この前「バリ島物語」という本を読みました。オランダがインドネシアの島を植民地化している時代の小説です。バリ島にはいくつかの王国があり、独特の宗教観と信仰と階級制がありました。ある日、バリ島のある海岸に中国人の所有するたくさんの荷を積んだ輸送船が嵐で座礁しました。その地域のバリの風習では浜に上がったものは浜の住人の所有物となるというものがあり、その中国人の荷物は銀貨や貨幣も含めて、近隣の貧しい住民が持ち去り、臭い毛皮等バリでは不要なモノだけが残った。荷を失った中国人が植民地を支配するオランダ政府に訴え、その地域を統治する王様から賠償金を払うよう訴えた。バリの住民の多くは貧しいのだが、彼らが浜の難破船でしたことは自分たちの風習に従ってやったことで、それが住民の文化であり当然のことでした。
しかし、中国人やオランダ人などのヨーロッパ人の法や商習慣からすれば、バリ島の浜の住民がしたことは犯罪であり、その住民がしたことにその地を統治する王様に補償を要求するのは当然のことでした。この風習や習慣や考え方や文化の違いが衝突を生んだのです。結局、オランダ人は大きな大砲を積んだ軍艦数隻でを浜を囲み、浜を使ったバリ住民の商活動を停止させました。この、あいさつや礼儀を失したオランダ人のやりかたに、誇りを傷つけられた王様は、賠償金が支払えるお金は持っているのに、賠償を断り、戦争がはじまりました。王様に従う家来や住民は槍やナイフで立ち向かい、一方オランダ軍は、軍船の大砲からの艦砲射撃と、銃を持った軍隊で攻めていきました。そしてほぼ1日でバリの1つの王国が滅んでしまい、多くの人が死んでいきました。だいたいそういうストーリーです。
オランダ人たち、バリを支配する者たちの価値観とバリの王様を中心としたバリ人の価値観の違いが多くの人の命を失うという戦争に突入させました。開戦のきっかけが王様の誇り、オランダ人の無礼が許せないというものでした。
人間の価値観が衝突を生むし、「誇りを傷つけられたまま生き恥をさらすより死を選ぶ」という生き方もあるということです。
僕は金正恩とトランプのことを知らないのですが、今までのニュースを観て、金正恩が父金正日の教育や生き方を教わっていて、それが金正恩の形成された価値観の全てだとしたら、トランプが父からの教えやビジネスの世界から富を勝ち取ることで獲得した弱肉強食の価値観でそれが彼の価値観の全てだとしたら、お互いが自分が一番だという価値観に染まっていて、お互いの価値観は理解し合えないだろうと今考え始めています。
世界を平和にする方法 その2
この「誇りを傷つけられたまま生き恥をさらすより死を選ぶ」という生き方はテロを行っている人々の価値観にも通じているように思います。
この考え方が利他に基づくものか、利己主義に基づくものか、いろいろ、その状況によって判断が分かれるものですが。守ろうとする行為が利他であっても、その守ろうとする組織にとって組織の利己主義に基づく命令であったりして、個人にその行為が世界から見て、ちゃんと自分で考えられることが大切です。
この軋轢を生む価値観の認識のずれや相違を失くしていくことが急務ですが、それは対立する者がお互い対話し、腹を割って話をしないと治らないことです。
しかし双方のリーダーたちが他者を理解できない人だとしたら、その人を教育している暇がありません。人間は価値観を形成していく(大人になる)のに何十年もかかります。
リーダーたちの意味のないプライドがぶつかるのは、「寛容力・理解力」そして、「人間の器の大きさ」「知恵力」そして、何をたいせつにすべきかという価値観が欠如しているせいで、それを形成するためには「ある教育」が必要です。
もっというなら、この国同士の軋轢の原因は国それぞれの国のしくみとか、世界の経済の仕組みとか、核兵器も含めた軍事力のしくみだけでなく、その国を形成しているリーダー以外の人間の価値観の教育も必要なのです。
それと、個人が言いたいことを考えて的確に伝える能力や社会的仕組みと、個人がちゃんと受け取る能力とそれを許す社会的仕組みが必要です。
ある教育
この軋轢を生んでいる仕組みを作ったのも人間で、ぶつかり合っている人は「他の世界を知らず、自分を信じられない人」です。
もっというなら、「成長しない人、学んで変化できない人、自分のことを自分で始末できない人、独立していない人、考えることなく組織や過去に盲従する人」です。
だからその逆の人を育てればいいのです。簡単に言うと、「学びながら誰とでも仲良くなれる人」です。学ぶためには、成長するには個人だけの努力では限界があるということです。
だから、自分を成長させ独立するためには他者の力が必要だと認識し、自然に誰からでも新しいノウハウや知恵を生み出すヒントをもらうことが大事だと思うのです。
その「誰とでも仲良くなれる人」になるために一番必要なことは、幼児の時からいろいろな人とよく遊ぶということです。
今の人たちは、特に先進国では遊ぶことが軽視され、大人のエゴでお受験や多くの習い事をして遊ぶ時間がなくて、大人たちより忙しい子供が多いです。その習い事が楽しめて、遊びでやれてればいいけど、親に怒鳴られながらやっているのだったら子どもにとっては不幸なことです。それより、自分が自分で選んだ遊びがやれることが大事です。そして、その子が何に興味を示し、どういうことをより多く楽しめるかを見極めるのが親や大人たちの役目です。
「世界のどこにいても、他者とコミュニケーションが取れ、自分を信じて成長していける人」にしていく教育が広がればいいと思っています。そのためには、こどものときから、自分がやる遊びを子ども自身に選択させることを習慣づけて、自分で行うことを自分で選びその結果に自分で責任を取ることを普通のことにすべきです。そうすれば、どうすれば自分を幸せにできるかを考え、おのずと、幸せにつながる結果を出すようになるはずです。さらに、もっと面白い遊びを創造できるようになります。そして、コミュ二ケーション能力が高まれば、自分だけでなく自分を含めたチームを幸せにする遊びを考えるようになり、大人になってそれが、自分を含めたグループの人たちを幸せにするグッドアイデアを考え出し、それを実行する人になっていくと思います。だから、幼児教育が大事です。そして、世界中の学校のどこでも学べて、どこでも単位が取れて、どこでも卒業できるようにすればいいです。日本は特に、幼児教育から、デンマークなどの北欧の教育を導入して、国民の幸福度が高い国にして欲しいです。
国の枠を超えて、世界の平和を創ることをビジョンとした価値を持つ人たちが繋がっていくことが大事だと思います。そうなったとき、何らかの役目が果たせるその人独自の能力の追求こそが、教育の目的となりそうです。
短絡的かもしれませんが、子供を一人でもまたは多くの人ともそしてあちこちで選択種を与えてよく遊ばせることが世界の平和につながるし、自分で退官し考える教育が大事ということと、世界の平和をつくる人間が育つのには何世代か長い時間がかかるということでした。
残念ながら、トランプ、金正恩の対立には間に合わないので、被害が最小となるにはどうしたらいいかを考えた方がいいように思います。しかも、最悪の有事に備えながら。
全世界の人間が考えれば、解決策は絶対あるはずです。
参考:僕の平和の作り方のその1はhttp://blog.goo.ne.jp/itoitoisland/e/a9146ed50b21bc47def84c6d11cc4cd3