ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

とある日の、小姓日記・岐阜

2011-09-24 | とある時代の小姓日記
奥方様の形見の黒髪だったのだ。
“たとえ天下を取ったとしても、妾は持たぬ”
明智様の愛妻家は有名だった。先妻 照子(てるこ)様は皆に優しく、配慮ある女性で、
蘭丸「…」今でも、愛していらっしゃる、と分かった。
ジーン、と鉄扇で打つ俺の手が鳴って、心まで響いて痛かった。
もちろん、これは、明智様のお心にも響いただろう。プライドの高い方でもある。
この事件がきっかけ…なのか、土岐氏族分家 明智光秀とその側近 斎藤利三(娘 斎藤 福は、後に春日局となり、家光の乳母になります)の策略で、
1582年 六月二一日、本能寺の変が起きた。起きるべきして、起きた事変で、
御屋形様の夢、天下布武(武により天下支配を終わらせ、泰平をもたらす)の道が、絶たれた。
本能寺を囲む、
蘭丸「明智の手のものです」
織田「是非に及ばず(仕方ない)」
蘭丸「…俺の、せいです」
織田「誰のせいでもない。逝くぞ」
蘭丸「はい」でも、俺は気付いて欲しかった。御屋形様の思いを…「無念です」
織田「お前が気付いた、それでいい」怪我をされた御屋形様は、本堂に向かわれ、俺は、
蘭丸「先に、逝きます」刀を抜いて「うぁぁ」走った。
泰平 平和のため、共に戦おうと約束したのに…悔しいです。
御屋形様が美濃を取り返されて、こう言われたんです。
織田「どうだ、蘭丸?」城の天守から城下町を眺め「これが、土岐さんの城で、」
土岐様が守護していた美濃の地…土岐(とき)様の故郷だからと、岐と阜(小郷)で、
「岐阜(ぎふ)城だ」御屋形様がそう名づけられた。
蘭丸「はい」城下町からの心地よい風を受けて「素晴らしい城からの眺めです」
岐阜…御屋形様が、明智様の先代御一族様を敬って付けた名…でも、御屋形様の思いは届かなかった。

ここから天下布武が始まったこと…気付いてもらえなかった。だから、
「御屋形様…先に逝って」ゴミ拾いして、きれいにして…「待ってます」

千歳の祈り空しく、白鶴の小姓 蘭丸「池…田様、気を、つけて…」ザッ、
俺は、弟二人と共に討ち取られた。
本名 森 成利(なりとし)享年17、ここで散る。


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