東濃地方の御嵩町は、かって中山道が通った土地であるが、戦後、道路改修工事中にキリシタン遺跡が多く発見され、今では,隠れキリシタンの住んだところとして知れていて、マリア像が立てられている。
写真の仏塔には、「南無阿弥陀仏」ではなく、よく見ると、「南無阿弥絶仏」と刻まれている。
かっての謡坂村に立っているのだが、今は廃寺になり存在しない「幸福寺」というお寺の跡地に釈迦堂が建てられ、その釈迦堂も現在では存在しないが、このあたりには、古い墓碑や石像物が多く残されているそうである。
その中にこの仏塔があるのだが、「阿弥陀仏」ではなくて、「阿弥絶仏」とあるのは、廃寺のときの、「仏サマを絶つ」という意味ではなく、迫害時代初期のキリシタンの書物に、「イエス・キリスト」のことをしばしば「ゼス・キリスト」と書かれていて、この「ゼス」を「絶」と表記したのではないかという研究者がいるという。
仏塔に見せかけたキリシタンの十字架というわけである。
写真の仏塔には、「南無阿弥陀仏」ではなく、よく見ると、「南無阿弥絶仏」と刻まれている。
かっての謡坂村に立っているのだが、今は廃寺になり存在しない「幸福寺」というお寺の跡地に釈迦堂が建てられ、その釈迦堂も現在では存在しないが、このあたりには、古い墓碑や石像物が多く残されているそうである。
その中にこの仏塔があるのだが、「阿弥陀仏」ではなくて、「阿弥絶仏」とあるのは、廃寺のときの、「仏サマを絶つ」という意味ではなく、迫害時代初期のキリシタンの書物に、「イエス・キリスト」のことをしばしば「ゼス・キリスト」と書かれていて、この「ゼス」を「絶」と表記したのではないかという研究者がいるという。
仏塔に見せかけたキリシタンの十字架というわけである。
もし、不都合がございましたらすぐにも対処致します。
よろしくお願いいたします。
http://homepage.mac.com/kamekokishi/himoji.html
鎌倉、まぼろしの風景