「今日は、昨日の「世界一の名セッター 猫田勝敏」の続きで猫田記念体育館を紹介しようかの」
「猫田記念体育館は、猫田選手の功績をたたえて1989年(平成元)、広島市南区皆実町(みなみまち)に建てられたんよね」
「広電の路面電車の皆実町6丁目電停から西側、御幸橋(みゆきばし)の方向にありますけんの」
猫田記念体育館
「1階にあるギャラリーには、写真や壁画や胸像、メダルのレプリカ、着用したユニフォームなどが展示されてあるんじゃ」
猫田勝敏君之像
「Vリーグ開幕前には、JTサンダーズの選手や監督・スタッフが、この胸像の前で必勝を誓うそうじゃ」
「JTサンダーズは、Vリーグで何回優勝しとってんかいね?」
「Vリーグの前身の日本リーグを含めて、6回準優勝しとってんじゃが、優勝はまだないんじゃ」
ユニフォーム
「足元に東京オリンピックの時のシューズが置いてあったんじゃ。サイズは25.0」
「えっ、そんなもん?」
「ほうじゃろ。身長が179センチあってじゃけん、足のサイズももう少し大きいんかと思うたんじゃ」
メダル(右から金銀銅の順)
「3個揃うと、やっぱりすごいね。これだけの成績を残しちゃったんじゃけ、いろんな賞をもろうとってじゃろうね」
「主なものは、以下のとおりじゃ」
1969年(昭和44) 第2回ワールドカップでベストセッター賞を受賞
1970年(昭和45) 第7回世界選手権でベスト6賞を受賞
1977年(昭和52) 第3回ワールドカップでトス賞を受賞
1980年(昭和55) 日本バレーボール協会よりバレーボール栄誉選手賞を受賞
1983年(昭和58) 紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章
1993年(平成5) 中華人民共和国よりオリンピック百年百傑を受賞
2001年(平成13) 国際バレーボール連盟より世界バレーボール20世紀の最優秀賞特別賞を受賞
「中国から贈られた「オリンピック百年百傑」って、何じゃろうか?」
「過去100年間のオリンピックで活躍し、かつスポーツの発展に貢献した世界で100人の有名スポーツ選手を表彰するというものじゃそうな。日本からは、全部で3人が選ばれとるんじゃ」
「へぇ。ほかに誰が選ばれたんかね?」
「オリンピックに3回出場し、金メダル8個を含む計12個のメダルを獲得した体操の加藤沢男(かとう さわお)氏。それから、ロサンゼルスオリンピックの柔道無差別級で金メダルを獲得し、国民栄誉賞も受賞した山下泰裕(やました やすひろ)氏も選ばれとるんよ」
「これくらいバレーに打ち込んどったら、家族サービスなんかできゃせんかったんじゃないんかね?」
「奥さんから、「1にバレー、2にバレー、3にバレー、最後くらいに私たち家族かな……」と言われたそうじゃ。そういや、家族にあてた手紙も展示されとったんじゃ」
「ふーん、どれどれ…。うん。うちゃ、この手紙がええね」
(略)
日本は暑いでしょう。
子どもは夏休みで遊ぶことにばかり気をとられているのではないかと思います。
午前中勉強しておけば、外で遊んで元気になるのならよいのですが。
暑い中で仕事も大変でしょうが、体が一番大切です。
疲れたようなら休んでもよいし十分気をつけてください。
禮子も元気で、子どもにも心配がない。
これが私の宝です。
家庭に不安があるとバレーどころではありません。
その点感謝しております。
安心してバレーをやっています。
留守が多くて寂しいと思いますが、苦しい後には楽しみがあるはずです。
21日に帰った後のスケジュールは考えてください。
残念ながらゆっくりはできないと思いますが、計画はまかせます。
桂子の誕生日はいませんが、忠明の誕生日にはいますので一緒にしましょう。
禮子へ
勝敏
(「1978年8月1日付 禮子夫人へあてた手紙より」家族への手紙 JTウェブサイト)
「手紙に出てくる桂子というのは長女で、忠明は末っ子で長男。あと、次女の優子と、3人の子どもがおられたんじゃ」
「奥さんが家庭をしっかりと守ってくれとるけん、猫田選手は安心してバレーに打ち込むことができたんじゃね。それをちゃーんと言葉にして、手紙に書いとってじゃ。「禮子も元気で、子どもにも心配がない。これが私の宝です」言うてね」
「な、なにをにらみつけとるんじゃ?」
「あんたも、たまにはこんな言葉を言うてみたらどうね!?」
「いやー、歯が浮いてしまうけんのう。あっ、痛て!」
「アタック! アタック!! アタック!!!」
「痛い! 痛い!! 助けてくれー!!!」
↓猫田記念体育館については、こちら↓
「猫田記念体育館」JTウェブサイト
↓JTサンダーズについては、こちら↓
「JTサンダーズ」JTウェブサイト
「今日は、猫田記念体育館について話をさせてもらいました。ぷんぷん」
「おー、痛てて…。ほいじゃあ、またの」
「猫田記念体育館は、猫田選手の功績をたたえて1989年(平成元)、広島市南区皆実町(みなみまち)に建てられたんよね」
「広電の路面電車の皆実町6丁目電停から西側、御幸橋(みゆきばし)の方向にありますけんの」
猫田記念体育館
「1階にあるギャラリーには、写真や壁画や胸像、メダルのレプリカ、着用したユニフォームなどが展示されてあるんじゃ」
猫田勝敏君之像
「Vリーグ開幕前には、JTサンダーズの選手や監督・スタッフが、この胸像の前で必勝を誓うそうじゃ」
「JTサンダーズは、Vリーグで何回優勝しとってんかいね?」
「Vリーグの前身の日本リーグを含めて、6回準優勝しとってんじゃが、優勝はまだないんじゃ」
ユニフォーム
「足元に東京オリンピックの時のシューズが置いてあったんじゃ。サイズは25.0」
「えっ、そんなもん?」
「ほうじゃろ。身長が179センチあってじゃけん、足のサイズももう少し大きいんかと思うたんじゃ」
メダル(右から金銀銅の順)
「3個揃うと、やっぱりすごいね。これだけの成績を残しちゃったんじゃけ、いろんな賞をもろうとってじゃろうね」
「主なものは、以下のとおりじゃ」
1969年(昭和44) 第2回ワールドカップでベストセッター賞を受賞
1970年(昭和45) 第7回世界選手権でベスト6賞を受賞
1977年(昭和52) 第3回ワールドカップでトス賞を受賞
1980年(昭和55) 日本バレーボール協会よりバレーボール栄誉選手賞を受賞
1983年(昭和58) 紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章
1993年(平成5) 中華人民共和国よりオリンピック百年百傑を受賞
2001年(平成13) 国際バレーボール連盟より世界バレーボール20世紀の最優秀賞特別賞を受賞
「中国から贈られた「オリンピック百年百傑」って、何じゃろうか?」
「過去100年間のオリンピックで活躍し、かつスポーツの発展に貢献した世界で100人の有名スポーツ選手を表彰するというものじゃそうな。日本からは、全部で3人が選ばれとるんじゃ」
「へぇ。ほかに誰が選ばれたんかね?」
「オリンピックに3回出場し、金メダル8個を含む計12個のメダルを獲得した体操の加藤沢男(かとう さわお)氏。それから、ロサンゼルスオリンピックの柔道無差別級で金メダルを獲得し、国民栄誉賞も受賞した山下泰裕(やました やすひろ)氏も選ばれとるんよ」
「これくらいバレーに打ち込んどったら、家族サービスなんかできゃせんかったんじゃないんかね?」
「奥さんから、「1にバレー、2にバレー、3にバレー、最後くらいに私たち家族かな……」と言われたそうじゃ。そういや、家族にあてた手紙も展示されとったんじゃ」
「ふーん、どれどれ…。うん。うちゃ、この手紙がええね」
(略)
日本は暑いでしょう。
子どもは夏休みで遊ぶことにばかり気をとられているのではないかと思います。
午前中勉強しておけば、外で遊んで元気になるのならよいのですが。
暑い中で仕事も大変でしょうが、体が一番大切です。
疲れたようなら休んでもよいし十分気をつけてください。
禮子も元気で、子どもにも心配がない。
これが私の宝です。
家庭に不安があるとバレーどころではありません。
その点感謝しております。
安心してバレーをやっています。
留守が多くて寂しいと思いますが、苦しい後には楽しみがあるはずです。
21日に帰った後のスケジュールは考えてください。
残念ながらゆっくりはできないと思いますが、計画はまかせます。
桂子の誕生日はいませんが、忠明の誕生日にはいますので一緒にしましょう。
禮子へ
勝敏
(「1978年8月1日付 禮子夫人へあてた手紙より」家族への手紙 JTウェブサイト)
「手紙に出てくる桂子というのは長女で、忠明は末っ子で長男。あと、次女の優子と、3人の子どもがおられたんじゃ」
「奥さんが家庭をしっかりと守ってくれとるけん、猫田選手は安心してバレーに打ち込むことができたんじゃね。それをちゃーんと言葉にして、手紙に書いとってじゃ。「禮子も元気で、子どもにも心配がない。これが私の宝です」言うてね」
「な、なにをにらみつけとるんじゃ?」
「あんたも、たまにはこんな言葉を言うてみたらどうね!?」
「いやー、歯が浮いてしまうけんのう。あっ、痛て!」
「アタック! アタック!! アタック!!!」
「痛い! 痛い!! 助けてくれー!!!」
↓猫田記念体育館については、こちら↓
「猫田記念体育館」JTウェブサイト
↓JTサンダーズについては、こちら↓
「JTサンダーズ」JTウェブサイト
「今日は、猫田記念体育館について話をさせてもらいました。ぷんぷん」
「おー、痛てて…。ほいじゃあ、またの」
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