西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

奈良・興福寺中金堂の鴟尾(しび)が取り付けられる

2015-03-19 | 住まい・建築と庭
昨夕のNHKTVで「奈良・興福寺中金堂の復元で鴟尾(しび)が300年ぶりに取り付けられる」と言っていた。鴟尾(しび)とは、屋根の棟の両端に飾りとして取り付けられるもので一般にキンキラキンである。ところで、この興福寺中金堂の江戸時代の家事での消失から、復元でハッキリ分かっているのは、地中に建てられた柱の様子のみである。一方、立面の様子は、殆ど分からない。立面的部材が殆ど残っていないからだ。

しかし、復元するには、立面の様子を確定する要がある。当時の立面も分かるのは、法隆寺である。これを元に寺は勿論、それ以外の他の種類の建築物の原形が推測された。そして、平城宮の朱雀門や今回の興福寺中金堂でも「あったかどうか」は不明であるが鴟尾(しび)が使われた。

私は昨年、興福寺中金堂の復元(デザイン)にコミットしている元・奈良国立文化財研究所所長の鈴木嘉吉さんに現地で鴟尾(しび)のことで「これは本当にあったのですか」と聞いてみた。答え:「あったかどうか、本当のところ分からないが、デザインとしては当然、」との、うーん勉強になった。

この興福寺中金堂の完成は平成30年、3年後である。

「まち」を創る建築をめざして、を聞く

2015-02-12 | 地域居住学
「まち」を創る建築をめざして(1、2)建築家 柴田知彦、柴田いづみさんをラジオ「深夜便」の明日への言葉で聞いた。
二人とも東京の出身、小石川高校、早稲田大学建築学科卒の先輩、後輩、知彦さんは丹下健三事務所、いづみさんはフランス留学(建築史)後に二人で設計事務所を、住む目白を拠点に活動、いづみさんは滋賀県立大学で建築学科立ち上げ以来かかわる。

まちを創る建築例:歩道状空地(建築敷地内に創る、生み出す)、樹木は何処でも欲しい、「緑」についてはいづみさんは七つほどの意義付けをしている(「つながり」をみている。)、防災、環境、ビオトープ、・・・、子どもの感性をはぐくむ。僕は、建築の内部から外界に緑が多様、多彩に見えるのが良い、としているの共感する。(勿論、視覚だけではなく聴覚や嗅覚、触覚など「緑」は五感の刺激が総合的で良い。)

知彦さんが、パリの都市計画は、オスマンが上から強権的にやったのに対し、江戸・東京などは大名屋敷などは大名が一定の枠内でほぼ自主的につくっていったと言える、みたいな発言に対して、いづみさんは、確かにオスマンが強権的にやった面があるが、その後「進化している」、例えば、パリでは昔の「城壁は取り払われ、環状道路からトラムカー(電車)軌道になり、最近は「乗り捨て」自転車道になっている」との説明、「進化している」という言葉遣いが良い。(「ゲデス風」)

知彦さんは「ヨーロッパは近くに切磋琢磨する国々があって競争している、例えば自転車の「道」を含めての重視は、オランダから始まりドイツに行き、今パリに来ているのではないか・・・。(ゲデスの言う旅行による学習、切磋琢磨である。それは、日本などよりヨーロッパがやりやすい。→日本は、多様多彩な藩の流儀の相互学習がそれに当たるか?!)

いづみさんは、近江で学生達を「まちづくり」の現場に誘い、色々な空間を創造的に使いまわす術、コツを学ばせ、大都市の大学ではできにくい実践をさせて付加価値をつけている。近江は、多様な「まち」があって良いらしい。二人で目白を「根城」に、多様な実践をしている。「目白の森」「広い歩道、狭い車道」「名のある小道例えば、ライトの径(こみち)→フランク・ロイド・ライト設計の「自由学園」が先にある。

聞きながら、全く別のゲデスの『進化する都市』のことを考えていた。

歴史の展開ー事象のつながりーオーストリーのゼメリング鉄道の例

2014-11-30 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
今日11月30日の夕方、テレビ4ch.で「世界遺産」のオーストリーのゼメリング鉄道(1998年に世界遺産)を見た。ウイーンから南へ、初めてアルプス越えを果たした鉄道である。それ以前の馬車による輸送から飛躍的に前進した。

ゼメリング鉄道が通ったことによって、(1)まず南からコーヒー豆が大量にオーストリー、ウイーンに流れ込んだ。(2)次に鉄道沿線にアルプスの地下水からの湧き水が発見され、それがウイーンでコーヒーをたてる水となった。(3)ウイーン、北からの客が大量にアルプスを目ざしたのでゼメリング峠に巨大なホテルが成立した。(4)ゼメリング鉄道そのものも橋は鉄ではなく自然石で支えることになった。(5)鉄道の車両はまわりの緑や大空の青に対して「赤と白」のツートンカラーとなった。  時速200キロと言う。一度乗ってみたい。

セメリング鉄道という「一石(いっせき)」が上記の5つのような「多石(たせき)システム」進化した歴史的事例である。

生活のredundancy(余裕)の追求

2014-11-17 | 生活描写と読書・観劇等の文化
生活には一定の余裕がないと自主的、自立的に動きにくい。

色々な情報がある場合、一々「全部」丁寧に見ていると「日が暮れる」、時間がない、過労になる恐れ、行動が前のめりになる。

だから、情報を自主的に制限することも必要だろう。学会や諸団体の情報を大分整理した。まだ「ぜい肉」的な部分あるかもしれない。

face bookの友人達も100人ほどに制限している。ま、自分の記事に対して「いいね!」「コメント」は平均して10位あるが、それで十分、ゆっくり顔を思い出しながら、「コメント」反応する場合もある。中には数百人、数千人の友人をかかえた人もいるが、「いいね!」とか「コメント」チェックだけで日が暮れるのでは、と思う。

予定のない場合は、午前中は新聞や他の情報(郵便によるもの、ネットによるものなど)のチェック、対応すべきものは対応。午後はお出かけ(散歩、ぶらぶら、目的地)など、家で本など読んだり、一寸した書きものしたりもある。この小文も入る。・・・

今日は何の日ー立冬、1917年ロシア革命などより

2014-11-07 | 地域居住学


ラジオで、「今日は何の日」を聞いた。立冬の日らしい。「暦の上では冬」である。寒くて朝も夕べも暗い冬である。

同時に1917年の今日は「ロシア革命」の日(ロシア旧暦では10月、だから10月革命!)である。あれから100年も経たないのに「ロシア革命」の精神は失われたのではないか。


当時は、1914年に第一次大戦(今年が100周年)があった。
20世紀は、戦争と革命の世紀、その余韻?は今も続いている。

一方、地域開発、都市計画、町・村づくりの世紀でもあった。イベネザー・ハワードの「田園都市論」、パトリック・ゲデスの「進化する都市」の時代でもあった。『進化する都市』が発刊されたのは1915年、来年が発刊100周年である。(僕らが『進化する都市』翻訳本発刊したのは1982年、鹿島出版会)

『進化した都市』を僕に教えてくれた絹谷祐規(すけのり)先生(京大助教授、故人)がオランダで亡くなって今年で50周忌である。来年が絹谷先生の論文集『生活・住宅・地域計画』が西山(夘三)研究室編で発刊(勁草書房)されて50年となる。

世界史の流れを押さえつつ、来年、『進化する都市』100年『生活・住宅・地域計画』50年に因むイベントが出来ればいいなあ、と世の片隅で思っている。どうでしょうか。

テレビで長谷川等伯を見る

2014-10-26 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
数日前、nhkテレビで安土桃山~江戸時代の異色の画家・長谷川等伯を見た。勉強になった。能登の七尾の出身、羽咋海岸の柴垣の松林が後の画題に登場する。元々は武士階級の出身、長谷川家に養子で入る。

郷里で色々絵も描いていたが影響は地方どまり、33歳頃に京都に出て、日蓮宗の本法寺と繋がる、やがて秀吉に認められ、有名な「楓図」を描く狩野永徳の「檜図」の向こうをはったもの、本法寺の日通上人が堺出身ということから、同じく堺の千利休とも「近づき」となり、大徳寺の天井画を「請け負う」、等伯は子息・久蔵を失って「一門」のピンチ、これを狩野派との競合、狩野派乗っ取り、新規開拓の三路線のどれでいくか、結局「雪舟五代」ということを使って需要層の新規開拓、しかし等伯亡きあとは狩野派が歴史から等伯を抹消しようとする。

例えば、絵画鑑定でものしあがってきた狩野探幽は、本当は等伯の作品を自分(探幽)作と偽ったりした。

何時の世でも旧勢力は、新規勢力を抑え込もうとする。でもその確執で芸術的新機軸も生まれるのだろうな。歴史のダイナミズムである。

「花子とアン」 蓮子の放送、今でも言えること!

2014-09-24 | 時論、雑感
戦後、花子の「腹心の友・蓮子」のJOAKでの渾身の放送より:

「私が今日ここでお話したいのは平和の尊さでございます。  先の戦争で私は最愛の息子・純平を失いました。私にとって息子は何ものにも代えがたい存在でございました。”お母さん、僕がお守りします”幼いころに息子はそう言って母である私をいつも守ってくれました。本当に心の優しい子でした。子を失うことは、心臓をもぎ取られるように辛いことを私も身をもって知りました。

もしも、女ばかりに政治を任せられたならば、戦争は決してしないでしょう。可愛い息子を殺しに出す母親が一人だってありましょうか。以後、二度とこのような悲痛な思いをする母親を生み出してはなりません。もう二度と最愛の子を奪わせてはならないのです。戦争は、人類を最大の不幸に導く唯一の現実です。

最愛の子をなくされたお母さま方、貴女は一人ではありません。同じ悲しみを抱く母が全国には大勢おります。私たちは、その悲しみをもって平和な国をつくらねばならないと思うのです。私は、命が続く限り平和を訴え続けて参ります。」

感動的なメッセージだった。それは、今でも心の深みに届くメッセージだった、と思う。ビデオを何回もチェックして上記を書いた。時々、思い出して平和を追求し続けたい。

知縁のchainを! やらずに後悔よりも「やってこうかい!」で

2014-09-23 | 言語・字・言語遊戯
今日(9月23日)の早朝の「ラジオ深夜便」の「あすへの言葉」で、村田裕之さん(東北大特任教授、52歳?)は、「支えたい、豊かな老後」ということで話していた。 うつらうつらで聞いていたので、全体がしっかり掴まえたのではないが、村田さんの言い方で頭に「引っ掛かった」ものがあったので、僕流に「展開して」メモしておく。

「知りたいことでつながる知縁を大切に!」 これは地縁に足を置いたものが中心なので、そこから展開していって「知縁」で地域でのつながりを強化していったら、ということだろう。知縁で地域の人々のchain(チェーン)が出来あがっていくということだ。これって我々が「けいはんな学研都市域」でやりつつある「けいはんな市民雑学大学」そのものではないか、と思った。

「色々なことにチャレンジ精神で取り組む」 そのことを、村田さんは「やらずに後悔するより やって(場合により)後悔するほうが良い、そこから次につながることが学べる」というふうにいわれたのではないか。これを聞いていて僕流に「やらずに後悔するより やってこうかい!だよね」と思った。 後半の「こうかい」が平仮名になっているところがミソである。つまり「やってこうかい」は、「やって後悔」と同時に「やってこうかい(やっていこうよ)」を含んでいるのである。

村田さんは、また「高齢者を元気に社会的にも活かす色々な取り組みは、高齢者のためばかりでなく、実は若い層のためだ。元気な先達をまじかに見て、話を聞いたり一緒に何かに取り組むことは、若者に積極的な将来像を提示することでもある」というようなことを言われた。 これは、僕も考えている「地域祖父母と地域孫の交流」なのではないだろうか。

他に「健康第一(健康が前提)、有酸素運動(散歩など)、筋トレ(筋肉を落とさない)などをしっかりと!」といったことも言っておられた。   5時になって、すっかり目が覚めた。 

「認知症」治療、予防は、専門職、地域住民による総力戦で・・・

2014-09-11 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
認知症を少しでも治療し、予防するためには関連の専門職の方々や、色々な地域住民の共同、協力が不可欠だ。いわば総力戦である。

その中でも、医者(ドクター)たちの自覚的な共同、協力が中核とならねば、と思う。新しい医療と生活の出現だ。

「朝日新聞」記事より、色々ありますなあ!

2014-09-06 | 時論、雑感
今日の出来事の断面を『朝日新聞』で見てみよう。

・池上 彰さんの連載について 読者におわびし説明します」/・オピニオン・社説・声 社説  社説  美浜原子炉の廃炉/ヘイトスピーチ規制  東大野球部を教えて  桑田真澄さんが語る  その他の記事・・・ウクライナ停戦合意/代々木以外に拡散(デング熱 新宿で感染か)/ABE首相49ヵ国訪問歴代最多/福島知事選 自民分裂含み/49歳 山本マサの新伝説/米、「イスラム国」包囲急ぐ・・・

「コメント」イスラム国なんていうのはスンニ派の「国」なのか。  「イスラム国」って「イスラエル」と同じような「でっち上げ国家」なのかな、まあ新聞一紙隅から隅まで読んでいくと、全世界が、どういう状況なのか分かってくるのではないか。

カリン・レヒナー(ティエンポ の姉)とセルジオ・ティエンポ (レヒナーの弟)

2014-09-04 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
私は、昔、奈良女子大学の『学園便り』(第23号所収、1985年2月1日発行)に「生活空間賛歌ー運河の上の音楽会ー」という小文を書いたことがある。

そこでは若きピアニストのカリン・レヒナー(ティエンポ の姉)とセルジオ・ティエンポ (レヒナーの弟)の演奏をアムステルダムのプリッツア・ホテル前の運河に組んだイカダに置いたピアノを通して聞いたことがある。1983年7月22日(金)の夜である。31年も前のことだ。そこからアンネ・フランクの「隠れ家」まですぐである。

姉さんが18歳、弟が11歳だったから現在彼らは40歳代である。「ユーチューブ」を見ると未だ若い。再度Duoなど聞いてみたいな。

何故か「代々木」が注目されている・・・

2014-09-01 | 時論、雑感
ここ数日、代々木ゼミナールや代々木公園といった「代々木」が問題になっている。

代々木ゼミナール問題は、「予備校時代が終わりつつある」ことを示唆しており、代々木公園は、「デング熱の流行出発点になっている。まあ、公共の公園は、東京に沢山あるが、代々木公園も東京都管轄の公園だ。代々木公園は、元々「代々木練兵場で」であったのが戦後アメリカさんが接収してワシントンハイツとなって、国鉄(JR東日本山手線の車窓から見える「ハイカラな」住宅は、あこがれの的となった。東京には、色々な公園があるけれど、公共公園第一号とも言うべき「日比谷公園」も注目すべきだろう。

「予備校」や「公園」以外にも、「代々木」というと学生時代、「霞が関」「永田町」などとは別に・・・・・を意味していたが、今はどうなのかな。

地下空間を観光するために・・・

2014-08-31 | 旅はたびたび
人間が造った空間として「超高層」もあるが、地下空間も色々あり個性的観光スポットとなるだろう。

日本では、地下は湿気ているし、「黄泉の国」ということもあり、一般に遠ざけられる空間だ。だが、現在、僕の家では、本や資料を保存する空間として三畳位のコンクリートの「空間ユニット」があって一定ありがたい。まあ僕の人生では、防空壕も地下空間の一つだ。

観光スポットとしての地下空間としてパリの下水道(『ああ無情』のジャンバルジャンの逃げる道)ウイーンのオーソン・ウエルズの『第三の男(1954年)』の地下下水道がある。パリの地か下水道には一度行ったがウイーンのそれには未だだ。

世の地下鉄空間も含めて地下空間を出来るだけ多く観光し、本にまとめてみたい。

大久保昌一先生の思い出

2014-08-29 | 友人、付き合い
新聞の訃報欄によると8月21日に大久保昌一さんが心不全で亡くなられたと言う。享年88歳であった。

大久保さんは僕等の都市計画分野の大先輩です。僕より15歳年上だった。阪大の構築工学科(土木と建築が一緒だったのでこういう学科名であった)の御出身で、日本住宅公団を経て阪大工学部助教授、法学部教授(この経歴ユニーク)で法学部長もされました。

学研都市推進では、奥田 東(元京大総長)さんの下で空間計画のまとめ役でした。都市計画では、イギリス流がベースにありましたね。翻訳も沢山ある位、「英語、横文字」得意で、それらを使って説明、「アメニティ」や「コンパクトシティ」も早くから言っておられました。「市民雑学大学」風を「コミュバーシテイ」と言っていたのではないか・・・

僕より14年齢上、京大では僕が修士一回生の時、37歳でなくなられた絹谷祐規助教授(オランダで客死)と大久保さんはほぼ同期、東大では長峰晴夫さん(住宅公団等を経て名大教授、故人)と同じ年恰好だった。

大久保さんは、酒が好きで又強かったと思います。大酒飲んでも発散するのも上手く88歳まで長生きしましたね。「目をパチパチさせ」少しベランメー調になると、要注意でした。
関連して、扇田 信先生(当時、奈良女子大教授、僕は京大助手の頃)から伺った大久保さんのエピソード(後日、僕が奈良に赴任後に聞いた)を書いてみます。扇田先生が、奈良市の高畑近辺(奈良教育大近辺)の国家公務員宿舎に住んでおられた折り、隣に大久保昌一さんの兄さん家族が住んでいたらしいのですが、暑い夏のある日、庭を眺めていると、何と大久保昌一さんが扇田家の庭に入り込み、縁側から上がって台所の方に回って何と冷蔵庫からビールを一本取り出して飲もうとするじありませんか。すぐ扇田先生が「大久保さん大久保さん、兄さんの家は隣ですよ」と声を掛けて、大笑いになったということです。いやー、大久保さんらしいエピソードですね。(この件で僕の記憶違いの恐れもあります。もし関連したことについてご存知の方はお知らせください。)

今ごろ、天国で、扇田先生、絹谷さんや長峰さんと盃を酌み交わして「クシャミをしつつ」下界の諸「現状」を嘆いていることでしょうね。 ご冥福を祈ります。

安倍外交シュミレーション

2014-08-27 | 時論、雑感
安倍総理は、集団的自衛権の閣議決定をはかるなど強気で政治を行っている。外交についても岸田外相任せにせず自ら大筋を決める時には乗り出している。果たして上手くいくのか。

今日、テレビ(フジテレビ、関西テレビ)の「アンカー」で評論家の青山さんは、安倍総理は、日本の外交路線で(アメリカからの)「自立」の大転換をする「賭けに出た」と言っている。そのポイントは、11月に日本に来ることになっていたロシアのプーチン大統領は、ウクライナとのごたごたでアメリカやEUに抗してウクライナ国内の親ロシア派の肩を持っているため「制裁」されることになり、日本もアメリカ、EUに従う「外交路線」(プーチン大統領の訪日延期)を取っているかに見えたが、その11月のプーチン大統領の訪日を積極的に認めたことにより、日本は、アメリカとの「対立」点を持ってしまった。

しかし、一方、アメリカの「日本は中国と、もう少し仲良くやるべし」との助言にはしたがって、安倍さんは同じく11月に中国の習近平国家主席と日中会談に応じるようだ。外交は複雑だ。

さてロシアの日本への土産は何か。中心軸は、北方領土の日本にとってのプラス解決案であるだろう。対して日本は、天然ガスを買い付けますよ、というカードを切るのかな。

日本の通底する外交課題の、尖閣列島問題、竹島問題、北朝鮮拉致問題等を一気に解決する「手」はあるだろうか。


ある意味、「八方美人的」に外交を前進させよう!!ということかな。