老人介護の報道をTVで見ました。取材された家庭は、80歳を超える方が、認知症で動けない高齢女性を一人で面倒を見られている家庭でした。 生かして頂いて ありがとう御座位ます
介護をしている老人は、女性の世話をしていて背骨を疲労骨折されていました。だから上半身だけが、不自然なほど折れ曲がっていました。
普通ならば、介護をしている本人が入院、もしくは介護をされていても当然な感じに見えました。しかし、その介護人は料理を自分で作り、一口ずつ女性の口に運んでおられました。
老人が老人を介護する老老介護の典型でした。いや、怪我をしている老人が、認知症の老人の世話をするという深刻な介護でした。
介護人は、女性が叫ぶ意味不明な言葉にも、優しく丁寧に一つ一つ返答されていました。
その様子を見ていて、私には介護をする人の性別が分かりませんでした。どうしても性別を超えた観音様に見えたのでした。薄く輝く金色の霊体にしか見えなかったのです。私の家族にその方の性別を聞きましても、意見が分かれました。
まさに生きながらにして、人間が中性に向かう見本のような人でした。
その心境に至るには、どのような宗教的な修行者も敵わないでしょう。間違った信仰をすれば、蛇のような生々しい黒い光しか出せません。その性別が増々いやらしく強調されるのです。
人間は、どんな道を選択しても、その中で懸命に自分の良心を発露させることが出来れば、神様の元へと至るのです。
あの介護人は、施設に認知症の老人を安易に預けることを不びんに思い、自分が出来る最大を尽くして死んで行く「覚悟」をしていると感じました。
TVを見ていても、決して暗さを感じさせませんでした。
高齢であることも含めて、既に「性」老病死の苦悩を超えた心境を見させて頂きました。
地球上での人間は、生まれ出る環境は全員がバラバラであり、不公平感を思わせるかも知れませんが、霊的な意味では真に完全なる平等なのです。神様の為さる神技には、間違いはありません。
自分の行為と思いを、時間と人生を挟んだ後に反映して受け取っているだけなのです。
だから、生きている間は、絶対にあきらめては生けません。正しく生きれば、正しく「いつか」それを自分が受け取ります。
生きている短い間ぐらいは、縁ある多くの先祖を始めとする霊を慰め、縁ある生きる人を出来る範囲で助けたいものです。
いつか、自分自身が助けられ、癒されます。
人間が死ぬということは、生まれ出た国も人種も生活も超えた、完全に平等な区切りなのです。
この区切りを明るく超えて行くには、この言葉で普段から「生きる」ことです。それが、
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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
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全ての質問と疑問の答えが、この本にあります。
読むだけで人生が変わるたった一つの方法―伊勢白山道Q&A事典
簡単な表現の文章ですが、強い改善力を目覚めさせる本です。
だいじょうぶ!「幸せの神様」が微笑んでいる
修正点です。174ページ4行目の続きには以下の文面が入ります。
「いかないのです。まずは、心に神様を意識して生きましょう。」
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伊勢神宮から白山へ、その聖なる軌跡
今日も人間として生かされるうえで、大切な事、忘れてはならないこと、記事にして届けてくださりありがとう御座位ます。
生かしていただいて、ありがとう御座位ます。
日本のTV番組など観ることもできません私には、本当にこのような記事はありがたいです。。。感謝をいたします。
考えさせられました。皆…老いてゆくのですよね…
…今日はこの記事を胸に秘めて生きます。感謝想起と共に。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
今日も 生かして頂いて、ありがとうございます。
今日の記事を下していただき本当にありがとうございました。私も親の介護を通してたくさんの観音さまに接するという幸せを日々味あわせて頂いております。予備軍の方ならそれこそ山のようにいらっしゃいます。
ちなみに私の背中も去年疲労骨折のようでした。これは私のやり方がまずかった故なので今ではましになりました。
親を生かして頂いてありがとう御座位ます
実際に鬱で苦しんでいる人が「これは霊のせいだ」なんて
想像もできないと思うよ。感情の無い思考が止まった世界にいるから。
「ただただ自分を責める「私が悪い」と。激しい後悔。灰色の世界。
とにかく自分を責める以外の感情が出てこない。
病院で看護婦に酷いこと言われても怒りの感情も出てこない。
眠れない。食べれない。起き上がれない。
食事をおいしいと思ったこともなかった。痩せてガリガリだったしね。
先祖供養を始めた時も「鬱病が治るかも」なんて考えてなかったよ。
とにかく死にたかったんだから。
私は割と初期の頃から読んでいて先祖供養を始めたんだけど、
初期の頃はまだ鬱病についての記事はほとんどなかった(と記憶している)。
でも、あれだけ苦しんだ鬱病が治ったんだよ。薬を止められた。
治るとは思わなかった。私は重度の鬱だったしね。
苦しみながらでも先祖供養をしがなら通ってきた3年を振り返ると、
薬を止められ、精神が安定してきたのは先祖供養に何らかの関係があるとしか思えない。
先祖供養を始めてから、だいたい2年くらいで落ち着いてきたと思う。
こればかりは、自分で経験してみないとわからないと思う。
今だって、自分の鬱が霊障だったと断定はできない。
見えないことだし、証明できない。
「ひょっとしたら、霊障だったのではあるまいか」と思う程度だよ。
私は子供の頃から精神的に不安定な子供だった。
小学校の成績表の所見にいつも「情緒が不安定」と書かれたいた。
でも、落ち着いてきた。
このような変化は、自分が一番わかるだろうね。
重度の鬱になってしまったら、医者しか頼る人はいない。
カウンセラーは意味が無いと私は経験上思う。
薬しか無いんだよ。薬を飲みながら苦しむしかない。
「医者からリーマンに依存先が変わっただけじゃないか」なんて思うかもしれないけど、
先祖供養にリーマン関係ないよ。線香だって線香会社が作ってるんだし、
寄り代は百均で買って、自分で「○○家先祖代々~」と書いた。
先祖に感謝はしたけど、先祖供養の時に、リーマン氏を思い浮かべることなんてないしね。
先祖供養はとても個人的なものだよ。
カタマリ(塊)とタマシイ(魂)の字が似てるわけもわかった。想いがカタマるとタマシイになるんだ。お年寄りシスターも在家のパートさんも、自己保身なんか考えてないな。わたしは恵まれてきちんとした施設へ行ったのだけれど、「大きな家族」だった。
わたしは受験競争に毒されている。一時期必要なことだが、まだ卒業していない。社会に出てから「自分に商品価値をつけること」に毒された。スキル、経歴、女の魅力、付加価値。それも一時期必要なことだ。ただ毒もたくさんある。人間にヒエラルキーをつける。
土台がちゃんとしてれば、人間の基礎があれば問題ない。でもね、プライベートなことも商品価値に置き換えられると本末転倒。
そういう「商品価値」をメインの価値観にして生きると、商品価値が壊れた時に、ものすごく怖い怖い思いをするよ。四面楚歌、周囲が全部敵に見える。
人生の重心をどこに置くのか?心臓や肚に重心を置いたとしても、流行や時の流れで変わる容姿や服に重心を置くものではないね。
私も昨晩同じ映像を観てどちらがどちらなのかわりませんでした。
ご主人は、あのような状況下であっても最後に感謝の気持ちをも述べていらっしゃいました。
心が震えて涙がでました。
人とはこのように生きられるものなのですね。
先人のよきお手本を観せていただきました。
私の方こそ
ありがとうございます。