この間、寺町から城南通りを通って帰りよった時に、空鞘橋(そらざやばし)の東側、中央公園の本川(ほんかわ)沿いに、へんてこりんな鳥のモニュメントを見つけたんじゃけど、ありゃ何じゃろか?」
「あれは鯤(こん)というての、中国の古い書物に書かれた架空の生き物じゃそうな」
鯤
「鯤!? 魚偏(さかなへん)の漢字じゃけぇ、魚じゃないん?」
「魚なんじゃが、途中で鳥に変身するそうじゃ」
「鳥に?」
北(きた)の冥(うみ)に魚あり。
其(そ)の名を鯤(こん)と為す(鯤という)。
鯤の大きさ、その幾千里なるかを知らざる也。
化して(形が変わって)鳥と為るや、其の名を鵬(ほう)と為す。
鵬の背、その幾千里なるかを知らざる也。
怒(ど)して(奮い立って)飛べば、
其の翼(つばさ)(は)垂天(すいてん。空一杯)の雲(くも)のごとし。
是(こ)の鳥や、海の運(うご)く(嵐で海が荒れる)とき
即ち将に南(みなみ)の冥(うみ)に徒(うつ)らんとす(天翔(あまかけ)る)。
南(みなみ)の冥(うみ)とは天(てん)の池(いけ)なり。
鵬が南(みなみ)の冥(うみ)に徒るや
水に撃(う)つ(海上を滑走して浪立てる)こと三千里。
つむじ風に搏(う)ちて(羽ばたきをして)上(のぼ)ること九万里。
去るに六月の息(いき)を以(もっ)てする(六月の暴風に乗って飛び去る)者也。
「荘子」逍遥遊篇より
製作 栄久庵憲司
中国の古い書物に、鯤(こん)という巨大な魚が大きな鳥に変身して翼を空一杯に広げて飛び立つという話が記されています。
このモニュメントは、鯤を素材として、21世紀に向かって大きく羽ばたく広島をイメージして作成されたものです。
’89海と島の博覧会・ひろしまの開催を記念して設置
広島市
(案内板より)
鯤の案内板
「むかし、北の海に鯤という魚がいた。
その大きさは何千里あるのか見当もつかないくらいだ。
鯤が化身すると鵬という鳥になる。
鵬の背中の大きさも何千里あるか分からない。
鵬が翼を広げて飛びたつと、空一面を覆う雲のようである。
海が荒れる季節、鵬は南の海(天の池)を目指して飛び立つ。
海の上を羽ばたきながら3,000里飛び、つむじ風を羽で打って9万里ほど上がる。
鵬は南の海に着くまでの6カ月間、休むことなく飛び続ける。
…だいたいこんな内容かの」
「何千里、何万里いうて、中国らしい壮大な話じゃね」
「白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)の世界じゃもんの」
「魚の「鯤」が鳥になったら「鵬」と名前が変わるんじゃね。鵬いうたら、「巨人・大鵬・卵焼き」の横綱・大鵬もここから名前を取っとるんかね?」
「そのとおり。大鵬という四股名(しこな)はこの話から取っとるんじゃそうな」
大鵬という彼の四股名は、中国の古典「荘子」にある、翼を広げると三千里、ひと飛びで九万里の天空へ飛翔すると言われる伝説上の巨大な鳥に由来する。
この四股名は、師匠二所ノ関(にしょのせき)が最も有望な弟子に付けるべく温存していたものであり、その点では師匠の期待以上によく育ったと言える。
(「大鵬幸喜」ウィキペディア)
「ついでに言うと、大鵬薬品という社名もこの話から取っとるそうじゃ」
社名は横綱・大鵬幸喜の名前にちなんだものではなく、荘子の逍遙遊の鵬について書かれた一説に由来する(ただし本社の大代表の電話番号は横綱の語呂合わせ4527となっている)。
(「大鵬薬品工業株式会社」ウィキペディア)
「なるほど。名前の由来を調べてみたら、けっこう面白いね。ほいで、このモニュメントを作られたのは誰?」
「栄久庵憲司(えくあん けんじ)という、工業デザイナーの方じゃ」
「工業デザイナーか。どんな物をデザインをされとってんかね?」
「一番有名なのが、これじゃろうの」
「これって、どれ?」
「目の前にあるじゃん」
キッコーマンしょうゆ卓上びん
「…キッコーマンのしょうゆびん?」
「ピンポーン! 正解じゃ」
首が細く、底に丸く広がっているガラスびん。
世界各国のレストラン、ご家庭で親しまれているこのフォルムが誕生したのは1961年のことでした。
デザインを担当したのは、GKインダストリアルデザイン研究所の社長、栄久庵憲司さんらのグループ。
栄久庵さんは現在、日本の工業デザイナーの第一人者として世界的に知られる存在で、「成田エクスプレス」のデザインも手がけています。
商品開発当時、最大の難題は「液だれ」でした。
注ぐために傾け、それを元に戻すと注ぎ口からもれてしまう。
そのため、しょうゆさしには必ず受け皿が添えられているものが多かったのです。
100以上の試作と思考錯誤を繰り返した末に、とうとう誕生したのが現在の液だれしない形です。
人間工学に基づきながら、握りやすさ・安定感などの機能性も追求し、さらには親しみやすく美しいデザイン。
1993年には通商産業省の「グッド・デザインマーク商品」に選定されました。
発売当初から改良の余地のない完璧なデザインがロングセラーという結果を生み出しているようです。
(「しょうゆのおいしい話」キッコーマン)
「へぇ、メーカーの人じゃのうて、デザイナーの方がデザインされたんじゃね」
「それまでのしょうゆ差しは、しょうゆを注ぐたびに垂れよったけぇ、容器やテーブルを汚しよったんじゃそうな」
「それで、液だれせんような構造を考えちゃったんじゃ。「100以上の試作と思考錯誤を繰り返した」って、すごい努力をしとってんじゃね」
「で、どうやって液だれを防いだか知っとる?」
「注ぎ口の下側をカットしちゃったんよね。こうすることで、しょうゆが下に垂れることがなくなったんじゃと」
「おぉ、さすがは主婦。よう知っとるのう」
「これくらい、常識じゃん」
「あと、それまで陶器製じゃったのを透明ガラスにしたけぇ、残量が一目で分かるようになったんじゃと」
「1961年じゃけぇ、もう50年も使われとるんじゃね」
「発売開始から一度もデザインを変えとらん、文字どおりロングセラー商品じゃのう」
↓栄久庵憲司については、こちら↓
GK Design Soken Hiroshima Inc.
↓キッコーマンについては、こちら↓
キッコーマン ホームページ
↓グッド・デザインマーク商品については、こちら↓
Good Design Award
「今日は、中央公園にある鯤と、それをデザインされた栄久庵憲司さんについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「あれは鯤(こん)というての、中国の古い書物に書かれた架空の生き物じゃそうな」
鯤
「鯤!? 魚偏(さかなへん)の漢字じゃけぇ、魚じゃないん?」
「魚なんじゃが、途中で鳥に変身するそうじゃ」
「鳥に?」
北(きた)の冥(うみ)に魚あり。
其(そ)の名を鯤(こん)と為す(鯤という)。
鯤の大きさ、その幾千里なるかを知らざる也。
化して(形が変わって)鳥と為るや、其の名を鵬(ほう)と為す。
鵬の背、その幾千里なるかを知らざる也。
怒(ど)して(奮い立って)飛べば、
其の翼(つばさ)(は)垂天(すいてん。空一杯)の雲(くも)のごとし。
是(こ)の鳥や、海の運(うご)く(嵐で海が荒れる)とき
即ち将に南(みなみ)の冥(うみ)に徒(うつ)らんとす(天翔(あまかけ)る)。
南(みなみ)の冥(うみ)とは天(てん)の池(いけ)なり。
鵬が南(みなみ)の冥(うみ)に徒るや
水に撃(う)つ(海上を滑走して浪立てる)こと三千里。
つむじ風に搏(う)ちて(羽ばたきをして)上(のぼ)ること九万里。
去るに六月の息(いき)を以(もっ)てする(六月の暴風に乗って飛び去る)者也。
「荘子」逍遥遊篇より
製作 栄久庵憲司
中国の古い書物に、鯤(こん)という巨大な魚が大きな鳥に変身して翼を空一杯に広げて飛び立つという話が記されています。
このモニュメントは、鯤を素材として、21世紀に向かって大きく羽ばたく広島をイメージして作成されたものです。
’89海と島の博覧会・ひろしまの開催を記念して設置
広島市
(案内板より)
鯤の案内板
「むかし、北の海に鯤という魚がいた。
その大きさは何千里あるのか見当もつかないくらいだ。
鯤が化身すると鵬という鳥になる。
鵬の背中の大きさも何千里あるか分からない。
鵬が翼を広げて飛びたつと、空一面を覆う雲のようである。
海が荒れる季節、鵬は南の海(天の池)を目指して飛び立つ。
海の上を羽ばたきながら3,000里飛び、つむじ風を羽で打って9万里ほど上がる。
鵬は南の海に着くまでの6カ月間、休むことなく飛び続ける。
…だいたいこんな内容かの」
「何千里、何万里いうて、中国らしい壮大な話じゃね」
「白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)の世界じゃもんの」
「魚の「鯤」が鳥になったら「鵬」と名前が変わるんじゃね。鵬いうたら、「巨人・大鵬・卵焼き」の横綱・大鵬もここから名前を取っとるんかね?」
「そのとおり。大鵬という四股名(しこな)はこの話から取っとるんじゃそうな」
大鵬という彼の四股名は、中国の古典「荘子」にある、翼を広げると三千里、ひと飛びで九万里の天空へ飛翔すると言われる伝説上の巨大な鳥に由来する。
この四股名は、師匠二所ノ関(にしょのせき)が最も有望な弟子に付けるべく温存していたものであり、その点では師匠の期待以上によく育ったと言える。
(「大鵬幸喜」ウィキペディア)
「ついでに言うと、大鵬薬品という社名もこの話から取っとるそうじゃ」
社名は横綱・大鵬幸喜の名前にちなんだものではなく、荘子の逍遙遊の鵬について書かれた一説に由来する(ただし本社の大代表の電話番号は横綱の語呂合わせ4527となっている)。
(「大鵬薬品工業株式会社」ウィキペディア)
「なるほど。名前の由来を調べてみたら、けっこう面白いね。ほいで、このモニュメントを作られたのは誰?」
「栄久庵憲司(えくあん けんじ)という、工業デザイナーの方じゃ」
「工業デザイナーか。どんな物をデザインをされとってんかね?」
「一番有名なのが、これじゃろうの」
「これって、どれ?」
「目の前にあるじゃん」
キッコーマンしょうゆ卓上びん
「…キッコーマンのしょうゆびん?」
「ピンポーン! 正解じゃ」
首が細く、底に丸く広がっているガラスびん。
世界各国のレストラン、ご家庭で親しまれているこのフォルムが誕生したのは1961年のことでした。
デザインを担当したのは、GKインダストリアルデザイン研究所の社長、栄久庵憲司さんらのグループ。
栄久庵さんは現在、日本の工業デザイナーの第一人者として世界的に知られる存在で、「成田エクスプレス」のデザインも手がけています。
商品開発当時、最大の難題は「液だれ」でした。
注ぐために傾け、それを元に戻すと注ぎ口からもれてしまう。
そのため、しょうゆさしには必ず受け皿が添えられているものが多かったのです。
100以上の試作と思考錯誤を繰り返した末に、とうとう誕生したのが現在の液だれしない形です。
人間工学に基づきながら、握りやすさ・安定感などの機能性も追求し、さらには親しみやすく美しいデザイン。
1993年には通商産業省の「グッド・デザインマーク商品」に選定されました。
発売当初から改良の余地のない完璧なデザインがロングセラーという結果を生み出しているようです。
(「しょうゆのおいしい話」キッコーマン)
「へぇ、メーカーの人じゃのうて、デザイナーの方がデザインされたんじゃね」
「それまでのしょうゆ差しは、しょうゆを注ぐたびに垂れよったけぇ、容器やテーブルを汚しよったんじゃそうな」
「それで、液だれせんような構造を考えちゃったんじゃ。「100以上の試作と思考錯誤を繰り返した」って、すごい努力をしとってんじゃね」
「で、どうやって液だれを防いだか知っとる?」
「注ぎ口の下側をカットしちゃったんよね。こうすることで、しょうゆが下に垂れることがなくなったんじゃと」
「おぉ、さすがは主婦。よう知っとるのう」
「これくらい、常識じゃん」
「あと、それまで陶器製じゃったのを透明ガラスにしたけぇ、残量が一目で分かるようになったんじゃと」
「1961年じゃけぇ、もう50年も使われとるんじゃね」
「発売開始から一度もデザインを変えとらん、文字どおりロングセラー商品じゃのう」
↓栄久庵憲司については、こちら↓
GK Design Soken Hiroshima Inc.
↓キッコーマンについては、こちら↓
キッコーマン ホームページ
↓グッド・デザインマーク商品については、こちら↓
Good Design Award
「今日は、中央公園にある鯤と、それをデザインされた栄久庵憲司さんについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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