「明治時代後期の広島の名所30ヶ所をめぐる広島名所双六(すごろく。発行:明治35年)を紹介しているこのシリーズ」
「前回は1番目、振り出しの厳島じゃったね」
「今回は2番目の中国牧畜合資会社じゃ」
「中国牧畜合資会社?」
「いろいろと探してはみたんじゃが、「中国牧畜合資会社」という会社を見つけることはできんかった」
「…で?」
「その代わりいうちゃなんじゃが、「広島合資ミルク会社」いう似た名前の会社があったけぇ、今回はこれで話を進めていこうと思う」
↓広島市郷土資料館については、こちら↓
広島市郷土資料館
↓前回、厳島についての記事は、こちら↓
広島名所双六(その1)~厳島
「広島合資ミルク会社って?」
「広島でミルク、牛乳・乳製品関係の会社で思いつくのは?」
「ヨーグルトで有名な、チチヤス!」
「そのとおり! チチヤスといえば、今から101年前の1917年(大正6)、日本で初めてヨーグルトを発売した会社じゃの」
「…のは知っとるけど、広島合資ミルク会社という社名じゃったいうのは知らんかったねぇ」
「わしも知らんかった。この会社は1886年(明治19)、出資者8人、出資金1,600円で広島合資ミルク会社として創業。広島市中区にある広瀬小学校あたりで6頭の乳牛を飼育したのが始まりじゃそうな」
「え、あんな街中で牛を飼いよっちゃったん?」
「その理由は後で話すとして…。会社の運営は、野村 保(のむら たもつ)という方に一任されとったそうじゃ」
「野村 保さん?」
「保さんは幕末の嘉永6年(1853)生まれで、もともとは「保兵衛(やすべえ)」という名前じゃった」
「その保兵衛さんが、なんで保という名前に?」
「時代は江戸から明治へと移った」
「明治といえば、文明開化」
「新しいものに関心が強かった保兵衛さん、近代的な名前にしようと「保」に改名された」
「ふぅん」
「明治という新しい時代。これからは洋風の生活が普及していくと考えた保さんは、牛乳の商品化に出資、事業として始められたそうじゃ」
「今はお店で牛乳を売って飲んどるけど、明治時代の人って牛乳を飲みよっちゃったんかね?」
「…どう思う?」
「う~ん。…そういや、肉食(にくしょく)って明治になってが始まったんじゃったよね?」
「そう。仏教が日本に伝わってから江戸時代まで、動物の肉を食べることが禁じられとった」
「ということは、牛乳も飲んでなかった?」
「牛乳も飲んどらんかった」
「それじゃ、牛乳の販売には苦労されたじゃろうね」
「1890年(明治23)ころから、広島病院(現:県立広島病院。1877年開院)や広島師範学校(広島大学の前身。1874年設置)などから注文を受けるようになった」
「病院や学校で牛乳を飲み始めたんじゃね」
「1894年(明治27)、日清戦争が起こって大本営が広島に置かれ、明治天皇が広島に来られた。その明治天皇が牛乳を好まれたという話が広島市民に伝わった」
「それで牛乳が広島市民にも普及した?」
「そのほかにもいろんな理由があったんじゃろうが、牛乳が売れるようになって、会社の経営基盤が安定してきた。1904年(明治37)、社名を「広島合資ミルク会社」から「チチヤス」に変えて、合資会社から野村一族による同族経営になった」
「どういう理由で「チチヤス」という社名になったんじゃろ?」
「広島合資ミルク会社時代、会社の運営を一任された方といえば?」
「野村 保さん」
「牛の「チチ」に、野村 保の「保(たもつ)」を「ヤス」と読んで、「チチ」プラス「ヤス」で?」
「チチ+ヤス=チチヤス。…そういうこと?」
「らしいで」
「うーん。ちょっとガッカリ」
「それはともかく、市内にあった牧場を郊外、宮島の対岸にあたる佐伯郡大野村字対厳山(たいげんざん。現:廿日市市大野町)、かつてのチチヤスハイパークがあった場所に移したんじゃ」
「今のちゅーピーパークがあるところじゃね。でも、なんで市内にあった牧場を郊外に移しちゃったんじゃろ? 市内に牧場があった方が、搾乳から販売まで有利じゃと思うけど」
「それはの、内務省が1900年(明治33)に「牛乳営業取締規則」という法律を出したのが関係してくる」
「牛乳営業取締規則?」
「市内で人家が密集したところに牧場があるのは不衛生であるから、牧場は郡部へ移して、処理や配達を市内で行うように、というものじゃ」
「それで牧場が市内から郊外に移ったんじゃね」
「その牧場内で「清果園」という果樹園も始められた」
「果樹園?」
「ここは後に「チチヤス梅林」として親しまれるようになったというそうじゃ」
「これが広島の名所になっていったんじゃろうね」
↓チチヤスについては、こちら↓
チチヤスヨーグルト
【参考文献】
田辺良平『広島産業界先駆け者伝-時代の先頭を走った人たち-』春秋社 2013年1月
小菅桂子『にっぽん洋食物語大全』ちくま文庫 2017年8月
「今日は、「中国牧畜合資会社」の代わりに「広島合資ミルク会社」について話をさせてもらいました」
「次回は、3番目・宇品港(うじなこう。現:広島港)の予定じゃ」
「♪宇品の港から 旅立つのさ~(歌:南一誠。作詞・作曲:あきたかし)」
「ほいじゃあ、またの」
「前回は1番目、振り出しの厳島じゃったね」
「今回は2番目の中国牧畜合資会社じゃ」
「中国牧畜合資会社?」
「いろいろと探してはみたんじゃが、「中国牧畜合資会社」という会社を見つけることはできんかった」
「…で?」
「その代わりいうちゃなんじゃが、「広島合資ミルク会社」いう似た名前の会社があったけぇ、今回はこれで話を進めていこうと思う」
↓広島市郷土資料館については、こちら↓
広島市郷土資料館
↓前回、厳島についての記事は、こちら↓
広島名所双六(その1)~厳島
「広島合資ミルク会社って?」
「広島でミルク、牛乳・乳製品関係の会社で思いつくのは?」
「ヨーグルトで有名な、チチヤス!」
「そのとおり! チチヤスといえば、今から101年前の1917年(大正6)、日本で初めてヨーグルトを発売した会社じゃの」
「…のは知っとるけど、広島合資ミルク会社という社名じゃったいうのは知らんかったねぇ」
「わしも知らんかった。この会社は1886年(明治19)、出資者8人、出資金1,600円で広島合資ミルク会社として創業。広島市中区にある広瀬小学校あたりで6頭の乳牛を飼育したのが始まりじゃそうな」
「え、あんな街中で牛を飼いよっちゃったん?」
「その理由は後で話すとして…。会社の運営は、野村 保(のむら たもつ)という方に一任されとったそうじゃ」
「野村 保さん?」
「保さんは幕末の嘉永6年(1853)生まれで、もともとは「保兵衛(やすべえ)」という名前じゃった」
「その保兵衛さんが、なんで保という名前に?」
「時代は江戸から明治へと移った」
「明治といえば、文明開化」
「新しいものに関心が強かった保兵衛さん、近代的な名前にしようと「保」に改名された」
「ふぅん」
「明治という新しい時代。これからは洋風の生活が普及していくと考えた保さんは、牛乳の商品化に出資、事業として始められたそうじゃ」
「今はお店で牛乳を売って飲んどるけど、明治時代の人って牛乳を飲みよっちゃったんかね?」
「…どう思う?」
「う~ん。…そういや、肉食(にくしょく)って明治になってが始まったんじゃったよね?」
「そう。仏教が日本に伝わってから江戸時代まで、動物の肉を食べることが禁じられとった」
「ということは、牛乳も飲んでなかった?」
「牛乳も飲んどらんかった」
「それじゃ、牛乳の販売には苦労されたじゃろうね」
「1890年(明治23)ころから、広島病院(現:県立広島病院。1877年開院)や広島師範学校(広島大学の前身。1874年設置)などから注文を受けるようになった」
「病院や学校で牛乳を飲み始めたんじゃね」
「1894年(明治27)、日清戦争が起こって大本営が広島に置かれ、明治天皇が広島に来られた。その明治天皇が牛乳を好まれたという話が広島市民に伝わった」
「それで牛乳が広島市民にも普及した?」
「そのほかにもいろんな理由があったんじゃろうが、牛乳が売れるようになって、会社の経営基盤が安定してきた。1904年(明治37)、社名を「広島合資ミルク会社」から「チチヤス」に変えて、合資会社から野村一族による同族経営になった」
「どういう理由で「チチヤス」という社名になったんじゃろ?」
「広島合資ミルク会社時代、会社の運営を一任された方といえば?」
「野村 保さん」
「牛の「チチ」に、野村 保の「保(たもつ)」を「ヤス」と読んで、「チチ」プラス「ヤス」で?」
「チチ+ヤス=チチヤス。…そういうこと?」
「らしいで」
「うーん。ちょっとガッカリ」
「それはともかく、市内にあった牧場を郊外、宮島の対岸にあたる佐伯郡大野村字対厳山(たいげんざん。現:廿日市市大野町)、かつてのチチヤスハイパークがあった場所に移したんじゃ」
「今のちゅーピーパークがあるところじゃね。でも、なんで市内にあった牧場を郊外に移しちゃったんじゃろ? 市内に牧場があった方が、搾乳から販売まで有利じゃと思うけど」
「それはの、内務省が1900年(明治33)に「牛乳営業取締規則」という法律を出したのが関係してくる」
「牛乳営業取締規則?」
「市内で人家が密集したところに牧場があるのは不衛生であるから、牧場は郡部へ移して、処理や配達を市内で行うように、というものじゃ」
「それで牧場が市内から郊外に移ったんじゃね」
「その牧場内で「清果園」という果樹園も始められた」
「果樹園?」
「ここは後に「チチヤス梅林」として親しまれるようになったというそうじゃ」
「これが広島の名所になっていったんじゃろうね」
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チチヤスヨーグルト
【参考文献】
田辺良平『広島産業界先駆け者伝-時代の先頭を走った人たち-』春秋社 2013年1月
小菅桂子『にっぽん洋食物語大全』ちくま文庫 2017年8月
「今日は、「中国牧畜合資会社」の代わりに「広島合資ミルク会社」について話をさせてもらいました」
「次回は、3番目・宇品港(うじなこう。現:広島港)の予定じゃ」
「♪宇品の港から 旅立つのさ~(歌:南一誠。作詞・作曲:あきたかし)」
「ほいじゃあ、またの」
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