運動会の季節です。
ここでは、家の中に居ても暖房を入れて靴下を履くようになりました。
小さい頃育った広島の島では、運動会の時裸足で走りました。
季節感がずいぶん違うんだなと改めて思います。
空き家に放置していた冷蔵庫を、やっと清潔にして使うことにしました。
採れすぎた果物をジャムにし、たくさんの野菜を漬物にします。
小さくはない我が家の冷蔵庫が、常に満杯状態でした。
片付けるのが下手なのもありますが、保存するものが多いようにも思います。
産直で買う野菜の1パックの量が、二人には過ぎるのでしょう。
今日のテーマは、「簡単なものは、何一つない」です。
プロジェクトでは、工程表(スケジュール)を最初に作ります。
よって、何が起こり何をしなければならないか、およそ予想がついています。
今は、自分でテーマを考え自分が実行する仕事です。
したがって、お願いした分だけ、自分の仕事量も増えていきます。
言ってみれば終わり(完成形)が見えない仕事(種類)であり量です。
重荷に感じることがあります。
野菜を作るのは、枯れたものの片づけと種や苗の植え付けが同時に行われます。
土を休ませたり、肥料を加えて土を再生するのがその間に入ります。
所謂休みがない仕事です。
相手は自然です。時として、順番を狂わせることもあります。
同じこと(終わりがない)のように思うのですが、少し違います。
自分の責任で完結しないところです。相手が人であることです。
誰かに頼めばいつしか回答があり、何かをしなければならない。
都度、誰かと話さ(コミュニケーションをとら)なければなりません。
人と話すことは、嫌いではありません。
人の都合まで考えなければならないことが、今の仕事を重くしています。
若い人が、躓きやすいのはこのことです。
がむしゃらにやっても済まないことです。
一つずつほぐして、一つずつ紡いでいかなければなりません。
人との関係のことです。
私は、重いなと感じたら、後回しにします。
何時このことを改めて考え実行するかだけを決めます。
その時までは、簡単で好きなことをやります。
そのうち、重そうに見えていたものが、案外できることじゃないかと思い始めます。
冷静になった証拠です。
「簡単なことは、何一つない」と感じるようになったのは、
きっと身体が思うように動かなくなったことを知ったからでしょう。
人間関係は、殊のほか微妙だと思うようになってからでしょう。
大事なことは、日が明けぬことはない(苦労は報われる)と実感することです。
自分にはこれしかないと諦めることです。
毎日、ご飯を炊いておかずを作ります。
食べる時間は、作る時間の半分以下です。
それでも毎日やっています。
毎日の献立を考えるだけでも厄介なことです。
昼ごはんを食べ終わってすぐに、
晩ご飯は何にしようかとかみさんに良く聞かれました。
自分はどうするかなと客観視できるとよいのです。
「簡単なことは、何一つない」と楽しめるようになるかもしれません。
母がよく ため息ついて 泣き笑い
2016年10月11日