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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 海苔の歴史を学び体験する 大森海苔のふるさと館オープン その2

2008年04月17日 | 大森町界隈あれこれ 海苔
kan-haru blog 2008

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大森海苔のふるさと館オープン
丁度1年前の4月にオープンした大森ふるさとの浜辺公園内に、「大森海苔のふるさと館」が今年の4月6日にオープンしましたので、行ってみました。
当日は、10時からオープニングセレモニーが行われるとパンフレットに書いてありましたので、9時半頃に着くように出かけるとふるさと館周辺は沢山の人が来ておりました。
しかし、オープニングセレモニーに出られるのは関係者に限られ、一般の入場は10時半からということで、ふるさと館周辺のふるさとの広場のベンチで時間を過ごしました。

           大森海苔のふるさと館

オープニングのイベントとして、長さ6メートルのジャンボのり巻き作りや「のりすき」体験が行われ、参加整理券を貰う長蛇の行列がならびました。

   のりすき整理券予約  ジャンボのりまき作り予約 ジャンボのりまき作り会場

また、昨年まで大森町駅近くの大森海苔会館で行われていた「のり祭り」(「大森町界隈あれこれ 大森海苔物語 のり祭り」参照)が、今年は海苔のふるさと館で開催され、恒例の大森海苔問屋による即売会や「海苔産地あて」などが催され、満員の盛況でした。

        恒例の海苔問屋によるのり祭り 

海苔のふるさと館の前庭では、養殖海苔の着いた海苔網が展示してあり、大勢で海苔をとり容器に入れたり、口に入れたりして海苔採食を味わっておりました。2004年に多摩川河口で海苔の生存が確認され、昨年から44年ぶりで大森の浜辺で海苔養殖を試みております。

        ふるさと館前庭の養殖海苔が付いた海苔網(左写真拡大)

玄関前では、都立美原高校の和太鼓演奏や大森甚句研究保存会の大森甚句などの演出が行われました。

              海苔のふるさと館オープニングのイベント

・大森甚句
甚句は、江戸時代に生まれたとされ、日本の各地の民謡で使われている曲形式であり、「大森甚句」は東京湾大森で行われていた海苔漁業の労働歌として歌われていたと云います。

大森海苔のふるさと館展示資料
海苔のふるさと館は3階建てで、海苔養殖の歴史や生産技術の伝統文化を伝える、国の重要有形民俗文化財に指定されている、海苔生産に使われていた貴重な用具など800点余りが展示されています。
ふるさと館オープニングの当日は、多数の見学者の来場のため、入場を制限しての入館のため展示物を見る状態では無いので、日を改めて4月11日に展示施設を見にきました。

              混雑する海苔のふるさと館オープニング

・1階展示施設
1階展示施設は、展示室と体験学習室があり、展示室には国の重要文化財に指定されている全長13mの海苔船やべか船が中央に展示してあります。地元では、べか船(櫓付きの一人乗りの小船)を伝馬船などとも呼んでいました。
また、右のコーナーには、海苔の養殖場面、海苔つけ場をジオラマで展示してあります。昭和30年代には、近所の家が海苔養殖業であったので、情景復元の場面を見て想い出が再現されました。
さらに、体験学習室では、ひび立て、海苔つけ、海苔焼きの体験実習を実施し、海苔ライブラリーでは海苔に関する情報が提供されます。

 重要文化財指定海苔船   櫓付き一人乗りべか船    海苔つけ場ジオラマ

・2階展示施設
2階の展示室には、「海苔の歴史」、「海苔つくりの一年」、「大田海苔劇場」、「海苔下駄体験コーナー」、「企画展示ギャラリー」などのコーナーがあり、海苔の養殖場で使う海苔下駄を履いたりして、海苔の歴史・文化を知ることができます。

 2階展示室の海苔の生産道具(写真拡大)

また、講座室では、浜辺の生き物などの講座が行われます。
奥の収蔵庫には、貴重な海苔生産用具などの道具が保管されております。

 国指定文化財収蔵庫

・3階施設
3階の施設は、展望休憩コーナーで、ふるさとの浜辺公園の浜辺の展望や、沢山集まるかもめやカモなどの野鳥の観察と、羽田空港を発着するジャンボ機の遠望などには都内で有数な場所です。

 3月のふるさとの浜辺公園はかもめやカモの野鳥のオアシス(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 海苔の歴史を学び体験する 大森海苔のふるさと館オープン その1

2008年04月15日 | 大森町界隈あれこれ 海苔
kan-haru blog 2008 大森ふるさとの浜辺公園(080305撮影)

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大森海苔のふるさと館
大森周辺の海辺は、今から300年ほど前からの海苔養殖発祥の地で、国内有数の海苔産地でした。生産を止めて44年が経ちましたが、今でもこの歴史は地元では心の宝ものです。生産は止めても、江戸時代から培われてきた海苔作りの伝統は、地元の海苔流通業の中に生きており、大森には数多くの海苔問屋は流通網の拠点となっています。
海苔の歴史や生産者の海苔造りの思いを残すため、かって海岸線であった海苔養殖地の海辺に大田区立「大森海苔のふるさと館」が、4月6日にオープン(大田区報4月1日号)しましたので見に行ってきました。


大森海苔のふるさと館(大田区平和の森公園2-2)は、昨年オープンした大森ふるさとの浜辺公園(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 オープンの大森ふるさとの浜辺公園」参照)内を流れる内川の左岸に造成してお目見えしました。海苔のふるさと館へは、京浜急行電鉄平和島駅または大森町駅から徒歩で15~17分の距離(地図参照)です。

海苔のふるさと館の3階展望室から眺めるふるさとの浜辺公園(平面図)の眺望は、都心の風景とは思えない潮の香りのする憩いのオアシス(写真トップ)の誕生です。

 ふるさとの浜辺公園風景(左写真:海苔のふるさと館3階からの展望、中写真:オープンの浜辺公園、右写真:浜辺公園に遊ぶ子かもめ群)

海苔会館のある大森ふるさとの浜辺公園の北側には、地続きに区立平和の森公園があり、南北に続く二つの公園を合わせると、都内でも有数の広さの公園であり、同公園には設備の整ったフィールドアスレチック(「イベント 平和の森公園フィールドアスレチック」参照)などがあります。
また、平和の森公園の中央を横断する環7通りを東に約30分歩いた所には、東京都立野鳥公園(大田区東海 3-1)があり、190種以上の野鳥の観察ができ、1日ゆっくりと遊べる公園地帯となってます。

海苔の歴史ふるさと館へ辿る
ふるさと館のオープンイベントの参加には、一般の案内地図では大森町駅からは駅東口を東に進み、第1京浜国道と産業道路を横断して、大森ふるさとの浜辺公園を通り、公園を結ぶ浜辺橋を渡って行くコースとなります。
今回のふるさと館へのコースは、江戸時代からの発祥の海苔の歴史を想い、その時代からの旧東海道、内川(「大森町界隈あれこれ 内川風景 大森町を流れる昭和の面影 その1第2回」参照)を辿ってみました。

まず、大森町駅から第1京浜国道に出て北上して、産業通りとの三叉路から旧東海道の美原通り(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)に入ります。旧東海道を約200m進むと、江戸時代と同じ場所にある内川に出ます。内川の手前にするがや通り(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 旧東海道ふる里祭り」参照)があり、歌舞伎で有名な旅籠 「駿河屋」があったところと云われております。

  現在の内川橋  内川橋たもとのするがや通り(拡大) 歌舞伎で有名なするがや

内川橋から下流にかけての内川は、江戸時代以前からの源流の流れを変えずに位置してます。そのため、上流とは異なり古く川岸の痛みが激しく、護岸工事により歴史ある内川下流域の維持が図られています。

 護岸工事により維持される内川下流域(左写真:06年9月、中写真:07年10月、右写真:08年3月)

内川橋を渡り、護岸工事により川岸沿いの広くなった右岸の道を河口へ、600mほど下ると大森ふるさとの浜辺公園の浜辺橋に出ますので、その先の左側がふるさと館です。

     内川河口          浜辺公園の浜辺橋  完成前の海苔のふるさと館

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大森町界隈あれこれ 大森海苔物語 のり祭り

2007年04月08日 | 大森町界隈あれこれ 海苔
kan-haru blog 2007

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のり祭り
毎年4月の第1日曜日に開催している恒例行事の「海苔のふるさと 本場大森品川問屋 のり祭り」は、今年は「大森ふるさとの浜辺公園」のオープンの日と同日の4月1に行われましたので、午前中に行ってきました。
のり祭りの目玉は、昨年(「大森町界隈あれこれ(5) 大森海苔物語(1) プロローグ」参照)と同様に「海苔すき」体験と「全国海苔産地あて」食べ比べです。のり祭りは、大森本場乾海苔問屋組合の主催で、大森町近くの大森海苔会館(大田区大森中1-6-5 地図参照)で行われます。


かって、大森は海苔一大産地
「のり祭り」で展示してあるパネルで、かって日本一であった大森海苔の栄光を見てみましょう。
・海苔養殖の始まり
「海苔」という言葉は、およそ1300年前の最初の法律書「大宝律令」と平安時代の辞典「倭名類緊鈔(わみょうるいじゅうしょう)」に登場し、海苔は朝廷への貢物としてあげられています。
海苔養殖は、品川にある徳川家に献上する魚の生簀の”そだ”に、海苔がついているのを偶然見つけたことから、品川・大森を中心とする東京湾で養殖がはじまったと考えられています。

・江戸幕府と大森海苔
品川・大森村で生産された最上級品の海苔を「御膳海苔」と呼ばれ、将軍家と菩提寺の寛永寺と徳川御三家に納められておりました。幕府へ納めた海苔の量はおよそ9000リットルで、その多くは大森村の商人が担っており、権威と名誉を誇っていました。
江戸幕府倒壊後は、大森では新政府軍に5000両を献上して「御膳海苔」の継続を願い出て、大森村は新たな漁場を獲得し、それをきっかけに、東京湾沿岸で海苔養殖が活発になりました。


・大森から伝わった海苔つくり
江戸時代の後期の頃、大森で海苔を仕入れて各地で行商した諏訪の商人が、海苔生産に適した入江を見つけ、大森から生産技術をとり入れたり、生産者を招いたりして、全国各地へ海苔つくりが伝わりました。


・大森海苔養殖の終焉
大森海苔の生産量は、江戸時代から明治にかけ海苔養殖は衰えることがなく、その地位は第二次世界大戦まで不動でした。しかし、戦後の高度成長により水質汚染や東京湾の埋め立て計画により、漁場環境は悪化の一途を辿り、1962年(昭和37年)に漁業権を放棄し海苔の養殖が終わりました。

海苔すき
四角形の干し海苔を製造する作業を「海苔すき」と云います。毎年のり祭りのイベントとして「海苔すき」の体験が行われます。
「海苔すき」は、作業場に置かれた流し台の上に水切の「簀の子」を敷き、その上に海苔簀を重ねます。そこに干し海苔の大きさの付け枠を載せ、流し台の脇に水と混ぜた刻んだ生海苔を入れた付け樽から付け升ですくい、簀の上においた付け枠に投げる要領で一気に注ぎます。
注いだ海苔の水が引ききらぬ内に枠を揺らし簀に平均に広げて、水が簀を通して流れ落ちて海苔が簀に落ち着いてから、枠を外して簀を水切りの横桟へ立てかけて一枚の海苔すきが終了です。

                   海苔すき                     海苔天日乾し

海苔すきは、早朝に行い台乾しで天日乾燥をして取り込み、はがし板で乾し海苔を押さえて簀からはがして海苔の完成です。

海苔のたべくらべ
「のり祭り」のイベントには、有明、静岡、千葉産の乾し海苔を食べ比べて、産地を当てる催しも行われ、春休みで遊びにきていた孫がぴたりと当てて賞品を貰って喜んでいました。
会場には、海苔の問屋さんが並んで各種の海苔を販売しておりました。
「のり祭り」の会場を一巡して、アンケートに答えて携帯ストラップを貰って帰りました。

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大森町界隈あれこれ(5) 大森海苔物語(1) プロローグ

2006年04月03日 | 大森町界隈あれこれ 海苔
はじめに
わが大森町は、歴史のある日本一の海苔生産地でありましたが、東京湾の埋め立て事業により、1963年に漁業権が放棄され、大森周辺での海苔生産の幕が退かれました。
海苔の生産は、冬の季節産業で11月下旬から今頃の3月一杯まで、海苔取りと、天日乾燥場一杯に海苔干しの作業が毎日行われ、大森町の冬の風物詩でした。
品川・大森で採れる浅草海苔の歴史は古く、寛永15年(1638年)の書物「俳諧誌毛吹草」に浅草海苔と品川海苔が登場し、かつての生産量が日本一の大森海苔物語を、カテゴリーに「大森町界隈あれこれ 大森海苔物語」編を設け、順次記載していく予定です。

大森町で初の大森「のり祭り」
4月2日の日曜日に、「大森本場乾海苔問屋協同組合」(地図)の主催で大森町の中央部にある大森海苔会館で、初めての「のり祭り」が開かれました。これから毎年4月の第1日曜日に開かれることになりました。
海苔の歴史は古く、海苔の養殖は行われなくなりましたが、現在でも大森には海苔問屋が沢山存在しています。これは、昔から大森の地で活躍していた海苔問屋が、今でも古くからの海苔の伝統を受け継ぎ、各地の産地から海苔の買い付けや海苔加工の活躍をしているからです。
東京で海苔問屋の多い地区町村は、大田区の59社で一番多くあります。その他には、品川区8社、中央区16社、台東区13社、江東区9社などの計154社があります。
海苔問屋で結成した組合は、全国各地にありますが、大森町にも「大森本場乾海苔問屋協同組合」があり、大田区と品川区の海苔問屋の67社が加盟しています。
今回の「のり祭り」には、海苔問屋15社が参加して開かれました。自宅から会場まで徒歩10分足らずの所が会場ですので、ぶらりと覗いてきました。会場では、出展掲示物(パネル1パネル2)の他「海苔すき」体験や「海苔干し」見本、各産地の「海苔」食べ比べなどが行われていました。

大森町は、かつては日本一の海苔生産地
かつての大森から羽田、お台場にかけての一帯は、海苔の一大産地で、戦前には東京湾の海苔が全国生産量の7割を占めていたこともありました。
その中で、江戸時代から明治初期に至る海苔養殖漁場の規模は、わが大森町の規模はダントツであり、東京府勧業課編の「東京捕魚採藻図録」(明治15年刊)によると、明治13年(1880年)では、東京全海苔漁場が約42万417坪のうち、大森村の漁場は約19万3050坪(45.9%)を占め、2位の南品川宿地域が約8万6886坪(20.6%)で、次いで大井村・不入斗村地域が約6万3361坪(15%)、糀谷村・羽田村地域が約7万7118坪(18.3%)との記録が残っております。出典:大田区海苔物語 大田区立郷土博物館 1993年3月25日発行

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