ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

量子力学と恋

2018-01-17 | 雑念
ダラダラしてファシリテーションなんてできる状態じゃない集団にブチ切れて感情的になる夢を見た。

悪夢で起きた。

僕の心の奥にコントロールできない集団への恐怖が宿っているのだかもしれない。まるで愛のない体育教師が言うことを聞かない生徒へ指導するように。

口調も荒げて、こんな怒りの指導で誰かが聞く耳なんて持たないのは当たり前だと知りながら。

夢は脳の情報や欲望の情報整理を行なっているとしたら、この最悪の状態を脳内で是非にごみ処理施設に運んでほしい。

ブチ切れてもなんの解決にもならない。

かといってその後、優しく諭しても誰も聞いていない。その信頼関係を失った状態が恐ろしかったのだろう。人と人との関係性の上で信頼関係が失われた時に人は1人になってしまうのだ。

んっ?!

人が関係性を失う理由?

信頼関係を失う理由は?

その人本来の姿ではない、嘘をつく人、真実味がない人、約束を破る人、本やグーグル様などの知識や理論をひけらかす人、

僕はその全部を勝手に「理(り)の人」と呼ぶ。
「『理(り)』に重きを置いている人」の事である。本当に大切なことは目に見えないし、理論的ではない。

恋がいい例である。

理(り)が邪魔をするのだ。

勉強することは確かに大切なのだが、それは本来動物として人類として生き残るための学習能力。脳がそのように進化しただけである。

その脳に何をインプットし、どの様にそのCPUを使用するかの問題である。

メモリばかりに使うのか?

恋は衝動である。

理由なんてないその心の動きそのものが在り方なのだ。

考えて合理的、理論的であればあるほど真理から遠ざかる。

量子力学にも近い。

結局何が言いたいのかというと、シャレが言いたい。オヤジギャグ的に言いたい。

早く言いたいのだ。
人あるあるを言いたい。






人が理に溺れると、「ひと・り」になる。

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