猿猴橋復元工事
被爆70年事業
歩車道境界ブロックを設置
↓前回記事は、こちら↓
猿猴橋復元工事(その23)
大正浪漫 猿猴橋
被爆橋梁の一つである猿猴橋を
1926年(大正15年)当時の姿に復元します。
猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。
先週、紹介するのを忘れとったんじゃが、
川上側に歩車道境界ブロックが設置してあった。
歩車道境界ブロックいうのは、
車道と歩道の間にある、区切りの石のこと。
つまり、こちら側(川上側)が歩道になるようじゃ。
橋の両側にある親柱の裏側を見てみると、
今、欄干が取り付けられているところと、
今まで欄干が取り付けられていたところが違うとるのが分かる。
今まで欄干が取り付けられていたところの切り欠きが、
今、欄干が取り付けられているところの左側(川側)に
そのまま残されとる。
この切り欠き部分は、このまま残してんじゃろうか?
その親柱の上(写真右奥)には、猿猴橋の西側に飾ってある
地球儀の上で羽ばたく鷲の像(写真左手前)が飾られる予定じゃ。
今日は、とにかく風が強かった!
中国地方では、去年より8日も早く春一番が吹いたということじゃ。
↓春一番については、こちら↓
「2月14日 「中国地方の春一番」を発表しました。」広島地方気象台
橋の奥、画面中央に高くそびえるのが、
広島駅前Bブロック西棟。
今は49~50階あたりを建設中じゃった。
↓猿猴橋復元工事については、こちら↓
「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ
↓猿猴橋については、こちら↓
猿猴橋復元の会
訪問日:2016年2月14日
今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。
ほいじゃあ、またの。
被爆70年事業
歩車道境界ブロックを設置
↓前回記事は、こちら↓
猿猴橋復元工事(その23)
大正浪漫 猿猴橋
被爆橋梁の一つである猿猴橋を
1926年(大正15年)当時の姿に復元します。
猿猴橋(えんこうばし)を西側から見たところ。
先週、紹介するのを忘れとったんじゃが、
川上側に歩車道境界ブロックが設置してあった。
歩車道境界ブロックいうのは、
車道と歩道の間にある、区切りの石のこと。
つまり、こちら側(川上側)が歩道になるようじゃ。
橋の両側にある親柱の裏側を見てみると、
今、欄干が取り付けられているところと、
今まで欄干が取り付けられていたところが違うとるのが分かる。
今まで欄干が取り付けられていたところの切り欠きが、
今、欄干が取り付けられているところの左側(川側)に
そのまま残されとる。
この切り欠き部分は、このまま残してんじゃろうか?
その親柱の上(写真右奥)には、猿猴橋の西側に飾ってある
地球儀の上で羽ばたく鷲の像(写真左手前)が飾られる予定じゃ。
今日は、とにかく風が強かった!
中国地方では、去年より8日も早く春一番が吹いたということじゃ。
↓春一番については、こちら↓
「2月14日 「中国地方の春一番」を発表しました。」広島地方気象台
橋の奥、画面中央に高くそびえるのが、
広島駅前Bブロック西棟。
今は49~50階あたりを建設中じゃった。
↓猿猴橋復元工事については、こちら↓
「猿猴橋復元事業について」広島市ホームページ
↓猿猴橋については、こちら↓
猿猴橋復元の会
訪問日:2016年2月14日
今日は、猿猴橋で行われている復元工事について話をさせてもらいました。
ほいじゃあ、またの。
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