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御朱印蒐集~奈良 興福寺『阿修羅 -天平乾漆群像展』~

2017-12-06 06:50:50 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 新聞広告やTVの特集で大々的に宣伝されていた『阿修羅 -天平乾漆群像展』に開催終了寸前になってやっと訪れることが叶いました。
雨の寺院巡りはなるべく避けたいところではありますが、近畿は終日雨の天気予報ながらも奈良市内は何とか雨が上がりそうなとの予報を信じて奈良までのドライブとなりました。

興福寺の仏像は元々境内にある「国宝館」に収蔵されていたのですが、国宝館の耐震改修工事により「仮講堂(通常非公開・1975年に旧薬師寺金堂を移建)」に展示されるのが今回の阿修羅展になります。
仏像は来年からも国宝館で拝観することは可能ではありますが、興福寺の案内文にある『西金堂内陣の宗教空間イメージを視覚化するもので「天平の文化空間の再構築」をする』という試みに大変魅力を感じてしまいます。

 

 

興福寺は南都六宗(三論宗・成実宗・倶舎宗・華厳宗・律宗)の一つになる法相宗の大本山で、後世の仏教のような民衆への布教ではなく学問研究を重視した国家宗教だったとされます。
寺院の創建は669年に藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために夫人の鏡女王が京都山科に建てた「山科寺」が始りとされ、710年の平城京遷都により現在地に移って「興福寺」となったと伝えられています。



興福寺として創建後は天皇や皇后、藤原氏によって次々に堂塔が建てられ、平安時代になると春日社(春日大社)の実権をもち、江戸時代まで保護されてきたとされています。
しかし明治の神仏分離令・廃仏毀釈・社寺上地命により荒廃して、一時は廃寺同然となったともいわれます。
その後、復興を果たして世界遺産「古都奈良の文化財」の資産として登録をされていますが、日本にとって神仏分離令・廃仏毀釈とは一体何だったのか?との疑問は拭えません。

仮講堂では中央に「阿弥陀如来坐像(像高225.7cm・鎌倉初期・重文)」。
御本尊の両サイドには「帝釈天像(鎌倉時代・重文)」「梵天像(同)」の脇侍が祀られ、横に並ぶのは「十大弟子像(奈良時代・国宝・現存するのは6躰のみ)」と八部衆像(奈良時代・国宝)。
左右の端には「阿形と吽形の金剛力士像(鎌倉時代・国宝)」が布陣されています。



像高153cmの阿修羅像は中央やや左に安置されていますが、入口から入ってすぐに目に付いた時は何とも嬉しい気持ちになります。映像等では見てはいても、直接目の前で拝観するとやはり感慨深いものがありますね。
鎌倉期の仏像が多いのは度重なる火災によって焼失した仏像を鎌倉時代に復興したからということでしたが、須弥壇に奈良仏と鎌倉仏が並ぶ姿には仏像制作の変遷の歴史を感じてしまいます。



五重塔(国宝)は高さ50.1mの大きくて力強さを感じる塔で、高さは東寺の五重塔に続く日本で2番目に高い塔だそうです。
この塔は730年、興福寺の創建者 藤原不比等の娘 光明皇后が建立したとされ、その後5回の被災・焼失を繰り返し、1426年に再建されたものが現在残る塔といわれています。



南円堂(重要文化財)は「西国三十三所巡礼」の第九番札所になっている八角形の御堂で、創建は813年。
現在の建物は1789年の再建で、堂内には御本尊の「不空羂索観音像(国宝)」が祀られているようですが、公開は年に一日だけなので拝観することは叶いませんでした。
御本尊は運慶の父・康慶とその弟子達が造ったとされており、平安末期の仏像です。



南円堂の前にはかつて存在した中門の基壇が復元されていました。
中門からは回廊が延びて、現在復興中の「中金堂」へと通じていたそうです。
「中金堂」は2018年に落慶するそうですから、工事中の国宝館と並んで来年からの興福寺は様変わりするのかもしれません。



興福寺の奥の方には「三重塔」がひっそりと建てられていました。
三重塔は1180年の被災の後まもなくに再建された塔で、北円堂と並んで現存する興福寺の建築物で最も古い建物だとされています。
初層の須弥壇には弁財天像と十五童子像が安置され、四天柱や板壁には如来・浄土の景色が描かれているようです。



「北円堂」は藤原不比等の一周忌の721年に建てられた御堂で、1180年の被災後の1210年頃の再建とされています。
特別開帳の時しか扉は開かれない堂ですが、内部には国宝の「木造弥勒仏坐像」他3躰の国宝仏像が安置されているということです。
弥勒菩薩坐像の台座内枠には慶派仏師の名が墨書きされているとされ、運慶が晩年に関わった仏像ともされています



北円堂からの参道を歩くとほどなくして五重塔が再び見えてきます。
紅葉はいい感じに赤みが増してきていましたが、いかんせん小雨交じりの曇天ではどうしようもありませんね。



参拝した日の興福寺では「阿修羅展」が開催されている「仮講堂」と「東金堂」以外は内部拝観は出来ませんでしたが、内部拝観の出来た「東金堂」も国宝の指定を受けています。(国宝建築物は五重塔・三重塔・北円堂・東金堂)
東金堂は726年、聖武天皇が薬師三尊を安置する堂として創建されたものの、6度の被災・再建を繰り返し現在の建物は1415年の再建建築となっています。



東金堂には本尊の「銅造 薬師如来坐像(室町期・重要文化財)」が安置されており、丈六の落ち着いた佇まいを感じさせてくれます。
脇侍の「日光・月光菩薩立像(重要文化財)」は1411年の火災の際に運良く運び出された仏像で、白鳳時代の作と伝えられています。


ポストカード

薬師三尊を守護するのは国宝の「四天王立像(平安期)」と同じく国宝の「十二神将(鎌倉時代)」。
四天王像は少し太めの躰をしていますが、これは頭上から邪鬼・台座まで1本の木から掘りおこしたことによるもののようです。

また、東金堂には「銅造 仏頭(白鳳時代・国宝)」が安置されていました。
この仏頭は685年に造られたとされる仏像の頭部で、1411年の火災によって頭部のみが残され、東金堂本尊の台座に納められていたのが1937年に発見されたそうです。


ポストカード

東金堂の外側には幕が張られており、その幕の図柄は奈良らしく2頭の牡鹿が向き合っている絵でした。
興福寺のある奈良公園には記憶していた以上に鹿の多さが目立ち、どこもかしこも鹿だらけです。
奈良公園の鹿は餌付けはされていますが、れっきとした野生動物で国の天然記念物に指定されているとはいえ、この人懐っこさには不思議な感じがしてしまいます。





興福寺の最後に“猿沢池から望む五重塔”を狙ってみましたが、いかんせん曇天で池に景色は映りこまず、そもそもガスっていて五重塔が霞んでおりました。
猿沢池にはカルガモ・マガモ・カワウなどの姿がありましたが、どこからやって来たのかカイツブリの姿まで見られました。カイツブリはここに定着しているのでしょうかね?





興福寺で拝観できた仏像は所蔵の一部だけでしたが、興福寺の国宝仏像は17件あり、法隆寺と並んで日本最多の国宝仏像所蔵数だといいます。
“なんと立派な平城京”と710年を語呂合わせで覚えた事のある方も多いかと思いますが、“なんと立派な興福寺”って印象の寺院だったと思います。



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