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kan-haruの日記

イベント 神奈川県立歴史博物館 馬車道に聳える元横浜正金銀行の重要文化財の建物に魅せられる博物館その2

2012年10月07日 | イベント
kan-haru blog 2012 特別展「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」図録表紙    

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神奈川県立歴史博物館(続)
・「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」展
特別展「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」は、主催が神奈川県立博物館で、協力が臨済宗大本山建長寺、臨済宗大本山円覚寺、公益財団法人文化研究所、臨済宗妙心寺派東京禅センター。後援が神奈川新聞社他、朝日・毎日・読売・産経・東京・日本経済の各新聞社の横浜総/支局および、NHK横浜放送局、テレビ神奈川の9社です。
特別展の展示は、1階の特別展示室で9月1日から28日まで開催していましたので、同12日に見てきました。入館料は、常設展観覧券で見られます。

 夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化パンフレット

「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」の展示作品は、国指定重要文化財が18作品、神奈川県指定文化財が2作品、千葉県指定文化財が1作品の他、神奈川県が貯蔵の夢窓関係作品が27作品が展示(展示目録参照)されています。

特別展の夢窓疎石(1275~1351)は、鎌倉幕府が滅び、新政権が京都に樹立された激動の時代に活躍した禅僧です。夢窓は伊勢に生まれ、甲斐に移り宗教者として修養を積み、鎌倉幕府の時代に一山一寧*が来日して建長寺、円覚寺に住持(住職)すると、同寺に参禅しました。
一山一寧 鎌倉幕府の北条貞時が、1293年(永仁元年)の火災により衰退した建長寺を再建し、一山を住職に迎え日本における禅宗の発展になくてはならぬ人となり、円覚寺、浄智寺の住職を経て、1313年(正和2年)には後宇多上皇の懇請により上洛して南禅寺3世となった。学識人物に傑出し広い層に尊崇されたが、来日から18年後の文保元年(1317年)10月に南禅寺で病没した。

 円覚寺と夢窓疎石(左:一山一寧書下 鎌倉時代 重要文化財 円覚寺蔵、右:円覚寺200812)

その後1300年(正安2年)26歳の時高峰顕日* (無学祖元*の弟子)を慕って那須の雲巌寺に滞留し、1303年(乾元2年、嘉元元年)29歳の時高峰が鎌倉の万寿寺、浄智寺に住持すると、それに参じて1305年(嘉元3年)31歳で悟達者として認められ、高峰の弟子になりました。そして、東北地方や茨城県などの数か所に仮寓しながら鎌倉の諸師に参じていました。
高峰顕日(1241~1316) 鎌倉時代後期の臨済宗の僧。後嵯峨天皇の第二皇子。幕府執権北条貞時・高時父子の帰依を受け、鎌倉万寿寺・浄妙寺・浄智寺・建長寺の住持を歴任。関東における禅林の主流を形成した。
無学祖元(1226~1286) 中国明州慶元府(浙江省)出身の鎌倉時代の臨済宗の僧侶。日本に帰化して無学派(仏光派)の祖となる。字は子元。建長寺・円覚寺に兼住して日本の臨済宗に影響を与える。

 浄智寺と夢想

この後、自らを修業する場所を求めて、1309年(延慶2年)35歳の時甲斐淨居寺で日々を送り、1311年(応長元年)37歳の時甲斐龍山庵(浄居寺) に一時隠棲し、西遊して美濃虎渓山永保寺を開きました。また、覚海円成(北条高時の母)からしきりに鎌倉へ招請され、1319年(元応元年)に鎌倉の勝栄寺に滞在しました。

 夢窓疎石像(左:無等周位筆 南北朝時代 重要文化財 妙智院蔵、右:月江正印賛 南北朝時代 重要文化財 光明寺蔵)

さらにこの後、1325年(正中2年)の51歳の時、倒幕前の後醍醐天皇から、京都南禅寺の住持に請われました。1326年(正中3年、嘉暦元年)の52歳の時、北条高時に招かれ、伊勢国で善応寺を開き、鎌倉へ赴き円覚寺に滞在。1327年(嘉暦2年)の53歳の時、鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が二階堂の地の南芳庵を仮住まいとして、瑞泉院を創建しました。後に足利尊氏の四男で、初代鎌倉公方の足利基氏は夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めて、鎌倉公方足利家の菩提寺となる。

 夢窓疎石と瑞巌寺(左:夢窓疎石坐像 南北朝時代 重要文化財 瑞泉寺蔵、右:瑞泉寺庭園 夢窓疎石の作庭による方丈書院の庭園)

1330年(元徳2年) 56歳の時、甲斐守護の二階堂貞藤に招かれ牧庄内に恵林寺を創建し、さらに土佐吸江庵、相模三浦泊船庵、上総千町荘退耕庵などの場所を求めて転々としました。

 華厳塔図 (南北朝時代 重要文化財 黄梅院蔵)

1333年(正慶2年、元弘3年) 59歳の時、鎌倉幕府が滅亡、建武の新政を開始、後醍醐天皇の請により上洛して臨川寺に住む。1334年(建武元年) 60歳の時、後醍醐天皇の招請により南禅寺に再住。1335年(建武2年) 61歳の時、臨川寺・西芳寺の開山に迎えられ、国師号を授けられる。1336年(建武3年) 62歳の時、後醍醐天皇の勅命で夢窓を開山とした臨川寺に戻る。1339年(歴応2年) 65歳の時、行基が開基した西方寺を復興、枯山水と回遊式池泉で禅意を巧みに表現する禅宗庭園を造園し、「西芳寺」と号した。
1351年(正平6年) 病に陥った夢窓は世良親王の菩提寺・臨川寺に隠棲後、77歳で示寂。

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イベント 神奈川県立歴史博物館 馬車道に聳える元横浜正金銀行の重要文化財の建物に魅せられる博物館その1

2012年10月04日 | イベント
kan-haru blog 2012 旧横浜正金銀行跡の県立歴史博物館旧館(県立歴史博物館絵葉書)   

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神奈川県立歴史博物館
馬車道に建立の下岡蓮杖顕彰碑を撮影に出かけると、その顕著碑の手前の反対側にドームが聳える歴史的な建造物が見え、そこが神奈川県立歴史博物館の国の史跡に指定された、旧横浜正金銀行本店建物跡の歴史博物館旧館です。

 神奈川県立歴史博物館地図

・国の重要文化財の博物館旧館
横浜正金銀行は、1880年(明治13年)に国立銀行条例により開業し、1899年(明治32年)に本店の新築工事に着手し、1904年(明治37年)に落成しました。

 明治時代末期(1910年)頃の旧横浜正金銀行(県立歴史博物館絵葉書)

現在の歴史博物館のドームは、関東大震災により建物の倒壊はなかったものの、火災のため焼け落ちたので、明治期の横浜を代表する建築物であり、神奈川県は県立博物館の施設とするために、1964年(昭和39年)に竣工当時の写真を資料として、造形的にできるだけ正確なドームを復元しました。

 旧横浜正金銀行建物跡の神奈川県立歴史博物館馬車道玄関(写真拡大)

神奈川県立歴史博物館(横浜市中区南仲通5-60)の建物の構造は、博物館旧館部の旧横浜正金銀行はネオ・バロック様式の西洋建築で、設計者は明治時代を代表する建築家の一人である工学博士妻木頼黄があたり、国の重要文化財・史跡に指定されています。博物館通りに面した正面玄関の博物館新館は、1967年(昭和42年)に建設されました。

 旧横浜正金銀行本店本館(:旧横浜正金銀行本店本館玄関、:国指定重要文化財の碑、:旧横浜正金銀行本店の説明版)

ドームの上には高さ9.2メートルの尖塔飾り(マル1)が聳えており、ドームは不等辺の八角形で直径が12メートル、高さが9.5メートルで丸窓(マル2)とイルカのドルフィン(マル3)で装飾されています。ドームの下の玄関の最上部には彫刻が施された三角破風(マル4)が置かれています。建物の骨格として1階から3階を貫く柱(マル5)が外壁を飾っており、柱の頭にはアカンサスの葉とツルをあしらった飾り(マル6)があります。地下部分と歩道間には表面が粗い石を積み上げた石壁(マル7)が見られます。窓は地下から3階の各階にありますが、2階部の窓が一番装飾的な窓になっています。馬車道玄関上の2階の窓(マル9)は、柱飾りを持つ角柱4本の上部は櫛形破風で、他の2階の窓(マル8)は単純な三角破風です。玄関の上には横浜正金銀行の紋章(マル10)が付けられています。

 旧横浜正金銀行建築の構造

・博物館鑑賞
下岡蓮杖顕彰碑を撮影のため馬車道を訪れた9月12日に、歴史博物館旧館の歴史的建造物を撮影した後、博物館の催しものの看板を見ると特別展「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」を開催していましたので鑑賞しました。博物館には、旧館の馬車道玄関からも入れますが、1967年に建設の博物館新館も見たくて、博物館を一周して博物館通りの正面玄関から入りました。
歴史博物館の開館は午前9時30分~午後5時で、休館日は毎週月曜日と、年末年始(12/28~1/4)および資料整理休館日(6/26, 10/2, 10/3,1/29 )です。

 神奈川県立歴史博物館正面玄関(写真拡大)

観覧料は、20歳以上の方が300円、学生の方および20歳未満の方が200円、高校生の方 および65歳以上の方が100円、中学生以下の方および障がい者手帳をお持ちの方は無料です。

 神奈川県立歴史博物館入場券(65歳以上)

・総合テーマ展示
歴史博物館の展示場は、1階の中央にある会場が特別展示室で特別展の「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」を、9月1日~28日まで開催しており、本ブログその2に掲載してあります。その他1階の特別展示室の周囲には、コレクション展示室(観覧無料)とミュージアムライブラリーおよび喫茶ともしびなどがあり、馬車道玄関と結ばれています。

 歴史博物館1階展示フロアー(:特別展「夢窓疎石と鎌倉の禅宗文化」案内板、:歴史博物館1階展示フロアー)

先ずは、歴史博物館の総合テーマ展示(常設展示、定期的に一部の展示替えがあります)から見ます。総合テーマ展示フロアーは、2、3階展示場で、エスカレータで3階会場のテーマ1「古代 さがみの古代に生きた人びと」(←クリックで博物館の展示案内)から鑑賞します。テーマ1の展示品には、旧石器時代ではナイフ形石器が、縄文時代では人面把手、弥生時代では貝庖丁、古墳時代では馬形埴輪、奈良・平安時代では白磁四耳壷などが展示されています。
次の展示コーナーはテーマ2「中世 都市鎌倉と中世びと」(←クリックで博物館の展示案内)の鑑賞で、展示品には鎌倉・相模・東国では男衾三郎絵詞、源頼朝と東国武士団では伝源頼朝坐像、戦国大名後北条氏では北条早雲像、掘り起こされた鎌倉では鶴岡八幡宮出土漆器、唐物とその影響では青磁管耳花生、民衆と仏教では円覚寺舎利殿などが展示されています。
次の展示コーナーは2階に降りてテーマ3「近世 近世の街道と庶民文化」(←クリックで博物館の展示案内) の鑑賞で、宿場と関所では旅道具、庶民信仰と名所めぐりでは東海道五十三次細見図会、村の支配と生活では四季耕作図、相武の産物と江戸では東都名所日本橋真景并魚市場全図などが展示されています。

 神奈川を描いた浮世絵 朝比奈切通しの図 歌川広重(初代)(歴史博物館)

次の展示コーナーはテーマ4「近代 横浜開港と近代化」(←クリックで博物館の展示案内) の鑑賞で、展示品には蒸気船が導いた新たな時代、世界へ開かれたみなと YOKOHAMA、横浜浮世絵に見る神奈川、文明開化の音、近代化と神奈川、横浜正金銀行などが展示されています。
最後の展示コーナーはテーマ5「現代と民族 現代の神奈川と伝統文化」の鑑賞で、「現代(歴史)」(←クリックで博物館の展示案内)は、関東大震災を越えて、昭和恐慌と社会変化、戦時体制と敗戦、占領から講和へ、高度経済成長と環境の変化、メディアコミュニケーションなどで、「民族」(←クリックで博物館の展示案内)は、変貌する町と村、イエと暮らし、くらしの中の祈り、なりわいと儀礼、伝承される技術と芸能などが展示されています。

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イベント 日本カメラ博物館 展示古カメラを見て高校生で初めて手にした蛇腹式カメラを思い出す

2012年09月30日 | イベント
kan-haru blog 2012 日本カメラ博物館レリーフ  

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日本カメラ博物館
JCIIフォトサロンで、下岡蓮杖が150年前に写したダゲレオタイプで撮った古写真の展示を見てから、同日の9月2日に隣の日本カメラ博物館に展示のダゲレオタイプ・カメラを見たいと思い初めてのカメラ博物館で、日本のカメラの歴史を伝える沢山の名機と資料を観賞しました。
日本カメラ博物館(千代田区一番町25 JCII 一番町ビル)は、JCIIフォトサロンビルの隣の英国大使館に面したビルの地下1階にあります。階段を降りると、入り口の右側に古いスタジオカメラが展示してあり、カメラの反対側には椅子と首おさえなどを背置され昔の撮影風景が構成されています。

 日本カメラ博物館のエントランス(:日本カメラ博物館地下1階入り口、:階段を降りると日本カメラ博物館の玄関、:入り口前には古典のスタジオカメラが展示)

博物館の玄関を入ると、正面の壁には日本カメラ博物館のレリーフが表示されており、左側にはステレオ写真コーナーがあります。玄関の右に進むと、受付カンターで、博物館の入場料は一般が300円、中学生以下は無料で、開館時間は10時から17時までで月曜日が休館となっています。
博物館は1989年に開館し、展示フロアには世界で貴重なダゲレオタイプ・カメラの展示を始めとして、日本の歴史を辿るカメラが約300点の展示と、「ライカコレクション」、「スパイカメラコーナー」などの常設展示および、「江戸から明治へ のぞきからくりの世界」特別展が2012年7月10日から11月11日まで開催しており、博物館では国内外のカメラが約1万台収蔵されています。

 日本カメラ博物館フロアマップ

展示場のマル1では、これまで開催された特別展の図録が全て見られます。展示のマル2では、博物館が所蔵するカメラの検索ができます。マル3は体験コーナーで、実際にカメラに触れて楽しめます。マル4の展示コーナーでは、カメラのカットモデルや透けて見えるスケルトンモデルおよび、ジュース缶やステッキなどにカムフラージュされた珍しいカメラが展示してあり、さらにメーカーの新製品の展示コーナーもあります。マル5の展示コーナーは、皆様からご寄贈いただいたカメラが展示されています。パネルコーナーでは、カメラや写真の歴史をパネルで紹介してあります。マル6の展示コーナーは、ニコンSP復刻版など、ニコンの歴代の名機を展示してあります。

 日本カメラ博物館パンフレット

さて、マル7の展示コーナーは、博物館鑑賞の目玉のカメラの、ダゲレオタイプ・カメラが展示してあり、ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ(左)とビアンキ・ダゲレオタイプ・カメラ(右)写真(←ここをクリックで表示 日本カメラ博物館から)のジルー・ダゲレオタイプ・カメラは、世界で数台しか存在していない貴重なカメラです。

 ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ(日本カメラ博物館から)

特別展エリアでは、「江戸から明治へ のぞきからくりの世界」を2012年7月10日~11月11日まで開催しております。江戸から明治が「のぞきからくり」のように、次々に新しい物事が展開する時代で、日本だけではなく世界全体の流れであり、その中心に位置したのがメディアの活躍であり、その背景には光学機器の発達が大きく貢献していました。江戸から明治。それは、時代そのものが「のぞきからくり」のように、次々に新しい物事が展開する時代でした。それは日本だけではなく世界全体の流れであり、その中心に位置したのがメディアの活躍であり、その背景には光学機器の発達が大きく貢献していました。(日本カメラ博物館から)

 「江戸から明治へ のぞきからくりの世界」(日本カメラ博物館から)
展示の上段左から
1. 天台遠眼鏡 (江戸期 日本 全長2.7m 江戸期の天体望遠鏡)
2. のぞきからくり (1850年頃 日本 美麗な朱塗り)
3. 自働写真鏡 (1910年頃 日本 立体写真ビューワー)
4. プラクシノスコープシアター (1879年 フランス 19世紀のパラパラ動画装置)
5. カメラ・オブスキュラ (1830年頃 製造国不詳 "カメラ"のルーツ)
6. メガレトスコープ (1862年 イタリア 大型イメージビューワー)
7. シネマトグラフ (1895年頃 フランス 最初期の映画機材)

・高校生で初めて手にした蛇腹式カメラ
日本カメラ博物館の古カメラを見て想いだしたのが、1952年(昭和27年)に高校を卒業して、会社に就職した時代の先輩、上司が持っているカメラは、殆どがリコーフレックス IV 二眼レフ量産カメラで誰しもが持っていました。私は高校3年に修学旅行があるので、せがんで手に入れたのが1947年10月発売のマミヤシックスIV型であったことを想いおこしました。
仕様は、120フィルム使用の、 距離計連動 6×6判カメラで、レンズは、Olympus Zuiko でF.C. 1:3.5 f=7.5cm、絞りは、3.5 4 5.6 8 11 16 22で絞り羽根10枚、シャッターは、 SEIKOSHA-RAPIDで、シャッタ-速度はB 1 2 5 10 25 50 100 250 500でした。

 マミヤシックスIV型カメラ

カメラを持ったので、嬉しくていろいろと撮影しましたが、フイルム代と、現像・焼き付け料金は、現在のデジタルカメラとは差があります。

 MAMIYA 6 撮影写真1953~1955年

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イベント 営業写真の開祖 1862(文久2)年に野毛に写真店を開いた下岡蓮杖の150年を遡る古写真展

2012年09月27日 | イベント
kan-haru blog 2012 ~150年を遡る幻の古写真~ 下岡蓮杖の世界」図録の表紙 「水道橋」 

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下岡蓮杖の世界
JCIIフォトサロンで、21回目の古写真シリーズ、「 ~150年を遡る幻の古写真~ 下岡蓮杖の世界」を2012年7月31日(火)から9月2日(日)まで開催し、天皇、皇后陛下が同展を訪れて観賞されたことと、150年前の古写真に興味がありましたので最終日に見に行きました。
JCIIフォトサロンは、日本カメラ博物館(千代田区一番町25番地 JCII 一番町ビル地下1階)の付属設備で、博物館の隣のJCII ビル1階にあり入場料は無料です。フォトサロンは、日本の写真文化の発展の歴史を、広く普及させることを目的に、さまざまな写真を多角的に展示するフォトサロンです。

 「下岡蓮杖の世界」展会場のJCIIフォトサロン(:日本カメラ博物館の手前のビルがJCIIフォトサロン、:JCIIビルのフォトサロン入口、:「下岡蓮杖の世界」展示会場入り口)

アクセスは、東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅下車で、 4 番出入口より北方に進み、全国町村議員会館名先を右に曲がり、道なりに辿ると手前がJCIIフォトサロンのJCII ビルです。フォトサロンの先の日本カメラ博物館のJCII 一番町ビルの、突き当り道路の向かいは英国大使館で、周囲は非常に静かな環境の地域です。

 日本カメラ博物館・JCIIフォトサロン アクセス図

・展示写真(図録から)
1862年(文久2年)に蓮杖が横浜で営業写真館を開業してから、今年はちょうど150年目にあたる下岡蓮杖の世界の展示写真は、当時販売していた蓮杖撮影による日本の風景・風俗の写真に加え、蓮杖が晩年に描いた絵や手作りの香合など、画家や芸術家としての一面も垣間見ることができる作品を含めた、全約70点が展示してあります。展示写真にはフォトサロン所蔵の大変珍しい蓮杖撮影による江戸城周辺を写した六切大写真10点と、その後新たに入手した同種の写真8点を合わせて展示してありますが、これらは1945年(昭和20年)の東京大空襲で種板が焼失してしまい、現在国内で見ることのできる唯一のものであるそうです。

 桜田二重橋1871年(明治4年)、蓮池二重櫓1871年(明治4年)(下岡蓮杖の世界の図録から)

・下岡蓮杖(フォトサロンから)
蓮杖は、1823年(文政6年)伊豆下田で生まれ、江戸で画家を志し狩野派に学びました。ある時銀板写真に出会い、精巧な画像に魅せられて写真技術の習得を決意し、長年にわたり湿板写真技術を習得し、横浜で初の営業写真館を開業しました。写真館では、外国人相手に、肖像写真の撮影や日本の風景や風俗写真をお土産として販売して人気を呼び、大変繁盛したようです。蓮杖が撮影した写真は、幕末から明治初期のものばかりで、現在では大変貴重なものとなっています。

 赤坂門1871年(明治4年)、鍛冶橋門1871年(明治4年)、吹上門1871年(明治4年)、吹上御苑の滝見御茶屋1871年頃(明治4年頃)(下岡蓮杖の世界の図録から)

蓮杖撮影による六切大写真10枚は、2006年(平成18年)に入手したフランス製の写真帖の中に、黒地に白抜きでネガ番号と英語・カタカナ表記の地名が焼き込まれた大変貴重な写真であり、1871年(明治4年)に蓮杖の一番弟子である横山松三郎が明治政府より依頼された、荒廃しつつある江戸城の撮影に、蓮杖が同行して撮ったものであり、その後フォトサロンで同じ形態の写真8枚を新たに当館で入手することができたので、江戸城周辺の六切大写真の全18枚を展示しました。

 左上:日本の音楽(慶応2年~明治3年頃)、左中:商人のやり取り(慶応2年~明治3年頃)、左下:炎上する外国船1872年頃(明治5年頃)、右:鍾馗 掛軸1911年(明治44年) 八十九翁 蓮杖董古風眼筆(下岡蓮杖の世界の図録から)

・下岡蓮杖顕彰碑(馬車道)
その後、横浜に出てからアメリカ人写真家のウンシンと出会い、その助手からも写真術を習いました。ウンシンが横浜を離れる時にカメラや薬品を譲り受けたのを会に野毛に写真店を開きました。1862年(文久2年)弁天通りに場所を変え、日本で初めての写真館と言われる「相影楼」を開業しました。
下岡蓮杖の功績を記念して馬車道・弁天通に設置された円錐形の顕彰碑は1987(昭和62)年6月1日に馬車道商店街協同組合によりたてられました。円錐形の像の上部に、1839年フランスで発明された写真機「タゲレオタイプ」のオブジェが鎮座しています。
下岡蓮杖顕彰碑は、県立歴史博物館の筋向かいの馬車道スクエアビル前の横浜馬車道歩道上にあります。

 下岡蓮杖顕彰碑の建立場所

9月26日に、下岡蓮杖顕彰碑見に行きました。下岡蓮杖顕彰碑の横には、碑文が2010年6月1日、設置されました。

 下岡蓮杖顕彰碑と碑文(:下岡蓮杖顕彰碑、:下岡蓮杖顕彰碑の碑文)

碑文
「日本写真の開祖 写真師 下岡蓮杖(一八二三~一九一四) 伊豆下田に生まれる
 嘉永元年(一八四八)オランダから長崎へダゲレオタイプ一式が渡来した。
 弘化二年(一八四五頃)狩野派の青年絵師が、銀板写真に遭遇し、そして絵筆を折り捨て写真術修得の道へ歩み出した。この青年こそ、日本に写真師という職業を確立した日本写真の開祖 下岡蓮杖その人である。
 蓮杖は、来日の外国人から湿板写真の機材を入手し、筆舌に尽くしがたい辛苦の歳月を経て、文久二年(一八六二)野毛に初めての写真場を開業し、その後、弁天通りに進出し、慶応三年(一八六七)太田町五丁目角地に「富士山」と「全楽堂」「相影樓」の看板を掲げた写真館を開き大繁盛をした。
 数多くの門下生を育て、我が国に於ける写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献した。その業績に敬意を表し、文明開化の地、馬車道通りに写真師発祥一二五周年、日本写真の開祖
 写真師 下岡蓮杖顕彰碑を昭和六十二年(一九八七)建立をみたのである。
 顕彰碑 下岡蓮杖顕彰碑建立委員会
 碑 文 横浜市写真師会設立百周年記念実行委員会
   平成二十二年(二〇一〇)六月一日」

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<前回 イベント 「電車道」~日本の路面電車今昔~ 日本全国のさまざまな都市を走っていた路面電車写真展
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イベント 「電車道」~日本の路面電車今昔~ 日本全国のさまざまな都市を走っていた路面電車写真展

2012年09月10日 | イベント
kan-haru blog 2012 諸河久写真展 

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キヤノンギャラリー Sタワー(港区港南2-16-6)で、諸河久写真展「電車道」~日本の路面電車今昔(いまむかし)が7月5日から8月9日まで開催されましたので、8月6日に見に行きました。

 キヤノンギャラリー S タワーへのアクセス

現在、東京都内を走行中の路面電車は、昨年都営交通が100周年記念を迎えて23年10月1日に花電車を走らせた都電荒川線(三ノ輪橋~早稲田12.2 km)(「イベント 都営交通100周年 荒川電車営業所で記念イベント開催と33年ぶりの「花電車」運転 その1~3」参照)と、東急電鉄の世田谷線(三軒茶屋~下高井戸5.0km)のみとなりました。

 東急電鉄玉川線(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

1938年(昭和13年)に千住から大森に移転する前までは、父は千住から乗り継いで品川まで東京市電に乗って大森の会社に通勤していました。1943年(昭和18年)に都制が施行され、東京市電は東京都電となり、この頃の都電の営業キロは、約200kmで40系統が運行されていました。その頃何回か父の用事に付いて行き、有楽町周辺で乗車した記録があり初めての都電との出会いです。住居が大森であり都心に出る場合には京急電鉄で品川に出て、JRの山手線または京浜東北線に乗り換えて行くため、都電にはほとんど縁がありませんでした。
ところが、中学の2、3年生の1947年の頃社会科の授業で、上野の博物館へ2日間連続して出かける授業があり、コースは品川から集合の上野まで都電を往復利用することになり、図らずも1系統の都電に2往復乗車する機会がありました。都電は遅いとの概念がありましたが、当時は自動車の時代ではなく道路は空いており、思った以上に時間がかからずに到着し、途中の風景は都心の中心部の銀座通りや日本橋などのデパート概などの繁華街を始め、神田、須田町や秋葉原の電気街を通過する景色に感動して、路面電車にすっかり魅せられました。

 品川駅前~上野駅間(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

しかし、大森から都心に出るときは、都電の乗換えに不慣れであるので、相変わらずに品川でJRに乗り換えて目的地に向かいました。目的地でJR駅を下車すると、駅前にはどこでも都電が走っています。
1955年(昭和30年)の大学時代には、校舎から目の先の駿河台下、小川町の靖国通りや、お茶の水の外堀通りには都電が何時も見られ、都電の1日の利用者数が174万人を越え、東京の交通の中心を担っていました。

 お茶の水付近(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

1962年(昭和37年)には、都電の近代化が進み集電器もそれまでのポールからビューゲルになりました。就職の会社は、目黒から乗換で通っていましたが、乗換駅の目黒駅前には都電の車庫がありました。

 目黒(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

丁度、都電のメッカ・銀座で育たれた諸河久さんが、鉄道写真を撮り始めたのは自宅付近を走っていた「都電」であり、それから「路面電車ファン」を自認して、カメラを携えて各地の路面電車を探訪し、1968年10月、未踏だった福井鉄道・軌道線を最後に全国路面電車撮影の旅を終えて写した、モノクロ作品を中心に約90点がキヤノンギャラリー Sで、7月5日~8月9日の日曜日・祝日を除く10時~17時30分に写真展が開催されました。

 諸河久写真展の展示会場外壁面の路面電車写真

7月26日に見に行きましたが、着いた時間が17時30分近くのため会場を一回りして、著書の「私鉄の車両18京浜急行電鉄」(著者:飯島巌、花沢政美、諸河久、発行所:ネコ・パブリッシング、印刷所:大日本印刷、発行日:2002年7月1日初版)を購入し書籍にサインを頂きました。

 購入図書に著者サインを頂く

会場の写真の観賞は、改めて8月6日に見に行きました。その際、同写真展で展示の作品が、かなり掲載している著書の「1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~」(著者:諸河久、発行所:リプロアルテ、発売:メディアオパル、発行日:2011年5月1日初版)が品切れのため、Webで取り寄せて入手しました。

 1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~

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イベント ピアノコンサート2012 異業種交流会メンバーのホテル・メトロポリタンでのピアノ演奏会

2012年09月07日 | イベント
kan-haru blog 2012 ピアノコンサート ホテルメトロポリタン         

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ピアノコンサート2012
H11異業種交流会メンバーのシュナイダー京子さんが、2年に一度の成果発表のピアノ演奏会が、8月17日に池袋のホテル メトロポリタン3階光の間で開催されるとのご案内が、同メンバーのTさんから届きましたので行ってきました。

 ホテル メトロポリタン地図

会場に入ると、前方の左に演奏のピアノが置かれており、その手前がピアノコンサートを鑑賞される方の座席で、席は既に満席です。

 観客席

聴衆席の右側と後方には、大型の丸テーブルがセットしてあり、H11異業種交流会の観賞者も集まりましたので、記念写真を撮ってから後方の丸テーブルに着席してピアノ演奏を鑑賞しました。

 ピアノコンサート2012プログラム

ピアノの発表演奏者と演奏曲は表に示す通りです。演奏の最年少者は、小学2年生のお嬢さんですが、演奏会のご挨拶も行い会場を明るい雰囲気にしていました。

 ピアノコンサート演奏曲名 

シュナイダーさんの演奏の順番は7番目です。佐藤章子先生からの紹介があり、2年間の成果を示す演奏で、曲名はランゲ作曲の「花の歌」です。

 シュナイダーさんの演奏(左:佐藤章子先生の紹介、右:演奏曲名は「花の歌」)

ドイツの作曲家、グスタフ・ランゲ(1830-1889)。400曲以上の作品を生み出し、その殆どが、サロンで弾くようなピアノの小品ですが、優雅な音楽が多く、とても人気があります。「花の歌」は、年代を問わずとても人気のある曲です。

 シュナイダーさんの演奏(:2年の成果の演奏、:花束贈呈)

横浜FCのゴールキーパー
コンサートの演奏が終了すると、丸テーブルに軽食が出され、飲食をしながら色々な会話が交わされ和気合いあいに歓談が弾みました。

 シュナイダーご夫妻とH11メンバー(:シュナイダーご夫妻、:H11異業種交流会のメンバー)

シュナイダーさんのご家族には、ご子息がプロサッカーの選手で、横浜FCのゴールキーパーで大活躍しています。そこで、話題はサッカーに移りました。
現在、横浜FCがJ1に昇格するのには上位2位になることが条件で、J1昇格プレーオフに出場するには、順位を6位以内に入る必要があります。9月2日現在、横浜FCは9位であり選手全員が6位以内の成績を目指しています。そのため、シュナイダーさんは、横浜FCの応援に数多くの試合を見に行っておられます。シュナイダー 潤之介選手の尊敬する人は、お父さんです。H11異業種交流会のメンバーの皆さんには、横浜FCがJ1へ行けるように応援しましょう。

 シュナイダーご夫妻とH11異業種交流会のメンバー(写真拡大)

シュナイダー 潤之介選手のぺ-ジ(←ここをクリック)

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イベント 日本橋高島屋 大田区の魅力を都心デパートで紹介する「大田区 世界に誇る技と観光展」

2012年07月31日 | イベント
kan-haru blog 2012 世界に誇る技と観光展       

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世界に誇る技と観光展
大田区では、初めて都心一等地の日本橋デパート高島屋(中央区日本橋2-4-1)の8階イベントホールで、大田区中小企業の誇れる技術の紹介と、NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」で盛り上がっている大田区の観光を、いろいろな人に見て貰いたいとのことで、高島屋の構成レイアウトで飾られた展示会「ニッポンの元気! 大田区 世界に誇る技と観光展」(主催:大田区、大田区「梅ちゃん先生」推進委員会)を、7月24~30日まで開催されましたので、関心を持って26日に見てきました。同展では、同時開催の「梅ちゃん先生番組展」(主催:NHKサービスセンター、後援:NHK)もゆったりしたスペースをとって展示してあります。

 「大田区 世界に誇る技と観光展」の高島屋広告

展示内容
大田区の誇る技術を「過去から未来へ」と題し、昭和30年代以前に使用されていたベルト掛け旋盤工場時代の物造りから、古くからの「へら」絞り加工で、現在は気象衛星の燃料タンクを作る匠の技術の紹介や、ステンレス材を精密に組み立てた東京スカイツリーの千分の一モデルなどの53社の製品が展示されています。

 世界に誇る技と観光展会場(:世界に誇る技と観光展高島屋8階会場、:展示会場入り口、:会場に入ると床には蒲田周辺の航空写真が展示)

最初のコーナーは、古い大田区の写真や戦前の蒲田周辺の工場・黒澤村のジオラマなどと共に、ベルト掛け旋盤等の模型などが展示されています。
黒澤村は、黒沢貞次郎(明治1875~1953年)が1913年(大正2年)から当時の荏原郡矢口村下田に約2万坪の工場用地を購入し工場を建て、タイプライター製造工場の他、113棟の社宅を建設し、敷地内には菜園を設け自給し、社員の子女の教育のため、私設の幼稚園と小学校を開設しました。工場の建設を契機に月刊社内報「吾等が村」を発行し、「企業は大きな家族である」との企業哲学の下に、蒲田の地に理想郷的工場村を作り上げる情熱が語られています。社宅は戦災にて焼失、被災を免れた工場は、1956年(昭和31年)に富士通信機株式会社との合併会社を設立した後、現在は、かつての工場敷地は富士通システムラボの研修所のほか、大田区民センターとJR東日本の職員住宅用地となっています。(大田区探検隊 栗山製作所から)
ベルト掛け旋盤は、1950年頃の町工場での主流で、1台の大型モーターに、回転軸とベルトを使用して複数の工作機械(旋盤等)に動力を伝える方式です。

 昔の大田区を知るコーナー(左上中上:昔の大田区展示コーナー、右上:職住一体のタイプライター製造工場ジオラマ、左下:黒澤村蒲田工場ジオラマ、中下:吾らが村(黒澤村)説明板、右下:ベルト掛け旋盤)

昔の写真展示コーナーの写真は大森エリアと蒲田エリアに分けて展示されており、4月1日から5月6日まで開催された日本工学院専門学校・東京工科大学主催の、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」展示会(「大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその2」参照)で展示の写真と同一の物が展示されていました。写真の撮影時代の、大田区で生活をしていたものが見られ、大変懐かしい写真です。当時は、現在の様にデジカメや携帯電話を誰でも持っていない時代で、当時の写真は殆ど残ってなく非常に貴重なものです。

 昔の写真大森エリアの展示写真(左上:大森エリアの昔の写真展示、中上:大森谷戸町会戦災被害昭和20年4月撮影、右上:梅屋敷商店街昭和25年撮影、左下:産業道路ガスタンク昭和35年撮影、中下:大森駅西口八景坂方面を望む昭和20年代末撮影、右下:大森駅東口昭和28年)

展示会場には、デパートの展示感覚で並べられた大田区53社のものづくり企業の誇る製品展示や、「新製品・新技術コンクール」の展示、大田区「優工場」の展示、大田区優秀技能者「大田の工匠」のパネル・製品展示など、技術の説明や紹介パネル等で示されていました。また、大田区の観光は、羽田空港をはじめとして、蒲田周辺の黒湯など特徴ある場所が多く、観光イラストマップに案内されています。

 大田区の誇る技術63社の展示風景(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

・梅ちゃん先生番組展
梅ちゃん先生番組展は、先に紹介した日本工学院専門学校・東京工科大学主催の、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」展示会にも出展(「大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその3」参照)していました。高島屋で展示の同展も同一展示物であるので、昭和20年代の下村家のバラック建てのセット、オープニングタイトルバックに出てくるジオラマおよび出演者が着る衣装を撮影方向を変えて表示してあります。

 梅ちゃん先生番組展(左上:「梅ちゃん先生番組展」入口、中上右上:下村家のバラック建てのセット、左下:出演者が着る衣装、中下右下:オープニングタイトルバックのジオラマ)

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イベント 東京スカイツリー見学 異業種交流会H11・12合同で地上450mの眺望を楽しむその3

2012年06月25日 | イベント
kan-haru blog 2012 スカイツリー開業祝いの獅子舞(そらまち亭)      

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東京スカイツリーのフロア設備
東京スカイツリーのトイレは、高さが450mの天望回廊フロアのトイレが、天望回廊の終点から入って直ぐの、フロア450に向かう通路の右側に有りますが、男性用・女性用・みんなのトイレが各1つしかありません。天望デッキには男性用が4つ、女性用が8つ、みんなのトイレが3つありますので混みあっている時には、天望回廊に登る前に済ませておくのが安全です。

 天望回廊フロア450のトイレ施設(:天望回廊の終端を出てフロア450への通路、:フロア450のトイレは通路右壁側に設置)

東京スカイツリーの展望フロアの飲食店には、ドリンクや軽食を楽しめるSKYTREE CAFEがあり、フロア350はスタンディングスタイルのお店でオリジナルドリンクやソフトクリームが食べられ、フロア340は座席とテーブル席のお店でドリンクの他軽食やオリジナルスウィーツが第1展望台の風景を眺望しながら食せます。また、フロア345には日本料理店のSky Restrant 634が営業しており、東京スカイツリー独特の調理法により、東京に集まる様々な食材と江戸東京野菜などの食材を組み合わせた日本料理が楽しめます。
タワーを訪れた記念のお土産に世界で一つだけの東京スカイツリーオリジナルグッズは、展望フロア345と1階および5階のTHE SKYTREE SHOP公式キャラクターなどが並んでいます。

 東京スカイツリーのお土産に(:5階出口フロア、:THE SKYTREE SHOP)

・「SKYTREE VIEW ソラマド」
東京スカイツリー天望デッキからの360度パノラマ眺望写真が、有料・無料で見られるサービスが5月22日から2013年5月21日まで実施しており、現在はパソコンでインターネットブラウザによりWebから閲覧できます。
SKYTREE VIEW ソラマドのトップページ画像は、不定期に更新された、とある1日の画像が解像度は約1,000万画素(フルハイビジョンの約5台分)を登録なし(無料)でソラマドトップページ(←ここをクリック)を見られます。閲覧方法は、ソラマドをクリックすることにより、表示されたトップページ画像の左側の時刻表示のボタンをクリックすると、とある1日の指定時刻の350mの高さからの眺望風景が見られます。

 ソラマドトップ画面 浅草寺、ビューホテル眺望画面(写真拡大)

画像の眺望方向を変えるには、画像上にマウスを置いて左右に動かすと、360度のパノラマ眺望画像が楽しめます。天候の良い日の画面であれば、隅田川から浅草寺、浅草界隈のビューホテルから、東京ドームが見えます。画像を左に動かすと、東京タワーや、ゲートブリッジ、荒川などの眺望が見え大変と楽しめます。

 ソラマドトップ画面 左隅田川、上荒川、右四ツ木橋・京成電鉄鉄橋(写真拡大)

SKYTREE VIEW ソラマドのメンバーとして登録すると、任意の24時間の日時の10分毎に撮影されたパノラマ画像をリアルタイムに、約6,000万画素(フルハイビジョンの約30台分)の超高解像度の画像を、任意にズームしたり、上下方向に移動したりの画像を閲覧することができますので、天候の変化画像や日の出・日の入り画像、夜景などの画像が観察できます。
ソラマドメンバーの登録は、トップページの新規登録ボタンを押し、メールアドレスとパスワードなどを準備して、送られてきたメールに従い登録します。登録料金はクレジットカード決済により、現在では東京スカイツリー開業特別記念価格として、通常¥1,200のところ、今だけ¥1,050でメンバー登録ができます。

 ソラマドトップページの新規登録ボタン

東京スカイツリー見学の合同懇親会
東京スカイツリー見学の異業種交流会H11・12合同懇親会は、東京スカイツリータウン ソラマチ7階の味楽茶屋 そらまち江戸亭で、20時から開始です。味楽茶屋 そらまち江戸亭は、江戸時代から受け継がれる味を楽しみ、寄席芸を楽しみ、風情を感じて楽しめるのが売りのエンターテーメント居酒屋です。

 エンターテーメント居酒屋での懇親会(:懇親会会場そらまち亭入口、:店内設置の高座で寄席芸を楽しむ、:桟敷席予約の料理)

夜は、店内に設置したステージ(高座)において、「ねぎし三平堂(林家)」プロデュースによる落語や色物などの寄席芸を開催致します。席は、居酒屋の雰囲気を残しながら、高座を中心にしてテーブル席を配置してあり、懇親会の予約席は、寄席芸を間近に楽しめる高座の前の桟敷席です。

 高座の前の桟敷席での懇親会(写真拡大)

懇親会で乾杯後、東京スカイツリー開業を祝してお祝いの獅子舞で景気を付け、客席を廻りお客の頭を噛み魔よけの御利益を頂きました。

 スカイツリー開業祝いの獅子舞と頭噛み(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

寄せの演芸は、林家三平師匠の落語を聞きながら、料理とアルコールでご機嫌になった頃、時間となり解散です。

 林家三平師匠の落語(写真拡大)

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イベント 東京スカイツリー見学 異業種交流会H11・12合同で地上450mの眺望を楽しむその2

2012年06月23日 | イベント
kan-haru blog 2012 展望台最高位点の風景眺望      

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東京スカイツリー天望デッキ
スカイツリー見学の時間となり、異業種交流会参加メンバーが並んで西エントランスから入り、出発ゲートで若干の待ちで天望シャトル乗場へと誘導されます。入り口フロア内にある伝統素材によるオブジェが並ぶ「SUPER CRAFT TREE」は、見る時間が無く次の機会とします。

 東京スカイツリー天望デッキへと進む(:東京スカイツリー天望デッキ入場券、:4階入り口フロア)

4基ある天望シャトルの前で待つと、ドアーが開き地元墨田区デザイナーの高橋正美氏の4作品のうちの「都鳥の空」(風に乗って都鳥が隅田川の空に帰ってくるイメージ)と題したアートパネルが設置されたエレベータに乗り込みます。なお、アートパネルの他の作品は、桜・隅田川・祭りで、四季を現しています。

 入口フロアから天望シャトルに乗り込む(:西エントランスト、:出発ロビー、:都鳥のアートパネル設置の天望シャトル)

・天望デッキフロア350
天望シャトルは、登りの動きに合わせた高さの表示とタワー鉄骨の断面表示の照明の演出で、3層の天望デッキの地上350mまでを約50秒であっという間に最上層フロア350の到着です。

 天望デッキ最上層3階フロア350

登りの天望シャトル終点の最上層フロア350に降りると、展望台の見学コースは、時計廻りに進みますが、5mを超える大型のガラスの周囲の窓から高度350mの東京スカイツリー第1展望台からの風景が目に飛び込んできます。

 天望デッキフロア350からの眺望(写真拡大)

天望シャトルを降りたすぐ前には、津山郷土博物館所蔵の鍬形けい斎(1764~1824)が描いた鳥瞰図の「江戸一目図屏風」(1809年作)六曲一隻(「イベント 江戸東京博物館 東京スカイツリー完成記念特別展ザ・タワー~都市と塔の物語~その1」参照)が展示されています。屏風には、手前に隅田川を配して遠くに富士山を望みながら、江戸の町が細部にわたって描かれています。

 「江戸一目図屏風」と隅田川の眺望(:隅田川を配した鍬形けい斎の「江戸一目図屏風」、右上:浅草一体から東京ドームまでを望む、右下:浅草寺周辺を望む)

天望デッキで350mの眺望を一巡し楽しんだら、フロア350から天望回廊への昇りで、天望シャトルの反対側の天望回廊チケットカウンターで入場券を購入して、天望回廊シャトル乗場の行列の最後尾に並びます。

 東京スカイツリー天望回廊入場券売り場(左:東京スカイツリー天望回廊入場券、右:天望回廊チケットカウンター)

・天望回廊
天望回廊シャトルに乗ると、天望デッキフロア350から2層階層の天望回廊(第2展望台)間を結ぶ2基のエレベータで、シースルーとなっており約30秒で昇ると天望回廊フロア445が降口です。

 天望回廊フロア445・450

「天望回廊」は外に張り出したチュウブ型のガラスとアルミ枠のユニット288枚で構成された、長さ約110m、通路幅約2.4m。緩やかなスロープの回廊でフロア445とフロア450が結ばれた回廊で、自力で歩きながら東京都内一高い景色を眺望できる天望回廊です。

 天望回廊(写真拡大)

天望回廊からの風景の眺望は、天望デッキからの眺望と比較すると、100mの高さが増しただけ若干の上空から見降ろした風景に感じられます。都内で一番高いところからの眺望のメリットは、良く晴れた日に見ることができる富士山や筑波山などの遠景の眺望にあると思います。しかし、今回見学の5月24日には、遠方が薄曇りで遠望は叶えられませんでしたが、かなり多く訪れている隅田川、浅草界隈など、今まで見られなかった風景が眺望できて満足しました。

 天望回廊からの眺望(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

天望回廊フロア450を時計廻りに進むと、第2展望台の最高到達点となり、高さが451.2mです。最高位点にあるソラカラポイントは、床面のLEDと両壁面がガラス空間で出来ており、天井照明と音響効果による特別な演出効果をだしています。

 ソラカラポイント(・右写真拡大)

・東京スカイツリーを降りる
第2展望台の最高到達点に到着しましたので、最後に最高到達点での風景を充分と眺望をしてから、東京スカイツリーを降りる道のりは、回廊フロア450から天望回廊シャトルに乗り、第1展望台の天望デッキ2階のフロア345に降ります。

 天望回廊から天望デッキに降りる(:天望デッキへの下りエレベータ、:天望デッキフロア345)

天望デッキフロア345からエスカレータまたは階段で、1階のデッキフロア340に降ります。デッキフロア340の床には、人が乗れる2m×3mの「ガラス床」があり、足元から真下に広がる眺望は、迫力と興奮が得られます。
第1展望台から出口への下りは、フロア340から5階出口フロアまでは夏のアートパネル設置の天望シャトルに乗って、東京スカイツリーを下りました。

 天望デッキフロア340(:デッキフロア340、下左:「ガラス床」、下右:シャトルの隅田川アートパネル)

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イベント 東京スカイツリー見学 異業種交流会H11・12合同で地上450mの眺望を楽しむその1

2012年06月20日 | イベント
kan-haru blog 2012 真下からの東京スカイツリー     

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異業種交流会東京スカイツリー見学
・異業種交流会
異業種交流会は、東京都立産業技術研究センター(「イベント 東京都立産業技術研究センター本部 異業種交流会H11で10月開設の施設見学その2」参照)が取りまとめている産業交流事業の一つで、異なる業種・分野の人々が、新たなビジネスチャンスの創造、発見のために相互の経営、技術ノウハウ等を持ち寄って交流する”場”を提供し、異業種交流グループを昭和60・61年度から毎年1グループずつ募集して、現在22グループが企業間交流活動を支援しています。H12グループは平成12年に発足し、H11メトロは平成11年に発足のグループで筆者はH11に所属しています。

・東京スカイツリー見学
異業種交流会での東京スカイツリー見学は、H11・12異業種交流会の幹事が東京スカイツリー団体見学に申込み、5月24日17:30の見学の抽選に当たり、両交流会のメンバーと家族の総勢35名(H11交流会:14名)で展望デッキと展望回廊からの眺望を楽しむこととなりました。

 都営浅草線改札口から集合場所のあるスカイツリー4階フロアーまで(左上:都営浅草線改札口、中上:地下3階入り口、右上:イーストタワー地下3階エスカレータ乗場、左下:地下1階エスカレータ中継点、中下:イーストタワー4階エントランス、右下:ソラミ坂広場(1階)展望)

交流会見学の集合場所は、スカイツリー4F入口フロアの西エントランス待機所に5時15分に集合であるので、自宅からは乗り換えなしの直通で京急線から都営浅草線の押上駅に下車し、浅草線の改札口を出て東京スカイツリーイーストタワー内の地下3階からのエスカレータで4階に上がり屋外広場に出て、イーストタワー外側の1階から登るソラミ坂の階段・エスカレータの出口と合流します。そして先ずは、東京スカイツリー入口の西エントランスに、たどり着かねばなりません。

 スカイツリー入り口西エントランスのある4階広場

イーストタワー外側にあるソラミ坂は、東京スカイツリーがそびえる大きな空を見上げながらのぼることができる坂道です。天気が良ければ、エスカレータも併設されているので、ソラミ坂を昇ることがお奨めです。ソラミ坂の終点の4階広場から見る東京スカイツリーは、大きく圧巻であり、殆どの見学者が写真撮影をしているのを見て、写してみました。

 4階広場東から撮影の東京スカイツリー(写真拡大)

地上でのタワーの骨組みの断面が正三角形で、高くなるほど丸みをおびた三角形から、地上約320mで円となる構造が取られています。また、タワーは日本古来の建築手法がとられ、「起り」や「反り」の美しい曲線美を出していると云われています。五重の塔を参考にして、心柱制震構造を取り日本が誇る最新の技術を駆使しています。今回、見学が行えチャンスなので、スカイツリーの骨組みの一部を近くで写してみました。

 スカイツリーの骨組(:スカイツリーの下部断面が3角形の骨組、:断面が少し丸みを帯びた骨組み、:スカイツリー骨格の柱)

4階広場から見る東京スカイツリーが、眼前に聳える雄大な骨組みを見ると、写真を撮りたくなる心境になります。一眼レフやコンパクトデジカメラを持ってきた人は、当然と上を向いて写真撮影をしますが、今はスマホの時代で携帯端末でも上を向いて撮影です。中には、記念撮影を撮るため人物を立たせ、膝元にひざまついての苦心の撮影も繰り広げられています。

 スカイツリー撮影風景(写真拡大)

東京スカイツリーの写真などを写しているうちに時間となり、見学者が勢ぞろいしたところで見学記念の集合写真を撮り、入場券を貰っていよいよスカイツリー4F入口西エントランスから並んで入場です。天候は、周囲がやや薄曇りで遠望は適してないようですが、見学にはまあまあの恵まれた天気です。

 西エントランス前での異業種交流会スカイツリー見学記念写真

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イベント 東日本大震災 報道写真ギャラリー「記憶 忘れてはいけないこと3」を見て災害を後世に伝えよう

2012年05月26日 | イベント
kan-haru blog 2012 「滝桜」にかかる虹20110424     

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東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分に、国内史上最大規模のマグニチュード9.0の地震が、東北・関東地方太平洋沿岸を襲いました。この、地震により非常に大規模な津波が発生し、岩手県北部沖~福島県沖において15時12分から15時19分の間に最大波を観測し、津波の溯上高(斜面を駆け上がった高さ)は、宮古市田老地区の小堀内漁港近くで37.9m、岩手県野田村で37.8m、宮城県女川町で34.7m、大船渡市三陸町綾里で30.1mと確認されています。
2012年3月10日現在、警察庁のまとめによると、余震での死者も含め、死者15,854人、行方不明者3,155人となっています。建造物の被害は2012年5月9日現在、全壊12万9,855戸、半壊25万7,739戸、全半焼281戸、床上浸水2万0,553戸、床下浸水1万5,578戸、一部破損70万5,773戸の被害が出たと発表されています。

 東日本大地震岩手大津波(左:「平成の三陸大津波」岩手日報社20110617、右:「3・11岩手大津波の記録」DVD岩手放送)

この地震で運転中であった、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉の4号機を除く1〜3号機は制御棒が上がり緊急停止し、発電所への送電線の遮断器などの各設備が故障したため外部電源を失いました。地震の約50分後、遡上高14 ~15 mの津波が発電所を襲い、地下の非常用ディーゼル発電機が故障して全交流電源喪失状態となり、原子炉内部や、核燃料プールを冷却できなくなり、核燃料の溶融が発生して、原子炉内の圧力容器、格納容器、各配管などの設備の損壊により、甚大な原発事故となりました。
2012年5月24日の東電の発表によると、昨年3月15日に原発2号機の格納容器損傷により、16万テラ・ベクレルの放射性物質が放出され、16日には3号機より18万テラ・ベクレルが放出され、1~3号機の総量がヨウ素換算で90万テラ・ベクレルの放射性物質が放出されたとの推定結果が発表されました。陸上への放射性物質汚染は、昨年3月15日の朝と夜に、2号機から放出された計約10万テラ・ベクレルのヨウ素131などが、北西方向への風向や降雨で福島県飯舘村などに沈着したと推定されています。なお、同16日の3号機からの放出された物質は、降雨が無かったので、地面に降下せず拡散したものとみられています。

 東日本大震災・福島第1原発放射能放出(左:「自衛隊員が撮った東日本大震災」防衛省20120301、右:「福島第一原発放射能の恐怖全記録」FRIDAY 20120629)

この様な未曽有の大災害の記録情報は、報道、新聞や刊行物に数多く出されていますが、今後の世代に伝える形態になっていません。これらのデジタル記録情報は、転載禁止となっており、記録表示や情報の保管はできません。そこで、後世に伝えるためには、通知可能な災害情報のありかと、情報のある場所を提示する方法で伝達したいと考えています。

東日本大震災の写真展
未曽有の大震災記録の東日本大震災写真展が、2012年3月に震災1年を経過して各所で開催されました。
(1)東日本大震災発生から1年を前に「東日本大震災報道写真展」(朝日新聞社主催、三菱商事協賛)が3月2日から14日まで、東京・有楽町の有楽町マリオンで朝日新聞カメラマン・記者が撮影した写真を中心に約60点を展示開催されました。
なお、朝日新聞DIGITALでは、震災当時と1年後の被災地を同じ地点から撮影した写真を同時に見られる、「被災地あの時といま」(←ここをクリック)を公開しています。
(2)ヤフーでは2012年2月29日、東日本大震災の記録を写真で残す活動「東日本大震災 写真保存プロジェクト」の一環として、寄せられた写真の一部を展示する写真展「東日本大震災 写真保存プロジェクト『3.11 震災と復興』写真展」を、「ニコンサロン bis 新宿」(東京都新宿区西新宿1-6-1新宿エルタワー28階)で、3月13日から3月19日まで開催しました。
(3)日本経済新聞社では、被災地でカメラマンが撮影した写真展示の、日経本社で報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」が、2月2日から3月17日まで開催されましたので、3月7日に見に行ってきました。

 日経本社報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」1(写真拡大)

なお、日経では昨年から写真展示を開催しており、2011年8月に「記憶 わすれてはならないこと2」の展示会と、2011年4月に「記憶 わすれてはならないこと」の展示会が行われています。
今年の写真展示会場では、「記憶3」の写真と共に、「記憶2」と「記憶」展の写真も同時に展示されていました。

 日経本社報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」2(写真拡大) 

報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」の展示会場で、配布のポストカードから、「記憶3」の展示写真を掲示します。写真左は、展示54の写真で、旧暦の8月15日にあたる9月12日に、岩手県陸前高田市の景勝地・高田松原で津波被害から唯一残った一本の松に「中秋の名月」が寄り添うように浮かんだ写真です。写真右は、展示70の写真で、人よりも猫が多い宮城県石巻市の田代町。海辺の猫は漁師から魚のおこぼれおもらい、山の猫は愛猫家からのキャッチフードを待つ。そんな普段通りの生活を取り戻しつつある(2011年11月1日)。トップの写真は、展示66の写真で、福島県三春町の「滝桜」に紅がかった。約49キロメートル離れた福島県第1原発の事故で観光客は減ったが、多くの人が感嘆の声をあげてサクラから元気をもらっていた(2011年4月24日)。

 「記憶 わすれてはならないこと3」の展示写真から

日経本社で報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと」展示写真の解説版図書は、展示会場の販売コーナーで、「記憶3」、「記憶2」、「記憶」の各巻が千円で販売されています。

 報道写真ギャラリー「記憶」展示会解説図書

なお、日本経済新聞社の3回開催した、ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと」の解説図書は、日本経済新聞電子版(日経Web情報)から、殆どの写真が説明付きで閲覧できます。
(1) 「記憶 忘れてはいけないこと」2011年04月29日(←ここをクリックする)
(2) 「記憶 忘れてはいけないこと2」2011年09月10日(←ここをクリックする)
(3) 「記憶 忘れてはいけないこと3」2012年02月20日(←ここをクリックする)

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イベント 東京スカイツリー開業 京急大師線港町駅前のマンションギャラリーで東京スカイツリー報道写真展

2012年05月22日 | イベント
kan-haru blog 2012 港町駅からRiverieマンションギャラリーを見る    

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東京スカイツリー
今日4月22日は、高さが634mの世界1高い自立式電波塔の東京スカイツリー(墨田区押上一丁目1番13号)の開業日です。開業式典では、運営会社の東武鉄道の根津嘉澄社長、で地元の墨田区出身のプロ野球福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治さんなどの関係者がテープカットをしました。東京ソラマチの312店舗が入った商業施設、すみだ水族館、コニカミノルタプラネタリウムには、予定より25分早い午前9時35分にオープンし、何日前から並んだ人などの約5千人が入場したと報じられています。展望台は、7月10日まで日時指定の完全予約制で、すでにほぼ完売しており、7月11日以降は、当日券が1日1万枚売り出されています。
初日の展望台は、12時から上がることが出来ますが、予約の最高倍率が335倍で、約8千人が展望台に上りましたが、展望台からは白い雲しか眺められない生憎の天候でしたが、遠くの景色は見えないが、眼下の高さが見えて満足したようです。

Riverieマンションギャラリーで東京スカイツリー報道写真展
ツリーの開業に先立ち、港町のRiverieマンションギャラリーで、東京スカイツリーの写真展の広告が出ていましたので、5月19日に見に行ってみました。

 Riverieマンションギャラリー案内図

Riverieマンションギャラリー(川崎市川崎区港町5-5 5階会場)は、京浜急行大師線港町駅下り線ホームの臨時改札口を出ます。

 京浜急行大師線港町駅下り線ホームの臨時改札口(:港町駅下り線ホーム、:港町駅下り線臨時改札口、:港町駅下り線臨時改札口) 

会場のオフィス棟へは、六郷川間の工場跡地に現在1棟目を建設工事中のマンションの前を京急川崎方向へ進み、突き当りを右折すると、Riverieマンションギャラリーです。

 港町駅からRiverieマンションギャラリーへ(:ギャラリーへはマンション工事塀に沿って西に進む、:突き当りを右折するとマンションギャラリー棟、:マンションギャラリーのエントランス)

Riverieマンションギャラリーでの「東京スカイツリー報道写真展」は、3月1日から5月28日まで、朝日新聞社がカメラを通して、工事開始から昨年末の試験的なライトアップまでの、東京ツリーの成長を記録した写真が展示されていました。

 東京スカイツリー報道写真展パンフレット

展示会場には、朝日新聞社が撮影した工事開始時点からの写真と、東京スカイツリーの千分の一の模型が展示されていました。

 東京スカイツリー報道写真展風景(:東京スカイツリー報道写真展受付、:東京スカイツリー報道写真展会場風景、:東京スカイツリー模型(1/1000))

展示写真は、壁面の他会場中央に展示パネルを置き、写真を整理して展示されていました。

 東京スカイツリー報道展示写真(中左中右写真拡大)

また、会場の窓を利用しての影絵での展示の資料は、省エネが要求される昨今、採光に妨げなく効果的な展示手段であり、感心しました。

 会場の窓を利用しての影絵での展示資料(写真拡大)

展示会場の採光のため全開してある窓からの眺めは素晴らしく、展示写真を見終わってからも、景色に見とれて長い時間を充分に眺めてから会場を後にしました。

 展示会場内から眺める周囲の景色(写真拡大)

新聞社が時間をかけて記録した長期の写真は、展示会場で見る雰囲気では頭に残りません。そのため、朝日新聞社のWebのデジタルスカイツリーフォトギャラリーを検索しましたので、リンクアドレスをクリックして、ゆっくりと東京スカイツリーの写真をご覧下さい。
1 スカイツリー発見フォトギャラリー 写真一覧 ツリーのある風景(←クリック)
2 スカイツリー発見フォトギャラリー 写真一覧 こんなことから(←クリック)
3 スカイツリー定点観測フォトギャラリー 写真一覧(←クリック)

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次回 イベント 東日本大震災 報道写真ギャラリー「記憶 忘れてはいけないこと3」を見て災害を後世に伝えよう
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イベント たからばこ展2 2年ぶりのメルヘンチックな作品展鑑賞の後日に出展者と共に川崎大師の参詣

2012年05月20日 | イベント
kan-haru blog 2012 結婚祝いの絵とコサージュの出展作品   

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たからばこ展2
2年ぶりに、たからばこ展2開催のご案内を頂きました。
会場は、前回と同じ場所のGallery A/N(中央区日本橋浜町2-545-5 アクセス拡大図)での開催です。出展は、前回と同じくきむらはるか(ペーパークイリング)にしのかよこ(ヘッドレス・イラスト)の2人展で、4月24~29日の11~19時まで開催でしたので、同26日に見に行きました。
前回は、今回と同じ会場で2010年7月に開催(「イベント たからばこ展 新進気鋭のきむらはるかとたかはしかよこのメルヘンチックな2人展」参照)され、それより前の展示会はブログ開始年の2006年4月に、経堂のギャラリー カタカタで陶芸家、木工家、メルヘン画家による3人展を開催(「土と木とメルヘンな鉛筆画のぬくもり三彩展を鑑賞」参照)しております。

 たからばこ展2案内状

展示を見ると、今回から出展のコサージュ類の出展が会場を華やかにしており、メルヘンチックな絵とともに、バリエーションが増えて会場が一段と賑やかになっていました。

 たからばこ展2ではコサージュの出展が会場をはなやかに(写真拡大)

メルヘンチックな出展作品は、色鉛筆による作者固有の繊細な表現で、ほのぼのとした画風は固有な夢の溢れる世界を醸し出しています。

 メルヘンチック画作品(写真拡大)

2人展のペーパークイリングの展示品も鑑賞させて頂き、今回出展のコサージュなどが増え、充実した展示品を見て、たからばこ展2の鑑賞記念にコサージュを購入して会場を出ました。

 2人展の出展作品(写真拡大)

購入したコサージュは、たからばこ展が終了してから、5月5日に出展者が遊びがてら自宅まで届けて頂きました。

 たからばこ展2鑑賞記念に購入のコサージュ

川崎大師参拝
たからばこ展出展者は、以前から何回か遊びに訪れて来られ、一緒に三浦方面などへ遊覧しており、今回は川崎大師へはまだ行っていないとのことなので、5日に参拝に出かけて来ました。拝観順路は、大師裏門の西解脱門から入り、大本堂を参拝して、大山門を出て参道へと全くの逆行路です。

 川崎大師参拝(:西解脱門から境内に入門、:大本堂参拝)

5日は子供の日で、川崎大師では子供フェスティバルを開催して、ミニSLの乗車会や大道芸パフォーマンスなど、お子様をはじめ家族全員で楽しめるイベントが行われていました。

 子供フェスティバル開催の川崎大師境内(:子供フェスティバル開催で境内に鯉のぼりが上がる境内、:子供フェスティバルの京急コーナー、:猿回しの大道芸)

初めての川崎大師の参詣を記念して、写真を撮り、川崎名物の「くずもち」と「とんとこ飴」などのお土産を買って帰路に向かいました。

 川崎大師参拝記念撮影(写真拡大)

一緒に楽しく川崎大師を参拝して、再開を約束して帰宅後、何時ものようにメルヘンチックな絵葉書の礼状を頂きました。

 メルヘンチックな礼状

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イベント 油彩・水彩・版画展 国立新美術館示現会展で入選の異業種交流会員の出展油彩画を観賞

2012年04月26日 | イベント
kan-haru blog 2012 出展入賞作品「秋娘の風」 

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示現会
示現会(東京都北区中里1-17-4)とは、1948年(昭和22年)に洋画団体示現会として会員31名で設立の美術家団体です。示現会は、日本を代表する著名画家の先生方を幹部に戴き、会員、準会員、会友あわせて800人に及ぶ大所帯の会で、毎年全国公募展を開催します。設立後の1948年(昭和23年)に第1回示現会展を東京都美術館にて開催し、2007年(平成19年)より、示現会展の会場が国立新美術館に移されました。今年は、65周年示現会展が4月4~16日まで開催され、4月15日に見てきました。

 示現会展冊子

国立新美術館
国立新美術館(東京都港区六本木七丁目22番2号)は、日本で5館目の国立美術館として、東京大学生産技術研究所跡地に建設され、2007年(平成19年)1月に日本で5番目の美術館として開館しました。美術館の施設は、国内最大級展示スペースを誇り、規模は14,000平方メートルの展示スペースで、1,000平方メートルの展示室10室と、2,000平方メートルの企画展示室2室で多彩な展覧会を開催しています。

 国立新美術館地図

美術館の建物は、地上4階地下1階で構成され、大波のようにうねる美しい曲線を描く『ガラスカーテンウォール』が前面を覆った特徴的な建物デザインで、エントランスロビーのアトリウムは天井高21.6mの開放感のある建築で、設計が建築家の巨匠 黒川紀章氏によるものです。
館内の施設には、3階にある『ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ』は、フランスの三ツ星シェフ『ポール・ボキューズ』氏が、フランス以外で初めて出店した注目レストランと、3つのカフェ、ミュージアムショップなどがあり、アートライブラリー、講堂・研修室等を有しています。

 国立新美術館(:国立新美術館入口、:展示会開催案内板、:示現会展案内)

65周年記念示現会展
65周年示現会展会場は、2階の2A~Dで行われているので、エントランスからエスカレータで上りロビー付近に出展者の渡辺氏の姿が見当たらないので、そのまま展示会場へと入り受付で会場内写真撮影可の確認をとり、展示室に進みました。

 65周年記念示現会展(:示現会展会場入り口、:示現会展受付、:出展者名簿)

2階の示現会展示会場は広く、2A~D展示室に1,068点の作品が展示されており、出展者の出展画面がどこに展示してあるのか名簿案内板を見ると、入り口近くの2A2展示場であることが分かり、2A1の展示作品を観賞しながら、次の出展作品展示室に進みました。

 示現会展示会場(左:示現会展示会場案内図、右上右下:2A1展示室)

2A2展示場に入り展示作品を観賞しながら進むと、渡辺氏の出展作品は左側壁面の奥から4つめの上段に展示(右写真参照)されていました。

 会場2A2展示室(写真拡大)

・出展作品 秋娘の風
2A2展示室で渡辺氏の出展作品を見ると、作品名は「秋娘の風」という油彩画で、見事に佳作賞の銀彩賞の受賞に輝いていました。
65周年記念示現会展示会の受賞者は、文部科学大臣賞受賞1名、示現会賞受賞1名、示現会奨励賞受賞2名、佳作賞受賞24名の方々です。

 入賞展示作品「秋娘の風」(写真拡大)

渡辺氏は、示現会非会員の一般の部290名の中での入選で栄冠を得ました。60歳を過ぎてからの本格的に絵に取り組みという、短い期間での入賞は見事なものです。

 渡邊正博氏出展銀彩賞入選作品「秋娘の風」

・他の展示作品鑑賞
入賞作品を観ましたので、各展示室の作品を一通り観賞しながら出口に辿り着きましたが、千点を超す作品はかなりの量なので、かなりの疲れを憶えました。
まだ、受賞作品の作者とはお会いしていないので、出口から入口ロビーの前に行くと、運よくお見かけできましたので、入賞作品の前で記念写真を撮ってお別れしました。

 示現会展示作品(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

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イベント 北鎌倉の梅と江戸期の古雛 北鎌倉古民家ミュージアムのお雛様と東慶寺の梅その2

2012年03月29日 | イベント
kan-haru blog 2012 今年は春が遅く3月20日過ぎになり梅の満開を迎えた

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つるし飾り
「つるし飾り」は、着物の布を解いて作った細工物を紐で繋げて、輪に吊るして飾りにした物で、その起こりは江戸時代とされ、細工物の一つ一つに長寿や健康などを願い女の子が生まれたお祝いとして届けられ、桃の節句に飾ったと云われています。つるし飾りは九州柳川の「さげもん」、静岡稲取の「つるし雛」(「小さな旅 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その1」参照)、山形酒田の「傘福」などが有名です。

・北鎌倉のつるし飾り
北鎌倉のつるし飾りは、北鎌倉らしい街の風物詩にしていきたいとの思いで、今年は北鎌倉つるし飾り実行委員会(川上靖治委員長)」が主催し、北鎌倉の商店街74軒が協力して、かまくら陶芸館などで開催中の「北鎌倉吊るし飾り展」を中心に、2月7日から4月1日まで街全体吊るし飾りで彩られています。

 北鎌倉吊るし飾り展パンフレット

北鎌倉つるし飾りの企画は、5年ほど前に古民家ミュージアムで展示されていた「源平吊るし飾り」との出会いをきっかけに立ち上がり、2011年3月には試作展を開き、いずれは「北鎌倉吊るし飾り祭り」にまで発展を望んでいます。

 古民家ミュージアムのつるし飾り(写真拡大)

「北鎌倉吊るし展」開催のかまくら陶芸館(鎌倉市山ノ内1385-3)は、古民家ミュージアムと反対のJR線路の西側にある東慶寺から南に4軒目(その1掲載地図参照←ここをクリック)にあ、建物は百数十年前の民家を奥飛騨から移築されてきたもので、2階建てで1階には地元若手陶芸家の陶器・陶人形や、アクセサリー・雑貨、お箸等を展示販売しており、2階はお食事処で季節料理「建長(けんちん)膳」が食せます。

 北鎌倉陶芸館(写真拡大)

「北鎌倉吊るし展」は1階店内のスペースに、尾形光俊、かとうひろみ、嶋本静子、浜肇子と銀の針スタッフおよび北鎌倉陶芸館スタッフの作成の吊るし飾り天井から吊る下げられています。

 陶芸館の吊るし飾り(写真拡大)

東慶寺の観梅
「北鎌倉吊るし展」開催のかまくら陶芸館に行く途中の、東慶寺門前を通りしな、3月22日は暖かな天気に恵まれ梅の香が漂い満開の梅が見えましたので、帰りがけに寄り道して境内で観梅を楽しんできました。
東慶寺(鎌倉市山ノ内1367)は、臨済宗円覚寺派の寺院で、山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺と称して、本尊は釈迦如来、開基は北条貞時が父の北条時宗死去の翌1285年(弘安8年)で、開山時の初代住職は覚山尼です。東慶寺は、「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていました。

 東慶寺パンフレット

東慶寺入り口には鎌倉街道に面したところに、山号の「松ヶ岡」と寺号の「東慶寺」と彫られた門柱が建ち、境内に入ると東慶寺の説明版と、法蔵館で2月7日から4月1日まで開催の特別展「2012年東慶寺仏像展」の案内掲示板がでています。

 東慶寺門柱を入る(:東慶寺門柱、:東慶寺説明板、:東慶寺仏像展案内)

東慶寺は山の傾斜地に開創され、境内は山道に沿った形で一直線に上って行き、その参道の両側に寺社の建物が配置されており、最奥に東慶寺墓苑が置かれています。

 東慶寺境内図

山門下の石段までの参道にある梅の木は満開で、その右側にある記念碑は、夏目漱石の参禅百年を記念して平成6年12月に建立されたものです。

 山門石段下までの参道(:山門手前の参道の満開の梅、:夏目漱石参禅百年記念碑)

参道を進み石段を上ると山門があり、駆け込みの女性を守る砦の門で、小さな門ですが風格があります。茅葺屋根の通用門の入り口を潜り拝観料の100円を払って入門ですが、小さな門ですので、出口は門の左側の塀を空けて改装してあります。山門内の梅は見事に咲き誇り、白梅や紅梅は梅の香で一杯で、紅梅の花は紅色やピンク色などいろいろな花を付けています。左側の鐘楼の梵鐘は、1350年(観応元年)の補陀落寺のものです。

 山門内の鐘楼付近の紅白満開の梅(:山門、:山門内の梅の木、:)

美しい宝形造の屋根を誇る本堂「泰平殿」は、本尊の釈迦如来坐像を祀り、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音を揮毫して、 1935年(昭和10年)に建立したものです。

 本堂附近の梅(:本堂山門、:本堂、:本堂山門内の満開の梅)

泰平殿入り口の黒塀前には、四賀光子が詠んだ覚山尼讃歌の歌碑が建立されています。明治以降の東慶寺は、檀家の数も増え各界名士の墓も多くなり、鎌倉の土地が文人を引きつけてひっそりと立つ歌碑や句碑、 詩碑や金仏が目に留まります。「松ヶ岡宝蔵」は、東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館で、縁切寺の歴史を伝える寺法書や呼び出し状、駈け込みの実例を記録した松ヶ岡日記が展示されています。松ヶ岡宝蔵への入館料は300円です。

 本堂から松ヶ岡宝蔵まで(:四賀光子歌碑、:金仏、:松ヶ岡宝蔵)

今年は、寒さが続き東慶寺境内にもやっと春が訪れ、花の季節となりました。

 寒さが続きやっと東慶寺は春の花の季節を迎える(写真拡大)

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