定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

ソラマメのポット苗

2011-11-30 00:01:25 | Weblog


出てくるかどうか心配だったソラマメの芽がようやく5センチぐらいに伸びてきた。
自宅の庭に置いたビニール製の温室の中で、ポットの蒔いたソラマメの種から芽が出てくるのを待っていたのだが、1週間ほど前に芽が出て、少しずつ大きくなってきた。
10センチほどになってきたら、畑に移植する予定である。
ソラマメの栽培は、これまでにも何度か試みているが、うまく行かない。
黒い色をしたアブラムシが茎にびっしりとくっついて、サヤが大きくなってきても、中の豆が大きくなる前にサヤごと黒く変色して、それ以上大きくならずに萎びてしまうという経過を辿る。
連作に弱いらしいから、場所を探して植えよう。
もうそろそろエンドウの種まきもしないと。

芋掘り再体験

2011-11-27 23:26:08 | Weblog


退職者会の行事で芋煮会を企画した。
70を過ぎた年代は、敗戦直後に深刻な食糧難を経験した年代である。
敗戦直前から敗戦後の5年間ぐらい、未曾有の食料難時代があった。
戦争で命を失った大勢の日本人の他に、飢餓状態を経験させられた大勢の日本人もいたのである。
人間は生きるためには、食料が不可欠で、食料を食べて生きるというのは、すべての基本である。
食糧難をなんとかしのげたのは、サツマイモとジャガイモがあったからで、70代の人たちにとって、サツマイモとジャガイモは特別の感慨がある。
芋煮会に使われるのは、サトイモだが、あのころサトイモを食べた覚えはない。
サトイモは、当時、大量に生産されていなかったのだろうか。
ジャガイモとサツマイモは、配給によって住民に配られていた。
町内の配給所の前に山積みされたジャガイモをバケツでもらいに行った覚えがあるが、これが、路上に積まれていて雨ざらしだったので、雨で半分腐っているものを配給してもらって、それを茹でて食べると、半分腐っているとまずくて食べられたものではなかったが、食料がそれしかないとなれば食べざるを得なかった。
当時は、写真のような大きなサツマイモではなくて、せいぜい太さが5~6センチの細いものだった。

大鹿村鹿塩温泉

2011-11-25 23:56:07 | Weblog


昨夜は、可児市の「アーラ映画祭」で、「大鹿村騒動記」という映画を観てきた。
6、7年ほど前、退職者会の企画で、大鹿村鹿塩温泉に行ったときのことを思い出した。
名古屋から中央自動車道松川インターを下り、渓谷沿いに赤石山塊内部に入って行った山中にあるのが鹿塩温泉である。
映画の中に出てくる主人公の営む食堂で、「ジビエ」という耳慣れない言葉が出て来た。
ジビエ料理というのは、野生鳥獣肉のことらしい。
大鹿村は、中央構造線が村内を貫いていて、構造線の岩石があちこちに路頭として露出している地域で、太古に、太平洋の南から地下のプレートが移動してきて、構成されたという。
棲息する鹿が多く、年間700頭もの鹿が捕獲されているというが、その捕獲した鹿やイノシシを「大鹿ジビエ」という地域ブランドにしようとしているのだという。




大豆

2011-11-24 23:45:40 | Weblog


今年は、うまくできなかったが、それでも枝豆として5、6回ぐらいは収穫することができた大豆、そろそろサヤが枯れ始めたので、根元から抜いて、乾燥させていたのを自宅に持って来て、サンルームでさらに乾燥させて、来年の種にするつもりである。
畑の休憩小屋の中では風が通らないので、乾燥せず、下手をするとカビが生えてくる。
カビが生えてくると、結局腐敗してしまう。
豆類は、乾燥すると、固くなって数年間は生きている。
水分と太陽の光と、気温と風が、固くなった豆から芽を出す。
大豆は、乾燥したサヤから出てくる豆は、まん丸なのだが、水に浸したり、煮たりすると、膨らんで楕円形になる。
水を含んで膨らむと、なぜ楕円形になるのかよくわからないが、もともと枝豆は、楕円形をしていて、楕円形の豆が乾燥すると丸くなるのだから、豆が丸いのに丸いままで膨らまないのはなぜかというよりも、元の楕円形に戻るということなのかもしれない。

根付いた玉ねぎの苗

2011-11-24 00:46:25 | Weblog


玉ねぎの苗がどうやら根付いたらしく、少しずつ太く、伸びてきた。
しかし、これからの冬の間は、成長はしないので、放置しておくと、春になって雑草が萌えだすと、草の間に隠れてしまって、雑草取りを怠っていると、あるのかないのか分からなくなってしまう。
去年は、雑草の陰に隠れてしまったので、収穫せずに放かっておいたら、真夏の暑さで、せっかくできた玉ねぎのほとんどが腐敗してしまった。
やはり苗を植えたのに収穫もしないで放置しているなどという怠惰な野菜づくりは反省である。
そろそろエンドウの種を蒔く時期である。
エンドウも、種まきをすると、いったんは、芽が出てきて伸び始めるが、そこで成長が止まってしまう。
寒いからである。
芽がでたのをそのままにしておくと、真冬の寒さで、霜柱が立ち、芽の周りの土が浮き上がってしまう。
こうなると、土の中の水分を吸収できなくなって芽が枯れてしまう。
籾殻や籾殻くん炭で芽を覆ってやると、寒さよけになる。
寒さよけに、ビニールなどで覆うと、芽がのびすぎてしまうから、寒さに当てておくのが正解らしい。


皇帝ヒマワリと皇帝ダリア

2011-11-23 00:17:46 | Weblog



花フェスタ公園の東口ゲートを入ると、見慣れない大きな花木が咲いている。
見慣れないと言っても、3メートル以上もあるヒマワリが花を付けているのである。
ヒマワリは真夏の花という印象が強いので、ほんとにヒマワリなのかと、名札をよく見ると、皇帝ヒマワリと書いてあった。
近くの花壇には、これまた見慣れない3メートルを超す背丈の薄紫の花が咲いていた。
いずれも初めてみる花なので、家に帰ってからインターネットで調べてみると、ヒマワリは、皇帝ヒマワリで、ダリアは皇帝ダリアである。
両方とも晩秋に花を咲かせるが、霜には弱いらしく、晩秋、霜が降りるまでの間に咲くのだという。

農業祭

2011-11-20 23:04:37 | Weblog


可児農業際を見に行ってきた。
昨日は、強い雨が一日中降る中行われていた可児農業祭、今日は天気も回復し、陽射しも出たので、出かけた。
普段は有料の花フェスタ公園だが、農業祭の二日間は、入場料が無料とあって毎年賑わう。
10時ごろ入ったから駐車場に車が止められたが、11時ごろには、2カ所ある駐車場も満車となり、隣接の緑地公園の駐車場も入りきれず、かなり長い時間待たされたようだ。
品評会に並べられている野菜は、大体毎年同じ種類のものだが、巨大カボチャ、サトイモ、サツマイモ、ハクサイ、カブ、ネギ、クリ、カリフラワー、ブロッコリー、ジネンジョ、コールラビ、獅子ユズ、カキ、ショウガ、トウガン、ダイコンなどがあった。
ハクサイとダイコンは、毎年、市内の小学校や中学校で児童や生徒がプランターで育てたものが出品されているほか、中には幼稚園の園児が育てたものも並んでいた。
餅やサツマイモの焼き芋が配られて、長い行列ができていた。
今年は、暖かいのか、園内の紅葉は少し遅いようである。

乗馬

2011-11-20 00:09:09 | Weblog


時季外れの一昨日、退職者会仲間の5人で、誰もいない乗馬クラブに行き、生まれて初めて馬に乗った。
というのは、仲間のひとりの息子さんが、乗馬クラブを運営しているので、一度みんなで出かけようと計画していたが、なかなか機会がなく、ようやくシーズンはずれに出かけたのである。
東海北陸道を高鷲インターで降りて10分くらいのキャンプ場の中にあった。
今はキャンプシーズンも終わり、まもなく雪が降り出そうという季節である。
調教されたおとなしい馬に乗せてもらった。
手綱を緩めて、足で馬の腹をたたくと歩き出し、手綱を手前に引くと止まる。
左へ行く時は、手綱を左へ引き、右へ行くときは、手綱を右へ引く。
これが基本で、馬場で基本を練習して、すぐに指導員の馬を先頭に、森の中へ歩き出した。
絶対に馬が走り出すことはないという言葉を信じて、基本通り手綱を操ったら、なんとか森の中の散策ができた。
ゆっくり歩いてくれるからなんとか乗れたが、これが本格的な乗馬となると大変むずかしい訓練が必要なのだろう。
スキーシーズン前のコテージや別荘群は、ほとんど誰もおらず、キャンプ場から5分ほどのところにある天然温泉に入っての帰りに、暗闇にカモシカがじっとこちらを見ていた。
あとで聞くと、普通の鹿は、撃たれることが分かっているので、素早く逃げるが、天然記念物のカモシカは、撃たれる心配がないので、まったく逃げないという。

6本付きのサツマイモ

2011-11-16 22:57:33 | Weblog


いい天気がしばらく続いているので、久しぶりに畑にでかけて、ダイコンやサトイモや薩摩いも、ラディッシュ、ゴボウ、ピーマン、シシトウ、ナスを収穫した。
ダイコンは、いつのまにかもう抜き菜とは言えなくなって、太さも10センチを超え、長さも30センチくらいになっていた。
12月に入れば収穫できるだろう。
サツマイモは、これまでに何度も掘ったが、全部は掘りきれずに畑に残してある。
今日掘ったサツマイモ、一本の蔓に大きなやつが6個も付いていた。
20日以上も前に掘ったときは、これと同じくらいの本数の芋が、くっついて1本になってしまっていた。
どの時点でくっついたのか分からないのだが、6個分の芋がくっついているので、でかい芋の表面がぼこぼこと6カ所が盛り上がっていた。
サトイモも掘ったのはまだ3分の1くらいで、残っている。
残してあるうちの2ウネぐらいは、来年の種芋にする予定で、日当りのいい畑の一角を60センチくらい掘り、掘った穴に稲わらの束を敷き、わらの上にサトイモを、掘ったまんまの姿で埋めておき、来年の春になったら掘り出して、種芋として利用するのおである。

秋ジャガ

2011-11-15 23:09:59 | Weblog


9月の中旬に種芋を植えたジャガイモだが、春ジャガのような勢いがない。
芽が出てくるのも春と違って時間がかかるし、やっと芽が出てきても、勢いよく繁って行かない。
毎年、一年に2回ジャガイモを育てるが、やはり良くできるのは、春ジャガである。
ジャガイモは、貯蔵がきくし、いろんな調理が出来る便利な野菜で、一年中あっても困らない。
ここ3、4日畑に行っていないが、写真は、去年の今日(11月14日)のジャガイモの様子である。
今年のものも、同じような育ち具合で、収穫は12月の中頃になるだろう。
今年は、ダイコンと白菜がうまくできたほかに、定年退職後名古屋市の農業試験場で農業支援活動の教育を受け、今は支援活動の実践ををやっているという人が種を送ってくれたニンジンもうまく育った。
ニンジンは、種を蒔いても、発芽するのが難しい野菜である。
というのは、種まきのあとは、毎日観察して、水を欠かさないようにしないと発芽しないので、我が家の菜園のように、自宅から車で20分も離れていると、毎日出かけるわけにいかないから、どうしても管理がおろそかになるからである。


来年の干支

2011-11-11 22:51:07 | Weblog


6回目の干支が回ってきてしまったのには、自分でも驚いている。
ということは、退職してから12年目になったということである。
写真は、陶芸教室で作った、素焼きの終った来年の干支、龍である。
18のときから42年間、いろいろあったがとにかく働き続けてきて、やっと労働から解放され、初めて自分の自由な意志で生活できるようになった。
高齢者といわれている人々はみんな同じである。
小学生か中学生のころの日本は、無謀な戦争に負け、田舎の自然や緑の山野は残ったが、大部分の人々が暮らす都市部は荒廃し、大勢の肉親が理不尽な理由で死んだ。
貧する社会は、子供たちに冷酷である。
社会の支援のない世界で、こどもたちは自力で生き抜いてきた。
毎日毎日、働く以外の時間は体力を維持するための睡眠に当てられた。
壊滅した国土の復興のために、不眠不休で大人も子供も全てのエネルギーを使ったので、当時は裏も表もなかったから、不平等を感じなかった。
しかし、復興が完了し、戦前の社会を追い越すようになってくるにしたがって、世の中に不正や悪がはびこるようになったから、すこしずつ労働が苦痛になってきた。
職場には、精神的なストレスが氾濫するようになって息苦しさが増してきたころ、定年を迎えたから、開放感を感じたのである。
当時の職場や社会の態様は違っても、過去の体験から現在の職場の環境がどんなことになっているかが少しは想像できる。


枝豆

2011-11-09 23:56:44 | Weblog


今年は、枝豆を時期をずらして3カ所に作ったが、2カ所は失敗し、最後の1カ所だけちゃんと食べられる枝豆ができた。
サヤが膨らんできたものを順次収穫して、これまでに4回晩酌のつまみにした。
11月になってしまって、ビールのつまみに一番合っている時期は過ぎているのだが、今年もなんとか味のいい枝豆を味わうことができた。
それにしても、枝豆といえば、放っておいてもちゃんとできるというイメージの野菜だったが、今年はなぜかサヤがやせ細って、中の豆が膨らまなかった。
2カ所の枝豆は、外からみてもぺしゃんこのサヤなので、このまま置いておいても、大豆にもならないと全部抜いてしまった。
それでも、大豆は、植えておくと、空気中から窒素を吸収してくれる性質があると言われているので、まあそれだけでもいいかと自分で慰めている。

菊盆栽

2011-11-08 23:45:23 | Weblog


ひまわりとコスモス畑を見に行く途中で、関市の文化会館で菊花展をやっていたので、観ていると、菊で作った盆栽がいくつか展示されていた。
大輪の菊、巨大な傘形の菊、菊人形などは見たことがあるが、菊の盆栽は初めてみた。
樹木の盆栽は、何十年も掛かって形を作っていくらしいが、菊の盆栽は、普通、一年で枯れてしまうという。
写真の菊の盆栽は、岩山の崖に根を伸ばして地面に根を張り、菊の花が咲いているのだが、これをつくるのに丸一年掛かったのだろうが、どうやって作ったのだろう。
ほかにも、樹林のようになった菊の盆栽も数種類あった。
それにしても随分根気のいる作業に違いない。

ひまわり

2011-11-08 00:14:49 | Weblog


ひまわりは夏のものだと思っていたが、関市東田原地区に今、真っ盛りに咲いている向日葵畑があると聞いて、でかけた。
国道248号線を関市街に向かっていくと、休耕田を利用した向日葵畑があるという。
この時期に咲いている向日葵というのは、半信半疑だったのだが、確かにあった。
しかも完璧に咲いている。
しかも、コスモスと一緒に咲いているという不思議な光景である。
広大な、休耕田を利用して、コスモス畑とひまわり畑を作っているという。
隣の畑で野菜を作っていたご夫婦に聞くと、毎年、次々と休耕田を変えて、ひまわり畑とコスモス畑を作っているのだという。
しかし、補助がなくなって、来年は作られない予定だと言う。
この日の夜、BSで、1070年に公開されたイタリア映画「ひまわり」をやっていたので、半分ほど観た。
冒頭の延々と続くひまわり畑のシーンはみえなかった、終わりのシーンの広大なひまわり畑を観ることができた。
40年も前の映画である。
この、ひまわり畑は当時冷戦真最中のロシアかウクライナ(当時はソ連)のひまわり畑で苦労してロケをしたという。
悪者のいない、戦争の悲惨さ、残酷さをテーマにしたデシーカ監督の、静かな怒りがしみ込んでくる傑作である。


干し柿づくり

2011-11-05 23:39:50 | Weblog


20年前に、菜園を始めるときに畑の隅に植えた柿の木、数年おきぐらいに実を多く付けて、秋の味覚を楽しませてくれているが、今年の出来は異常なくらいである。
木いっぱいに無数の実を付けている。
この柿の木になる柿は、甘い柿なので、今までは収穫して、生で食べていたのだが、今年はあまりにもたくさん穫れたので、干し柿を作ってみようと思った。
ところが、干し柿というのは、渋柿でつくるものだということを聞いていたので、ふと、甘い柿で干し柿ができるものだろうかという疑問がわいた。
インターネットで探してみると、ほとんどが甘柿では干し柿はできないという。
干している途中に、黒くなってしまったり、腐ってどろどろになってしまうのだという。
なかには、甘柿でも干し柿はできるがあまり美味しくはないというものもあった。
つまりは、まったくできないというわけではないらしいので、試してみることにした。
去年ホームセンターで買ってきて、干し大根を作る時に使った網でやってみることにした。
皮を剥いて、短い時間熱湯に浸けてから(殺菌のためらしい)干すか、皮を剥いたあと、霧吹き機で焼酎を吹き付けるかするといいらしいのだが、知らなかったので、今回は、皮を剥いただけで、干してみることにした。
2、3日後までに、2個ほどはだらだらになってしまったので除いたが、あとは徐々に乾燥し始めている。