光市事件 広島高裁 差戻し審判決文-2- (4) 被害者に対する殺害行為について (平成20/4/22)

2016-02-08 | 死刑/重刑/生命犯

所謂事件名「光市事件」広島高裁差戻し審判決文
-1- 主文 理由
-2- (4) 被害者に対する殺害行為について
-3- (5) 被害者に対する強姦行為について
-4- (6) 被害児に対する殺害行為について
-5- (7) 窃盗について
-6-  5  そこで,量刑不当の主張について判断する。
 
事件番号 平成18(う)161 事件名 殺人,強姦致死,窃盗被告事件
-2-
(4) 被害者に対する殺害行為について
ア 第一審判決は,被告人が,仰向けに倒れた被害者に馬乗りになった状態で同女の頚部を両手で強く絞めつけて殺害した旨認定した。
 これに対し,被告人は,当審公判で,被害者の頚部を両手で絞めつけたことはない旨供述しており,仰向け状態の被害者の上にうつ伏せになり,同女の右胸に自分の右頬をつけるようにし,同女の右腕を自分の左手で押さえ,自分の頭より上に伸ばした右手で同女の身体を押さえ,右半身に体重がかかるようにして両足で踏ん張っていたところ,同女は,徐々に力がなくなっていき動かなくなった,自分の上半身を上げて正面を見ると,自分の右手が被害者の首を押さえており,右手の人差指から小指までの4本の指と手の甲が見えるが,親指は見えない状態であり,その指先は左側を向いていた旨供述している。そして,この供述によれば,被告人は,逆手にした右手だけで被害者の頚部を圧迫して死亡させたということになる。
イ しかし,この点に関する被告人の当審公判供述は,以下に説示するとおり,被害者の死体所見と整合せず,不自然な点がある上,旧供述を翻して以降の被告人の供述に変遷がみられるなど,到底信用できない。
(ア) 被害者の死体を解剖した医師作成の嘱託鑑定書(甲9),実況見分調書(甲6)ほか関係証拠によれば被害者の死体所見等について以下の事実が認められる(被告人の当審公判供述の信用性判断に必要な限度で示す)。
 被害者の右前頚部(以下,被害者の身体の部位や動きに関する左右の向きは被害者を基準とし,頭側を上,足側を下と表し,正中線と直角に交わる線の方向を水平方向と表すこととする)および側頚部全般は多数の溢血点を伴って高度にうっ血しており,その内部と周辺には4条の蒼白帯が認められる。すなわち,右前頚上部に水平やや右上りの幅約1.0センチメートル長さ約3.2センチメートルの蒼白帯その1.0センチメートル下方を上端とする幅0.8センチメートル以下,長さ約4.0センチメートルの蒼白帯,その下方にある上下方向の長さ4.5センチメートル,左右方向の長さ9.0センチメートルのうっ血した部分の内部の上部に幅1 0センチメートル長さ6.0センチメートルのやや不鮮明な蒼白帯,更に下方の左右下頚部に弧状をなす幅1.3センチメートル,長さ約11センチメートルの蒼白帯(以下,上から順に「蒼白帯A」ないし「蒼白帯D」という)が認められる。被害者の前頚正中上部の1.5センチメートル×0.5センチメートル大の範囲に米粒大以下・多数の皮内出血(以下「皮内出血A」という。写真当審弁31 中のCの部分),その左方に1.5センチメートル×10センチメートル大の表皮剥脱(以下表皮剥脱Bという),その0.2センチメートル下方を上端とする0.3センチメートル×0.8センチメートル大の表皮剥脱(以下「表皮剥脱C」という。表皮剥脱B,Cは同写真中のDの部分),さらに左側頚上部に1.2センチメートル×1.2センチメートル大の表皮剥脱(以下「表皮剥脱D」という。同写真中のEの部分)が認められる。左側頚部の6.0センチメートル×2.0センチメートルの縦長の範囲にも多数の溢血点を伴ううっ血部(同写真中のFの部分)が認められる。
(イ) ところで,医師および医師は,それぞれの作成に係る鑑定書(当審弁6[G作成],8[F作成])および実験結果報告書(当審弁13[F作成])ならびに当審公判で,被害者に対する殺害態様について,被告人の旧供述は被害者の死体所見と矛盾し,被告人の当審公判供述は被害者の死体所見と一致している旨の判断を示している(以下,またはが,それぞれの作成に係る鑑定書等および当審公判で示した判断のことを「意見」または「意見」ともいう)。
 しかし,逆手にした右手による頚部圧迫という殺害態様は,被害者の死体所見と整合しない。すなわち,被告人の当審公判供述を前提にすると,4条の蒼白帯は,上(被害者のあごの側)から下(被害者の胸側)に向かって順に右手の小指ないし人差指によってそれぞれ形成され,前頚正中部の左方にある表皮剥脱Bは,右手親指によって形成されたものと考えるのが最も自然である。そして,4条の蒼白帯等の正確な位置関係を認定するに足りる的確な証拠はないものの,嘱託鑑定書(甲9),実況見分調書(甲6)および同実況見分調書に添付された写真⑥を拡大した写真(当審弁31)等関係証拠によれば4条の蒼白帯はほぼ水平またはやや右上向きであり,親指に対応する表皮剥脱Bは,中指に対応すると考えられる蒼白帯Cよりも上に位置していると認めるのが相当である。そして,被害者は,窒息死したのであるから,ある程度の時間継続して相当強い力で頚部を圧迫されたことは明らかであるところ,被告人が,被害者の右前頚部から右側頚部にかけて,右手の人差指ないし小指の4本の指をほぼ水平または被告人から見てやや左上向きの状態にして,しかも,親指が中指よりも上の位置にくるような状態で,右逆手で被害者の頚部を圧迫した場合,かなり不自然な体勢となり,そのような体勢で,人を窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であると考えられる。医師も,その作成に係る嘱託鑑定書(当審検2)および当審公判で,被告人が,逆手にした右手で頚部を圧迫した場合,右手親指による圧痕は,4条の蒼白帯の一番下である蒼白帯Dと同じ高さか,それよりも下に位置するはずである旨指摘している(以下,が,その作成に係る鑑定書および当審公判で示した判断のことを「意見」ともいう)。
 なお,この点に関し,意見によれば,被告人が,右手の親指を内側に曲げて,右逆手で被害者の頚部を押さえると,親指の爪の表面が,ちょうど表皮剥脱BとCに位置するというのである(当審第6回109項,実験結果報告書[当審弁13] に添付された写真6ないし8等)。しかし,そのような体勢で被害者の頚部を圧迫した場合,①被告人の右手親指にも圧力が加わり,力加減によっては,被告人自身が痛みを感じることになるため,窒息死させるほどの強い力で圧迫し続けることができるのか,いささか疑問であること,②被告人の右手の平は,間に右親指が挟まって,被害者の頚部とほとんど接触しないため,も当審公判で供述する(同第10回530項)ように,被告人の人差指に対応する蒼白帯Dの長さが約11センチメートルにも達することになるとは考えにくいことなどに照らすと,右手の親指を内側に曲げた形での右逆手による殺害行為が,被害者の死体所見と一致する旨の意見は採用できない。
 また,仮に,表皮剥脱Bが右手親指によって形成されたものでなかったとしても,右逆手による頚部圧迫という殺害態様は,被害者の死体所見と整合しないというべきである。すなわち,既に説示したとおり,蒼白帯Dは,左右下頚部に弧状をなす幅1.3センチメートル,長さ約11センチメートルの蒼白帯であるところ,が,その作成に係る嘱託鑑定書(甲9)において,被害者の死体を解剖した所見等を踏まえ4条の蒼白帯が手指による圧迫により生起されたと考えると,例えば,加害者が左手を被害者の右方に向けてあてがい,強く扼圧したために生起されたものとして,特別矛盾しない旨鑑定していることに照らすと蒼白帯Dの弧の向きは上に凸であったとは考えにくく不鮮明ではあるが蒼白帯Dが撮影された写真(当審弁31),実況見分調書(甲6)添付の写真④⑥,実況見分調書(甲5)添付の写真16ないし18等をも総合すると,蒼白帯Dの弧の向きは,下に凸であるとみるのが,合理的であるそうすると実験結果報告書(当審弁13)添付の写真9,10,12のとおり,被告人が,右手を逆手にして,その親指と人差指がアーチ状となるような状態で,被害者の頚部を圧迫した場合,そのアーチ状の部位によって形成される蒼白帯Dの弧の向きが下に凸になるとは考えにくく,これが下に凸になるようにしようとすれば,相当に不自然な体勢を強いられることになるのであって,結局,被害者の死体所見と整合しないというべきである。
(ウ) 被告人は,当審公判で,被害者の背後から抱きついて以降,同女が動かなくなり死亡していることに気付くまでの経過について,被害者と被告人のそれぞれの動きだけでなく,そのとき室内に置かれていたストーブの上にあったやかんやストーブガードの動きまでも含めて,極めて詳細に供述している。しかも,被害者を死に至らしめた頚部の圧迫行為については,その際の被告人の左手,足,視線の向き,体重のかけ方等を具体的に供述しているにもかかわらず,被害者の頚部を圧迫していたと思われる右手に関しては,感触すら覚えていないなどとして,曖昧な供述に終始しており,まことに不自然である。被告人が当審公判で供述するように,右手で被害者の頚部を押さえつけたとすれば,自分の手が被害者のあごの下や頚部に当たっていることは,その感触から当然に分かるはずである。特に,被告人が述べるような体勢で被害者の頚部を押さえつけたとすれば,床方向に向けて右手に力を加えることは困難であり,窒息死させるほどの力を加えるので
 あれば,自然と被害者のあごを下から頭部方向に押すようにして右手に力を加えることになると考えられるから,自分の右手が被害者の身体のどの部位に当たっているのか分からないということはあり得ない。
  また,被告人が,当審公判で供述するような態様で,被害者を押さえつけて頚部を圧迫していたとすれば,同女は,左手を動かすことができたと考えられる上,被告人の当審公判供述によれば,被害者は徐々に力がなくなっていき動かなくなったというのであるからその間,同女は,当然,その左手を用いて懸命に抵抗したはずである。被告人の供述する両者の位置関係からすれば,被害者は,容易に被告人の頭部を攻撃することができたのであるから,左手で頭部を殴るなり頭髪をつかんで引っ張るなりして,抵抗するはずであるにもかかわらず,被告人が,頚部を圧迫している間の被害者の動きについて,極めて曖昧にしか供述していないのも,まことに不自然である。
  そもそも,被告人が当審公判で供述するような態様で被害者の頚部を圧迫した場合,被害者が激しく抵抗すれば,窒息死させるまで頚部を押さえ続けることは困難であると考えられる。被告人の新供述で述べられているような態様での殺害は,被害者が全く抵抗しないか,抵抗したとしても,それが極めて弱い場合でなければ不可能であるというべきである。そうすると,被告人は,被害者に実母を見ていたといっており,実母と同視していた被害者に対し,さしたる抵抗も攻撃も受けていないのに,窒息死させるほどの強い力で頚部を圧迫したということになるところ,これもまた極めて不自然な行動であるというほかない。
(エ) さらに,被告人の新供述は,右逆手による被害者の殺害状況について,合理的な理由なく変遷しており,不自然である。すなわち,本件上申書(平成18年6月15日付け)には,被害者が大声を上げ続けたため,その口をふさごうとして右手を逆手にして口を押さえたところ,同女がいつの間にか動かなくなっていた旨記載され(9頁),作成の犯罪心理鑑定報告書(当審弁9)によれば,被告人は,平成18年12月から平成19年4月にかけて実施されたとの面接においても,被害者が大声を上げたので,右手でその口を押さえた旨供述していたことが窺われる(同報告書21頁)。
  ところが,被告人は,当審公判では,被害者が声を出したかどうか分からない状態にあった(当審第2回被告人307ないし309項),右手の感触は覚えておらず,どこを押さえていたか分からない(同第2回被告人343ないし353項),被害者にとりついているものを押さえるような感覚であった(同第2回被告人340項),自分の親指が折れ曲がっていたか,伸ばしていたかは分からない(同第3回被告人281,282項)旨供述しており,被害者の発声の有無,被告人の右手の動き等について,供述を変遷させている。
  被告人は,このような供述の変遷が生じた理由について,当審公判で,本件上申書の作成時には,頭の中で起こったことと,現実に起こったこととの区別がうまくできていない状態であり,頭の中で起こったことを本件上申書に記載した,と会ってから,両者の区分けがしやすくなったものの,同人に対し,自分の頭の中で起こっていることについて,前置きをしないで説明してしまったなどと供述している(当審第9回被告人1ないし21,30ないし44,471ないし491項)。
  しかし,本件上申書を作成した時点で事件から7年以上が経過しており,この間,被告人は,捜査官から詳細な取調べを受け,少年審判,第一審および差戻前控訴審の各審理を経ていたほか,弁護人とも多数回接見を重ねていたのであって,頭の中で起こったことと現実に起こったこととの区別がうまくできない状態であったというのは不自然極まりなく,被告人の上記説明は,到底納得のいく説明とはいい難い。
ウ 弁護人は,逮捕当日に作成された被告人の警察官調書(乙1)には,その4頁の6行目から7行目にかけて「奥さんを倒して上に乗り,右手で首を絞め続けたのです」と記載されているとして,このとき被告人は,被害者の頚部を「右手」で押さえた旨供述していたものであり,これは,右逆手で押さえたという新供述と同じ供述であって,捜査段階の当初にも真実の一部を語っていた旨主張する。
  そこで検討するに,上記警察官調書は,司法警察員警部補が,被告人から録取した供述内容を手書きして作成したものである。そして,警部補が書いた「左」という文字には癖があり,特に弁護人指摘の箇所は「右手」と記載されているように読めないこともない。しかし,同警部補が手書きで作成した被告人の警察官調書4通(乙1ないし4)のうち,弁護人が指摘する上記箇所(その写しは別紙の①)のほかに「左」または「右」の文字が手書きされた箇所は,「左」という文字が書かれた箇所が,警察官調書(乙1)には1箇所(9頁2行目。その写しは別紙の②),警察官調書(乙2)には2箇所(7頁13行目,15頁9行目。その写しは別紙の④⑤),警察官調書(乙4)には1箇所(2頁10行目。その写しは別紙の⑨)あり「右」という文字が書かれた箇所が,警察官,調書(乙1)には1箇所(10頁3行目。その写しは別紙の③),警察官調書(乙2)には3箇所(15頁9行目,17頁1行目,20頁8行目。その写しは別紙の⑤⑥⑦),警察官調書(乙3)には1箇所(10頁2行目。その写しは別紙の⑧),警察官調書(乙4)には3箇所(6頁8行目,6頁9行目,7頁1行目。その写しは別紙の⑩⑪⑫)あるところ,同警部補の書く「右」という文字にははっきりとした特徴があり,これらの手書きされた文字を比較対照すれば,弁護人指摘の警察官調書(乙1)の上記箇所は,「右手」と記載されているのではなく,「左手」と記載されていることが明らかである。被告人は,逮捕された当初から,被害者の頚部を左手で絞めた旨供述していたものである。被告人が,捜査段階の当初にも,被害者の頚部を右逆手で押さえたという新供述と同じ供述をしていた旨の弁護人の主張は前提を欠いている。
エ 第一審判決は,被告人の旧供述と関係証拠とを総合して事実を認定しているところ,弁護人は,意見および意見等に依拠して,第一審判決が認定した被害者の殺害行為の態様について,被害者の死体所見と矛盾があるなどとして,第一審判決は,殺害行為の態様を誤認しており,ひいては殺意を認定したのも事実の誤認である旨主張している。
  しかし,被告人の旧供述と被害者の死体所見との間に矛盾があるとはいえないのであって,以下に説示するとおり,被告人の旧供述は信用でき,したがって,被害者の殺害行為の態様および殺意の認定に当たり,第一審判決は事実を誤認していない。
(ア) 被告人が旧供述で述べる殺害行為の態様について,意見または意見は,①両手による扼頚であるというのに,被害者の左側頚部に被告人の右手指に対応する創傷がなく,被害者の頚部の創傷は左右非対称であること,②左手を順手にして扼頚したというのに,被害者の左側頚部等に被告人の左手親指に対応する創傷がないこと,③4条の蒼白帯のうち,最上部の蒼白帯Aの長さが約3.2センチメートルと最も短く,最下部の蒼白帯Dの長さが約11センチメートルと最も長いことに照らすと,左順手で圧迫したとは考えにくいことなどを指摘して,被告人の旧供述にある殺害行為の態様は,被害者の死体所見と矛盾する旨判断している。
  しかし,①の点については,被告人の旧供述によれば,被告人は,左手の上に右手の平を重ねて置いて,被害者の頚部を絞めつけたというのであるから,その際の被告人の両手の重ね方や被害者の頚部との位置関係,被告人の両手に対する力のかかり方,被害者の体勢等によっては,被告人の右手が被害者の頚部に直接接触することはないと考えられるから,蒼白帯も含めて右手指に対応する創傷が,被害者の頚部に形成されなかったとしても,何ら不自然ではない。
  ②の点について検討するに,たしかに,左順手により被害者の頚部を圧迫したのであれば,通常,同女の左側頚部に左手親指に対応する創傷が形成されると考えられる。
  しかし,以下に説示するとおり,被告人の左手親指による圧迫行為によって,被害者の左側頚上部(左下顎部)にある表皮剥脱Dが形成されたと推認することもできるから,被告人の左手親指に対応する創傷が,被害者の左側頚部等に形成されていないとしても不自然とはいえない。すなわち,被告人の検察官調書(乙24)には,被告人は,腰を浮かせ,被害者の喉を左手でつかむようにし,その上に右手の平を重ねて置き,全体重をかけて両手で握り込むようにしながら,同女の首を絞め上げたところ,同女の両手がパタッとカーペットに落ち,首もカクッと被告人から見てやや左に向けて倒れ,同女が動かなくなった旨記載されており,被告人は,捜査段階で犯行を再現した際にも,ほぼこの供述のとおりの状況を再現している(実況見分調書〔甲214〕添付の写真9ないし18等参照)。そして,被害者の首が倒れた向きに加え,被告人の小指に対応する蒼白帯Dが,同女の右前頚部から右側頚部にかけて形成されていることも併せ考えると,同女は,被告人に頚部を圧迫されていた際,やや右側を向いていたことも十分考えられるというべきである。そうすると,被害者の顔がやや右向きであるのに伴って,左側頚上部が被告人の左手親指によって圧迫され,そこに被告人の体重がかかり表皮剥脱Dが形成されたことも十分考えられること,意見は,表皮剥脱Dが,その位置,大きさ,形からして,被告人の左手親指による強い圧迫・擦過により形成されたと判断していること(嘱託鑑定書[当審検2] の鑑定事項③等)などを総合すると,表皮剥脱Dは,被告人の左手親指によって形成されたと推認しても不合理ではない。したがって,被告人の左手親指に対応する創傷が,被害者の左側頚部等に形成されていないことをもって,不自然であるということはできない。
  ③の点について検討するに,は,4条の蒼白帯について,これを含めた死体所見に基づき,加害者が左手を被害者の右方に向けてあてがい,強く扼圧したために生起されたものとしても,特別矛盾しない旨鑑定している。そして,作成の嘱託鑑定書(甲9)ほか関係証拠を精査しても,4条の蒼白帯の位置・大きさ・形状・弧の向き等を正確に特定することは困難であることにかんがみると,が,被害者の死体を解剖し,直接見分した所見に基づいて鑑定した内容こそ,最も信頼できるものというべきである。また,意見も,左順手で頚部を握るように強く圧迫した場合,手は縦軸,横軸ともにアーチ型に湾曲し,親指と小指の圧迫が特に強くなるため,小指による圧迫は,指だけでなく,手掌小指側(尺骨側)辺縁の圧迫が加算され,蒼白帯の長さが11センチメートルになって当然であると判断している(嘱託鑑定書[当審検2] の鑑定事項③等)。さらに,既に説示したとおり,被告人が,左順手で被害者の頚部を圧迫した際,左手親指が被害者の左側頚上部(左下顎部)を圧迫していたのであり,同女の左側頚上部と被告人の左手親指との位置関係等によっては,被告人の左手親指に強い力が加わる一方で,左手親指の付け根等と被害者の頚部等との間に隙間が生じるなどして,左手人差指に加わる力が弱くなることも十分考えられる。そうすると,4条の蒼白帯のうち,被告人の左手人差指に対応する蒼白帯Aの長さが最も短く,小指側に向かうにつれて蒼白帯の長さが長くなったことも,合理的に説明することが可能である。
  以上の次第であるから,左順手による圧迫行為と4条の蒼白帯の所見とが整合しない旨の意見および意見を十分考慮しても,被告人の旧供述に述べられた被害者の殺害行為の態様が,被害者の死体所見と矛盾しているとはいえない。
  なお,被告人による犯行再現状況を見分した結果が記載された実況見分調書(甲214)に添付された写真(番号9ないし13等)には,被告人が,両手で被害者の頚部を絞めた状況を再現している様子が撮影されているところ,たしかに,その撮影された扼頚の態様には,意見および意見が指摘するとおり,被害者の死体所見と整合しない点がある。しかし,被告人が,ある程度の時間被害者の頚部を絞め続けたことは明らかであり,被害者は,この間,必死で抵抗したと推認できることに照らすと,も当審公判で供述するとおり(当審第10回147ないし149,159項),時間的経過とともに,被害者の首の位置を含めた体勢が動いたり,被告人の両手の位置が動いたりして,最終的な扼頚行為が,上記犯行再現状況と異なっていたことも十分考えられる。しかも,被告人は,捜査段階において,被害者の顔を見るのが怖くて,下を向きながら,必死で同女の首を絞め続けた旨供述している(検察官調書[乙24] )ことに照らすと,被告人は,扼頚行為の最終段階では,被害者の頚部や自分の手を見ていなかったと認められることも併せ考えると,上記犯行再現状況に被害者の死体所見と整合しない点があっても,被害者の殺害行為の態様に関する第一審判決の事実認定に疑問を生じさせるものとはいえない。
(イ) 意見および意見は,①被害者の前頚正中部に表皮剥脱等の創傷がない,②皮内出血Aと表皮剥脱Bが,正中線から等距離の位置にない,③食道外膜に出血がみられないなどとして,両手親指を被害者の喉仏付近に当て,指先が白くなるほど力一杯押さえつけたという。被告人の旧供述は,被害者の死体所見と整合しない旨判断している。
  しかし,上記のとおり,被害者の前頚正中部には,1.5センチメートル×0.5センチメートル大の範囲に皮内出血Aがあり,その左方に1.5センチメートル×1.0センチメートル大の表皮剥脱Bがあるところ,意見は,皮内出血Aおよび表皮剥脱Bが,その大きさ・形状等に照らし,それぞれ左手親指の指先ないし右手親指の指先による圧痕と判断している。この意見の判断は,合理的なものとして首肯することができる。上記①②の指摘は,被害者が,必死に抵抗して顔を左右に動かし,圧迫されるとき顔をやや右側に向けていた可能性があることを看過しており,必ずしも当を得ているとはいえない。また,被告人は,捜査段階において,両手親指により被害者の喉仏付近を圧迫したところ,被害者が足をばたつかせるなどして必死になって払いのけようとしたため,振り落とされそうになって床に左手をついた旨供述している(検察官調書[乙24] )ことに照らす
 と,被害者の頚部を強い力で圧迫したのは,それほど長い時間ではなかったとも考えられ,表皮剥脱Bは生じたものの,食道外膜に出血がみられなかった(③の指摘)としても,死体所見と矛盾するとまではいえない。
(ウ) 弁護人は,意見に依拠して,被害者の左側頚上部(左下顎付近)に形成された表皮剥脱Dについて,被告人が,被害者に対し,その首に左腕を回すなどして絞め,プロレス技であるスリーパーホールドをした際に,被告人が着用していた作業服(当庁平成13年押第11号の45)の袖口ボタン(これは正確にいえばホックの片側であるが,本件では終始弁護人がボタンと表示していたので,便宜その表示を用いることとし,以下,単に「ボタン」という)によって形成された旨主張している。
  そこで検討するに,表皮剥脱Dは,直径が約1.2センチメートルの類円形である(当審弁31の写真同32の添付写真1 2参照)ところ,意見によれば,表皮剥脱Dは,類円形を呈し境界明瞭であることに照らすと,ボタンが作用して成傷された可能性が高いというのである(鑑定書[当審弁8 ]4,5頁等)。しかし,当庁で押収した上記作業服をみると,ボタンおよびその裏側の金具(以下,単に「金具」という)は,いずれも円形をしているものの,その直径を計測すると,ボタンが約1.5センチメートル,金具が約1.0センチメートルであると認められ,いずれも表皮剥脱Dとは大きさが異なっている。ボタンおよび金具は,いずれも金属製の鈍体であるから,これらの鈍体によって被害者の左側頚上部が強い力で圧迫された場合に,これらの鈍体と大きさの異なる表皮剥脱Dが形成されたとは,通常考えにくい。
  しかも,被告人は,当審に至って初めて,被害者に対しスリーパーホールドをし,同女の力が抜けた後,呆然としていたところ,背中辺りに強い痛みが走り,同女が光る物を振り上げていた旨供述したものである。この供述は,被告人が,まず最初に被害者に対し暴行を加えたにせよ,その後同女から攻撃されて,なりゆき上,反撃行為としてやむを得ず同女に対し更に暴行に及んだと主張することも可能な内容であるにもかかわらず,当審公判まで1回もそのような供述をした形跡がない。このような供述経過は不自然であり,この供述を信用することはできない。
  したがって,表皮剥脱Dが,スリーパーホールドをした際にボタンによって形成された旨の弁護人の主張は,採用できない。
  むしろ,表皮剥脱Dについて,,およびは,手指または親指による圧迫によって形成された,あるいは,そのように考えても矛盾はない旨(嘱託鑑定書[甲9] の鑑定の項1の3,鑑定書[当審弁6] の鑑定事項1の①,嘱託鑑定書[当審検2 ]の鑑定事項③等),も,親指によって生じたとの解釈も可能である旨(鑑定書[当審弁8]の4ないし6頁等) ,それぞれ判断していることに照らすと,上記4(4)エ(ア)のとおり,表皮剥脱Dは,被告人の左手親指により形成されたと推認するのが合理的である。
(エ) ところで,は,自ら被告人に扮し,松井弁護人を被害者役として,被告人の旧供述および新供述に基づいて,被害者に対する頚部圧迫行為を再現し,松井弁護人の頚部等に被害者と同様の創傷が形成されるか否かについて実験したとして,その結果を記載した実験結果報告書(当審弁13)を作成し,この実験に基づき,被告人の旧供述のとおりに再現した頚部圧迫行為では,被害者の死体所見と矛盾する結果が得られた旨判断している。
  しかし,被告人が,被害者の頚部を圧迫したときは,床に仰向けに倒れた被害者の上になって,頚部を圧迫したにもかかわらず,上記実験は,机くらいの高さの実験台の上に被害者役が仰向けになって行ったものであって,被告人および被害者の体勢や位置関係を正確に再現したものではない。しかも,頚部を圧迫した際も,余り力を入れると危険であるため,できるだけ無理のないように力を入れたに過ぎず,被害者の抵抗については考慮していないというのである(当審第6回218ないし235,264ないし273項)から,原判示第1の犯行状況を正確に再現したものとはいい難く,第一審判決の事実認定に疑問を生じさせるようなものではない。
(オ) そのほか,弁護人が,被害者に対する殺害行為の態様について,被告人の旧供述は信用できず,これに依拠して事実を認定した第一審判決には事実の誤認があるとして指摘する諸点を逐一検討しても,被告人の旧供述に,他の証拠と矛盾する点はなく,これに依拠した第一審判決に事実の誤認はない。 
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