「より早く」
「より安く」
について書いた。
書いているあいだじゅう、ずっと頭から離れなかった話がある。先日紹介した「石工の話」だ。
土木における「良く」「早く」「安く」を語るとき、この話はとても示唆に富んでいる。
ふたたび(みたびかな?)『庶民の発見』(宮本常一)より引用する。
宮本常一
講談社
「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような・・・・・。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」。(P.25)
じつに正直だ。百万言の美辞麗句やレトリックをもってしても、この石工の独白にはかなわないとわたしは思う。
白状してしまうと、「より良いモノをより早く」などとカッコをつけているわたしも、いつだってこの葛藤のなかにある。
ついザツな仕事をする。
経費の関係で手をぬくこともある。
やっぱりいい仕事をしておくのがいい。
結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ。
と思いつつ、
ついザツな仕事をする。
経費の関係で手をぬくこともある。
やっぱりいい仕事をしておくのがいい。
結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ。
そんな循環のなかで辺境の土木屋という生業をつづけているのが現実だ。エラそうなことを言えた義理ではない。しかし、そんな自分を棚に上げ、まっとうな台詞を並べ立て威勢のいい啖呵を切ることもしばしばである。まったくナニヲカイワンヤという気がしないでもない。
だが、だからこそわたしは、宮本常一が拾い上げ残してくれた「ある石工のモノローグ」をいつもいつでも心に持ち、「土木のしごと」という営みをつづけていきたいと思うのだ。
やっぱりいい仕事をしておくのがいい。
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