いつの間にか八月も今日でおしまい。
掲載当時からずっと毎日楽しみにして読んでいた新聞の連載小説、親鸞、も、本日で、完、となっていて、ああそうか、今日で八月が終わりだからか、と納得はしたものの、正直、「ここで、完、にするんかいッ!」というやり場のない気持ちも持っていたりして。
浄土真宗を立ち上げた宗祖親鸞を書いた五木寛之氏の新聞連載小説だったのだが、面白かったのだよ、これが
氏の小説は今まで一度も読んだことがなかったし、ウチん所とは別の宗派の開祖さんの話だしなぁ、と思いつつも、ついつい読んでいて面白くて、新聞休刊日には早く続きが読みたくてイラッとしたこともあったこの小説。
愚直なほどの真面目さをもち、不器用なところもあり、それでいてかなりの頑固者で、自分の中にいらぬほどの悩みを山ほど抱えた人間臭い男、後の親鸞が、幼少時から、お山で過ごした青年期、そして法然の門下に入り、流罪になり、親鸞、を名乗るところまでを書いていたのだが、正直、まだまだこの先続きが書けるだろう。な終わり方で
絶対他力の、他力を信じると言う事の、その難しさ、その深さ、が、スカスカの脳細胞のワタクシめには、まだまだ、うすぼんやりとした輪郭ほども理解できたといえません。
いわんや悪人をや、の部分をもっともっと掘り下げてもっと読ませていただきたかったざんす。って、知りたかったら浄土真宗のHPでもよみなさい、かな?
魅力的な脇役も沢山で、一人一人のこの先もすごく気になるし、で、この先もまだまだいくらでも物語が書けると思うのだが、そうかいな、ここで終わらせちゃうんかいな。
でもまあ、「この先」を望むのは、親鸞に「この先」がある事を知っている後世のワタクシたちの勝手な感想であって、小説としてはここで、完、とするのが妥当なところなのかなぁ
一通り毎日読んでは来たけど、多分書籍になって発刊されるだろうから、そのときは一気にまとめ読み、が、したいざんす。余談ですが、本日は、きょうの猫村さん、を第一巻から最新刊の四巻まで一気読みして、満ち足りた気分でございます
それとも今日で新聞連載分は終わりだけど、この先も実は執筆されており、今までの分を、書籍として出版した後、親鸞 第二章、とかで、また書籍として発売する算段だったりして。
第二章は流刑になった親鸞が、かの地で新しい念仏仏教を広げるまでを描き、第三章では赦免となった後、浄土真宗を引っさげ関東での布教等を行い、やがて京に戻り終焉を迎えるまでを描く、とか。
親鸞三部作、とかな。映画の20世紀少年、みたいだな
自分で何でもしなくちゃ、ではなく、自分で何とかできないことは絶対的な大いなる力に任せる、と言うのも間違っちゃいない、自分ですべてできるなんてのはおこがましい考えだし、でも、絶対的な他力に信念を持って身を任せると誓うのは自分自身の心の中のことで、心の中の力を信じると言うことは、自分自身を信じて生きることにもなるのだし
鍵はわが心の中にあり、なのかなぁ。
と、自分の今の身の上、越して来方をふと考えてみるワタクシ、この世の波を漂うワタクシの人生の鍵は何処にありきや
掲載当時からずっと毎日楽しみにして読んでいた新聞の連載小説、親鸞、も、本日で、完、となっていて、ああそうか、今日で八月が終わりだからか、と納得はしたものの、正直、「ここで、完、にするんかいッ!」というやり場のない気持ちも持っていたりして。
浄土真宗を立ち上げた宗祖親鸞を書いた五木寛之氏の新聞連載小説だったのだが、面白かったのだよ、これが
氏の小説は今まで一度も読んだことがなかったし、ウチん所とは別の宗派の開祖さんの話だしなぁ、と思いつつも、ついつい読んでいて面白くて、新聞休刊日には早く続きが読みたくてイラッとしたこともあったこの小説。
愚直なほどの真面目さをもち、不器用なところもあり、それでいてかなりの頑固者で、自分の中にいらぬほどの悩みを山ほど抱えた人間臭い男、後の親鸞が、幼少時から、お山で過ごした青年期、そして法然の門下に入り、流罪になり、親鸞、を名乗るところまでを書いていたのだが、正直、まだまだこの先続きが書けるだろう。な終わり方で
絶対他力の、他力を信じると言う事の、その難しさ、その深さ、が、スカスカの脳細胞のワタクシめには、まだまだ、うすぼんやりとした輪郭ほども理解できたといえません。
いわんや悪人をや、の部分をもっともっと掘り下げてもっと読ませていただきたかったざんす。って、知りたかったら浄土真宗のHPでもよみなさい、かな?
魅力的な脇役も沢山で、一人一人のこの先もすごく気になるし、で、この先もまだまだいくらでも物語が書けると思うのだが、そうかいな、ここで終わらせちゃうんかいな。
でもまあ、「この先」を望むのは、親鸞に「この先」がある事を知っている後世のワタクシたちの勝手な感想であって、小説としてはここで、完、とするのが妥当なところなのかなぁ
一通り毎日読んでは来たけど、多分書籍になって発刊されるだろうから、そのときは一気にまとめ読み、が、したいざんす。余談ですが、本日は、きょうの猫村さん、を第一巻から最新刊の四巻まで一気読みして、満ち足りた気分でございます
それとも今日で新聞連載分は終わりだけど、この先も実は執筆されており、今までの分を、書籍として出版した後、親鸞 第二章、とかで、また書籍として発売する算段だったりして。
第二章は流刑になった親鸞が、かの地で新しい念仏仏教を広げるまでを描き、第三章では赦免となった後、浄土真宗を引っさげ関東での布教等を行い、やがて京に戻り終焉を迎えるまでを描く、とか。
親鸞三部作、とかな。映画の20世紀少年、みたいだな
自分で何でもしなくちゃ、ではなく、自分で何とかできないことは絶対的な大いなる力に任せる、と言うのも間違っちゃいない、自分ですべてできるなんてのはおこがましい考えだし、でも、絶対的な他力に信念を持って身を任せると誓うのは自分自身の心の中のことで、心の中の力を信じると言うことは、自分自身を信じて生きることにもなるのだし
鍵はわが心の中にあり、なのかなぁ。
と、自分の今の身の上、越して来方をふと考えてみるワタクシ、この世の波を漂うワタクシの人生の鍵は何処にありきや