通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

猿猴橋復元工事(その32)

2016年04月05日 | 広島の話題
猿猴橋復元工事

被爆70年事業

復元工事完了






↓前回記事は、こちら↓

猿猴橋復元工事(その31)





↓猿猴橋復元工事については、こちら↓

「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ





↓猿猴橋については、こちら↓

猿猴橋復元の会





猿猴川(えんこうがわ)は、

広島市内を流れる川の中で

一番東を流れる川。





その猿猴川に、江戸時代から架かる猿猴橋(えんこうばし)は、

今から90年前の1926年(大正15年)、

それまでの木橋から、鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。





その時、

親柱の上には地球儀の上にはばたく鷲の像が、

欄干には、照明灯と

2匹の猿が桃を捧げ持っている透かし彫りが取り付けられ

「広島一の豪華橋」と称えられたそうじゃ。





それが、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に出された

「金属類回収令」によって、

橋にあった金属の装飾部分はすべて供出されてしもうた。





その猿猴橋が、

昨年(2015年)8月から行われてきた復元工事で

在りし日の姿に復元されたというわけじゃ。





そして、3月28日(月)には

復元完成記念イベント

「えんこうさん」も行われた。







猿猴橋を西側から見たところ。







親柱の上には

地球儀の上にはばたく鷲の像が飾られた。







欄干には…、







照明灯と







2匹の猿が桃を捧げ持っている透かし彫り

が取り付けられた。





…ここまでが

今回の復元工事で復元されたところじゃ。







猿猴橋を東側から見たところ。







橋の東側下流に取り付けられた、

(手前から)かつての石製の親柱、

猿猴橋の案内板、

そして、頼 山陽(らい さんよう)が京都から広島に帰ってきたとき

作った詩が紹介されとるんじゃ。





石製の親柱は、戦時中、

金属の装飾部分が供出されたときに取り付けられたもので、

復元工事が始まるまではこれが親柱じゃったし、

わしはこの親柱しか見たことがなかった。





頼 山陽いうたら、幕末から明治初期の人々に大きな影響を与えた

『日本外史(にほんがいし)』という本を書いた、

江戸時代後期の日本を代表する、広島出身の漢学者じゃの。





↓頼 山陽については、こちら↓

頼山陽記念文化財団





↓頼 山陽についての関連記事は、こちら↓

頼山陽文徳殿 広島市南区比治山町







上流に架かる駅前大橋から見た猿猴橋。







下流に架かる荒神橋から見た猿猴橋。







橋の奥、画面中央に高くそびえる

広島駅前Bブロック西棟・シティタワー広島。





こちらは今年の8月に完成予定じゃそうな。





訪問日:2016年4月2日





今日は、復元工事が完了した猿猴橋について話をさせてもらいました。





復元工事が無事終わったので、

猿猴橋復元工事については

今回をもって終わりにしたいと思います。





書いている本人が、橋の名称や工事内容をよく理解していないため、

適当に書いている部分があります。

そこは後日、修正を入れていくつもりです。





今まで読んでいただき

ありがとうございました。





ほいじゃあ、またの。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 猿猴橋【花見に行こうや2016】 | トップ | JR広島駅北口改良工事(その19) »

コメントを投稿

広島の話題」カテゴリの最新記事