定年後の暮らし春秋 ~ 菜園だより ~

現役時代の週末菜園から、定年後の野菜づくりへ。
自由な生活を謳歌する昭和15年生まれの日々。

桜もいいが、ツツジもきれい

2006-03-30 17:36:39 | Weblog
今日、朝起きてびっくりした。
なんと5、6センチほども雪が積もっている。
新聞によると、岐阜市で3センチの雪が積もったが、これは3月下旬に3センチ以上も雪が積もったのは80年ぶりのことだという。
我が家のある住宅団地は、標高が200メートル近くあるので平地よるも寒いのか、5、6センチもあった。
この雪に、膨らみかけた桜の蕾もびっくりだろう。
明日午後からは気温も一気に上がるということだから、一斉に桜が咲くだろう。
桜もいいのだが、東濃地方の丘陵地では、ヤマツツジがすばらしい。
このあたりのヤマツツジはピンク色が多いが、ヤマツツジの中には真紅色のものがあり、これが全山一斉に咲くと遠くからは、火事のように見えるところがあるという。
ツツジは、見る人によっては桜よりも美しい。
写真は、団地の貯水池のえん堤に植えられたツツジの開花だが、松、ツツジ、桜がいい雰囲気をかもし出している。
もともとはツツジは山野の花で、太古の昔には、田植えをする乙女、早乙女を決めるために処女たちが山に入り、このツツジを持って帰ったという。
そういえば早乙女の衣装には、真っ赤な布が使われている。
かすりの着物に赤い腰巻き、白の手ぬぐいの早乙女衣装は、田植えに合う。
新しいこの衣装も、実際に田植えを行えば田んぼのどろで汚れてしまうが、泥のかかった衣装もまた風情がある。
ツツジが満開になるのは、4月中旬ごろで、桜は開花後すぐに散ってしまうが、ツツジは結構長く咲いている。
ツツジの花が終わると圧倒的な新緑の季節になる。

菜園の木蓮が満開

2006-03-29 10:31:45 | Weblog
菜園脇の休憩小屋の庭に、木蓮が4本植えてあり、真夏になるとその木陰が絶好の休憩場所になるのだが、その木蓮の花がやっと満開になった。
赤い花の木蓮が3本、白い花の木蓮が1本植えてある。
木蓮は、花が終わると、大きな葉を密集して繁らせて、小屋の前を日陰にしてくれる。
最近は、なんだか日差しが強くなってきているように感じる。
初めは頭の毛が薄くなってきたので、直射日光が熱く感じられるのだろうと思っていたが、どうもそれもあるが、直射日光のほうも熱くなっているようなのである。
紫外線が強くなってきているのだろうか。
オーストラリアなどでは、紫外線をさける為に外出する歳には帽子が必需品だという。
強い紫外線に当たると皮膚がんが出来やすいという。
南極の上空には、太陽からの強い紫外線を通してしまうオゾン層がどんどん広がっているということも聞いた。
なんだか不気味だが、そんなことを考えていると夏、小屋の前で休憩しているときの木蓮の木陰が貴重なものに見えてくる。
白いのは、白木蓮というらしい。
2年ほど前、この木蓮の上のほうの葉っぱの陰にヒヨドリが巣を作った。
キーキーとけたたましく啼くヒヨドリはいつもつがいで行動しているのだが、どういうわけか木の実などの餌を啄むときは、けっして二羽がなかよく木の実を食べることはない。
必ず一羽だけで食べる。
これはどういう訳があるのだろう。一羽が食べ終わるとすぐ近くにとまっているもう一羽が同じ実を食べ始める。
先に食べるにはオスなのかメスなのかそれが問題だ。

水仙の開花が遅れている

2006-03-29 01:47:56 | Weblog
畑の一部に水仙が植えてあるが、今年は花が咲くのが遅い。
土岐川の河川敷だったところなので、川風が強く今年は寒かったのだろうか。
水仙は、密集していると咲いたときにきれいである。
昔から農家では、庭先に花を育てていた。
一年中いろんな花が咲くように栽培していて、毎日庭先の花を切り取って仏壇に飾った。
仏壇の花が枯れることなく、いつも生きていた。
毎日生け花を取り替えるというのは、買ってきて取り替えていては大変である。
金も掛かるし、買いに行くのも大変だ。
庭先で育てている花は、高価な花ではない。
しかし、考えてみると毎日花を生け変えられるというのは実に贅沢なことである。
忙しいと思われる農家の人々のこの余裕はなんだろう。
そういえば最近は少なくなったが、農家の敷地や周囲の田圃や畑には四季を通じて花が咲き乱れ、その花が野菜や稲や麦や菜の花、あぜ道、土手、水路、河川、茶の木などが美しい農村の自然を醸し出していた。
蛙の鳴き声や、虫の声、野鳥のさえずり、竹林の竹のすれる音、ニワトリの声、牛のうなり声、イヌの吠える音、水車の音など、人が作り上げたものと自然の動植物とが、人間の心にのこる心象を創り上げているのである。

ハクサイの菜の花が咲き出した

2006-03-27 14:54:03 | Weblog
今年はいつまでも寒い日が続いて、桜の開花だけでなく、菜の花の開花も遅れている。
それでも、日曜日に畑にでかけたら、ハクサイの菜の花が2、3日前からの気温の上昇で、急に伸びてきて菜の花を咲かせていた。
茎からつぎつぎと出てくる新しい茎が、つぼみをのぞかせているのを、10センチぐらいの長さでつまみ採り、家に持って帰っておひたしにした。
苦みもなく春の味がした。
大根畑やカブの畑には菜の花になれる収穫残りがあるから、もう少し待って菜の花が出てきてから耕そうと思っているのだが、
このところの暖かさで、雑草が急に伸びてきた。
これをそのままにしておくと、高さが60センチから1メートルほどもある草むらになってしまう。
とにかく早めにとってしまわないと後で困るのである。
雑草は、ちゃんと耕してやわらかい土でよく乾燥していると、草取り用の小さな鍬で雑草の根本を引っ掻いてやると簡単に根から取れるのだが、ウネとウネの間の低い溝は、水分も多くて湿っているから、ここに生えている雑草の根は土をしっかりと捕まえていて簡単には抜けない。
だから、草取りをやりやすくするには、よく耕して土をふわふわにしておくことと、草取りは土が乾燥しているときにやることである。
春先に取った草は、もう種が育ってしまっているものが多いから、そのまま堆肥がわりに畑の土に混ぜると、種が生き残って来年が大変である。
燃やしてしまうに限る。
燃やしてしまえば種ごと燃えてしまうから、来年発芽する雑草が少なくなるという理屈である。
雑草は、耕す前にちゃんと草を根の毛根から全部取ってしまわないと、耕運機で耕しても生命力の強い雑草は土の中で一ヶ月でも二ヶ月でも生きていて、芽を出してくる。
雑草(あらぐさ)はたくましいのである。
踏みつけたりすると、さらに強くなるのが雑草である。 

杏子の花が咲き出した

2006-03-25 19:36:15 | Weblog
菜園を始めたときに、周りを囲むように、果樹を植えた。
杏子、グミ、柿、梨である。
そのとき、野菜づくりを教えてくれる師匠に反対された。
何でも、畑を借りた場合は、その畑に立ち木を植えてはいけないという慣習があるのだという。
立木は土地とは別に所有権が発生するからなのだろうかと思ったが、理由は教えてくれなかった。
植えてしまったものを掘り返せとは言わなかったので、そのままにしておいたのが、だんだんと育ち、柿やグミ、杏子などは実を採れるようになった。
グミについても、グミは庭に植えるなということを師匠に言われた。
理由は聞かせてくれなかった。
なにか理由があるのだろうか。
畑にはこのほかに桑の木が2本あり、これが大木になっていて、桑に実がぴっしりと成る。
グミと桑の実がなると、野鳥の群れが集まるようになる。
毎日畑の行くわけではないので、グミの実が熟して食べごろになると、必ず野鳥に先取りされてしまう。
完熟のグミは昔の味がする。
残念ながら杏子は、このところ毎年たくさん実が成るのだが、熟す前に全部落ちてしまう。
熟してから採るのではないのだろうか。
梅のように、青いうちに採って、梅干しにするように、杏子も青いうちに収穫するのだろうか。
ナシはちゃんと作法どおり剪定してないので、花が咲いて葉も出てくるが、実が付いても直径5センチ程度にしか大きくならない。
カキは1年おきぐらいにたくさん成るので、食べさせてもらった。
桑の実は、熟すと真っ黒のなり、これを食べると甘い味がする。
子供のころ、あちこちにあった桑畑に入っていき、桑の実を採ってズボンのポケットに入れて逃げ帰り、ズボンがムラサキ色に
染まってしまったのを思い出す。

里山の路傍に咲くタンポポ

2006-03-25 00:04:15 | Weblog
自宅近くのみたけの森の遊歩道を歩いていたら、山道にタンポポが咲いていた。
自然に生えているたんぽぽの配置が実に巧妙で、人為的にこのような配置にすることは至難だろうなという感じである。
自然の光景を見て、美しいと感じるのは、多分に構図が美しいからである。
実際の風景を見ないで絵を描くと、その絵からは見ていて安心できる気持ちが伝わってこない。
自然の風景は、周りに風景のとけ込んでいるというか、馴染んでいて、まったく不安感がない。
写真の山道は、人があるいて自然に出来た道で、草が踏みつけられて土が出ているところを人間が歩くに従って道になったという感じである。
その踏み分け道の傍にタンポポが微妙な配置で咲いている。
田んぼのあぜ道に咲くタンポポも実に咲いている配置が美しい。
これが同じころに咲く水仙と比べると、違いがわかる。
水仙の群落は、その配置がどうしても人の手で植えられたのだなと感じられるのである。
タンポポは自分で大地に絵を描いているようだ。

一番おいしいハクサイの菜の花

2006-03-23 16:23:11 | Weblog
冬を越した野菜は、春になると芽が出てきて花を咲かせる。
大根、カブ、ハクサイ、ホウレンソウ、水菜などの旬の時期に収穫できず畑に残ってしまったのを、そのままにしておくと、春暖かくなると伸びてきて花芽を出して桜の咲く頃にはぐんと成長する。
子孫を残そうと必死なのだろう。
昔は、この菜の花が咲いてもさらにそのままにしておいて、花が落ちて実が出来るのを待ってから来年播く種を採った。
今はそういうことをしない。
本などを読むと、自家採種というらしいが、ほんとうは、その土地にあった種子を保存して毎年種から育てるのが一番いいという。
今は、家庭菜園や兼業農家がほとんどで、専業農家というのは、中小の都市の残された畑で趣味で野菜を育てたり、サラリーマンの傍ら農協を頼りに田んぼをやり、野菜だけは自家消費用のものをつくっているから、時間もかかるし、面倒な自家採種はやらず、売っている種を買ってきて播いているらしい。
そういえば、菜園をやり始めたころ、ハクサイや大根が菜の花を咲かせたあと、そのまましておくと、サヤが出来てサヤの中に
種が出来ているのを見て、ずっと昔の菜種畑を思いだしたが、そんなことをしている野菜づくりの人はいないので、単なる怠慢だと思われそうで、1メートル以上に伸びたハクサイや大根の成れの果てを抜いて肥やしにしてしまっていた。
抜いたのを土手においておくとやがて腐って土に帰ってしまうが、次の年に土手の中ほどに芽が出てきて伸びていく。
ところで、菜の花は出てきた葉っぱをちぎって、持ち帰り、みそ汁の具にするとおいしいが、いろんな野菜のうち、ハクサイの葉っぱが一番おいしい。

孵化したオタマジャクシ

2006-03-22 17:40:23 | Weblog
このところ二日か三日おきに雨が降っている。
先日、午後から雨が降るという予報だったが、菜園にでかけて、昨年蛙の卵が産みつけられていた排水路を見たが、今年は卵は産みつけられていなかった。
なんだかちょっと寂しい。
今年は雨が多くて、排水路の水も豊富だから、ひょっとしたらオタマジャクシから蛙になるまで生きていることができるのではないかと思ったのだが、どうやら昨年の経験を学んだらしい。
たくましく生き抜く野性の蛙が、そう何回も失敗をすることはないのだろう。
写真は去年、干からびる前のオタマジャクシである。
春先に、畑を耕していると、必ずやってくる野鳥がいる。
名前がわからないのだが、耕運機で耕すとすぐ近くの桑の木やエンドウの支柱にとまって大きな声でさえずる。
茶色とムラサキがかった色が肩からながれるようにある鳥である。
耕した後に出てくる虫をついばむためなのだろう。
大きな鳴き声はなんのためなのだろうか、大きなさえずりにほかの仲間がやってくるわけでもなく、一羽しかいないから何のために大声をだすのかわからないのである。
なんだか私に話しかけているような感じになってくる。
それにしても、どこに巣があるのか、耕さないときでも、私が休憩小屋に入って弁当を食べていると窓の外の庭木の枝にとまってけたたましくさえずる。
庭を耕したわけでもないので、土の中から虫が掘り出されたのでもない。
これはどうしても掘り出された虫を食べるためではない。
話かけているのか、テリトリーだから入ってくるなと叫んでいるのか、言葉が通じないのは残念である。

花見の穴場

2006-03-20 22:37:43 | Weblog
我が家から車で10分も走ると、東海環状線御嵩インターの近くにある、みたけの森という自然公園がある。
その公園に隣接して、山の上に野球場や屋内プールなどのある公園があって、野球場の下の斜面に桜が植えてあるのだが、ここの桜は最近木も大きくなって立派な花を咲かせるようになった。
住宅団地の脇の県道から急斜面になっているところに整然と植えられている。
4月の初旬になると、各地の桜の名所で、花見が行われるニュースが乱れ飛び、にぎやかな雰囲気が伝わってくるが、このみたけの森の桜は実に見事である。
しかし、花見というのはただ桜を観賞するだけのものではなく、昔から桜の花の舞い散る下で、酒に酔い、歌を歌って日頃の憂さを忘れるストレス解消方法なのであるからして、誰も見に来ない桜並木はいくら豪華絢爛でもひっそりとしている。
満開の桜並木なのに、花見客がだれもいないというのは、なんなく異様な感じがするが、純粋に桜の花を愛でる私としては、このところ家族を誘って、誰もいない満開の桜をこのみたけの森で楽しんでいる。
隣の小高い山の頂上には、御嵩城という名前の展望台があって、その展望台から下を見ると、はるかに中山道が山の中に入っていく様子が見られる。
もっとも印があるわけではないから、見当をつけているだけだが、中山道は御嵩宿から山の中に入って行くのである。

菜園のモクレン

2006-03-18 21:49:35 | Weblog
菜園の休憩小屋の庭に、モクレンの花が咲き出した。
4本植えてあり、そのうち2本が白い花を咲かせる。
春先にまず真っ白な花が咲くので、非常に目立つ。
モクレンが咲くと、続いて生け垣の後ろにある桜が咲き出す。
花が終わると、葉っぱが出始めて、新緑の季節となる。
菜園の横にある土岐川の堤防に植えられた桜も苗木が植えられてから6年ほど経ち、幹が大分太くなってきた。
去年ぐらいから花が付くようになってきたので、今年あたりは花も多くなるだろう。
この木曜日に、朝早くでかけて、ジャガイモの種芋を植え付けた。
ジャガイモの種芋は少なくとも彼岸までには植え付けないといけないらしい。
今年は雨が多いから、野菜づくりも楽しみになってきた。
不織布という布をかけたホウレンソウが布の下で大分大きく育ってきたし、ワケギもそろそろ収穫できるくらいに分けつというか球根が増えてきて、茎も伸びてきた。
庭の池に引き込んだ水は、この間、いったん引き込むのをやめて底に溜った枯葉を片付けようと思って乾かしている。
この冬の厳冬で水道のモーターが凍結してしまって、洞窟のきれいな水が使えないが、池の水が引いたら池を掃除して、その後に地下からの水を引き込もうと思っている。


イチゴ畑

2006-03-18 01:22:28 | Weblog
去年収穫した後、そのままにしておいたイチゴの苗が冬を越して、大分大きく育ってきた。
イチゴは、収穫した後は、茎(ランナー)が伸びてきて根を下ろした子、さらに伸びた孫の苗をを翌年の収穫を期待する苗にするというのが常識らしいのだが、親のままにしておいても、イチゴの実が付かないというわけではない。
親は枯れてしまって、それで終わりということではないのである。
春になるとちゃんと親株から新芽が出てくる。
ただ、実が小さいというだけなのである。
生で食べるイチゴは、大きいほうがいいのだろうが、ジャムにするのなら別に小さな実でもいっこうにかまわない。
ランナーで伸びてくる子の苗や孫の苗を翌年の苗にするには、植え替えなければいけないので、それだけ余分な労力がかかるし、別の場所に畑のスペースが要ることになる。
それに、イチゴは鳥に食べられてしまう機会が多く、大きなやつを完熟したとたんに鳥に食べられてしまうのは残念なので、小さな実がたくさん付いてくれれば食われない実が多くなるというメリットもある。
食べられないようにするには、ホームセンターに行けば、防鳥網を売っているから、それを買ってきて回りを囲えばいいのだが、この網、雑草のないときに張っておくと、いつの間にか雑草が巻き付いて片付けるときに大変であるし、去年、鳩が網に絡まれて逃げられなくなっているのをなんとか網をほぐして逃がしてやったこともあり、大分前だが野鳥が絡まっていたこともある。この辺りを見回っている日本野鳥の会の会員にいらぬ誤解を受けそうなので二度ほど使ったがやめてしまった。
鳥が食べたあとの残りを頂いたほうがいいという判断なのである。

畑の蛙

2006-03-16 22:44:10 | Weblog
春、耕運機で畑を耕していると、土の中から蛙が驚いて出てくる。
冬眠中だとみえて、ほとんど動かない。
蛙はこんな浅い土の中で冬眠できるのかと思うが、耕運機の刃が蛙の身を傷つけなかったようなので安心する。
蛙が居るということは、蛙を食べる蛇もいるのだと思うとあまりいい気持ちはしないが、しばらくじっとしていてから、ごそごそと体を動かして土の中にもぐってしまった。
まだ睡眠が足りないのか、体温を高める日差しが足りないのだろう。
今までに、畑で見たのは、排水路を飛び跳ねて行ったイタチ、毛の抜けてしまう病気にかかったのかあぜ道をふらふらとふらついていた狸、河原のほうから走って来て、座っている私の前でちょこんと立ち止まり、こちらを見てぷいという感じで再び丘のしげみに走り込んでいった野うさぎなどがこの辺りに棲息するけものたちである。
最近は大型の鼠のようなのが大根を食い散らかして困るという評判が立っているのだが、私はまだ目撃していない。
それでも出没する気配はある。
収穫できずに冬を越した大根が上から葉っぱもろとも大根の首のところまで、かじられているからだ。
いままでこんなことはなかった。
カラスでもないし、野鳥でもない動物がかじった形跡である。

中部国際空港ロビーで

2006-03-16 00:46:43 | Weblog
ひとむかし前までの常滑は、蟹のハサミのような知多半島と渥美半島の片方のハサミの真ん中あたりにある小さな漁港のひとつだった。
ただ、この半島のほかの町と違っていたのは、常滑焼という陶磁器の産地でもあったことである。
赤い色の陶磁器で、茶器としてはなんとなく独特の存在だったが、日本の緑茶を飲む器としてはぴったりの感じのする茶器だった。
お茶の本場、中国のお茶を飲む雰囲気をこの茶器は漂わせている。
もともとは知多半島全域に穴窯があったらしいが、やがて常滑周辺に集約されて、茶器などがつくられるようになったのは江戸時代に入ってからだという。
渥美半島も知多半島も、珍しい地形をしていて、沖に向かって伸びている半島なのに高い山がひとつもない。
低い丘陵地が延々と続いているだけなのである。
山がないから、降った雨が谷川となって流れる川もなく、昔から農業用の水は無数の人工のため池だった。
敗戦後、半島を貫く愛知用水がつくられて、富裕な農業地帯になったが、農業地としてよりも名古屋のベットタウンとして住宅密集地化していった。
伊勢湾に突き出した先端部分は、前と後ろを海に囲まれた温暖な気候で温州みかんが盛んに栽培され、師崎港は伊勢湾で採れる魚の盛んな漁港だった。
常滑の沖に国際空港がつくられて1年、交通網が整備され、海から内陸から船便や道路が集中し、唯一の電車として名鉄が空港ビルに乗り入れた。
伊勢湾側の海岸線もこれからの変貌は急激なのだろう。


名古屋堀川下り

2006-03-14 23:43:16 | Weblog
名古屋城の内堀から直接海へ続く運河があるが、それが堀川である。
加藤清正像のある公園のすぐ近くに、内堀と運河をつなぐ場所があって、そこに朝日橋が掛かっている。
かっては海とつながった運河のこのあたりまで鰹やイワシがさかのぼっていたと伝えられていたそうだが、永い間、この運河はヘドロが貯まり、メタンガスが泡立つどぶ川になっていた。
いずれはコンクリートで蓋をされ存在を消されてしまう運命にあるのだろうと名古屋市民のほとんどは思っていたことだろう。
ところが最近になって、数メートルにも積み重なったヘドロの川に少しずつ水を流して浄化しようという機運が興り、すこしずつではあるが、水がきれいになってきた。
ゴミも片付けられて、臭い臭いもなくなってきた。
2年ほど前から、その水面に屋形船を運航する会社も現れた。
先日、ふらりとその朝日橋の上から見ると、船着き場が出来ていて、ここが堀川下りの出発点になっていることがわかった。
さらにゴンドラのような舟が係留してある。
このゴンドラはおそらく万博を契機に浮かべるようになったのだろう。
そういえば、名古屋港にイタリア村という商業施設が出来たが、そこにも運河が造られて、ゴンドラがイタリア人水夫によって観光的に運行されているのを見た。
大都市として街の中心地を大河が流れていない名古屋で、早く、近づいて遊べる水辺として堀川が生まれかわるのを望んでいる人たちも多いだろう。

寂しくなった犬山遊園駅前

2006-03-14 01:23:27 | Weblog
モンキーセンターや犬山城、それに鵜飼いでも有名な愛知県犬山市の名鉄犬山遊園前駅に、何十年ぶりに降りてみたが、地元の人たちには申し訳ないが、随分と寂しくなったという印象である。
昔は駅前には、みやげもの屋や飲食店などが軒を連ね、人通りも多く、賑わっていたのだが、木曽川沿いの遊歩道は整備されてはいるが、なんとなくよそよそしい感じである。
50年近く前に、佃煮の箱をオート三輪の助手席に乗せられて、尾張地方の八百屋さんに卸して歩いていたとき、いつも昼時になるとこの犬山遊園前駅に到達するから、駅前のラーメン屋で大盛りのラーメンを必ず2杯食べさせてもらったことをはっきりと覚えている。
橋のたもとからしばらく下流に歩くと川岸の崖の上に、今では全国でも少なくなってしまった古いも木造のままの城が聳えている。
天守閣に登ってみると、眼下には木曽川の急流が流れ、遠くに小牧城、さらにわずかに齋藤道三の岐阜城が見える。
今では地上には住宅やビルなどが建っているが、かっては、広い平原に小牧城の小牧山や岐阜城の金華山がしっかりと見えたのだろう。
視野の中に城が見えるということは何らかの方法で通信ができたのかもしれない。
のろしや手旗信号などで情報を送っていたのかもしれない。
ちゃんとした城ではなく、砦などはこのあたりのあちこちの山頂に数知れず存在する。
犬山から木曽川をさかのぼると、美濃太田という昔の宿場町から犬山まで日本ライン下りと言われている船下りがある。
天竜下りと比べても、かなりの急流を下るから結構なスリルである。
ときどき転覆することがあるか余計にスリルを感じるのかもしれない。
東海自然歩道がこの可児市の鳩吹山から犬山の街に降りてくるが、ここまでくると山道ではなくて平地を歩くことになる。