hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

日本橋中洲

2014-05-20 06:35:07 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その5。前回予告の日本橋富沢町ではなく、急遽、日本橋中洲に行ってみた。これは単に隅田川がみたくなっただけである。

中州は全国にあり、博多などは最大の歓楽地だが、この中洲もそんな時代があったようだ。この町は北に浜町、南西が箱崎町、他は隅田川に面している日本橋の外れに位置する。

町の名前の由来は単純に隅田川の中洲であったことから。その昔は川が三方にあるため『みつまた』と呼ばれていた。江戸時代は月見の名所で舟遊びで賑わい、1695年には吉原の高尾太夫が中洲の舟中で切り殺されたことでも有名。



その後1773年に浜町と地続きになるように埋め立てられた。始めは中洲新地、1775年には冨永町となり、一大歓楽地となったが、寛政の改革で取り壊され、元の葦原となった。再度、1886年に埋め立てられ、中洲新地が成立、真砂座ができるなど栄えたが、大正には寂れた。

1971年には浜町との境、1972年には箱崎町との境も埋め立てられ、完全な地続きとなり、中洲の面影はない。

今は高い隅田川の堤防があり、川に面するのはマンション、倉庫、中にあるのは中小のオフィスビルばかりで古い建物は金比羅神社が,ある程度。


児童公園も高速道路の下にあるばかりで、岸辺からの清洲橋や隅田川大橋などの風景は確かにいいが、昔の粋な面影や古い建物は全くなくなってしまっており、残念ながら高速道路のジャンクションが無粋にそそり立つ町になってしまっている。


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