大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

世界遺産「日光東照宮」と社寺散策~生まれながらの将軍・家光公の霊廟「大猷院」~

2011年07月20日 14時54分24秒 | 地方の歴史散策・世界遺産日光の社寺
絢爛豪華な東照宮をあとに、日光の山にあるもう一つの見所である大猷院(たいゆういん)へと向かうことにします。

大猷院石柱

ご存知のことと思いますが、徳川家累代の将軍の墓のほとんど(13人の将軍)は徳川家の菩提寺である上野寛永寺若しくは芝増上寺に置かれ、唯一、15代将軍慶喜公だけが谷中の墓地に埋葬されています。

開幕の祖である家康公は大権現と称する神となり日光東照宮の奥宮に墓所を構えでいるのはすでにお分かりのことと思います。家康公以外の征夷大将軍の中で唯一、江戸に墓を造らなかったのが三代将軍家光公なのです。造らなかったというより、家光公が祖父君である家康公に対して深く敬愛、崇拝していたがための当然の成り行きで、東照宮に近い日光の山の中に壮麗な霊廟が造られたのです。

この生まれながらの将軍と自他共に認めた家光公は、自身の遺言の中で自らの廟は東照宮を凌ぐことのないように規模、細工とも控えめに造営せよ、とのことで、色調は金と黒を貴重とした色合いの廟が造られたといいます。しかしながら大猷院霊廟を訪れると、各建築群の配置は山の麓から幾つもの石段で繋がれ、石段を登ると色鮮やかな門が待ち受け、それをくぐるとまた別の門が待ち構えるという空間と門、楼、廟の立体構成はむしろ東照宮のそれを凌いでいるのではないかとおもわれるほどの贅沢な造りのように思えます。

それでは家光公の法名大猷院を冠した霊廟「日光廟大猷院」へご案内いたしましょう。

入場口からまっすぐに伸びる参道の向こうに朱色と黒、金の配色を施した見事な御門が見えます。これが大猷院霊廟の最初の門で「仁王門」です。最初の門ということなのですが、霊廟にとうちゃくするまでこの仁王門を含めて全部で6つの門が配置されているのです。

仁王門
金剛力士像

この仁王門には左右に金剛力士像が安置されています。
仁王門をくぐると広場が目の前に広がり、その傍らに手水舎が置かれ、ここでも日光の山からの清らかな泉が滾々と湧き出しています。もちろん汗にまみれた腕や手、そして顔をこの清水で清めたのですが、これまでの泉の中でも最も冷たく感じ、まるで氷水に触れているような冷たさでした。

手水舎

参道は仁王門をくぐると大きく左へと折れると、目の前にこれまた立派な御門が堂々とした姿を現します。大猷院と書かれた額が掲げられたこの門は「二天門」と呼ばれ、門の左右には持国天と広目天の二天が安置されています。

二天門

そして次に現れるのが霊廟への最初の入口となる「夜叉門」です。この門もあまりにも美しすぎる彩色でとても控えめに造ったとは思えない華やかさです。正面、背面の左右柵内に「毘陀羅(びだら)」「阿跋摩羅(あばつまら)」「ケン陀羅(けんだら)」「烏摩勒伽(うまろきゃ)」の「四夜叉」を納めていることから「夜叉門」と名付けられています。

夜叉門

いよいよ大猷院の本殿へと進むことになるのですが、その入口に構えるのが唐門です。その名のとおり唐破風を持つ小振りながら見事な装飾を施された美しい門です。この門を中心にして左右に伸びる塀には見事な透かし彫りが施され、門の美しさもさることながら極めつけの繊細技法を見ることができます。

唐門から伸びる透塀

唐門をくぐるとそこは大猷院の拝殿入口へと繋がります。拝殿の扉には金細工の精巧な装飾が施され、その贅沢な造りに生前の家光公の強大な権勢を垣間見たような気がします。見学者は靴を脱いで拝殿の座敷へと進むことができます。拝殿内部は細部に至るまで金箔が施され、文字通り金箔玉楼となっています。拝殿から更に本殿へとつづく畳敷きの部屋で繋がっています。

拝殿入口

拝殿を辞して廟の外側に巡らされている回廊を歩くと、それはそれは見事な造りと贅沢な装飾が施された拝殿と本殿の外観を仰ぎ見ることができます。

手前:拝殿 奥:本殿
手前:本殿 奥:拝殿
本殿を背景に

拝殿に続く本殿の最奥部にある「厨子(御宮殿/ごくうでん)の中には「家光公座像」と「御位牌」が、又その前後には家光公の本地「釈迦如来」(非公開)が奉安されているそうです。この建物を「廟(びょう)」といい金・黒、赤の彩色でくまなく施された外観は、別名「金閣殿」と呼ばれ江戸時代の芸術の極みを見ることができます。

回廊の脇に備えられた裏門を抜けると中国の明様式を採用した竜宮城のような門が現れます。「皇嘉門」と呼ばれる御門で、この門の向こうに家光公(大猷院)の御廟があるのです。この門の先が本当の聖域なのです。

皇嘉門
大猷院廟の透塀

東照宮は別格として、家康公以外の霊廟で各将軍の霊廟建築で現存しているのは、家光公(大猷院)のものだけです。しかも霊廟だけでなくそれに付随する建築群がそっくりそのまま残っていることで、もしかすると上野寛永寺や芝増上寺にあった将軍霊廟も同じような造りのものがあったのではないかと想像できるのです。しかも両寺にはなんと各々6人の霊廟があったわけですから、その規模は大猷院霊廟の比ではなかったのではないかと勝手に想像を巡らした次第です。

事実、太平洋戦争末期の東京大空襲までは現在の東京プリンスホテルのある場所や芝公園一帯に徳川将軍家の霊廟が並んでいたわけですから、それはそれは壮観だったことと思います。

世界遺産「日光東照宮」と社寺散策(プロローグ)
世界遺産「日光東照宮」と社寺散策~輪王寺・三仏堂から東照宮の三神庫へ~
世界遺産「日光東照宮」と社寺散策~陽明門から奥宮まで~





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世界遺産「日光東照宮」と社寺散策~陽明門から奥宮まで~

2011年07月20日 11時14分08秒 | 地方の歴史散策・世界遺産日光の社寺
さあ!いよいよ日光の社寺のランドマークである陽明門、御本社そして家康公の墓所である奥宮へと進んでいきましょう。

元和2年(1616)、開幕の祖である家康公が死去するとその遺言によりご遺体は一端久能山に埋葬されますが、翌年元和3年(1617)に日光に改葬されました。その翌年、朝廷から東照大権現の称号と正一位を与えられ東照社と称しましたが正保2年(1645)宮号を賜り、日光東照宮と改称し今に至っています。

陽明門

因みに家康公の遺言とは 「私が死んだら、まず、久能山に納め、神として祭るように。葬式は増上寺で行い、三河の大樹寺に位牌を立てよ。一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて勧進せよ。関八州の鎮守となろう。」

現存する絢爛豪華な社殿群は祖父である家康公にひとかたならぬ敬愛を示した三代将軍家光公により小さなお堂どころか将軍家の威信をかけ、寛永13年(1636)に大造営されたものなのです。まさに徳川将軍家の権威を示すための壮大華麗な建築群であると同時に、おそらく当時の建築技術の粋を集めた日本一の野外博物館の様相を呈しているのではないでしょうか。

日光東照宮は現在でも多く社殿や寺宝を所持していますが、その中でも本社殿、石の間、拝殿、陽明門、回廊などが国宝に指定され、世界遺産の中核をなしています。

さて御水屋のちょうど右隣に建つこれも絢爛豪華な2層の建物なのですが、輪蔵(経蔵)とよばれているものです。寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、宝形造り、銅瓦葺き、裳階付きです。朱色と金が基調で組物と彫刻が極彩色で彩られ、内部には八角形の回転式の書架があり、一切経1456部、6325巻が納められていました。日光東照宮輪蔵(経蔵)は国指定重要文化財に指定されています。

輪蔵(経蔵)

そして現れるのが日光東照宮の象徴である国宝の「陽明門」です。寛永12年(1635)に創建されたもので、三間一戸、八脚楼門、入母屋、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築です。陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれているところから授かったとされ、正面唐破風下には元和3年(1617)に後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」の勅額が掲げられています。

陽明門を背景にして

これほどまでの絢爛豪華な建築物は日本のどこを探してもきっと見つからないと思うほどの圧倒的な美しさと日本人でなければ造り得ない至高の繊細さが見るものに深い感慨と感動を与えてくれます。世界に冠たる最高の建築美を誇る国宝・陽明門が手に届く場所に、そして間近に接することができた喜びは言葉に表せないくらいの感動の一瞬でした。

陽明門

陽明門を中心として左右に伸びる回廊には精巧な彫刻や燭台、蟇股が極彩色で彩られ、陽明門の煌びやかさと相まって、この中が神聖にして冒してはならない神域であることを無言のうちに語っているような風情を醸し出しています。

回廊

陽明門をくぐると正面には本来絢爛豪華な本社殿(寛永12年・1635年創建)が現れるはずなのですが、残念なことに現在修復中ということで社殿全体に仮囲いが施され全容を見ることができませんでした。ただし、本社殿の内陣には入場可能で「将軍着座の間」「法親王着座の間」を見学することは可能です。そして拝殿の石の間にはごく最近に塗りが終わった「黒漆」がまるで鏡の表面のような光沢で輝いていました。

修復中の本社殿

本社殿を正面に見て左側奥に金と黒を貴重とした重厚な建物が建っています。寛永12年(1635)に建てられた神輿舎です。内部には千人行列で渡御する家康(中央)、秀吉(左)、頼朝(右)を祭った神輿が安置されています。

神輿舎

そして本社殿を正面にして右へ進むと坂下門へ通じる回廊の欄間に彫られているのが、あの有名な国宝「眠り猫」です。名工左甚五郎作といわれ、天敵である猫が居眠りをして雀が踊っている姿を表現しています。

眠り猫

この眠り猫の欄間の下をくぐると坂下門で家康公の墓所がある「奥宮」へ通じる入口です。尚、奥宮へは「二社一寺」に有効なクーポンでは入場できません。別途、拝観料(500円)が必要です。この坂下門は江戸時代には将軍参詣のとき以外は開くことがなかったため「開かずの門」と呼ばれています。

さあ!夢にまで見た家康公の墓所へ行くことができる。という興奮を抑えながら坂下門をくぐると10段ほどの石段が現れます。石段を登りきると、うっそうとした杉林の中をまっすぐに伸びる平坦な参道がしばらく続きます。夏の暑い日ざしが杉林で遮られ、まるで天然のクーラーの中に入り込んだような気がします。

しかしそう簡単には家康公の墓所へは辿りつけないのです。平坦な参道は私たちに更なる試練を与えるように207段の石段へと導いてくれます。涼しい杉林の空気でいったん収まった体のほてりは207段の石段で一気に吹き飛んでしまいます。

息絶え絶えに石段を登りきると、とってつけたように日光の美味しい水が湧き出る水盤社が現れます。地獄に仏とはよくいうもので、膝がケタケタ笑うほど疲れきった体に「日光の美味しい水」は何にも替え難い清涼剤になりました。

さあ!もうひと息で家康公の墓所です。「日光の美味しい水」の水盤社から数段の石段を登ると重厚な佇まいの「奥宮拝殿」が現れます。外壁が銅版で覆われ、それに黒漆を塗った重々しい雰囲気の建物です。この拝殿を右へ回りこむように進むといよいよ家康公の墓所に至ります。

墓域の入口には見事な青銅製の「鋳抜門」がどっしりと構え、それなりの威厳を醸し出しています。これまでに鋳抜門と呼ばれるものは東京の芝・増上寺にある徳川将軍家の霊廟前に置かれているものしか見たことがありませんでした。増上寺の鋳抜門は先の大戦で焼け残ったものを移築したもので完全な姿ではないのですが、ここ東照宮の奥宮の鋳抜門は慶安3年(1650)に鋳造されたものが完全な姿で残っているのです。門の屋根、柱、壁すべてが青銅製で門扉には金の浮き彫りが施され、さすが家康公の墓所の入口を守る門といった貫禄を漂わせています。

鋳抜門
鋳抜門

家康公の墓所は周囲を回廊で巡らされ、一周することができます。これまで見た徳川将軍家のどの宝塔よりも大きく、その宝塔を支える基盤の大きさは圧倒的な威圧感をもって迫ってきます。基盤は八角九段の堂々としたもので、その上に高さ5mの宝塔が聳え立っているという感があります。宝塔の正面にあたる場所には寛永20年に朝鮮から献上された香炉、燭台、花瓶、三具足が備え付けられています。

奥宮
奥宮

この場所から家康公は神となって江戸そして徳川家の繁栄を見守り続けていたんだ、という感慨に耽った一瞬でした。



名残惜しい気持ちを抑えながら、再び長い石段を下り本社殿や陽明門へと戻りましたが、坂下門へと通じる最後の階段上からみる社殿群の甍の景色が妙に印象的でした。



世界遺産「日光東照宮」と社寺散策(プロローグ)
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世界遺産「日光東照宮」と社寺散策~輪王寺・三仏堂から東照宮の三神庫へ~

2011年07月19日 15時14分09秒 | 地方の歴史散策・世界遺産日光の社寺
いよいよ日光社寺巡りの旅を始めることにいたしましょう。日光の山の社寺は二社一寺と呼ばれ、二社とは東照大権現すなわち家康公を神として祀る「東照宮」と二荒山神社と輪王寺を指しています。

まずは入口から輪王寺を目指すことにいたします。世界遺産「日光の社寺」の石碑から山へ通じる急峻な石段がすぐに始まります。暑さでほてった体はうっそうと繁る木々を通る涼しげな風でいくらか癒される気分になりますが、足腰が弱った体にはこの石段はかなりの負担になります。

石段がとぎれると、急に視界が広がり前の前にはなだらかな坂道が現れてきます。この坂道の左側のかなり広い敷地に建物が並んでいます。標識を見ると「東照宮御旅所」と書かれています。この建物は春・秋の神輿渡御祭の際に神輿がここに遷る場所です。その際「百物揃千人武者行列」が行われるのですが、御旅所の前の坂道には石畳で舗装されていない芝の部分があります。これは千人行列で騎馬が通るために備えられたものです。

東照宮御旅所
百物揃千人武者行列の坂道

この坂道を上がりきると、本来は目の前に輪王寺のご本堂である三仏堂がど~んと姿を現すのですが、実は現在三仏堂は50年ぶりの大修理の真っ最中のため、建物全体が仮囲いで覆われています。工事期間が10年ということで、完成は平成30年を待たなければなりません。10年後ということは私自身もかなりの歳になっており、生きているかどうかもわかりません。

修復中の三仏堂

修理中とのことなのですが、ご本堂の内部には入れるとのことで拝観料を払いご本尊参拝へ向かうことにしました。ここで拝観料についてですが、それぞれの寺社の参拝には拝観料が必要ですが、お得なクーポンがあります。それは前述の二社一寺の主要な部分にのみ対応するもので一人1000円と極めてお得なクーポンなのです。日光社寺巡りには是非お勧めいたします。

このご本堂・三仏殿はもともと平安時代に創建されたもので国内では数少ない天台密教形式の堂宇なのです。江戸時代に入り三大将軍家光公の御世に建て替えられたといいます。ご本堂内陣には黄金色に輝く千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の仏様が鎮座され、薄暗い堂内にひときわ神々しさを放っています。

三仏様の参拝を終えご本堂の裏手へ回ると、輪王寺護摩堂の堂々とした建物が目の前に現れます。この護摩堂と三仏堂の間に挟まれた場所に奇妙な柱が立っています。これは寛永を20年(1643年)に家光公が天海大僧正に依頼し建立したもので、相輪�哲(そうりんとう)と呼ばれているものです。仏塔の一種で、国家の安隠と天下泰平を祈願している細長い搭で、 高さ13.2mで、塔の内部には1000部の教典が納められています。 上部には、金瓔珞(ようらく)と24個の金の鈴が飾られ、この鈴の音を聞くと願い事が叶うといわれています。

護摩堂
相輪�哲

相輪�哲(そうりんとう)を辞すると、いよいよ東照大権現(家康公)が祀られている東照宮へと通ずる参道が延びています。これまで写真や映像でしか見ることがなかった陽明門をはじめとする絢爛豪華な建造物が今、目の前に迫ってくる感動と興奮を抑えながら大鳥居をくぐっていきます。

東照宮石柱
東照宮大鳥居

大鳥居をくぐると左手に現れるのが美しい彩りの五重塔です。慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。

五重塔

前方の石段の上に色鮮やかな「表門」が目に飛び込んできます。東照宮の中で最初の御門で左右に仁王像が安置されているので「仁王門」と呼ばれています。

仁王門
仁王門

表門をくぐると参道は大きく左へと折れ、目の前に見事な彩りの3つの建物が並びます。この3つの建物は表門に近いものから下神庫、中神庫、上神庫と名付けられ総称して三神庫と呼ばれています。校倉造りの建築様式を用いたこの建物には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。

下神庫
中神庫
上神庫
上神庫

そして三神庫に相対するように建つのが神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されて描かれています。その中でも最も有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻があるのですが、思ったよりも小振りな彫り物であったことが印象的です。

神厩舎
神厩舎・三猿

この神厩舎を過ぎると陽明門がもう間近に見えてくるのですが、これより神域ということで御水舎(おみずや)で汗にまみれた手や腕、ついでに顔を洗い、口をゆすいで気持ちを新たに大権現様への参拝の準備をしました。日光の山から湧き出す泉の冷たさを堪能できる御水舎です。

御水舎

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世界遺産「日光東照宮」と社寺散策(プロローグ)

2011年07月19日 12時18分12秒 | 地方の歴史散策・世界遺産日光の社寺
大江戸散策徒然噺のメインテーマである「江戸・徳川家の繁栄の歴史」を辿っていく中で、絶対に避けて通れない場所があります。江戸幕府の祖である家康公が眠る日光東照宮こそ、大江戸散策徒然噺の原点であるとかねてから心の中に秘めていたのです。

さらに過日は家康公誕生の地である三河・岡崎を訪れ、徳川家発祥の歴史を辿り感慨を深めてきました。そうであれば家康公没後の永眠の場所である日光は是非とも参拝しなければならない場所だったのです。

日光の社寺石碑

日光東照宮への参拝は60年の人生の中で始めてのことなのですが、ツアーバスで限られた時間の中での参拝はおそらく満足を得られないと考え、あくまでも個人旅行に徹することを主眼に東武日光線の特急「霧降号」での日帰り散策となりました。
朝8時30分発の霧降号に乗車し、浅草から約2時間の列車の旅で東武日光駅に到着しました。日曜日のこの日(7/17)は30度を超える真夏日が予想されており、標高500mを超える日光も真夏の強い日差しが肌を刺すようにギラギラと照り輝いていました。駅前からバスの便もあるのですが、せっかくの個人旅行ということでかつて将軍御成り道として使われていたであろう東照宮への一本道(神橋通り)を歩くことにしました。
遥か前方に見えるこんもりとした東照宮の杜を目指してなだらかな坂道を歩き始めたのですが、首筋に照りつける強い日差しに息も絶え絶え。道の両側にはお洒落な土産屋や日光名物の湯葉料理の店そして老舗の羊羹屋さんが現れてきます。そして坂道の途中には、旅人に涼を提供するかのように「日光のおいしい水」と名付けられた湧き水?の泉が適度な間隔を置いて設置されています。

滾々と湧き出る水はことのほか冷たく感じられ、飲料水として用いられているので喉の渇きを潤すことができます。ついでに両腕の肩から冷たい水をかけたり、顔を洗うこともできるので夏の暑い時期には格好のオアシスになっています。

なだらかな坂をほぼ登りきったあたりに一軒の有名な羊羹屋さんがあるのでご紹介しましょう。
「日光祢りようかん・ひしや本舗」という屋号で約140年の歴史を刻む羊羹の老舗です。店構えも古さを感じる佇まいを見せており、店先のひな壇に羊羹の箱を並べているのですが、このお店の羊羹は一種類だけなのです。

日光祢りようかん・ひしや本舗

この一種類しかない洋館はたいへん人気があり、開店後早いと1時間ほどで売り切ってしまうほど入手困難な代物です。たまたま10時半ころにお店に到着したので、かろうじて入手することができました。他の羊羹屋さんのものと比べると少し小さめなのですが、昔ながらの竹皮で包装されているとのこと。1本300gで1500円ですが、食べる価値は十分にありそうです。

この羊羹屋さんをすぎると神橋通りは清流のせせらぎが涼しげな音を聞かせる「大谷川」へとさしかかります。そして有名な神橋が左手に見ることができます。大谷川を渡るといよいよ世界遺産に登録されている「日光の社寺」が静かにたたずむ神霊域が始まります。うっそうとした木々に覆われた日光の杜を背後に控えた入口には「世界遺産・日光の社寺」と刻まれた石碑がど~んと置かれています。

日光の社寺石碑前で

駅からの道のりで強い日差しを浴びてきた体に、杜から流れ出る冷気が心地よく肌をすり抜けていきました。

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