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『性食考』 好きな人に「食べたいほど、可愛い」と言ったこと、ありますか

2017年11月27日 | もう一冊読んでみた
性食考/赤坂憲雄  2017.11.27

 「食べたいほど、可愛い。」 は、 「食べること/交わること/殺すこと」 である、の話でした。

 女性の性器はペニスをむさぼり喰らう、もうひとつの口であるという秘められた心象風景には、これから幾度でも遭遇することになるはずだ。
「食べること/交わること/殺すこと」が、神話、昔話、童話、学術論、文様々な角度から検証されます。
ぼくには、よく理解できないところも多々ありました。
難しい本でした。

本書の内容については、下記の書評をご覧下さい。

  書評/容赦なく開陳される性の循環/椹木野衣

食にまつわる話のあれこれ。

 東日本大震災が始まった年の夏から秋にかけて、「魚や鮹を食べる気になれない」という人がすくなからずいた。被災地に近い、たとえば岩手県遠野市では、捕れた地魚をさばくと、内臓(はらわたの)なかから人の爪や歯が出てきた、鮹の頭のなかに髪の毛がからまっていたといった、真偽を確かめようのない噂がしばしば聞かれたのだった。ところが「だから、俺は喰うんだよ」と言い切ってみせた三陸の漁師がいた、と仲間から聞いた。強い言葉だな、と思った。

 わたしはそのとき、中尊寺建立供養願文を想起したのだった。

 この鐘の音は、あらゆる世界に響き渡り、誰にでも平等に、苦悩を去って、安楽を与えてくれる。
 ......人間だけではない。動物や、鳥や、魚や貝も、このみちのくにあっては、生活のため、都への貢ぎもののために、数え切れない命が、今も犠牲になっている。その魂はみな次の世界に旅立っていったが、朽ちた骨は今なおこの地の塵となって、うらみをのこしている。鐘の声が大地を響かせ動かす毎に、心ならずも命を落とした霊魂を浄土に導いてくれますように。


 新田さんは、ニューギニアの戦場で病気やケガで動けなくなった兵士たちを看病し、その死を看取りながら、昔話を語ったらしい。空腹に喘ぎ、マラリアに倒れた兵士たちは「団子聟」「豆こ話」「ぼた餅は蛙」「焼餅和尚」など、食べ物まつわる昔話を好んだ。かれらは「飢えと恐怖を封じる手段に、話に花を咲かせ、その幻に酔い、気力を奮い立たせた」(野村敬子)が、なかでも食べ物の昔話に人気が集まったのである。

知的な話も興味深い。

 たとえばヒトとサルのあいだには、食文化においては、火の使用と食のタブーという点で決定的な裂け目があったが、性文化においては、絶対的な差異や不連続性が認められない、という。サルもまた、なかなか好色な動物であり、ゴリラなどは同性愛に耽り、また性交の体位も後背位のみならず、対向位・座位・側位などきわめて多彩であるようだ。そして、サルはすでに、インセスト(近親相姦)の回避という一定のルールをもっていたのである。

 細胞はどれも分裂してふえますが、原核細胞と一倍体真核細胞はほぼ無限にふえる能力をもっているのに、二倍体細胞は、ある回数ふえると死んでしまうということです。バクテリアや酵母菌には、本質的には死がないのに、多細胞が生まれたことによって死という概念が登場するのです。

面白い昔話も随所に。

 「いいか、後ろが気味悪ぃときは動物だ。前が気味悪ぃときは人間だ。おめぇはおなごだから、前が気味悪ぃときは気ぃつけろ。後ろが気味悪ぃときは、逃げられっとこまで来たら、「ワッ!」って、ずない声(大きな声)出せ。昼間だったら、けっして素顔を見せんな。顔覚えで、キツネはかならず仕返しすっかんな」と教えられた。

宮沢賢治のこんな話も面白かった。

 (宮沢)賢治が収集していたといわれる浮世絵の春画を仲立ちとして、それを学んだのかもしれない、と想像してみることは可能だ。

賢治の童話も随所で話題に上ります。

      『 性食考/赤坂憲雄/岩波書店 』


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