通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

「ミスター赤ヘル」と呼ばれた、広島東洋カープの元選手は誰?

2009年12月19日 | スポーツ

今日、12月19日(土)の午後2時から、広島東洋カープ誕生60年を祝う「おめでとう!市民の球団還暦60年祭」が、広島市南区のJR広島駅南口地下広場であるそうじゃ。
長谷部稔(はせべ みのる。広島県出身)、阿南準郎(あなん じゅんろう。大分県佐伯市出身)、達川光男(たつかわ みつお。広島市出身)、大野豊(ゆたか。島根県出身)など、往年の名選手が出演予定とのこと。
わしゃ、用事があって見にいけんのじゃが、時間のある方は、ぜひ見に行ってください。

↓くわしくは、こちら↓
「カープ誕生60年で19日祭り」中国新聞社



【問題】
2008(平成20)年、日本の野球の発展に大きく貢献した選手などを顕彰する野球殿堂に入った「ミスター赤ヘル」と呼ばれた広島東洋カープの元選手は誰でしょう?

1.鶴岡一人  2.山本浩二  3.石本秀一  4.衣笠祥雄


【ヒント】
「ミスター赤ヘル」いうたら、あの人しかおらんじゃろ?!






【正解】
2.山本浩二


【解説】
野球殿堂は、日本の野球の発展に大きな貢献をした方々の功績を永久に讃え、顕彰するために1959(昭和34)年に創立されました。
野球発祥の地である米国では、1939(昭和14)年に野球殿堂が創設され、日本の殿堂の20年先輩になります。
「殿堂」とは英語では、"Hall of Fame"といわれ、直訳すると「名誉の殿堂」という意味になります。
殿堂入りされた方々の表彰レリーフ(ブロンズ製胸像額)を、野球体育博物館内の殿堂ホールに掲額し、永久にその名誉を讃えます。
「野球殿堂とは?」財団法人野球体育博物館)



山本浩二(=ミスター赤ヘル)は広島市佐伯区出身で、野球では全く無名の廿日市高校3年の時、主将として広島県予選を勝ち進むが、準決勝で広陵(こうりょう)高校に敗れる。
その後、法政大学に進み、田淵幸一(たぶち こういち)、富田勝(まさる)と共に「法大三羽ガラス」と呼ばれた。

1969(昭和44)年、ドラフト1位で広島カープに入団。
名前を「浩司」から「浩二」に変えた1975(昭和50)年には4番に定着。
30本塁打を放ち、首位打者・MVPなどを獲得、初優勝に貢献する。

優勝を決めた巨人戦(後楽園)での、男泣きした姿が忘れられませんのう。

その後も活躍し、走攻守と三拍子揃った選手として、衣笠祥雄(きぬがさ さちお)、三村敏之(としゆき)、水谷実雄(じつお)らと共に広島カープ黄金時代を築く。
1986(昭和61)年、リーグ優勝を花道に、40歳で現役を引退。
本塁打王を4回、打点王を3回獲得、ベストナインに10回選ばれ、ゴールデングラブ賞は10年連続で受賞している。

1989(平成元)年~1993(平成5)年、2001(平成13)年~2005(平成17)年の2度、計10年にわたって監督を務めた。

広島カープの6度のリーグ優勝(1975年、1979年、1980年、1984年、1986年、1991年)には、選手・監督として山本浩二がかかわっていたことになる。

背番号8は、衣笠の背番号3とともに、広島カープの永久欠番。

2008(平成20)年に野球殿堂入りされました。


選択肢1の鶴岡一人(かずと。山口県大島郡生まれ、呉市育ち。初代ミスターホークス)は1965(昭和40)年に、

選択肢3の石本秀一(広島市出身。広島カープ初代監督)は1972(昭和47)年に、

選択肢4の衣笠祥雄(京都市出身。「鉄人」)は1996(平成8)年に、

それぞれ野球殿堂入りされとります。

衣笠祥雄は、2131試合連続出場の世界新記録を樹立したことで、1987(昭和62)年に国民栄誉賞を受賞されとります。


その他、広島カープの選手や広島県出身の選手では、以下の方々が野球殿堂入りされとります。

1974(昭和49)年、藤村富美男(ふみお。呉市出身。鶴岡一人と同級生。初代ミスタータイガース)

1985(昭和60)年、白石勝巳(かつみ。広島市出身。広島カープ選手・監督)

1990(平成2)年、張本勲(いさお。広島市出身。通算3085安打の日本記録を持っていたが、2009年4月、イチローに抜かれた)

1992(平成4)年、広岡達朗(たつろう。呉市出身。広島カープ選手・コーチ)

1999(平成11)年、古葉竹識(こば たけし。熊本市出身。広島カープ初優勝監督)と広瀬叔功(よしのり。廿日市市出身。南海ホークス選手)

2001(平成13)年、長谷川良平(りょうへい。愛知県半田市出身。広島カープ選手・監督)

2002(平成14)年、山内一弘(愛知県一宮市出身。広島カープ選手。背番号8は、山内から山本浩二に引き継がれた)

2003(平成15)年、上田利治(としはる。徳島県海部郡出身。広島カープ選手)

2005(平成17)年、村田兆治(ちょうじ。広島県出身。「マサカリ投法」)


わしにとっちゃ、カープ関係の人では、長谷川良平が一番身近な存在じゃった。
わしの生まれた1963(昭和38)年に引退しとってじゃけえ、現役時代は全く知らんし、「小さな大投手」といわれても、わからん。
が、RCC(中国放送)ラジオの野球解説にたびたび登場したので、声だけはよう覚えとる。
特に、カープが初優勝した時のラジオ実況を務めた上野隆紘(たかひろ)との、掛け合い漫才のような、不真面目なようで真面目な実況中継が好きじゃった。


野球殿堂の話に戻りますが、野球殿堂には「競技者表彰」と「特別表彰」の2つがある。
長谷川良平だけが「特別表彰」で、それ以外の方は「競技者表彰」で野球殿堂入りされとります。


今日は、広島カープ、広島県出身の野球選手と野球殿堂について勉強をさせてもらいました。
野球殿堂の「競技者表彰」全74名のうち、広島県出身者が7名いることを、今日初めて知りました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。


今回は、「ひろしまファンクラブ 第218号 平成21年(2009年)12月17日(木)発行」から出題させてもらいました。感謝!


「ひろしま通」の過去問は、「ひろしまファンクラブ」というメールマガジンに出とります。


ほいじゃあ、またの。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする