J1で7位(11月8日現在)と健闘しているサンフレッチェ。
【問題】
1993(平成5)年に行われたサンフレッチェ広島のJリーグ最初の公式戦で、記念すべきチーム初得点を決めた選手は誰でしょう?
1.佐藤寿人 2.風間八宏(やひろ) 3.ノ・ジュンユン 4.スチュワート・バクスター
【ヒント】
バクスターは監督じゃのう。
ひろしま通認定試験は2009(平成21)年12月6日(日)実施です。
【正解】
2.風間八宏
【解説】
1993(平成5)年5月15日、日本で初めてのプロサッカーリーグ・Jリーグが開幕した。
サンフレッチェ広島の最初の公式戦は、翌16日のジェフユナイテッド市原戦。
この試合で、開始1分後に記念すべき初ゴールを決めたのが、風間八宏。
これはサンフレッチェ広島のリーグ戦初ゴールであり、Jリーグ日本人第1号のゴールでもあった。
サンフレッチェ広島は、Jリーグ発足当時から加盟するクラブ「オリジナル10」のひとつ。
サンフレッチェの「サン」は日本語の「三」、「フレッチェ(複:frecce)」はイタリア語で矢を意味する。
広島・吉田荘の戦国大名・毛利元就の「三本の矢」の故事にちなむ。
サンフレッチェ広島の前身にあたる、東洋工業サッカー部の話からはじめようかの。
1938(昭和13)年、東洋工業蹴球部が創部。
1943(昭和18)年、太平洋戦争のため休部。
1947(昭和22)年、再スタート。
1954(昭和29)年、実業団として初めて天皇杯決勝に進出するも準優勝。
1965(昭和40)年からスタートした日本サッカーリーグ(JSL)にスタート時から8チームの一つとして参加。
同年、12勝2分け0敗で優勝。天皇杯も初優勝。
以降、1968(昭和43)年までの4年間でリーグ4連覇を達成、JSL27回の歴史で最多の5回の優勝を飾る。
1950年代から1960年代にかけては「広島サッカーの時代」であり、例えば、1968(昭和43)年のJSL登録選手は、2位の埼玉県(22人)を大きく引き離す43人とダントツ1位だった。
ところが1970年代から徐々に低迷し、1980年代に入ると2度にわたり2部へ降格する。
わしゃ、メキシコオリンピック(1968年)での銅メダルを知っとる世代で、アニメ『赤き血のイレブン』(1970年~)なんてのも見ておった。
小学・中学とサッカーをやっとった時期があって、1975年ころにJSLの試合を見に行ったことがあるんじゃが、観客が200人くらいしかおらんかった記憶がある。
(今のJリーグからは考えられん数字じゃ)
1981年から連載の始まった『キャプテン翼』。
これでサッカー人気が高まって、Jリーグへの下地もできたんじゃないんかの。
1982年には、元日本代表監督(ドーハの悲劇!)ハンス・オフトがコーチに就任したこともあるんよ。
1989(平成元)年、当時、独・ブンデスリーガでプレーしていた元日本代表の風間八宏を獲得。
1991(平成3)年、JSL1部復帰。Jリーグ加盟。
風間が入団と聞いたときは驚いた。「なんでこんな弱いチームに入ってくれたんかいの?」
そのころはサッカーでプロの選手は、ほとんどおらんかったけえの。
余談じゃが、1992年に広島県で開催された「AFCアジアカップ1992」で、日本が初優勝した。
最優秀選手は三浦知良(カズ)が選ばれたんよ。
カズは『ビートたけしのスポーツ大将』のサッカーの試合にも出たことがある。
この番組には他にも、セルジオ越後、奥寺康彦、明石家さんま、漫画家の望月三起也(みきや)なんかが出とった。
カズとゴン中山といった、J1当初からの選手が現役でがんばっとるのは、励みになりますのう。
1992(平成4)年、スチュワート・バクスターが監督に就任。
イワン・ハシェック、パベル・チェルニー、ノ・ジュンユン(盧廷潤)ら外国人を、フジタから高木琢也(アジアの大砲!)などを補強した。
1993(平成5)年、Jリーグ開幕。
1994(平成6)年、サントリーシリーズで初優勝を果たすも、チャンピオンシップでヴェルディ川崎に敗れる。
2003(平成15)年と2008(平成20)年、J2に降格するも、1年でJ1復帰。
2009(平成21)年11月8日現在、J1で7位。(勝数13、負数8、引分10、得失点差5)
オリジナル10の中で唯一、日本国内3大タイトル(Jリーグ(J1)年間、Jリーグカップ、天皇杯)を一度も獲得していないんじゃそうな。
高校サッカーもがんばっとることじゃし、サンフレッチェも何とかして欲しいもんじゃ。
といっても、応援に行く観客も少ないんじゃけえ、こっちも何とかせんにゃいけんのう。
最後になったが、佐藤寿人(ひさと)は、2005(平成17)年、2006(平成18)年の2年連続で日本人得点王になった。
今年は、日本人としては初の6年連続2ケタ得点を達成しとる。
11月18日のアジア・カップ最終予選の香港戦では、3年3カ月ぶりに代表戦で得点をあげた。
今回は、「ひろしまファンクラブ 第111号 平成19年10月4日(木)発行」から出題させてもらいました。感謝!
「ひろしま通」の過去問は、「ひろしまファンクラブ」というメールマガジンに出とります。このブログの問題はここから出題しますけぇ、興味のある人は、メールマガジンを取ってみんさい。
ほいじゃあ、またの。
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