ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

父と子と、精霊と

2011-07-01 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
ふぅ…と、雨上がりの澄んだ風が涙の跡に吹いた。
まるで、山の息吹が涙を拭ってるような、そんな風に、
逝っちまったのか…と心の中で、もう一人の妻に語り掛けた。
だが、風は心地よく凪(なが)がれるだけで、何も答えてはくれなかった。
ただ、「ヨッシー、約束したからねっ」と小指を突き出したアイツの顔が脳裏に浮かんだ。
約束を破ったら、また生霊の術でも使って出てくるんじゃないか?
なら、破ってもいいなと本音を出して、ここで泣いてる義隆を見て…、
その弱音を引っ込めた。
小さな体でいっぱいの悲しみを堪えてる奴を前に、本音や弱音を吐いた自分がなんだか年取っちまったなと思った。
そんな弱い自分を隠すように、義隆をより一層の力を込めて、抱き締めた。
その時、“コン”と稲荷社の中で小さく剣が鳴いた。
だが、俺の耳には息子 義隆の泣き声と風の音しか入って来なかった。
というより、俺の心に神だの、精霊だの声が入ってくる余地がなかった。
それだけ、息子の声と、俺にしがみ付く、この小さな手の方が大切だったんだ。
空を睨んで、
なぁ、こいつは、どんな子に育つんだろうな…義仲?
お前みたいになるのか?それとも、俺か?
どっちでもいい、ちゃんと見守っとけよ、とアイツに釘刺した。それでも、
いいのかよ?俺に任せて…と愚痴をこぼしたら、こんな俺にしがみ付く義隆がいた。
こいつがどんな風になるか、そして、こいつの氏族の宿命は…、
その運命を決める出来事が、これより12年後に起こる。
何も変わらないはずの17歳の夏に、その出会いはあった。義隆は木曾の山奥で武者修行、時おり、越後の与一ん所で弓道を教わり、越前まで足を伸ばしては禅修業の名目で兄 道元と将棋打ち…で、密かに兵法を教わって、その帰りには、越前の守護代になっていた斯波邸に立ち寄り、一つ下の親実(ちかざね)と、剣術稽古をつけてもらっていた。
しかし、この稽古が…多分、一番厳しい。親実の義父 池田が面倒見ているのだが「薬塗っとけば、治るでしょう」と、まったく容赦ないらしい。
そして、夏が来ると両親の霊を弔うために笹舟を三つ作り、木曽川で精霊流しする。
これは、こいつの、毎年の恒例行事だった。


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