2016年のGWの締めは横須賀軍港と要塞の島「猿島」探訪の旅を楽しむことにしました。この歳になって横須賀市内をゆっくり巡るのは初めてのこと。ましてや「猿島」に渡るのも初めてのことです。
横須賀といえば自衛隊と米軍の基地の街。それも海軍基地である。(自衛隊の場合は海上自衛隊の基地)
JRの横須賀駅に降りると、駅前の佇まいは基地そのものといった感じである。閑散としたJR横須賀駅前にはお洒落な商店が軒を連ねているわけではありません。
駅前からほんのわずかな距離に海上自衛隊の埠頭があり、護衛艦や潜水艦が目と鼻の先に繋留されています。
護衛艦というより、空母
護衛艦遠望
護衛艦「いずも」
潜水艦
目の前に、空母と見まがうほどの巨大な護衛艦「いずも」が繋留されているではありませんか。世間では事実上の空母と位置付けられている我が自衛隊の「虎の子」。噂に聞いた「いずも」をこんな間近で拝めるとはラッキー。
どういうわけか、目の前に軍艦が現れるとワクワクしてしまうのは私だけでしょうか。幼い頃にお小遣いをためて、戦艦大和や武蔵のプラモデルを何隻も作った記憶が甦ってきます。兵器としての軍艦ですが、その美しい姿に感動してしまいます。
冷めやらぬ感動を胸に、猿島行きの船が発着する「三笠公園」へ向かうことにしました。JR横須賀駅から歩くには距離があるので駅前からバスに乗って三笠公園のそばまで移動します。
三笠公園のそばといっても、バスを下車してからかなり歩きます。公園入口から遊歩道を進んで猿島行の船が発着する埠頭へと向かいます。その途中、米海軍の水兵さんがたくさん歩いてきました。
米海軍の水兵さん
遊歩道が途切れるところが三笠公園の入口です。入口周辺には海軍カレーの看板やお洒落な公衆電話ボックスが目に飛び込んできます。
海軍カレーの看板
お洒落な電話ボックス
三笠公園は戦艦三笠を保存しているので場所のことです。ご存じのように戦艦三笠は帝国海軍時代の戦艦で、日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将が乗ったことで知られています。
その戦艦三笠がド~ンと真正面に現れるのが三笠公園です。あまりにも有名な戦艦三笠ですが、初めての対面に感動してしまいます。
三笠
三笠
三笠
三笠の船尾
因みに現役当時の三笠の画像を見つけました。
現役当時の三笠
ところで猿島へ渡る船はこの戦艦三笠の脇の波止場から発着しています。そして波止場の向かいに乗船券を発売するブースが置かれています。船は1時間ごとに出発します。少し待つにしても、すぐそばに戦艦三笠があるので、眺めていると時間をつぶすことができます。
猿島行の乗船券
猿島へ渡る船はそれほど大きくはないのですが、双胴船のような格好をしています。
猿島への船
船が波止場を離れると、戦艦三笠が徐々に全体の姿を見せてくれます。船上から眺める三笠の姿はなかなかのものです。
船上からの三笠
船上からの三笠
遠ざかる三笠
波止場から猿島はすぐ近くに見えています。船の旅はわずか10分という、若干物足りなさを感じる距離です。波止場から泳いでも行ける距離です。猿島が徐々に近づいてきます。
船上からみる猿島
猿島の浜辺
さあ!猿島に上陸です。桟橋を渡って島へ。海の香り、汐の香り、海草の香りが出迎えてくれました。と同時にバーベキューの香りも漂ってきます。浜辺ではバーベキューを楽しんでいる人がたくさんいます。
猿島の桟橋
さて猿島ですが、東京湾に浮かぶ無人島です。三笠公園から1.75km沖合に浮かぶ小さな島です。猿島の歴史は幕末の外国船の来航から太平洋戦争の時代まで江戸湾(東京湾)の防衛の拠点として使われてきました。
江戸時代の末期の弘化4年(1847)に幕府により国内初の台場が建設され、明治時代に入ると陸軍省、海軍省の所管となり島全体を要塞化し、猿島砲台が建設されました。
これら施設が実戦として使用されたことはないらしいのですが、島内には岸壁をくり抜いて造った兵舎や弾薬庫が今も残り、要塞島であったことを感じることができます。要するに戦争遺産といったところではないでしょうか。現在島内はかなり綺麗に整備され、遊歩道もほとんど舗装されており、散策には苦になりません。
それでは島内地図を片手に猿島探検に出発することにしましょう。地図を見る限り散策順路はそれほど複雑ではないようです。
島内マップ
散策路は勾配のある坂道から始まります。そしてすぐに切通しのような地形が現れ、道がゆるやかにカーブしていきます。
切通しの道
地肌がそのまま表れています。砂岩が堆積したようで、もろく崩れそうな感じもします。そんな土壌のためか、壁の表面には鋭利なもので書いたと思われる「いたずら書き」がいたるところに見られます。
場所によっては壁全体を石積みで覆い、強固に造られています。石積みがされている部分には洞穴が掘られ、兵舎や弾薬庫として使っていたようです。石積みには苔やシダ類が生えて、長い時の流れを感じさせてくれます。
石積みの道
石積みの道筋の先にトンネルが口をあけてまっています。さすが要塞の島を思わせる光景です。子供のころに陣地造りや要塞ごっこをして遊んだ記憶が甦ります。島全体を要塞化するために、島のいたるところに穴を掘り、トンネルをつくった「兵どもの夢のあと」といった感じです。
トンネル
トンネル入り口
トンネル内部
このトンネルは煉瓦造りです。煉瓦造りのトンネルとしては日本で一番古いもののようです。トンネル内には旧軍の司令部や弾薬庫が造られました。そんな軍事用のトンネルだったのです、平和の世である現在では、このトンネルのことをどういうわけだか、「愛のトンネル」と呼んでいるようです。
トンネルを抜けると、ちょっとした広場が現れ、道筋が三方向に分岐します。その分岐したいずれの方向にトンネルが造られています。
私たちは一つのトンネルを抜けて、島の反対側へと進んでいきます。そして海が見える場所にでると、サークルが現れます。まさに砲台を置いた場所であることが一目瞭然です。
砲台跡
この砲台跡のすぐ脇から岩場へと降りることができる階段があります。この階段を下りていくと岩場と日蓮洞窟が現れます。
日蓮洞窟のある岩場
確かに無人島であることで、要塞は別として島の自然は手つかずのままといった感じです。原生林のような木々が鬱蒼と茂り、海鳥のさえずりが自然を満喫させてくれます。上陸してから1時間もあれば十分に探索できる小さな島です。
満足感を味わいながら、再び船に乗って三笠公園に戻りました。
そして横須賀にきたついでに、是非とも味わいたいグルメとして「横須賀ネイビーバーガー」の有名店である「TSUNAMI」へまっしぐら。お店は横須賀の有名なストリート「どぶいた通り」にあります。
TSUNAMI
ネイビーバーガー
噂通りのボリュームと美味しさに大満足でした。
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横須賀といえば自衛隊と米軍の基地の街。それも海軍基地である。(自衛隊の場合は海上自衛隊の基地)
JRの横須賀駅に降りると、駅前の佇まいは基地そのものといった感じである。閑散としたJR横須賀駅前にはお洒落な商店が軒を連ねているわけではありません。
駅前からほんのわずかな距離に海上自衛隊の埠頭があり、護衛艦や潜水艦が目と鼻の先に繋留されています。
護衛艦というより、空母
護衛艦遠望
護衛艦「いずも」
潜水艦
目の前に、空母と見まがうほどの巨大な護衛艦「いずも」が繋留されているではありませんか。世間では事実上の空母と位置付けられている我が自衛隊の「虎の子」。噂に聞いた「いずも」をこんな間近で拝めるとはラッキー。
どういうわけか、目の前に軍艦が現れるとワクワクしてしまうのは私だけでしょうか。幼い頃にお小遣いをためて、戦艦大和や武蔵のプラモデルを何隻も作った記憶が甦ってきます。兵器としての軍艦ですが、その美しい姿に感動してしまいます。
冷めやらぬ感動を胸に、猿島行きの船が発着する「三笠公園」へ向かうことにしました。JR横須賀駅から歩くには距離があるので駅前からバスに乗って三笠公園のそばまで移動します。
三笠公園のそばといっても、バスを下車してからかなり歩きます。公園入口から遊歩道を進んで猿島行の船が発着する埠頭へと向かいます。その途中、米海軍の水兵さんがたくさん歩いてきました。
米海軍の水兵さん
遊歩道が途切れるところが三笠公園の入口です。入口周辺には海軍カレーの看板やお洒落な公衆電話ボックスが目に飛び込んできます。
海軍カレーの看板
お洒落な電話ボックス
三笠公園は戦艦三笠を保存しているので場所のことです。ご存じのように戦艦三笠は帝国海軍時代の戦艦で、日露戦争では連合艦隊旗艦を務め、連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将が乗ったことで知られています。
その戦艦三笠がド~ンと真正面に現れるのが三笠公園です。あまりにも有名な戦艦三笠ですが、初めての対面に感動してしまいます。
三笠
三笠
三笠
三笠の船尾
因みに現役当時の三笠の画像を見つけました。
現役当時の三笠
ところで猿島へ渡る船はこの戦艦三笠の脇の波止場から発着しています。そして波止場の向かいに乗船券を発売するブースが置かれています。船は1時間ごとに出発します。少し待つにしても、すぐそばに戦艦三笠があるので、眺めていると時間をつぶすことができます。
猿島行の乗船券
猿島へ渡る船はそれほど大きくはないのですが、双胴船のような格好をしています。
猿島への船
船が波止場を離れると、戦艦三笠が徐々に全体の姿を見せてくれます。船上から眺める三笠の姿はなかなかのものです。
船上からの三笠
船上からの三笠
遠ざかる三笠
波止場から猿島はすぐ近くに見えています。船の旅はわずか10分という、若干物足りなさを感じる距離です。波止場から泳いでも行ける距離です。猿島が徐々に近づいてきます。
船上からみる猿島
猿島の浜辺
さあ!猿島に上陸です。桟橋を渡って島へ。海の香り、汐の香り、海草の香りが出迎えてくれました。と同時にバーベキューの香りも漂ってきます。浜辺ではバーベキューを楽しんでいる人がたくさんいます。
猿島の桟橋
さて猿島ですが、東京湾に浮かぶ無人島です。三笠公園から1.75km沖合に浮かぶ小さな島です。猿島の歴史は幕末の外国船の来航から太平洋戦争の時代まで江戸湾(東京湾)の防衛の拠点として使われてきました。
江戸時代の末期の弘化4年(1847)に幕府により国内初の台場が建設され、明治時代に入ると陸軍省、海軍省の所管となり島全体を要塞化し、猿島砲台が建設されました。
これら施設が実戦として使用されたことはないらしいのですが、島内には岸壁をくり抜いて造った兵舎や弾薬庫が今も残り、要塞島であったことを感じることができます。要するに戦争遺産といったところではないでしょうか。現在島内はかなり綺麗に整備され、遊歩道もほとんど舗装されており、散策には苦になりません。
それでは島内地図を片手に猿島探検に出発することにしましょう。地図を見る限り散策順路はそれほど複雑ではないようです。
島内マップ
散策路は勾配のある坂道から始まります。そしてすぐに切通しのような地形が現れ、道がゆるやかにカーブしていきます。
切通しの道
地肌がそのまま表れています。砂岩が堆積したようで、もろく崩れそうな感じもします。そんな土壌のためか、壁の表面には鋭利なもので書いたと思われる「いたずら書き」がいたるところに見られます。
場所によっては壁全体を石積みで覆い、強固に造られています。石積みがされている部分には洞穴が掘られ、兵舎や弾薬庫として使っていたようです。石積みには苔やシダ類が生えて、長い時の流れを感じさせてくれます。
石積みの道
石積みの道筋の先にトンネルが口をあけてまっています。さすが要塞の島を思わせる光景です。子供のころに陣地造りや要塞ごっこをして遊んだ記憶が甦ります。島全体を要塞化するために、島のいたるところに穴を掘り、トンネルをつくった「兵どもの夢のあと」といった感じです。
トンネル
トンネル入り口
トンネル内部
このトンネルは煉瓦造りです。煉瓦造りのトンネルとしては日本で一番古いもののようです。トンネル内には旧軍の司令部や弾薬庫が造られました。そんな軍事用のトンネルだったのです、平和の世である現在では、このトンネルのことをどういうわけだか、「愛のトンネル」と呼んでいるようです。
トンネルを抜けると、ちょっとした広場が現れ、道筋が三方向に分岐します。その分岐したいずれの方向にトンネルが造られています。
私たちは一つのトンネルを抜けて、島の反対側へと進んでいきます。そして海が見える場所にでると、サークルが現れます。まさに砲台を置いた場所であることが一目瞭然です。
砲台跡
この砲台跡のすぐ脇から岩場へと降りることができる階段があります。この階段を下りていくと岩場と日蓮洞窟が現れます。
日蓮洞窟のある岩場
確かに無人島であることで、要塞は別として島の自然は手つかずのままといった感じです。原生林のような木々が鬱蒼と茂り、海鳥のさえずりが自然を満喫させてくれます。上陸してから1時間もあれば十分に探索できる小さな島です。
満足感を味わいながら、再び船に乗って三笠公園に戻りました。
そして横須賀にきたついでに、是非とも味わいたいグルメとして「横須賀ネイビーバーガー」の有名店である「TSUNAMI」へまっしぐら。お店は横須賀の有名なストリート「どぶいた通り」にあります。
TSUNAMI
ネイビーバーガー
噂通りのボリュームと美味しさに大満足でした。
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