大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸深川七福神詣で

2012年01月05日 15時07分51秒 | 江東区・歴史散策
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は多くの方々からのご愛顧を賜り誠にありがとうございます。
本年も倍旧のご支援のほどお願い申し上げます。



さて本年最初のお題はお江戸下町の風情が漂う「深川七福神」への願掛け詣で巡りの報告から始めさせていただきます。

私の地元である江東区を代表する七福神巡りで、毎年かかさずに巡っています。おとそ気分もさめやらぬ昨日4日、各寺社では例年通り七福神がお姿を現し、私たちに新たな福徳を授けてくれています。

そもそも七福神の起こりは神君家康公が天海僧正に「国が栄えるようになり、人徳がたかまるようにするには、どのような道が大切であろうか」と質問されたのに対して、僧正は「仁王護国般若波羅密教(仁王教)などの経典に説かれている教えを大切にすれば、七難即滅し、七福即生します」と答えました。
さらに家康公は「七福とは何か」、僧正はが「七福とは寿命、有福、人望、清廉、威光、愛敬、大量が人生にとって大切であると説明しました。そして家康公は狩野派の画家に七福の神々を描かせたことが七福神の始まりであると言われています。

お江戸の七福神巡りが初めて行われたのは谷中七福神が最初と言われていますが、最も有名なのは隅田川七福神巡りでしょう。向島百花園が開園した文化元年(1804)に始まった隅田川七福神巡りが江戸の各地や地方に広がっていったのですが、ここ深川七福神巡りも江戸時代に始まったのですが、昭和20年の戦災で七福神を安置していた寺社が焼失したため戦後は中断していました。各寺社の復興に伴い、昭和45年の正月から復活し現在ではお江戸下町を代表する「七福神巡り」になっています。

ここで深川七福神を祀る寺社を紹介しておきましょう。
(1)恵比須神 富岡八幡宮(福徳:愛敬富財)
(2)弁財天  冬木弁天堂(福徳:芸道富有)
(3)福禄寿  心行寺(福徳:人望福徳)
(4)大黒天 円珠院(福徳:有福蓄財)
(5)毘沙門天 龍光院(福徳:勇気授福)
(6)布袋尊 深川稲荷神社(福徳:清廉度量)
(7)寿老神 深川神明宮(福徳:延命長寿)

富岡八幡宮の初詣の賑わい

それでは(1)の富岡八幡宮の恵比須神から七福神詣でを始めることにいたしましょう。
江戸最大の八幡さまで「深川の八幡さま」として親しまれている富岡八幡宮は永代通りに面して立つ大鳥居からご本殿までつづく参道にはたくさんの参詣客で賑わっていました。そんな人ごみをかき分けてご本殿の西側に祀られている「恵比須宮」へと進んでいきます。

参道の賑わい

ご存知のように恵比須神は大国主命の御子神にあたる事代主命(ことしろぬしのみこと)で釣りが大好きな神様です。このため烏帽子に狩衣をまとい、右手に釣竿、左手に鯛を抱えて岩に座った姿をしています。もともとは海上安全、航海安全の神でしたが、のちに商売繁盛の神として広く信仰されています。

恵比須神祠

富岡八幡宮のご本殿前の賑やかさとはうって変わって静かな空気が流れる神域でお参りを済ませ、二番目の弁財天を祀る冬木弁天堂へと向かうことにいたします。

冬木弁天堂

八幡さまからそれほど離れていない距離にある冬木弁天堂は葛西橋通りに面した小さな境内に祠を構えています。冬木弁天堂がある場所は江戸時代の元禄時代から材木商が多く集まった木場に位置していました。弁天堂の由緒はここ木場に店を構えた材木豪商の冬木弥平次が宝永2年(1705)に邸内の池の畔に竹生島から移した弁財天を安置したことに始まります。このため現在でもこの辺りの地名が「冬木」となっています。

冬木弁天堂を後にして、三番目の福禄寿を祀る心行寺へと向かいます。葛西橋通りを隅田川方向へと進み、清澄通りと交わる大きな交差点を右へ曲がるとすぐに現れるのが深川閻魔堂です。この閻魔堂の隣に位置しているのが心行寺です。

心行寺門前
心行寺門前

心行寺は江戸時代の元和2年(1616)に八丁堀寺町に創立し、寛永10年(1633)にここ深川に移った由緒ある古刹です。福禄寿を祀る六角堂は山門を入った境内の左手に建っています。新春の柔らかい陽射しが小さなお堂の中の福神を照らしています。

福禄寿六角堂

※深川七福神巡りのコースの中で唯一綺麗なトイレがあるのがここ心行寺です。

心行寺を後にして4番目の大黒天を祀る円珠院へと向かいます。清澄通りを北上しながら歩いていくと、仙台掘川に架かる海辺橋にさしかかります。この橋の袂はかつて俳聖・芭蕉が暮らした庵「採茶庵」があった場所です。海辺橋を渡ると左手にこんもりとした林が見えてきます。この林の向こうには江戸時代の名園「清澄庭園」があります。

円珠院門前
円珠院大黒天

清澄通りからはずれ深川七福神の幟に従って右へと折れてしばらく歩くと円珠院に到着です。円珠院には大黒天が祀られていますが、実は大黒天信仰には2つの流れがあります。一つは大黒天を大国主命とするもので、一般的に神社に祀られています。もう一つはインド名をマハカーラという仏神の大黒天で、多くは寺院に祀られています。

円珠院に祀られているのは仏神の大黒天です。円珠院は江戸時代の享保年間に創立した古刹です。

七福神巡りも残すところ三ヶ所となりました。ここ円珠院から5番目の毘沙門天を祀る龍光院へと足を進めます。龍光院の道すがら、大きな境内を有する浄心寺に沿って歩くと、その境内に古めかしい鐘楼が見えてきます。この梵鐘は文久元年(1861)の鋳造で、ここに移される前は川越の行伝寺の時の鐘として使用されていた由緒あるものです。七福神の幟は平野の交差点で左へと折れ更に北上します。

龍光院門前
龍光院毘沙門天

龍光院はそもそも家康公の側室「阿茶局」の菩提寺である雲光院の塔頭寺院で慶長16年(1611)に馬喰町に創立した古刹ですが、明暦3年の振袖火事で焼失した後、岩井町(現千代田区)に移転し、さらに天和2年(1682)の大火の際にここ深川に移転してきました。
そしてこの天和2年に鬼門除けとして境内の東北角に石造りの毘沙門天が安置されたのが始まりです。現在の毘沙門天像は昭和50年に造られたものです。ご存知のように毘沙門天は四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)の随一である多聞天とも呼ばれています。

※雲光院は龍光院から約100m北に位置しています。雲光院には阿茶局の墓と吉原遊郭の創立者である庄司甚内の墓があります。

龍光院を後に、雲光院門前を過ぎると深川資料館通りの商店街が現れます。この通りを清澄通りに向かって歩きます。深川資料館前を過ぎると、ほぼ隣にあるのが霊巌寺です。霊巌寺には江戸時代に寛政改革を断行した老中・松平定信公の墓所と江戸六地蔵が鎮座しています。

ちょうどこの辺りが清澄白河という地名ですが、前述の松平定信公が白河藩主であったことから「清澄白河」と付けられています。

清澄白河の交差点を渡り、清洲橋通りを西へ進み、布袋尊を祀る深川稲荷神社へと向かいます。清洲橋通りから右手へ折れると、深川稲荷神社はもうすぐです。

深川稲荷神社前
深川稲荷神社布袋尊

深川稲荷神社は寛永7年(1630)創立と古いものです。路地が交わる角に建つ当社のすぐ裏手に江戸時代からの水運の要である小名木川が流れています。江戸時代にはこの付近にはたくさんの船大工が生み、舟の修繕、造船をしていました。

ここ深川稲荷神社は深川七福神巡りのルートで唯一、お茶のサービスをしてくれる場所です。冷え切った体に熱いお茶のサービスは助かります。

さあ!いよいよ7番目の寿老神を祀る深川神明宮を目指しましょう。深川稲荷神社から隅田川方向へ歩いていくとこの付近にやたらと目立つのが相撲部屋です。琴風の尾車部屋、大鵬の大鵬部屋、北の湖の北の湖部屋と続きます。国技館のある両国がもう目と鼻の先という位置からすれば当然のことでしょう。

そして道はあの赤穂浪士たちが討ち入り後、泉岳寺へと向かうために歩いた万年橋通りへとさしかかります。万年橋からは隅田川の流れと美しい曲線を描く清洲橋を眺めることができます。

この万年橋通りを両国方面へと北上し、芭蕉記念館を過ぎて最初の角を右へ折れると寿老神を祀る深川神明宮に到着です。

深川神明宮は慶長元年(1596)とかなり古い創立で、深川では最も古い神社です。深川はそもそも大阪摂津からやってきた深川八郎右衛門によって開拓された土地です。その鎮守の宮として創建されたのがここ深川神明宮です。

そして神君家康公がこの村にきたところ、村名を尋ねたところ名がないので、深川八郎右衛門の姓をとって深川村とすることとなった由緒があります。

寿老神祠

7番目の深川神明宮は私にとっては終着点ですが、ここから七福神巡りを始める方にとっては出発点です。やはり出発点ともなる当社にはたくさんの方が参詣に訪れていました。延命長寿の神「寿老神」に今年一年の無事を願い年初の初詣を無事に終えることができました。

最後に皆々様のご多幸を心からお祈りいたしております。

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