春の使者、フキノトウが菜園の竹林前の日だまりに芽を出して来るには、もうすぐである。
写真は、去年のものだが、ここの蕗は、そのままにしておくと50センチぐらいの高さになる。
竹林の入り口の陽のあたる場所にしか出て来ない。
タラの芽とフキノトウが、春のシンボルのような言われていて、山菜として評判が高いが、両方とも天ぷらにして食べてもあんまりおいしいものではない。
また古い話になって恐縮だが、タラの芽やフキノトウよりも、畑のあぜ道などに早春から生えてくる「ノビル」というネギの細いものといった感じの植物は、食糧難時代には、ネギの代わりに大いに利用された。
球根から根こそぎ抜かないで、地表に出ている葉を切って取ればどんどん増えて行き、一面みどりのグランドカバーの代わりになるほどであるが、食べると球根がおいしいので、球根も抜いてしまうが、それでもいっこうになくならない。
畑といってももともとは野原であり、それを人間が根気よく耕作して雑草を排除して人間好みの野菜畑に変えてきたものだから、野菜畑として使わないあぜ道や傾斜などは実は植物の宝庫である。
野菜を作っていると、野菜畑に雑草が生えてくるとまるで仇にあったように刈り取ったり、抜いたりするが、堤防や土手、あぜ道などに生える雑草には比較的寛容でいられる。
高さが50センチから1メートル以上にもなって周辺住民から迷惑顔をされるようになると、なんとなく気になって草刈り機を持ち出して刈り取るのだが、本当は無理に刈り取らなくても、雑草もそのままどんどん背丈をのばしていくというわけではなく、一年という短い期間に必至に子孫を残そうと戦っているいのちなのである。
人間のように必要以上に生き延びて余計なことを繰り返す命ではないのであると思うと申し訳ない気がしてくる。
写真は、去年のものだが、ここの蕗は、そのままにしておくと50センチぐらいの高さになる。
竹林の入り口の陽のあたる場所にしか出て来ない。
タラの芽とフキノトウが、春のシンボルのような言われていて、山菜として評判が高いが、両方とも天ぷらにして食べてもあんまりおいしいものではない。
また古い話になって恐縮だが、タラの芽やフキノトウよりも、畑のあぜ道などに早春から生えてくる「ノビル」というネギの細いものといった感じの植物は、食糧難時代には、ネギの代わりに大いに利用された。
球根から根こそぎ抜かないで、地表に出ている葉を切って取ればどんどん増えて行き、一面みどりのグランドカバーの代わりになるほどであるが、食べると球根がおいしいので、球根も抜いてしまうが、それでもいっこうになくならない。
畑といってももともとは野原であり、それを人間が根気よく耕作して雑草を排除して人間好みの野菜畑に変えてきたものだから、野菜畑として使わないあぜ道や傾斜などは実は植物の宝庫である。
野菜を作っていると、野菜畑に雑草が生えてくるとまるで仇にあったように刈り取ったり、抜いたりするが、堤防や土手、あぜ道などに生える雑草には比較的寛容でいられる。
高さが50センチから1メートル以上にもなって周辺住民から迷惑顔をされるようになると、なんとなく気になって草刈り機を持ち出して刈り取るのだが、本当は無理に刈り取らなくても、雑草もそのままどんどん背丈をのばしていくというわけではなく、一年という短い期間に必至に子孫を残そうと戦っているいのちなのである。
人間のように必要以上に生き延びて余計なことを繰り返す命ではないのであると思うと申し訳ない気がしてくる。