しまちゃんの愛し糸島ブログ

糸島を個人的に愛している人達の紹介と、ネットワーク作りを目的とした、愛し糸島プロジェクトの情報発信ブログ。

2/25「ヴァンヴェール珈琲学園課外授業 社会」のこと

2012年02月27日 03時31分24秒 | 学習・教育関係

姪浜の駅ビル内の喫茶店ヴァンヴェール珈琲で昨年の「カフェ・プロレス」に続いてのイベントでした。

今回は『ヴァンヴェール珈琲学園 1時間目・社会』と銘打って、福島から鳥栖市に自主避難されてきた木村雄一さんを講師に「東日本大震災と原発問題について考える」という題で講演会をしていただいた。

木村さんは宮城県石巻市出身で福島市でライブハウス経営をされていた。3.11以後、情報が入らず、ツイッターのみが生きていたとのこと。三陸地方の津波被害のことを知ったのはその3日後のテレビであったとのこと。故郷石巻の情報を手に入れたくて。新聞社の知人に会いに行ったりしたが津波被害で、石巻に入れる状態ではなかったとのこと。

放射能については、最初原発推進派の御用学者みたいな人たちが「安全です。安全です」と福島に言いにやってきたが、いかにも違和感のある言動に、自分たちでネットを調べたり、ガイガーカウンターを購入して、家の内外、近所周辺を計測してまわったそうです。福島市内でも40ベクレルを計測し、震災1ヶ月経過して妻から「福島を離れたい。」と言われ、0歳の愛する娘と妻を守ることを決心し、移転を検討し始めたそうです。

 震災49日目にやっと木村さんは故郷の宮城県石巻市に入ることができたそうです。360度見渡す限りがれきだらけで、そこらじゅうが異臭がたちこめしばらくは言葉も無かったそうです。不自然に放置された田んぼにある車や、建物の上や木の上に車が放置されたままの様子を見て、津波の高さや大きさを思い知らされたそうです。

木村さんの実家は津波被害にあいご両親は現在も行方不明のままらしいのですが、実家ののあった場所が津波で視界が利くようになり、こんなに海に近かったのかと驚きを感じたそうです。親戚や同級生に物資を届けながら話を聴くと、自衛隊の捜索後にも、人の手や胴体の一部が見つかったり、津波で亡くなった方の多くが海水におぼれて死ぬのではなく、肺に海の砂が入り込んで窒息死したケースが多いらしいなどニュースに出てこない話が聴けました。

福島県内でも、福島第一原発から30km以内の住民は強制移動地域で、100万円前後の補償金を受け取って、どこかに移動されているのですが、30km以外の地域の人たちは除染も、移転も自主責任で、何の補償もありません。私の住んでいた福島市はちょうど福島第一原発より60kmの距離にあり、「ここは安全だ。」と政府や行政も言っていましたが、自分で測ると、20~40マイクロシーベルトの放射線があり、木村さんは危険だと思われたそうです。しかし同じ福島市民でもマスコミは信じられないし、現実を見ようとせず、頑なに移転の話を聴こうとしない人が多かったのも事実で、どちらが正しいということが言えない問題だと思ったそうです。

 

チェルノブイリで爆発した原子炉は1基で、福島は4期壊れている。汚染地域は飛び石状態の地域に高汚染になっている。日本ではあまり言われないが、木村さんからチェルノブイリ付近では、妊娠中に被爆した人が奇形の子どもを産んだり、死産や、原爆症の子どもで短命だったケースが多いことにも言及された。

この授業の開催地である姪浜を意識して、木村さんがネットで見つけた玄海原発が爆発したらどうなるかというシュミレーションをした図をみせていただきました。年間で一番多く吹いている西風の場合みたいで、セシウム134と137による土壌汚染予想は、糸島の西側二丈はは赤色3000kベクレル/m2で、前原、志摩はオレンジの1000~3000kベクレル/m2,糸島半島の西区・姪浜付近は黄緑の600~1000kベクレル・m2くらいに見える。どちらにしてもキロのつく単位であるからただじゃすまない。たしか、平均的西風の場合、約2時間で糸島半島・市に放射性物質は到着すると、前原の風船で実験した人たちが言っていました。2時間で車でできるだけ東の北九州、大分、熊本方面に逃げることが肝心みたいです。

玄海原発が事故った場合、まずは風向き情報に気をつけましょう。

木村さんの授業の骨子をまとめると、

原発は本来扱えないものを扱っているのだから、扱えない。扱えないものだから、作った原発は危険なものである。しかも、54基あるものが、止まっていようとも危険に変わりが無い。女性と子どもを守れない人はダメだし、信用できない。自分たちは勝手に自主非難してきたのだから同情しないで欲しい。友人として、接触して欲しい。しかし、この震災のことを忘れないで欲しい。

付け足すと、写真はデータでパソコンに貯めておくより、プリントして持っておくべき。全てを流されて、被災した縁者が行方不明のままで、過去の思い出になるものが何も見つからない場合、なかなか立ち直れない。写真の断片が1枚見つかるだけで、行方不明者に別れを告げられ、初めて立ち直るための第一歩を踏み出せることが多いとのこと。 

ヴァンヴェールの衣笠店長たちが娘さんの誕生日を祝ってケーキを贈ったことへの感謝の念を伝えていらっしゃいました。ああ事故から1年経とうとしているとあらためて感じました。

震災前の宮城の美しい写真集も見せていただきました。

授業後、同じ福島から避難されてきた友人の氏家さんも交えて、質問タイムが。

Q:放射能の影響を身体で感じますか?

木村A:放射能の影響かどうかは不明だがストレスで歯が抜けた(その性で本日はマスクをさせていただいた。)。1.5,2.0あった視力が0.6と0.7になった。食事中に脳がぐわ~んと揺れる感覚を初めて感じた。

氏家A:体が重くて、疲れやすいです。

 

Q:福島に居る人に伝えたいメッセージはありますか?

木村A:別にない。非難したことがメッセージだ。

 

Q:どうして避難先を九州に決めたのですか?

木村A:インターネットで検索して、最初に3万人の受入を表明したのが佐賀県だった。避難先に鳥栖を選んだのは、自分が福島ではライブハウス経営をしていて、福岡市に近く音楽文化に触れやすいと判断したことと、鳥栖がサガントスなどに象徴されるように街に勢いがあり、住人の平均年齢が30代で若い人が多く、子育てもしやすいと思ったから。

 

Q:私たちに何かできることがありますか?

木村A:何もありません。ただ、この震災があったことを忘れないで欲しいし、復興に頑張っている人を見守って欲しい。まあ、できるならでいいので、ご自分が住んでいる地域や故郷をを良くすることを何かしてくれるとうれしい。

氏家A:自分は福島で福島の仲間と計画していた夢があったが、実現が難しくなった。今ははっきりしないが、いずれ福島のために何かしたいと思っているので、何ができるかいっしょに考えていただけるとありがたい。

(以上要約)

 今回の授業を主催した衣笠店長が、また次回違う内容で珈琲学園の授業を開催するという言葉で締めくくられました。

サプライズに最後に会場に来られていた先生をされているお客様が作られその生徒さんが歌っている福島応援ソングが店内で流された。

僕は思わず涙が出てしまった。

うまくいえないが、忘れそうになっていた「がんばろう日本」で、また今日から行こうと思った。

このイベントを開いてくれた、衣笠店長に感謝だ。

木村さんの「自分の住んでいる地域を良くすることを何かして欲しい」という言葉が胸に刺さった。


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