西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

高齢者の心配ごと三つ-健康、家族、お金-

2012-01-31 | 生活描写と読書・観劇等の文化
先週土曜日の「けいはんな市民雑学大学」のテーマは、「セカンドライフのマネープラン」だった。私は挨拶で高齢者にとっての三つの問題として、健康問題、生きがい問題そしてお金問題がある、と話した。

その後、よく考えてみて三つと言えば「健康、家族、お金」ではないか、と思うようになった。ある新書本を立ち読みして「そうか」と思ったのだ。

健康がトップに上がるのは当然だろう。全ての生活が満足にいく前提条件が健康なのである。これは、とりあえず本人個人の問題である。だから、基本的には個人で予防、対処すべきなのである。

第二は、人間関係の内、家族関係であって、夫婦関係、親子関係などにわたる。家族関係が安定していれば次に地域の人間関係が重要になるだろう。(今、夫婦で過ごしていても、どちらかが亡くなって一人になった時が大事な時になるであろう。)

そして第三に重要なのが、そこそこのお金である。

何度も反芻して確認しておきたい。

深井純一さんの思い出

2012-01-31 | 京都の思い出(助手時代)
深井純一さん(立命館大学名誉教授)が1月27日に肺炎で亡くなられた、享年70歳、私と同年生まれであった。深井さんとは、宮本憲一先生(大阪市大名誉教授、元滋賀大学長、経済学・財政学)をヘッドとする関西水俣病問題研究会でご一緒し、水俣に何度か現地調査に行った仲である。1971年頃から最初は自費で、そのうち科研費(総合研究)がでて数年間通ったのではないか。まあ調査地域として水俣以外、沖縄、堺・泉北コンビナート地域で、開発により引き起こされる問題解明と住民主体の開発のあり方がテーマだった。

水俣調査の成果は宮本憲一編の『公害都市の再生・水俣』(筑摩書房)にまとまっている。私は、建築・都市関係で京大の三村浩史助教授(当時、現・京大名誉教授)のもとに院生何人かと参加した。当時、私は京大助手だった。水俣病患者の住宅、「地域居住問題」を調査、追求して、その本に論考を書いた。深井さん(当時、立命館大学助教授)は、農業経済学専攻、他に財政学、漁業経済学の方々も参加された。

調査の合間に色々なことを駄弁ったことを覚えている。我々は東大、京大と別れて入学したが、同じ1960年入学で「安保闘争」に参加したことは共通していた。深井さんは、理Ⅱの学生で工学部の建築学科に進学も可能だったが、安保闘争に参加したむしろ旗の農民姿に感動して、国の基は農業だ、と感じて、農学部農業経済学科に進学したと聞いた。岩波新書で『土地に刻まれた歴史』を書かれ、また記憶のみにたよって書かれた『こども達の大正時代 田舎町の生活誌』などの著書がある古島敏雄教授に師事された。

その後、自治体問題研究所などを通じて宮本憲一先生と知り合ったのではないか。

水俣調査の数年間の後、一定の論考にまとめた他、私は関心は持続し、ニュースなどには(今でも)注目し、時々夏休みなどの集団調査のイベントなどにも参加したが、深井さんのように1/4世紀にわたり水俣病問題の行政責任追及に熱意を燃やしてきたのは我々のチームでは深井さんただ一人だったと言えよう。

水俣問題追及以外でも学生のゼミ指導で熱血漢(熱血教授)ぶりを発揮し、その記録の本も確かあったはずだ。立命館の産業社会学部のゼミは30人ほど、全部の考え方など到底覚えられないので、深井ゼミ新聞を順に編集させ、自己紹介など書いてもらい顔と考え方を覚えている、とも伺った。まあ、気分の「上がり下がり」にもかなり激しいところがあった。一つのことに集中する時期があり、果物酒を熱心に作っていた時期には、よくもらったりした。

まあ「正論堂々主張派」でもあったので、あちこちでぶつかっていたかもしれない。

『資本論』でマルクスが書いている「そこがロドスだ、そこで飛べ」(今様に言うと「そこがパラダイム転換点だ、思い切ってジャンプしろ!」)という言葉が好きだったのではないか・・。今頃、深井純一さんは、あちらでマルクスや古島先生に議論をふきかけているかもしれない。

ご冥福を静かに祈りたい。

写真は、深井さんの著書表紙

嬉しい提案

2012-01-30 | 地域居住学
月曜日は奈良教育大学へ非常勤で住居学を教えに行っている。「楽しい日だ」とブログに書いたこともある。ところで月曜は連休が多く、明日の火曜日も補講日だ。そして2週間後の2月13日に試験をして私の非常勤生活は、まあ終了する。

もちろん、その講義は「脳みそを振り絞って」やってきた。そして、その講義の後の昼食は、奈良教育大学で准教授をしている昔の教え子のT.さん、その同僚のN.さん(保育学)と外に出て食べてきた。それは、「ランチョンゼミ」のような様相を呈していて、私としても若い人と議論ができ、ワクワクものだった。

しかし、昼食とダベリングに付き合ってくれるのは、非常勤として当大学の当課程に少しは貢献しているためだ、と思っていた。だから、非常勤が終わったら週一でも月一でもなくて年に一回くらい「自主ゼミやりますか」と言っておいた。

ところが、帰宅してメイルを見たら、T.さんから「年一のゼミでは間があきすぎる、出来れば月一で「ランチョンゼミ」を継続してほしい」、という要望・提案があった。

実は私も内心は月一で出来ればいいな、それもサパー・ゼミ(簡単な夕食ゼミ、アルコールが一寸入るので私としては、口のまわりが良くなる)として、と思っていたので、返事として率直に嬉しいと書いておいた。

こういうやりとりが出来るのも「大学教師冥利」かな。しっかり勉強していきたい。

「けいはんな市民雑学大学」での「学長挨拶」

2012-01-29 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、「けいはんな市民雑学大学」の第43回講座「セカンドライフのマネープラン」(市民教授:清水幸一さん)があって、「頭」で私が挨拶した。

で、司会のKidさんが「最初に学長の西村さんの挨拶があります」とのアナウンスに従って私が挨拶した。その概要を以下に記しておく。

「皆さん今日わ(こんにちわ)、先ごろ司会者が、学長挨拶と言いましたが、私は正確には「けいはんな市民雑学大学運営委員会・代表」と思っています。」(と言ったら、何人かの運営委員から「学長で良い、それが正式名称だ」との声があった。そうなんだなと思った。次から名刺にもそう書こうかな)

「さて今日のテーマは、セカンドライフのマネープランです。まあセカンドライフと言うと私もそこに突入していると思うのですが、そのセカンドライフでは次の三つが重要な問題、と言われています。 第一が健康維持の問題です。それがないと次の第二の生きがいをしっかり追求していけません。そして、これらを実地に追求していくには、第三に、ある程度のマネーが必要なのです。それで、この講座をもつことになりました。」

「今日は、43回講座で、4年前の2008年3月にこの「市民雑学大学」がスタートしました。だからこの3月で満4周年となりますので3月24日に記念講座を持ちたいと考えています。」

「私が「人生とまちを楽しくーけいはんな市民雑学大学のこれまでとこれからー」というテーマで話をし、何人かの方にコメントしてもらい、更に今までの市民教授の皆さんや多くの市民学生の皆さんからもご意見を頂きたい、と思います。宜しく。」と。

総選挙近し、一度「思いきった」投票を

2012-01-27 | 時論、雑感
昨日、今日と国会の衆参での代表質問をテレビで見聞していて、自民党と共に共産党も解散総選挙を要求したのに「そうか」と思った。

現在の民主党政権は、自公政権にとって代わる時に「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げたからとって代わることが出来たと思う。

しかし、その後、鳩山、管そして野田政権と来て、いよいよ昔の自公政権のやり方(政策)に近づいてきたと言うか、すり寄ってきたと思う。消費税大増税などがそれである。

こうなったら、庶民の目線からは、自公、民主は「余り変わらない」ので一度それ以外の政党に投票を集中したらどうか。

それらのどの政党も仮に「倍増」しても、体制(資本主義体制)は変わらない。その枠内で最も民主的政権を作って4年か8年やらせてみたらどうか。

失敗したら、一旦元に戻ったら良いのでは・・・、更にその先どうなるのか・・・。

ラジオ体操第一など

2012-01-26 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
最近、朝6時半からNHKラジオ第一でのラジオ体操をやっている。まあ寒いので室内で、だが・・・。

6時過ぎに起きて着替え、階下に来ると室内9℃とか8℃で寒いのでガスの補助暖房を「オン」する。2階の寝室に戻ると大体6時半、そこでラジオ体操第一だけやる、全部で13動作で成り立っている。

小学校時代からやっているので、ほぼ間違わない。ただ、その後に出来たラジオ体操第二は、全部完全に出来ないのでやらない。ただ、その前の「第一と第二のつなぎ」の首の運動はやる。

終わって歯磨き、顔洗いである。

で、今度はテレビだが、平日9時55分から約5分間、テレビ体操があるので見ながら、それもやっている。立ったままのやり方と椅子に座ったままのやり方があるので、今日は座ってやった。

運動として、毎日外出して歩いていることを言ったことがあるが、家でやっているのが「ラジオ体操、テレビ体操」なのだ。大そうだな。

市民雑学的な本の買い方

2012-01-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、病院に定期チェックに行った帰りに、気分が良かったので本屋に寄って「インパクト・ショッピング(衝動買い)」してしまった。と言ってもささやかな5千円ほど、中公新書5冊である。

まあ、大手の「学術的新書」類は、老舗の岩波新書、講談社学術文庫そしてこの中公新書の三つであろうか。

順不同に
・越後島研一著『ル・コルビュジェを見るー20世紀最高の建築家、創造の軌跡ー』(1909)番
・内井惣七著『空間の謎・時間の謎ー宇宙の始まりに迫る物理学と哲学ー』(1829番)
・渡辺 裕著『歌う国民ー唱歌、校歌、うたごえー』(2075番、最新)
・田中 修著『雑草のはなしー見つけ方、たのしみ方ー』(1890番)
・竹内 洋著『教養主義の没落ー変わりゆくエリート学生文化ー』(1704番、今日買った中で一番古い)


これらを見て気づく一つは、全て副題が付いている、これらの本では本題と副題で「一本」なのだな、と改めて認識した。

これって、「繋がり、関係性」を無理に言えって言われれば言えない訳ではない。
しかし、まあ「雑学的な本の買い方」だ、と言っておきたい。

ぼちぼち楽しみつつ読んでいきたい。

ところで、買った後の帰り道、「本を買う」とはどこまでを言うのかな、という疑問が浮かんだ。確かに5千円ほど支払って今日5冊の本を「買った」と言えるのだが、その時点で「買った」ものを全て「消費」つまり読了していない。

さらに、「消費」の質まで問題にしようと思えば出来る。本の「消費」は、やややっかいな問題かな、と思った。

何時でも何処でも「耳学問」

2012-01-24 | 地域居住学
昨日、奈良教育大学の非常勤講師に行った。住居学である。

その後で近くの食堂で昼食を食べつつ奈良教育大学の若手教員と駄弁るのが一つの楽しみである。

昨日は、私から「小学校で、児童数が減少して空き教室が出てきたのに対して、小学校自体の対応として各クラス利用可能の教室を二つ以上にすることも可能だし、近所の(増えつつある)高齢者のための溜まり場にするのも可能で、そういうことを児童と共に考えるのが最高にいいことだ」と話した。

何故ならば、先ず言えることは、今後、日本では各地域で人口が減っていく(子供が減り高齢者の割合が増える!)と、公共施設だけでなく地域空間全体として「余裕」がでてくるのは必然だ、ということだ。

その時の大人(今、小学生)は、若い頃に空き教室の使い方で考えたことがあるので、「空地」や「空き施設」の有効利用を考えることが十分出来るだろう、と思う。どうでしょうか。

次に、私が東西南北の昔の言い方を言ったら(十二支)、若い彼女は「戌亥(いぬい、実際には乾)が借りたら辰巳(たつみ、実際には巽)で返せ、という言葉がありますね」という。初耳で勉強になった。

もう一つ、ある町の総合計画たてるため、町歩きをしたら私ら新住民には古い神社仏閣が立派に見えて、そういう意見が多かった、と言ったら、彼女は「学生と町歩きをして何に感心したか聞いたら、○○のおばあちゃんに出してもらった地の漬物の美味しさとおばあちゃんの親切さに感心した、といった「人とその行動」に目が行って、空間は二の次」とのことだった。そうなのか、と思った。

私からは、住居は「住む」(人がすむ)だけでなく「棲む」(虫などがすむ)「澄む」(心がすむ)そして「済む」(最後にすむ)も大事だよ、と学生に話している、と言ったら、彼女は「勉強になりました」と言っていた。

誰に対しても、耳学問する気で交流したい。

大震災に対し復旧とソフトを中心に

2012-01-20 | 思いつきから仮説へ
東日本大震災に対して復興という言葉、コンセプトが前面に出て、復旧は「旧に復してもまた同じような大地震が起これば同じことの繰り返しになるのでは・・・」ということで、余り「人気」がない。

海岸べりの居住地より高台の居住地がより安全、ということで仙台など平地が広く大津波にこっぴどくやられた所では、高台を整備する構想が強い。

しかし、それは復旧に比べて莫大な費用を食うことになる。

私は、「復旧を中心に」と言っているのであって、全くの旧に復すれば良い、と言っているのではない。まあ、復旧は分かりやすいし、復興より「安上がり」だ。

まあ、余りに「危険な」所は、少し引いてもいいし、一部高台に移ることもありうる。

ただ、全般的にフィジカル(空間的)に復旧するとしても、ソフトな生活のあり方は大いに変わると思うし、変わらざるをえない。

今までは、大抵の所では大津波に対する心構えが出来ていなかったが、今後はそんなことは皆無になろう。今までは「のんびり」していたとしても、今後は大地震即大津波としてたちまちに避難して大抵は助かるのではないか。

復旧住宅でも、家の多くの窓から海が見えるように「変わる」に違いない。

大地震となれば、すぐ海を見て(夜ならサーチライトで照らして見て)、即高台に避難となるにちがいない。先の大震災の記録は、何度も上映され地域の皆の「生きた記憶」として子孫に受け伝えられるに違いない。

体を温める

2012-01-19 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
自己免疫力を高め維持するための一つの方向は、体温を高めに維持することだ。

そのためには、食べ物(飲み物)、運動(体を動かすこと)によって直接高める努力とともに、逆に寒さを防ぐ諸方策も必要だ。

食べ物としては、例えば根菜類、飲み物としては、例えば焼酎の湯割り(生姜擂り入れ)などがある。

運動(体を動かすこと)としては(早足)散歩、ラジオ体操、温かい風呂に入るなどがある。

寒さを防ぐ方策では、「厚着」、断熱性高い下着(「ヒートテック」など)を用意。

勿論、直接的暖房も大事だが、私の家の場合、OMソーラーだが、曇り日には補助暖房のガス消費量が馬鹿にならない

だから、ある意味「遠廻し」に総合的にやっている。

ところで、入浴だが、42℃とか45℃のように「高い」湯に入るのを好む人も多い。でも、そういう風呂では血圧が急上昇したあと降下もひどく、眠って湯船で溺れる人も多いのだ。ここ1年で14000人も亡くなっている。自殺者(3万人)より少ないが交通事故死者より多いのだ。

私は、40℃にセット、浴室、脱衣室もできる限り温めている。皆さん、どうですか。

基本は耐震性の向上、家具固定

2012-01-17 | 地域居住学
今日は、阪神淡路大震災から17年目だった。

で、その時は、最初の地震動で「古い」住宅が倒壊し、それらから出火、大火事になった。住宅倒壊で亡くなった人も多いが、同時に「二次的に」起こった火災で焼死した人も多いのである。(関東大震災でも、大火事が多くの人命を奪ったのだ)

今度の東日本大震災では、大津波で亡くなった人が多い。だけど、大津波が襲う前に結構時間があったのだ。だが、その前に家が潰れたり、家の中が「ぐちゃぐちゃ」になっていたら、逃げるのに手間取って大津波に飲み込まれたに違いない。

これらを考えてみると、住宅そのものの耐震性を不断にあげ、家具も固定しておけば、大地震が来ても、住宅は倒れず、家具も倒れないので、火事も起こらず、余裕があるので津波に対しても悠々と避難できるのである。

大地震、大津波、大火災対策の基本は、「耐震性の向上、家具固定」なのである。

イエロストーン公園のコヨーテとオオカミに思う

2012-01-16 | 色々な仮説や疑問
私は日曜日夜のテレビ番組7時半「ダーウインが来た!」が好きだ。

昨日の主役はイエロストーン公園のコヨーテだった。以前は、オオカミが北米大陸全体に分布していたが、今はコヨーテにとって代わられオオカミは北の方に追いやられているようだ。

勿論、オオカミが肉食獣の生態系トップにいるのだが、少なくなってきたのは、人間に恐れられて捕られてきたのと大型動物の餌が段々少なくなってきたためだ。

しかし、コヨーテはオオカミの2/3位の大きさだが、頭が良くて、また家族や集団で生き延びる戦略を取ってきて、オオカミより広い範囲の小型動物を餌とし、今ではグループでオオカミに立ち向かい、オオカミが狩りをした大型動物(鹿など)を横取りする位である。いやー小型コヨーテが大型オオカミの鼻をあかすのは気持ちが良い。

ところで、このイエロストーン公園はアメリカの広大な国立公園だが、一時、鹿が「大発生」し、植物が食べつくされて危機になったことがある。それは、「天敵」のオオカミがいなくなったためだった。そこでカナダから「輸入」して試しに放たれたのだ。

で、鹿もオオカミに食べられて数が減って、今では植物も増えてきて「元々の姿」に近づいているようだ。オオカミもそこそこ増えてバランスを保っているらしい。

日本でも山奥にオオカミを放てば、急増している鹿や猪はオオカミに食べられて減って良い(里まで出てこない)、と言っている人もいる。面白い考えと思う。元々オオカミは狼で獣偏に良いではないか。中国では「良い獣」と考えられてきたのではないか。また大神に通じ、神社に祭られている場合もある。一度やってみたら・・・。

それにしても、イエロストーン公園でコヨーテが増えすぎるとどうなるのだろうか。


写真はイエロストーン公園のコヨーテ(検索写真)

アーカイブス「西山夘三と奈良」の会に参加

2012-01-15 | 住まい・建築と庭
昨年は、20世紀、日本で最大の住居、地域生活空間研究者とも言える西山夘三先生(京大教授歴任、故人、1994年4月2日逝去)の生誕100周年で、色々行事があった。新建築家技術者集団でも京都で全国的な集会を持った。

で、奈良支部を始め京都支部など関西の諸支部で、もう一回シンポをやりたいなーとなって昨日の午後、奈良の猿沢荘で奈良支部が世話をして、アーカイブス「西山夘三と奈良」の会が開かれた。

20人位のこじんまり会議、司会は乾さん、最初に私が奈良支部代表幹事としての挨拶、引き続き京都支部の「写真家」神谷 潔さんが、「京都の市電を守る運動」位から西山先生の活動写真を取り出して沢山まだ皆に見せていないのがある、とて昨日、見せていただいた。西山先生だけでなく三村浩史先生や広原盛明先生の写真も見え、また私の京大助手時代の写真も数枚あった。神谷さんは、京都の市電・植物園前近くに住んでいて、当時、近くにあった「アルパック」(コンサル、西山研先輩・三輪泰司さんが代表だった)にアルバイトに行ったことが縁で、西山写真に取り組むことになったようだ。

次に奈良支部の川本雅樹さんが「西山夘三と奈良」の報告をした。西山先生は、日本の住居、地域生活空間の研究をされていたので全国に足跡はあるが、特に関西で密度が濃い、もちろん京都が一番濃いけれども奈良も、あるいは二番目かもしれない。勿論、生まれ少年時代を過ごした大阪市、府にも頻繁に出かけており、香里団地や千里ニュータウンにも足跡がある。滋賀県や兵庫県にも出かけておられる。

川本さんは神戸大学建築学科のご卒業だが、若い頃から西山著作にも親しみ、報告を聞いていて「大分思い入れ」があるなーと感じた。特に「奈良計画」「古やまと計画」の内容、そして奈良市や奈良県の審議会でのこと、新建・奈良支部設立への後押しなどについて熱心に語った。「計画」の図面や西山夘三と奈良の年表など準備が良かった。

(まあ、ささやかながら私も独自の運動に参加したことがあり、共同著書を編集したこともあるが・・・)

17時頃から開かれた12人ほど参加した懇親会も良かった。色々な個人から自己紹介を通じてなど色々な情報を聞いた。

・西山先生が、「世界遺産」という考えを早くから提起していたこと。(片方信也さん)
・「奈良計画」の前に丹下健三グループの「東京計画1960」があり、その前にル・コルビュジェの「パリ大改造計画」があった、と歴史的に考えるべし。(私)
・奈良計画50年に当たる2015年に「新奈良計画」を構想したら・・・(川本雅樹さん)

「新奈良計画」について、私は(1)人口が大局的に減っていくことを計画にどう反映するか。(2)大震災、大事故に対する防災計画をどう取り込むか、が50年前の状況と違っている、と発言しておいた。

二次会の「からおけ」も久し振りで、いくつか「部分的替え歌」を歌っておいた。私の最後は、東北を思い「青葉城恋歌」で〆た。

ル・コルビュジェツアー企画案

2012-01-13 | 訪問場所・調査地
ル・コルビュジェからの「メッセージ」という形で五つのブログ記事を書いてきたが、まあ、そこに上げられた建築等の「現地」に行ってみたい。

まあ、私として行ったことがあるのは、上野の国立西洋美術館とパリ「大学都市」のスイス学生会館であって、他は未だ行っていないので、それらの見学(調査)ツアーをするとしたら、どこどこに行くべきか、考えてみたい。

歴史的順序からいうと、コルが生まれて育ったスイスの地からスタートしたらどうだろうか。○ラ・ショード・フォン・・・生家(1887年生)、博物館(美術館)、シュオブ邸(1917年) ○ブベイ(Vevey)・・・両親のために1923,24年に設計した「小さな家」

次にパリおよび「東方への旅」(1910年)トレース・・・○アテネのパルテンノン神殿 ○ローマのパンテオン 
パリのオーギュスト・ペレの鉄筋コンクリートのアパート(1903年) 
パリ近郊のサヴォア邸(1931年)

マルセイユ及びカップ・マルタン・・・○ユニテ・ダビタシオン(マルセイユ)(1945-1952年) ○木造の休暇小屋(1952年)及び夫妻の墓(カップ・マルタン)

ロンシャン礼拝堂(1950-1955年)

インドのチャンディガール、ニューヨークの国連本部ビル、ブラジルのブラジリア

色々「近所」の地も含めてツアーに行きませんか。以上を一つの候補場所として、なお練っていきたい。例えば、「ラ・ツーレット修道院」(1960年竣工、リヨン郊外)は、今回の放送ではやっていなかったが是非含めたい、と思っている。

一緒に行きませんか、上野の「国立西洋美術館」(1956-1959年)も含めて・・・。


写真は、ラ・ツーレット修道院

がんばれ!受験生。東北大学も、・・・

2012-01-12 | 時論、雑感
最近『朝日新聞』に、「がんばれ!受験生。東北大学も、がんばっています。」という大きな広告が連日載っている。

上記の文言の次には「東北大学では、震災の影響から脱し、いまの東北でしかできない新しい学びが始まっています。さあ、いまこそ東北で学んでください。」とある。

うーん、天下の東北大学ですら、こういうふうに呼びかけなばならないのか、と思った。

で、この広告費は、東北大学卒業生に一口一万円以上でお願いする、としている。それ以外の人々は(私もその一人だが)カンパしたくても出来ないようだ。

まあ、もうすぐ始まる入試では、東北大学に限らず東北の(特に太平洋側、更に福島県の)大学は率直に言って厳しいと思う。

で、上のような広告になったのだろう。

ところで、「いまの東北でしかできない新しい学び」とは何であろうか。

この言い方を見て、私はふっと「いまのけいはんな地域で、しかも市民目線でしかできない新しい学び」を、4年目を通過する「けいはんな市民雑学大学」で追求したいと思った。

東北大学、東北の大学 頑張れー!
けいはんな市民雑学大学 頑張れー!!