izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

希さんの手術終了。。。退院まで会えない日々が続くのだ

2022-06-27 10:53:31 | 日記・エッセイ・コラム

6月23日(木)に希さんの圧迫骨折の手術が終わってから、2週間が過ぎた。

手術は12時から開始(予定)。その15分前に前日入院した3階東棟のナースステーションに来るように、とのことで、11時45分に3階に。面会禁止期間なので、病室には入れないの(^_^;)。

30分くらい待ったところで「前の手術が延びていて」とのことで、さらに待つこと暫し。。。。やっと呼ばれて手術室に入ったのが13時40分。「ご家族の方は、こちらの個室でお待ちください」と控え室に案内され、個室に入って待つ。

 

テーブルひとつと椅子が4脚ある狭い部屋である。。。しばらく待つ間、「あれ?これって??前にも覚えがある。。。??」。そうだ!去年の12月に妹の連れ合いが外出先で倒れて亡くなり、警察の検視では死因が不明とのことで大塚の監察医務院で解剖待ちをしていた時の部屋と同じだ(゚Д゚)。。。

待つ時間は長〜い😥。YOU TUBE を見たり、時々立ち上がって脚を伸ばしたり、ストレッチしたり、太極拳の基本功をしたりするものの、集中できない。。。待つしかない。。

そうこうするうちに、5時30分過ぎに担当医が部屋に入ってきて「問題なく、無事に終わりました」。やれやれ、ほっ😌

手術室から集中治療室に移動した希さんは、「まだ麻酔が醒めきっていない」ということで、呼びかけると右目だけうっすらと開けるだけ。声を出そうとするものの、全身麻酔のチューブが喉に入っていたので、まだ声が出ない掠れた声が出るだけで言葉にならない🥺無事に手術は終わって、後はまた後のことだ。とりあえずやることもないし、疲れたし😩、で帰宅する。病院って、本人はもちろんだが、付き添っていくだけでも疲れるところなのである。。

 

その翌々日(?)だったか、午前中に病院から電話がかかってきて「何ごと!?」。看護師さんの話によると、「ナースコールが鳴ったものの対応が遅れて」、尿管に入れたチューブや手術した背中のドナーを”自分で外してトイレに行った”のだと(゚Д゚)。そのために”尿管から(?)出血”して、”勝手に管を抜いちゃって(!)一人でトイレに行って(!)”、”貧血があるのに倒れたらタイヘン”、”せん妄が見られるし”・・・で、なんだか聞いててムッ😠

本人に代わってもらって聞いてみると、「ここにはいられないかもしれない」「えッ?!なんで?!」。「みんなに迷惑かけちゃったし」(それが仕事だから、気にしないでいいのに)。よくよく聞いてみると、「ウン○がしたくなってナースコールを押したけど、誰も来てくれなかったので、自分で行った」と。「それで、ウン○は出たの?」「ウン、出た」。ナンダ、問題ないじゃん!「な〜〜んにも気にすることはないヨ!」と力強く励まして、「何か持ってきて欲しいものはないの?」と聞くと、「う〜ん、あると言えばある。ないと言えばない」「どっちなの?」「トイレに行った時に血が出て靴が汚れちゃった・・」。入院時に売店が購入した室内履きを汚したようだ。

希さんは、普段、ブーツしか履かない。スニーカーはもちろん、普通の革靴も履かない😥ゴミ捨てに行く時もブーツだ。今回の入院では当然リハビリもあるから、「もう少し足入れのいいスニーカータイプの靴が必要じゃないの??」と言っても「いらない。ベランダ用のサンダルでいい」である😠持ち物には、”踵のある履きやすい靴”と指定があるヨ😠仕方なく入院当日、病院の売店で、(゚Д゚)どう見たって病院内用の)室内履きを買って荷物に入れる。

 

で、その入院時に買ったばかりの室内履きをまた3日後に買って、病室行きの荷物受付に渡すことになるワケだ。病院はまだコロナの関係で面会禁止。必要な荷物を届けたい場合は、日曜・火曜・金曜の指定時間に、ロビーで受け付けてくれるだけ。。

「それじゃ明日、売店で買って渡しておくから」。。。あ〜あ、である💦

 

そのまた2日後くらいに、また看護師さんを通して電話があり、「なんだかよく分からなくなってる。。その部屋、何号室だっけ?」住んでいるマンションの部屋番号が分からなくなったと。さらに「なんか、広い部屋からまた狭い部屋に来て、どうしたんだろう・・?」。一瞬「えっ?!」と思ったが、つまり、入院して病室に入り、翌日手術後に広〜い集中治療室に移動、そこで一晩過ごした後、また元の4人部屋に移動したせいで、アタマが混乱しているらしい。。。看護師さんに言わせると「せん妄があります」。だけどサ、希さんは腰が痛くて、もう1ヶ月間くらいず〜っと痛み止めを飲み続けているのよ。アタマがボーッとしてきて当然でしょう!それを、おおごとのように「せん妄、せん妄」って、言ってほしくないのだ😠

 

その後、リハビリが始まったらしく、4回目の電話では「今日はなんだか調子がいいみたい」と、声も明瞭で明るくて大々安心😊😊😊その電話があった日は、テレビ用のイヤホンと、携帯のバッテリー(入れ忘れ(^_^;)。)、とその日の新聞を入れて、ついでに希さんと看護師さんあてにお手紙書いて入れたので、ちょっとは現実社会に意識がいったかな?

やっぱり病院で、何もしないで(家事もしてない)、刺激もなし、緊張感もなし、でいるのは良くないのであった。

 

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介護ベッドを借りることになって(ワタシではない)、簑沢まで介護保険申請に 

2022-06-21 13:23:27 | 日記・エッセイ・コラム

希さんの第2腰椎圧迫骨折の手術が木曜日に決まった。前日の水曜日に入院である。

今は布団を敷いているが、退院後はしばらくは「ベッドの方がいい」との指摘もあり、電動式で起き上がりをサポートしてくれる介護用ベッドを借りることに。そのために必要なのが、介護保険の認定だ。認定には本人の状況確認が必要。入院まで3日しかないし、退院がいつになるかも分からない。。。入院前に行かなくっちゃ!と焦って、この地区を担当する簑沢地域包括センターまで出かけた。

実際に退院したときに必要なのは、起き上がりをサポートする介護ベッド。認定が降りなくても、1ヶ月で1,000円で借りることができるという😌不要になったら返却すればいいのでとても都合がいい。担当医によると、手術が終わって「術後2〜3週間は入院」(そんなに〜!!である)😅。。 

第2腰椎の折れた(というか潰れた)骨をセメントで補強し(゚Д゚)、ネジ2本で上下の骨を支えるのだという(゚o゚; (そんなことが出来るんだ〜!!??)術後も3ヶ月程度はしっかり固定しておくために、胸から骨盤までをガッチリ支えるコルセットを再度注文(2週間ほど前にオーダーしたものではカバーする範囲が足りない)。それを夜寝るときとお風呂に入る時以外は一日中装着しておかなくてはならない(゚Д゚)。。。真夏に向かう時期に、ご苦労なことであります。

介護認定の審査には、入院中に横浜市の担当者が病院まで出向いてくれるという。😌やれやれひと安心。。。焦って入院前に済ませなくてもよいことでありました(^_^;)

 

簑沢地区センターは、自宅から歩いて20分くらい。

以前は、広〜い芝生の庭にきれいな色の木造平屋建ての家々が点在する在日アメリカ軍の居住地区に隣接する地域。かつては小学校などもあって、朝夕黄色いスクールバスが走っていたものである。横浜市に返還された今は住む人はなく、ガランとした建物が残るだけ。道沿いには錆びたままの消火栓が残っている。未だに道の突き当たりの入り口には(日本人の)警備員が立っている。中には入れない。そのすぐ前の脇道に入ったところにあるのが簑沢地区センターであった。

今は境となっているフェンスギリギリまで住宅が建ち並びかつてのような広々した光景はないけれど、廃屋寸前の校舎や、駐車場の地面に書かれた”US PERSONNEL ONLY”という文字などに、過ぎた時代の”日本のアメリカ”が偲ばれる。

 

そこから旭台のバス停まで歩いて桜木町駅行きのバスに乗り、高額医療費の限度額認定書を提出するために中区役所まで。

森林公園に沿って歩く道は緑いっぱいで気持ちいい(*^_^*)帰りに元町商店街で降りて、ゆっくりコーヒータイム。少し気分転換できた月曜日でありました。

 

 

 

 

 

 

 

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