ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

政略結婚

2011-06-27 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
義経「痛くても、泣くなよ」
つい5日前、義隆はじいの形見として刀を譲り受けた。今日は肝試しと称する根性試しが、ここ月山で行われた。男子は五歳になると木刀から真剣に持ち替え、様々な試練が与えられるというが、義隆の素質や資質が神を満足させるものなんだろう…着実に武士家系に生まれた男子の道を歩んでる。こいつの血か、宿命か、確実にそっちの段階を踏ませている。
義仲か、山吹か、あるいは、二人の血か。
大層なもんを遺して逝きやがって…と晴れない気持ちで空に睨みを利かせた。
だが、俺の睨みなんて天には利かない。ふふんと素知らぬ顔で、雨を降らせてやがった。
ザァ…と、降り続く雨に負けない声で、義隆「でも、弓矢は兄ちゃんに教えてもらう」
義経「あぁ。朝練、な」
義隆「三倍ッ」…しばらくの間が空き…「与一兄ちゃんみたいな兄ちゃんが、いい」と言った。
それで分かった。隠し子の事が聞きたいんだ、と。
とは言っても、どんな子に育っているのか…俺も知らない。だから、
義経「今、寺にいる。会った事はない」
義隆「どうして、お寺にいるの?」
義経「俺と葵の子…だから、な」
義隆「?」
義経「お前が、義仲と山吹の子だっていうのと、同じ理由だ」
義隆「あ…」元服前、訳も分からず女の子の格好させられていた事を思い出したんだろう。
俺たち親は子供の事を考えているようで子供の自由を奪っていた。言い訳かもしれないが、生まれた命を守るだけで精一杯だったんだ。それは俺の子でも、従兄弟の子でも同じだった。
義経「…葵と初めて会ったのは、山吹と会う前だ」
長男の事を話せない代わりに育ての親となってくれた彼女の事を話すことにした。
出会いは、7年前の三河 賀茂の葵祭(5月15日)。三河賀茂は賀茂神を信仰する氏族が多い。
その信者たちは“われに会いたくば、葵を掲げよ”と軒先玄関先に掲げ、神の御幸を待つ。
その日、俺は義仲の所へ輿入れする姫の護衛を松殿から仰せつかっていた。その姫は松殿の娘で年の頃16、7の松殿伊子(いし)だった。
しかし、実は、彼女が山吹の双子の妹で、松平家の養女に出された葵だと随分後から知った。
伊子「結婚したくない…」と、泣いていた。当時、平家と完全に手を切った松殿は義仲と手を組み、政権奪回を目論んでいた。つまり、彼女を使った政略結婚だった。


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