牛馬に頼っていた農家に米作りや畑作に、動力を使った農機具が急速に入って来たのは、昭和30年代である。
30年代の初めの頃は、まだ農家には牛や馬がいた。
畑や田んぼを耕すためには牛や馬の力が必要だった。
それが、昭和30年代の半ばになると、牛馬の代わりにトラクタが急速に入って来て、それまでの農家の労働が一変した。
中学生の時に、農家の同級生の家に遊びに行ったときのことを覚えているが、広い屋敷の中に牛と馬が別棟にいた。
高校のときに奥三河出身の同級生の家に行ったときは、母屋の中に牛が同居していた。
ある研究者によると、そのころ、農業のために飼育されていた牛と馬について、おおむね関西は牛、関東は馬が農耕用に使われていたというが、どうやら三河地方は、両方が使われていたらしい。
昭和30年代ではなく、20年代には、街中の道路を馬車や牛車が動いていて、農家の人が牛に引かせた荷車に桶を積み、し尿の汲取りに回っていた。
当時、畑の一角には、大抵大きな瓶が埋めてあり、その中に集めて来たし尿が入れてあった。
入れたばかりだとその中に落ちると大変だが、ある程度期間が過ぎると、匂いも消え、きれいな水になっていた。
どういう働きなのかわからないが、微生物の働きだったのだろうか。
乗用トラクタによって、農業の効率が上がったおかげで、農家の子どもたちは、長男を除いて、都会へ出るようになった。
集団就職である。
地方から都市へ、中学を卒業したばかりの子どもたちが送り込まれた。
当時、大都市はどうだったか知らないが、地方では中学卒業生の5分の4は就職し、残りの5分の1が高校へ行った。
集団就職で都会に出てきて、厳しい労働条件で働かせられ続けた人たちが、今,団塊の世代と言われている人々である。
30年代の初めの頃は、まだ農家には牛や馬がいた。
畑や田んぼを耕すためには牛や馬の力が必要だった。
それが、昭和30年代の半ばになると、牛馬の代わりにトラクタが急速に入って来て、それまでの農家の労働が一変した。
中学生の時に、農家の同級生の家に遊びに行ったときのことを覚えているが、広い屋敷の中に牛と馬が別棟にいた。
高校のときに奥三河出身の同級生の家に行ったときは、母屋の中に牛が同居していた。
ある研究者によると、そのころ、農業のために飼育されていた牛と馬について、おおむね関西は牛、関東は馬が農耕用に使われていたというが、どうやら三河地方は、両方が使われていたらしい。
昭和30年代ではなく、20年代には、街中の道路を馬車や牛車が動いていて、農家の人が牛に引かせた荷車に桶を積み、し尿の汲取りに回っていた。
当時、畑の一角には、大抵大きな瓶が埋めてあり、その中に集めて来たし尿が入れてあった。
入れたばかりだとその中に落ちると大変だが、ある程度期間が過ぎると、匂いも消え、きれいな水になっていた。
どういう働きなのかわからないが、微生物の働きだったのだろうか。
乗用トラクタによって、農業の効率が上がったおかげで、農家の子どもたちは、長男を除いて、都会へ出るようになった。
集団就職である。
地方から都市へ、中学を卒業したばかりの子どもたちが送り込まれた。
当時、大都市はどうだったか知らないが、地方では中学卒業生の5分の4は就職し、残りの5分の1が高校へ行った。
集団就職で都会に出てきて、厳しい労働条件で働かせられ続けた人たちが、今,団塊の世代と言われている人々である。