東海道五十三次街道巡りの旅も箱根西坂を越えていよいよ三島宿へと入ってきました。思えば遠くへ来たもんだ、と感慨深げに初音ケ原の松並木の石畳を三島市内へと進みます。
三嶋大社鳥居
三島といえば頭に浮かぶのが「鰻」「富士の湧水」そして何と言っても伊豆の国の一の宮である「三嶋大社」です。それなりの社格をもった神社と聞いているのですが、これまで一度も訪れたことがありません。
人づてに聞くところによるとその社殿は荘厳にして神々しい佇まいを見せているという。
創建年代は明らかではないというが、古来、奈良時代から三島に鎮座していたといいます。というのも三島には平安の時代に国分寺がおかれ中央から派遣された役人が国府に詰めていたといいます。そんな関係から三嶋大社は伊豆国の一宮としての社格を得ていたものと思われます。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。
旧東海道を進み日ノ出町の交差点を過ぎると、旧街道に面して三嶋大社の大きな鳥居が現れます。あの安藤広重が三島の景にうっすらと描きこんだ鳥居です。
三嶋大社鳥居
鳥居をくぐり社殿へつづくまっすぐな参道の入口へと進んでいきます。
まず現れるのが参道右手に置かれている大きな石(岩)です。「たたり石」と呼ばれているもので、もともとは大社前の東海道のど真ん中に置かれ、行きかう人の流れを整理する役目をもっていたといいます。
たたり石
しかし往来が激しくなるにつれて邪魔ということで取り除こうとすると、その度に災いが起こるため「たたり石」と言われるようになったらしいのです。その後、大正3年の道路工事で掘り出され現在の場所に据えられています。
たたり石からほんの少し進んた右側に「相生松」なる松が低い玉垣に囲われて植えられています。実はこの松が植えられている場所は源頼朝が源家再興を祈願するため、毎暁伊豆の蛭島から三嶋大社に日参するときに、頼朝の従者である盛長がこの場所で警護したと伝えられています。このため「安達藤九郎盛長警護の跡」と呼ばれています。
安達藤九郎盛長警護の跡
尚、相生松とは黒松と赤松が一つの根から生え出ていることからこう呼ばれています。
さらに参道を進むと左右に神池が現れます。社殿に向かって左側の神池には中之島が置かれ、そこには厳島神社が勧請されています。市杵島姫命を祭神として祀る厳島神社は北條政子が勧請し、信仰したと伝えられています。
厳島神社
神池を過ぎると前の前に現れるのが「総門」です。昭和6年に完成した門ですが、なかなかの風格をもった門構えです。以前の総門は改修後、芸能殿として境内に残っています。
総門
総門をくぐり桜並木の中を進むと前方に「神門」が構えています。その神門の手前の神馬舎の前に椅子のような形をした石が置かれています。
腰掛石
神馬
腰掛石と呼ばれているもので源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折に、腰を掛けて休息をした石とのこと。
大きな石の傍らの小さな石は北條政子が腰かけた石とのこと。ご夫婦仲のよろしいことで…。
そしていよいよ神域へとつながる神門をくぐります。この神門は幕末の慶応3年(1867)8月10日に完成したものです。
神門
神門をくぐると右手に大きく聳える木が目に飛び込んできます。樹齢なんと1200年の金木犀(きんもくせい)の木です。樹高10m、目通り周囲約4mという巨木です。
金木犀
薄黄色で可憐な花は甘い芳香を発し、それは神社付近はもちろん遠方までにおよび、時には2里(約8キロ)先まで届いたと伝えられています。9月上旬より中旬にかけ、黄金色の花を全枝につけ、再び9月下旬より10月上旬にかけて満開になります。
そして社殿前の広場の真ん中にドーンと置かれているのが「舞殿」です。もともとは祓殿と呼ばれ神楽祈祷を行った場所です。その後ここで舞を奉納したので「舞殿」と呼ばれるようになったのです。
舞殿
芸能殿
尚、この舞殿の四方の欄間と小壁には中国に伝わる親孝行の噺を題材にした彫刻が施されています。全部で24の噺からなるので「二十四孝」と呼ばれています。
そして真打登場ということで重要文化財に指定されている拝殿、幣殿、本殿が重厚な佇まいを見せて鎮座しています。
現在私たちが目にする社殿群は幕末の慶応2年に完成したものです。
拝殿
幣殿・本殿
御祭神は大山祇命[おおやまつみのみこと]、積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]、御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
本日ここ三島から沼津宿への下見を兼ねた旅が始まります。旅の安全を祈願していざ出立。
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三島・初音ケ原の松並木と石畳
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三嶋大社鳥居
三島といえば頭に浮かぶのが「鰻」「富士の湧水」そして何と言っても伊豆の国の一の宮である「三嶋大社」です。それなりの社格をもった神社と聞いているのですが、これまで一度も訪れたことがありません。
人づてに聞くところによるとその社殿は荘厳にして神々しい佇まいを見せているという。
創建年代は明らかではないというが、古来、奈良時代から三島に鎮座していたといいます。というのも三島には平安の時代に国分寺がおかれ中央から派遣された役人が国府に詰めていたといいます。そんな関係から三嶋大社は伊豆国の一宮としての社格を得ていたものと思われます。
中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。
旧東海道を進み日ノ出町の交差点を過ぎると、旧街道に面して三嶋大社の大きな鳥居が現れます。あの安藤広重が三島の景にうっすらと描きこんだ鳥居です。
三嶋大社鳥居
鳥居をくぐり社殿へつづくまっすぐな参道の入口へと進んでいきます。
まず現れるのが参道右手に置かれている大きな石(岩)です。「たたり石」と呼ばれているもので、もともとは大社前の東海道のど真ん中に置かれ、行きかう人の流れを整理する役目をもっていたといいます。
たたり石
しかし往来が激しくなるにつれて邪魔ということで取り除こうとすると、その度に災いが起こるため「たたり石」と言われるようになったらしいのです。その後、大正3年の道路工事で掘り出され現在の場所に据えられています。
たたり石からほんの少し進んた右側に「相生松」なる松が低い玉垣に囲われて植えられています。実はこの松が植えられている場所は源頼朝が源家再興を祈願するため、毎暁伊豆の蛭島から三嶋大社に日参するときに、頼朝の従者である盛長がこの場所で警護したと伝えられています。このため「安達藤九郎盛長警護の跡」と呼ばれています。
安達藤九郎盛長警護の跡
尚、相生松とは黒松と赤松が一つの根から生え出ていることからこう呼ばれています。
さらに参道を進むと左右に神池が現れます。社殿に向かって左側の神池には中之島が置かれ、そこには厳島神社が勧請されています。市杵島姫命を祭神として祀る厳島神社は北條政子が勧請し、信仰したと伝えられています。
厳島神社
神池を過ぎると前の前に現れるのが「総門」です。昭和6年に完成した門ですが、なかなかの風格をもった門構えです。以前の総門は改修後、芸能殿として境内に残っています。
総門
総門をくぐり桜並木の中を進むと前方に「神門」が構えています。その神門の手前の神馬舎の前に椅子のような形をした石が置かれています。
腰掛石
神馬
腰掛石と呼ばれているもので源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折に、腰を掛けて休息をした石とのこと。
大きな石の傍らの小さな石は北條政子が腰かけた石とのこと。ご夫婦仲のよろしいことで…。
そしていよいよ神域へとつながる神門をくぐります。この神門は幕末の慶応3年(1867)8月10日に完成したものです。
神門
神門をくぐると右手に大きく聳える木が目に飛び込んできます。樹齢なんと1200年の金木犀(きんもくせい)の木です。樹高10m、目通り周囲約4mという巨木です。
金木犀
薄黄色で可憐な花は甘い芳香を発し、それは神社付近はもちろん遠方までにおよび、時には2里(約8キロ)先まで届いたと伝えられています。9月上旬より中旬にかけ、黄金色の花を全枝につけ、再び9月下旬より10月上旬にかけて満開になります。
そして社殿前の広場の真ん中にドーンと置かれているのが「舞殿」です。もともとは祓殿と呼ばれ神楽祈祷を行った場所です。その後ここで舞を奉納したので「舞殿」と呼ばれるようになったのです。
舞殿
芸能殿
尚、この舞殿の四方の欄間と小壁には中国に伝わる親孝行の噺を題材にした彫刻が施されています。全部で24の噺からなるので「二十四孝」と呼ばれています。
そして真打登場ということで重要文化財に指定されている拝殿、幣殿、本殿が重厚な佇まいを見せて鎮座しています。
現在私たちが目にする社殿群は幕末の慶応2年に完成したものです。
拝殿
幣殿・本殿
御祭神は大山祇命[おおやまつみのみこと]、積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]、御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
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