定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

国産初の乗用トラクター

2007-01-31 01:44:58 | Weblog
牛馬に頼っていた農家に米作りや畑作に、動力を使った農機具が急速に入って来たのは、昭和30年代である。
30年代の初めの頃は、まだ農家には牛や馬がいた。
畑や田んぼを耕すためには牛や馬の力が必要だった。
それが、昭和30年代の半ばになると、牛馬の代わりにトラクタが急速に入って来て、それまでの農家の労働が一変した。
中学生の時に、農家の同級生の家に遊びに行ったときのことを覚えているが、広い屋敷の中に牛と馬が別棟にいた。
高校のときに奥三河出身の同級生の家に行ったときは、母屋の中に牛が同居していた。
ある研究者によると、そのころ、農業のために飼育されていた牛と馬について、おおむね関西は牛、関東は馬が農耕用に使われていたというが、どうやら三河地方は、両方が使われていたらしい。
昭和30年代ではなく、20年代には、街中の道路を馬車や牛車が動いていて、農家の人が牛に引かせた荷車に桶を積み、し尿の汲取りに回っていた。
当時、畑の一角には、大抵大きな瓶が埋めてあり、その中に集めて来たし尿が入れてあった。
入れたばかりだとその中に落ちると大変だが、ある程度期間が過ぎると、匂いも消え、きれいな水になっていた。
どういう働きなのかわからないが、微生物の働きだったのだろうか。
乗用トラクタによって、農業の効率が上がったおかげで、農家の子どもたちは、長男を除いて、都会へ出るようになった。
集団就職である。
地方から都市へ、中学を卒業したばかりの子どもたちが送り込まれた。
当時、大都市はどうだったか知らないが、地方では中学卒業生の5分の4は就職し、残りの5分の1が高校へ行った。
集団就職で都会に出てきて、厳しい労働条件で働かせられ続けた人たちが、今,団塊の世代と言われている人々である。

正義と公平のブロンズ像

2007-01-30 01:03:31 | Weblog
最高裁判所の大ホールに、女神のブロンズ像が掲げてある。
よく見ると、右手で剣を持ち、左手には秤を持っている。
説明によると、剣は正邪を断ずるもの、秤は公平を象徴するものだという。
ところで、秤は、そこに何かを載せれば、両方の重さが均等であれば、どちらにも傾かない。
しかし、剣がどちらに振り下ろされるかは、剣が決めるわけではなく、女神が決めるわけである。
女神は今の制度では、裁判官ということになっている。
裁判官の判断で、剣が振り下ろされるのである。
裁判官の正邪を決めるのは誰なのだろうか。
今の制度では、憲法と法律を忠実に解釈する職業裁判官ということになっている。
つまり憲法と法律が裁判官の正邪を決めるのである。
憲法と法律の正邪を決めるのは誰かということになると、今の制度では国民であり、実際には選挙で選ばれた国会議員ということになっている。
これで、形式的にはまったく正しい姿なのだが、この筋道には、よこから色んな支流が流れ込んでくる余地が十分にある。
憲法や法律のひとつひとつの解釈は、最低でも三とおりの解釈があり、それを作り出すのは法律学者である。
法律学者に影響を与えるのは、現実政治や社会の動きである。
こういう仕組みによって、自由であると思っている国民は縛られている。

名古屋城

2007-01-29 01:39:07 | Weblog
名古屋城は、現在コンクリート製、エレベーター付きのビルである。
外観は焼失前とそっくりだが古い天守閣は、昭和20年5月14日に米軍の爆撃による焼夷弾が、足場に組んだ木材にひっかかり、そこから延焼して天守閣全体が焼失したという。
名古屋高速道路をバスで、北区黒川あたりを走っていると、防音壁の切れ目から、ビル群の中にそびえ立つ名古屋城が見える。
以前は名古屋城より高いビルの建築は許可されなかったらしいから、名古屋城の勇姿は、市内各地のビルの屋上に上れば見えたのである。
しかし、現在は、あちこちに名古屋城の天守閣よりも高いビルが次々と建築され、少しずつ名古屋城もビル群の中に埋没しつつある。
名古屋高速が東名高速と合流する小牧インターの近くに、小高い山があり、その頂上に小牧城があるが、ここはどういう地形なのか、広大な尾張平野の平地に、ぽつんと小山が盛り上がっていて、その頂上に天守閣があるので、眺望は絶好である。
小山といっても結構広い山なのだが、周りの平地から突然盛り上がっているので相当遠方からで天守閣がよく見える。
中央高速から小牧ジャンクションを通過してすぐ、左手にその小牧城が見えてくるが、夕陽が沈む時刻にここを通ると、夕焼けの中に、夕陽を背にした小牧城のシルエットが美しい。

メジロ

2007-01-28 00:36:02 | Weblog
自宅に、以前、和風の小さな庭があったが、つくばいのところに梅の木やサザンカの木が植えてあったが、冬になると、いろんな種類の野鳥がやってきた。
餌台をつくったらもっとくるだろうと、つくって置いていたら、たしかに色々な鳥がやってくるようになった。
その餌台にリンゴやみかんや柿などの果物を置いておくと、とくに訪れる鳥が多いことがわかった。
スズメなどはスーパーで売っている小鳥用の餌を置いておくと集団でやってきて、啼き声で騒がしいほどである。
姿を見せるのは、名前が分かっているのは、ヒヨドリ、鳩、ウグイス、ハクセキレイ、メジロ、スズメなどだが、スズメよりも一回り小さな小鳥も集団でやってくる。
この集団は、わーっとやってきて、つぎつぎと去って行く。
サザンカの花の蜜を吸っていたと思うと、次の瞬間には、表の道路の街路樹のナンキンハゼの白い実をついばんで、またあっという間にどこかへ飛んで行ってしまう実に活動的な小鳥たちである。
ウグイスはなかなかやって来ないが、たまには見かけることがある。
メジロはよく来る。
ヒヨドリと同じだが、いつもつがいで行動している。
ヒヨドリは、餌台の餌を食べるときに、連れ合いと一緒に食べるということはないが、メジロは仲良く餌をついばむ。
それにしても、熟した柿やみかんをついばむときの小鳥たちの表情は、最初はあちこち見回して、警戒しながら食べているが、やがてはみかんや柿の実の中に頭を突っ込んで、警戒心を忘れてしまうようである。

佐藤桜

2007-01-27 00:17:01 | Weblog
一宮市にある裁判所の構内に一本のソメイヨシノがあり、毎年春になると満開の美しい花を咲かせる。
交差点の角で、道路のすぐわきにあるから、かなり目立つ存在である。
この桜は、実は、国鉄名金線という国鉄時代の長距離バス路線の車掌をやっていた佐藤良二という人が、名古屋から金沢までの沿線に一本ずつ苗木を植えて行った桜の木のうちの一本だという。
すぐそばにはもう一本、山桜が植えてあるが、これもそうなのかは分からない。
この桜の木のある裁判所の前には、神社があって、4月3日には、そこから2キロほど離れた真清田神社の神事に使われる神馬が集結する。
平成2年と3年に、長い間廃止されていた祭事が青年会議所によって試験的に復活したらしい。その後行われなくなったが、最近はふたたび行われているという。
平成2年か3年のとき、裁判所前の神社に集められた馬は20馬近くいて、巨大なやつもいた。
いったいどこから連れて来たのかと驚いた記憶である。
競馬馬ではなく、農耕馬に近い、大きな馬である。
ところで、一宮というのは、いちのみやと読むのか,いちみや、と読むのかという疑問があったが、今愛知県知事が一宮の市長をやっているときに、市の広報に、いちのみやと読むということを書いていた。
尾張国の一之宮というのが正式の名前の由来らしい。

「刈谷の無線電信」

2007-01-26 00:57:53 | Weblog
三河の西尾というところに生まれた私だが、昔、名鉄西尾線の米津駅あたりに来ると、西の方向に巨大な鉄塔が8本立っていた。
これを「刈谷の無線電信」と呼んでいた。
刈谷市の依佐美というところに昭和の初期に建てられた無線電信用の鉄塔だと言う。
つい最近、といっても10年くらい前に取り壊されてしまったが、西三河地方に住んでいる人々には、広大な三河平野の一角に何だかわからない巨大な鉄塔が聳える風景が焼き付いている。
この鉄塔が、250メートルもの高さであり、当時の軍隊が世界中の拠点との間で無線をやりとりするための鉄塔だということはほとんど知られていなかった。
撤去される前、鉄塔を支える電線が鉄塔から地上に降りていて、夜にはその存在を示すように赤い灯りが点いていた。
敗戦後も長い間聳えていたが、撤去される前は米軍の管轄に入っていて、世界中に展開する原潜に対する無線通信に利用されているという噂が流れたこともある。
ミサイル時代に、そんなこともあるのかという感じもあるが、仮にそうでないとしても、核戦争が始まれば真っ先に標的になるかもしれないということは容易に想像できるから、撤去されたときは、ほっとしたことは確かである。
写真は,撤去される前の鉄塔である。

白菜の頭を切って菜の花に

2007-01-25 09:35:49 | Weblog
毎年つくる白菜は、毎年、作り過ぎて全部は消費できず、春先の菜の花風景のために畑に残してしまう。
冬を過ごす白菜のために、12月の暮れに、ワラで白菜の頭を包むように縛っておくと、表面の白菜の葉がからからに乾燥して固い表皮をつくる。
この表皮、薄いものだが、ちゃんと水分の侵入を防ぎ、白菜に芯は腐敗や乾燥から守られる。
翌年の春には、このぴったりと張り付いた表皮を破って、新しい芽が出てきて、ぐんぐん大きくなり、茎からは次々と枝がでてきて、やがて菜の花が咲く。
種の保存のための力強い仕組みなのだろう。
それでも、この表面にぴったりと張り付いた乾燥した表皮は、固くて新芽の吹き出すのを結構押さえているらしく、あるとき、縛っていた頭の部分を鎌で切り取ったら、切り取らなかったものよりも数週間早く芽が出てきた。
それからは、毎年、2月の末のなったら、畑に残された冬越しの白菜の頭を切り取ることにしている。
菜の花は、一面の黄色を楽しむだけではなく、次々と出てくる柔らかい茎を蕾とともに10センチぐらい切り取って、みそ汁や醤油汁、混ぜご飯、おひたし(おしたしともいう)などにして食べるとおいしい。
早春の畑に、色彩がないと寂しいので、ホウレンソウや水菜などをわざと残しておいて、あちこちに菜の花を咲かせるようにしているが、同じ菜の花でも、花は美しいが、食べると筋があって、おいしくないものもある。

宇宙船からハシゴが?

2007-01-23 23:01:29 | Weblog
先日、なばなの里にでかけたときに、ふと気がつくと、空中にUFOが浮かんでおり、その下部からハシゴが地面に降りている。
エッ! と思わず見直すと、数人の人間が乗っているではないか。
驚いて、近づくと、なんとこれ、上下する展望台なのである。
ちょっと楽しませてくれた。
実は、UFOに興味を持っていて、いろいろ写真や画像などを見ていると、必ずしも全否定できないから、つまり存在する根拠も否定する根拠もないということなので、あるいは、まさかという事態もあるかもしれないという興味なのである。
UFO映画もたくさんあるし、あまり鮮明でないが、写真も結構ある。
何がとんでいるのか、よくわからないが、言われればUFOかもしれないというビデオ映像などもあるし、?付きの宇宙人の手術写真などもあって、興味が尽きない。
考えてみれば、人間の文明は、未知のものの発見、利用の積み重ねだったから、未知のものを根拠もなしに否定するのは、あまり文明的ではないような気がしないでもない。
宇宙船からハシゴが?と最初は思ったが、近づいてよく見ると、展望台だったということはあるが、近づかずに疑問を残したまま帰ってしまったら、なばなの里は、宇宙船の基地かもしれないと今も思ってしまうかもしれないからこころしないといけないが。

堀川下り

2007-01-23 00:00:22 | Weblog
名古屋城の入り口あたりに加藤清正の銅像が立っているが、その公園を突っ切って、能楽堂の前を通ってお城の正門の前を通る道路に出て、坂道を下って行くと右側にお堀、前方にキャッスルホテルが見えてくるが、そこを左側に行くと、堀川に架かる橋の上に出る。
橋の上から見ると、前方に浮き橋の桟橋があり、船着き場になっている。
ここが、数年前から始まった堀川クルーズという船下りの起点である。
大型の宴会のできる船だと、もう少し下流の納屋橋に船着き場があり、そこから名古屋港まで下る。
納屋橋から2時間かけて、ゆっくりと下って行き、その間、両岸の景色を見ながら宴会ができるというので、昨年の春、退職者会の企画で船下りをした。
堀川といえば、十数年前までは、メタンガスがぶつぶつ出ている汚水と悪臭の運河だった。
その堀川の汚水を、長期間かかって浄化する試みが始まってそろそろ10年くらい経った。
何十年もかかって汚れた堀川をきれいな水にするには、忍耐強い努力が必要だっただろう。
数年前から、少しずつきれいになり、悪臭もそれほどではなくなって、やっと堀川下りが運行を開始した。
それにしても、伊勢湾の名古屋港から、平城の名古屋城のお堀まで運河を造った昔の武士たちの雄大な構想には驚かされる。
石垣のために必要な膨大な数の石材を運ぶ必要があったとはいえ、名古屋城といい、堀川といい、昔の人間の造った人工物の雄大さは、今の人間にはない意気が感じられる。

冬の菜園風景

2007-01-22 00:13:24 | Weblog
冬の間は、野菜づくりも休眠である。
春から始まる野菜づくりの前に、土にも休んでもらうために、全部ではないが、一部にもみ殻を撒いた。
もみ殻は、丈夫な殻で、数年間は腐ることなく、土に変化しないが、畑の土の中に空気のある空間をつくるためには、いいと思って、順次撒いている。
里芋を掘り出さずに、翌年の種芋にするために、畝の2列ぐらいは毎年そのままにしておくのだが、その際には、寒さにやられないように、ビニールのマルチを被せた上に、もみ殻をいっぱい掛けておき、春先に掘りだすが、そのときもみ殻がそのまま残る。
この残ったもみ殻が畑の土に混じると、そのあたりの土はふわふわになる。
さらに、里芋には雑草が生えてこないように、マルチの上から、重しとして、稲ワラを被せてある。
この稲ワラは、半年間も雨風に当たると、やわらくなっていて耕運機で土の中に鋤き込んでしまうと土になってしまう。
もみ殻と稲ワラで、里芋畑の土はふわふわになるのである。
もう1ヶ月もすれば、この風景全体が緑色に変わってくる。


おでんの季節

2007-01-21 02:21:05 | Weblog
毎年、この季節になると、かっての仲間たちと食べに行くのが、名古屋の千種駅ちかくにある味噌おでんの店である。
つる軒という名前の、味噌おでんの店だが、八丁ミソを使ったおでんで、代々続いている老舗である。
八丁味噌は岡崎で作られていて、同じ三河地方に生まれた私には、懐かしい。
みそ汁の味噌は、三河地方では八丁味噌が欠かせない。
今では、冷えたご飯は食べなくなったが、炊飯器で保温されるようになる前は、ご飯はお釜で焚かれたあとは、おひつに入れられ、朝焚いたご飯も夕方には冷えてくる。
この冷えたご飯に、朝の残りのみそ汁をぶっかけて食べると,独特の味と匂いがして実においしかった。
この冷や飯のみそ汁というのは、人間だけでなく、猫や犬の餌でもあった。
犬と人間はみそ汁だけだが、猫にはそのご飯の上にいわしの煮干しが置かれた。
どうして猫だけ特別扱いだったのかわからないが、そんなことを思いだす。
つる軒の味噌おでんを食べに行くとかならず、そんなことを思いだしてしまう。
ここでは、料理は味噌おでんだけである。

因幡の白兎

2007-01-20 00:50:24 | Weblog
写真は、私のパソコンに入っていたものだが、どうやら細君が写して来たものらしい。
最近私は、デジカメをメモ代わりに持ち歩いているが、我が家にある3台のデジカメは3人の者が使っていて、それぞれが写した写真を、私のパソコンに中に保存している。
もう1万枚ほどになってしまっている。
これをそのままにしておくと、パソコンの容量を食ってしまうから、ときどきCDに入れ替えているのだが、CDに入れてしまうと、取り出すときに写真が小さすぎて、老眼の進んだ高齢者には見にくいし、そうなると一枚一枚の写真に題をつけておかないと探しにくくなる。
パソコンにいれたままだと、拡大縮小も自由だし、画像の加工もできて便利なので、ついついパソコンに入れたままになっているのである。
話はそれてしまったが、出雲大社にある兎の石像だか銅像といえば、どうしても因幡の白兎を思い出す。
調べてみると、写真の兎の目の先には、大国主大神命の石像か銅像があるから、これは因幡の白兎のことだろう。
鰐をだまそうとして失敗した白兎が、鰐に皮をむかれて困っているときに、通りかかった大国主大神命に、海水でなくて、真水で身体を洗って蒲の穂を付けると治ると言われて助かったという故事の話だが、昔この話を聞いて不思議に思っていたことは、ワニが日本に棲んでいたのだろうかということだった。
後にわかったが、ワニというのはサメのことだという。
山陰地方では、今でも正月にサメの刺身を食べる習慣があるらしい。

さかづき美術館

2007-01-19 01:10:37 | Weblog
多治見市の市之倉というところに、さかづき美術館というめずらしい美術館がある。
この地区で昔から生産されている、さかづきを集めた美術館である。
並べられているのは、明治、大正、昭和に作られたさかづきなのだが、明治や大正時代に作られたにしては、おどろくほど精緻な作りである。
多治見市内から今では車で走ればすぐだが、昔は交通の不便な山の中であり、いい土に恵まれた土地で、運びやすい小さな、さかづきが多く作られたということらしい。
ところで、酒を飲む容器には、この「さかづき」と「ぐい飲み」と「おちょこ」とがあるのだが、この違いはどこにあるのだろうか。
お茶を飲むときに使う湯のみ茶碗も、この地方では、「せんちゃ」というが、煎茶を飲むから「せんちゃ」というらしいが、初めは、せんちゃ、せんちゃと言われていて、煎茶を飲んでいるからそういわれているのかと思っていたら、どうやら煎茶を飲む容器の茶碗を言っているらしいことがわかった。
さかづき美術館から歩いてすぐの高台に、幸兵衛窯という窯場があるが、そこの敷地内にも美術館があるし、山間の狭い地域にはたくさんの窯場があちこちに散在していて、陶器まつりになると、それぞれの窯場を見て歩くイベントがあって、楽しい。


採り残された白菜

2007-01-18 00:00:28 | Weblog
昨日は,雨が降ったが、その1週間ぐらい前に雪が降った後は乾燥した天気が続いていたから、明日は雨が降るという予報を聞いて、畑にでかけた。
落ち葉で一面埋まってしまった休憩小屋の庭の掃除をした。
畑には、多く作り過ぎて収穫できなかった白菜がいっぱい残っている。
もったいないが、これがもう1ヶ月もすれば、芯の中から芽が出て来て、菜の花畑になり、その菜の花をつぎつぎと摘んで食べる春の味覚になる。
通常ならこのあたりの気候では、乾燥した天気が続く時期であるし、冬の間でも一番寒いころだから、昨日の暖かい雨は意外だった。
今年は暖冬だと長期予報で言っていたが、どうやらそのとおりらしい。
それにしても今年の異常気象は世界的らしく、ニューヨークでは20度を越す気温から一挙に零下数度にも下がって、凍結した道路で車の衝突事故が続発、モスクワではこの時期必ずできるスケートができず、フランスでは20度を超える気温に海水浴をする人も出て来たという。
日本では、それほど極端な異常気象ではないが、年々暖かくなって来ているのが体感的にわかる。
特に、太陽光線が強くなって来た感じがするのは、髪の毛が薄くなって来たためだけではないような気がする。

牧場

2007-01-17 00:54:33 | Weblog
岐阜県の高鷲村というところに、牧歌の里という観光施設があり、以前、退職者会のバス旅行で行ったことがある。
牛、馬、羊、ニワトリ、山羊、兎、豚などの家畜が、広い牧場のあちこちに飼われていて、昭和30年代までの農村の風景を知っている高齢者たちには、懐かしい思い出が浮かんでくる。
高原なので、空気が澄んでいて、付近は別荘地が散在している。
名古屋から名神高速、東海北陸自動車道を走ると、それほど時間もかからないから、日帰りのバス旅行にはちょうどいいところである。
5月の暖かい日差しと、新緑の山々がきれいで、爽やかな気分になれる。
東海北陸自動車道は、つい最近最後のトンネル工事が終わって、来年には富山県の小矢部市までの全線が開通するらしい。
開通すると、合掌造りで有名になり、世界遺産に指定された白川村にも、高速道路で行けるようになる。
高速道路が、網の目のように造られている日本の山野だが、ローカル線と徒歩で山々を歩き回った世代は、日本の山の奥深さを知っている。