「良く早く安く」は、間に合わせの安物に対しての掛け声である。半永久の寿命が必要な社会資本には、絶対に適用してはならない。(P.87)
尾上一哉さんはその著書『地域建設業ーある建設業者の遺書』のなかで、同様のことを繰り返し書いている。
地域建設業―ある建設業者の遺書 | |
尾上一哉 | |
熊日出版 |
そして、わが社のモットーは「より良いモノをより早く」。
折にふれて書き、言ってきたつもりだが、ひょっとしたらあまり説明してこなかったかもしれないなと思わないでもない。ということで、「より早く」について書いておくことにした。思いつきついでに、なぜ「より安く」がないかについても書く。
まずは「より早く」。
わたしが提唱するところの「より早く」には2つの意味がある。
一つ目は、「三方良しの公共事業」の旗振り役としてのわたしが考える「早く」。公共事業の執行に関わる無駄を省けば自ずから「早く」なるだろう?ということである。平たく言うと、施工者のわたしや発注者のアナタがテメエらの都合でチンタラやるのを止めて、本当の「お客さん」である地域住民のためを考え、公共事業の最前線たる現場を回していこう、ということだ。
二つ目は、会社の番頭としてのわたしが考える「早く」。プロジェクト遂行における人間の行動特性は、往々にして「より早く」とは逆の方向で表出する。つまりこんな現象だ。
作業日数の見積もりは水増しされる。
ギリギリまで手をつけないことで、せっかく見込んだ安全余裕は結局全部吐き出すはめになる。
そんな最悪のタイミングで最悪の事態が発生する(じつは、当人が「最悪」だと感じてるだけで余裕があれば対処できることが多い)。
優先順位をつけられず、悪いマルチタスキングを行うことによって時間がかかる。
予算と時間はあるだけ使う。
早く終わっても報告しないので遅れだけが伝わる。
などなど・・・
これらの行動特性を排除していけば、おのずから「早く」が実現され、その実現が利益の向上に直結する(ちょっと回りくどい表現だな。つまり「早く」終わらせれりゃあ儲ける、だ)。
しかし、ここで肝要なことがひとつある。「早く」を念頭に置きすぎたり、「早く」だけに固執するあまり、品質をおろそかにしていては、「信頼」や「信用」という、目には見えないけれど長期的にはとても大切な利益(いち企業だけの利益にとどまりませんネ)を得ることはできないということだ。この意味において、わたしのなかで2つの「早く」は同等となる。そして、「より早く」と「より良く」も共存できる(ただ、オーバースペックは必要ないというのがわたしの考え)。むしろ共存しなければいけないと言ったほうが適切かもしれない。
次に「より安く」。
今という時代の消費者マインドを前提として考えると、これは少々やっかいな問題である。
とここまで書いたが、あいにくと今日は時間がない。
ということで、つづきはまた明日。『「より安く」について』のココロだあ。
(にならなかったらゴメンね)
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