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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~大津市坂本 律院~

2017-02-07 20:50:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 坂本の律院は、日吉大社の表参堂の鳥居から穴太衆積みの石垣に囲まれた少し奥まった場所にありました。
律院はかつては松禅院という比叡山・横川の総里坊であったとされていて、山号は「比叡山」になっています。

歴代横川に住んで修行を重ねた高僧が六十歳に達した時に“里坊を賜って余生を過ごした寺(坊)”だったそうで、明治の廃仏毀釈までは大変権威のある里坊だったとされています。
寺の案内文によると、かつては権威のある里坊だった律院は、廃仏毀釈後の大正末期に民家人の手に渡ってしまい、戦後は引揚者の一家が借り上げ、庭園は掘り起こされて畑に、松の木にはヤギが継れていた時代もあったそうです。



1949年になると戦後初の千日回峰行者で初代律院住職の叡南祖賢師が大阪財界の援助を受けて、律院を比叡山に買い戻したということです。
里坊時代からの歴史は大変長いのですが、紆余曲折があって現在の律院になったようですね。



朱色の灯篭が並ぶ短い参道の先にはすぐに本堂があり、本尊の釈迦如来と大黒天が祀られています。
この本堂は豊臣秀吉の早世した息子の鶴松(秀吉と淀君の息子で幼名は「棄(すて)」、豊臣秀頼の兄)の菩提を弔って淀君が建てたという桃山時代の建造物を移築したとされています。





本堂の横にある銅像は1988年に建てられた叡南祖賢和尚の像で、この祖賢和尚が現在見られる寺容を整えられたようです。
祖賢像の横には祖師堂が建てられていましたが、祖賢和尚は比叡山延暦寺執行でもあり、堂宇の整備・修行の制度改正・人材育成に成果をあげられた方とのことです。
叡南祖賢和尚は、こうしてみると歴史上の人物のように思えてしまいますが、明治36年生まれで1971年に亡くなられた方ですので近代の天台僧侶ということになりますね。



境内には鐘楼があり年代は分かりませんが、最近に造られたものではなさそうな鐘楼と鐘がありました。



さて午前中の律院は大変にぎわっていました。
このにぎわいは不動堂で行われる護摩焚き祈願に参加される方々のようです。寺務所も大変混んでいて護摩木を買って祈願を書き込む方が続々とやってきます。
護摩堂は1993年に完成したもので、中には4体の不動明王と眷属の制多迦童子・矜羯羅童子が祀られていて、どうやらこのにぎわいは毎日午前11時に営まれる護摩行に参加される方々のようです。





護摩焚きに参加すると精進料理が振る舞われることになっているようで、護摩行の間に寺の方が履物の数を数えて食事の数を確認されている姿も見えました。
当方も護摩木を買って護摩焚きに参加することは可能でしたが、思うところあって参加は見送りです。



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