告人は,安田弁護人から事件記録の差入れを受け,初めて自分のした行為に直面し,自分というものを見てもらえていないことが分かって憤りを覚え,その後事実と向き合うようになった旨供述する(当審第8回被告人380ないし387項,同第9回被告人439ないし451項)が,自分の記憶に照らし,検察官の主張ならびに第一審判決および差戻前控訴審判決の各認定事実が自分が真実と思っている事実と異なっていることは容易に分かるはずであり,事件記録を精査して初めて分かるという性質のものではない。
エ 以上のとおり,被告人の当審公判供述は,旧供述を維持してきた理由としても,旧供述を翻して新供述をするに至った理由としても,不自然不合理なものである。被告人の供述が変遷した理由は納得し難い点が多いのであるが,本件事案の内容にかんがみ,さらに新供述の内容について各犯行ごとに検討する。 
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光市事件 広島高裁 差戻し審判決文-6- 5 そこで,量刑不当の主張について判断する (平成20/4/22)
光市事件 広島高裁 差戻し審判決文-5-(7) 窃盗について (平成20/4/22)
光市事件 広島高裁 差戻し審判決文-4-(6)被害児に対する殺害行為について (平成20/4/22)
光市事件 広島高裁 差戻し審判決文-3- (5) 被害者に対する強姦行為について (平成20/4/22)
光市事件 広島高裁 差戻し審判決文-2- (4) 被害者に対する殺害行為について (平成20/4/22)
所謂事件名「光市母子殺害事件」広島高裁差し戻し審判決文 -1-主文 理由 (平成20年4月22日)
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